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21.変わったもの、変わらないもの

 まるで数時間も経つような時の流れを感じながら、マリアは震える声でもう一度呼びかける。 


すると彼の髪と同じ色の睫毛の下でゆっくりと琥珀色の瞳が動いた。


微かに揺れる瞳がまだ焦点を定められていないのを教えている。


そして乾いた唇が何かを訴えるように動いたのにマリアは慌てて立ち上がった。


「今水を持って来るわ、無理に体を起こさないでね」


 言い置いてキッチンへ行こうとすると、つんとスカートが引かれて振り返る。


指先に掛けるようにしてダグラスの手が未だマリアのそれを掴んでいた。


「ダグラス……すぐ戻るから。聞こえる?」


 繰り返しそう言うと、虚ろな表情をしたままのダグラスは漸く手を離した。


それにほっとしながらもマリアは急く気持ちを落ち着けてキッチンで必要な物をあれこれとトレイに乗せ、更にゆっくりと深呼吸を繰り返す。


全く突然の事でどう順序立てたものやら困りはしたが、ともかく最優先がダグラスの体には変わりがない。


まず水を飲ませ、食事と、そして薬だ。


その事だけを頭に入れてマリアはしっかりとトレイを持ってダグラスの元へ戻る。


 枕を背にベッドから上体を起こしていたダグラスは入って来たマリアにぼんやりとした表情を向けた。


やはり先日目を覚ました時に神経を昂らせたのがいけなかったようだった。


歩み寄ったマリアはベッドの端にトレイを置き、水の入ったコップを覚束無い彼の手に握らせる。


「急がないで、ゆっくり飲んで」


 その言葉に緩く頷いたダグラスが水を飲み干していくのにマリアは密かにほっと息をつく。


これまでは彼にスープを飲ませるというより流し込むのも一苦労だったが、意識さえ取り戻した今はスープを一皿飲ませる事も難しくはなくなるだろう。


「スープは飲めそう?」


 空になったコップを受け取って、マリアが野菜が溶けているスープ皿を差し出して見せると彼は大人しくそれを受け取った。


そしてまたゆっくりと一口ずつスープを口に運ぶダグラスを見守る。


食欲さえ戻れば熱も次第に落ち着きを取り戻すだろう、これから彼を町まで運ぶのにも不安が伴ったがそれも杞憂に終わりそうだ。


マリアは長い時間をかけてスープを飲み終えたダグラスに言った。


「どこのホテルに泊まっていたの?嵐が少し治まったら連絡をして、貴方を迎えに来て貰おうと思うんだけど。一緒に来ているのはエドウィン?」


 しかしマリアがそう尋ねてもダグラスはただ何か言いたげに少し口を動かすばかりで言葉を発しない。


やがてもどかしげに眉根を寄せた彼を見て、マリアははっと息を飲んだ。


「声が出ないのね?」


 マリアに向かって視線を彷徨わせやがて頷いたダグラスにマリアは溜息をつく。


「熱が続いた所為だわ。でもきっと一時的なものでしょうから、大丈夫よ」


 どこか自分に言い聞かせているようだと思いながら、マリアは顔に力を入れて微笑んだ。


病人を前に不安がっていてはいけないと心で繰り返してスープ皿を下げてから薬の瓶を開ける。


スプーンにそれを適量注いでダグラスに手渡すと、それに怯んだように少し体を引かせた彼の姿に思わず笑った。


「まだ飲み薬が苦手なのね。ちゃんと飲んで、早く良くならないと」


 たった今薬を飲み干したような顔をしたダグラスにスプーンを差し出せば、躊躇いがちに開けられた口の中へとその先が消える。


薬を全て飲ませ終えると、堪え切れず大きな息を吐いた。


ダグラスの視線がに自分向けられたのにマリアは思わず苦笑してしまう。


「よかった、意識が戻って。貴方、一度目を覚ましたんだけど、憶えている?」


 ただ複雑そうな顔をして見せたダグラスの真意は掴めず、マリアは思い付いて後ろのテーブルを振り返ってから肩を落とした。


筆談でもと思ったが、マリアが唯一持っていた紙は全てタオルと水の入ったボウルの結露によって濡れている。


これではエルマ宛ての手紙も書けない。


再び視線を戻すと自分を見ているダグラスの目に気が付いた。


「もう一度横になって。嵐はもう少しで一旦止むと思うの、すぐに連絡が取れれば治まっている間にホテルに戻れるわ。ちゃんとしたところでゆっくり休んだ方が――」


 言い終わらない内に熱の篭る手に手首を掴まれマリアは目を瞬いた。


少し険しくなったダグラスの表情を見て、そしてゆっくりと首を振る。


皮肉な事に今は彼が何を告げたいのかがわかった、昔と同じように。


「ごめんなさい、私はまだ戻れない。でも心配しないで、私はこの通り元気だし、それにいずれはあの村へ戻るわ」


 そう、いずれ……いつになるか見当もつかない話だ。


細く息を吐き出して、マリアはそっとダグラスの手に自分のそれを重ねた。


「会社の事、聞いたの。ねえ、もしその事でも心配しているのなら、大丈夫だから。確かに……私の意志であそこを出て来た訳ではないけど、会社の事とは無関係よ。私達、ここ数年は昔みたいに交流があったとは言えないし。それに一人であの村を出た私を狙う理由もないでしょう」


 手首を掴むダグラスの手が強くなったのを感じてマリアは力なく微笑んだ。


「やっぱり……それが原因だったのね?言ってくれたらよかったのに、と思うけど……言えないわよね」


 ダニエルの「似た者同士」という言葉が蘇って苦笑が浮かぶ。


自分こそ彼を巻き込む事を恐れて、また迫り来るかも知れない不安の事を話せずにいるのだ。


話してしまえば黙ってダグラスが身を引いてくれるとは思わない。


恐らく今までのダグラスも同じ考えを持ったのだろう、言葉にして漸くそんな気がした。


 ただマリアの相手はダグラスの懸念する相手よりずっと性質が悪いように感じられる。


他人に危害こそ加えてはいないようだが、この先もそれが通用しているかもわからない。


クリスティアンとキャサリンが同じように連れ去られていないからと言って、ダグラスにもそうだとは言い切れなかった。


相手が正しく何者かもわかっていないだけに恐怖は未知数だ。


「クリスと、キャットは、元気?」


 長い沈黙の後、マリアは声の震えを抑え切れないまま呟くように言った。


そしてダグラスが頷いたのを確認して片手で熱くなった目元を押さえる。


「よかった……っ」


 長く息を吐き出したマリアは顔を上げ、そっと自分の胸を押さえたダグラスの様子を見て瞠目する。


「貴方の所にいるの?――何かあったの?」


 一瞬にして血の気を引かせたマリアの肩にダグラスの指が宥めるように触れた。


首を横に振る彼に対し言葉が喉の奥で詰まり出て来ない。


休暇はもう過ぎているはずだ、だとすれば何故二人がダグラスの元にいるのか。


少しずつ絡まった思考を解いて、マリアは己のそれを握る彼の手を握り返した。


「もしかして私がいなくなったから?だから二人を保護してくれたのね?」


 やがて頷いたダグラスを見て、力の抜けるまま椅子に背を凭れる。


彼の危惧する人間が二人を標的にしないとも限らないが、保護すると決めて傍に置いている以上常に監視の目があるだろう。


そしてそうなっている状況なら、エスレムス達とて尚更下手に手は出せまい。


彼らが少なからず人の目を気にしている事はマリアを誘拐した手口でも明らかだ。


もし手段を選ばなかったのなら今頃弟妹はダグラスの元になどいなかっただろう。


「ありがとう、ありがとうダグラス。私、それだけが気がかりで」


 熱く膨れ上がりそうになった目元を強く押さえ、そう何度も繰り返す。


僅かに滲んだ視界を拭って、マリアはダグラスに向かって微笑んだ。


あの頃のように、心から。


 彼の表情こそが泣きそうに歪んだのは、気の所為だったのか。


「勝手な事だけれど、あの子達をお願い」


 突然咎めるように首を振ったダグラスにマリアは頷く。


そして不思議な思いに胸を疼かせた。


あれほどすれ違っていた頃が嘘のように、変わらず彼の気持ちが伝わって来る。


言葉がわからなかったマリアが飲み込んだ言葉さえも、ダグラスが感じ取ってくれたのと同様に。


 ――言葉が、わからなかった……?


「あ、……大丈夫、私は本当に大丈夫。こうしているのが証拠でしょう?ただあの子達の事が心配なの」


 拗れかけた思考をなんとか元に戻しながらマリアは言った。


しかしふと脳裏を過ぎった疑問がざらりとした感触を残したまま居座っている。


拭おうにも、その場所には手が届かない。


 言葉がわからなかった事などない、記憶にある限りいつの間にか母国語を話していた。


そして大体の人間がそういうものだろう、最初の言葉を理解した時の記憶はあまり残っていない。


そう、残っていないのだ。


物心付いた頃であろう年以前の記憶が、すっぽりと。


 それに違和感を覚えたマリアはそっと指先を擦られたのに顔を上げた。


心配げなダグラスに向かってなんとか首を振る。


「違うの、ちょっと今……思い出せない事があって。貴方と初めて会った時の事。今まで特に考えた事もなかったのに……随分昔の事だし、私はまだ小さかったから憶えていなくても不思議じゃないわよね。どうして急にこんな事考えたのかしら」


 再びざらりとした感触が脳を撫で大きく身を震わせる。


本当にどうして今になってこんな事を考え出したのかと、マリア自身訳がわからなかった。


確かに小さな頃の記憶を克明に憶えている事は稀だろうが、憶えていてもよさそうな記憶すらない事に気が付いてしまった。


しまってあるはずの引き出しの中は空っぽで、そして何をしまったのかも思い出せない。


 マリアはぐるりと世界が回ったような感覚に目を閉じ、そして頬に感じたぬくもりに再びそっと目を開ける。


幼い頃から弟妹と共に羨ましかった深い色の瞳がそこにあった。


初めてこの色と出会った時の事が、思い出せない。


「ごめんなさい、本当に大丈――」


 言いかけた言葉は唇に当てられたダグラスの指先によって遮られた。


そして目を細め苦笑するという見覚えのある仕草にマリアの中の何かがじわりと熱を持つ。


マリアがあちこちを飛び回って無茶をした時によく彼がしていた仕草だ。


「君の大丈夫はちっとも大丈夫じゃないんだ」――少年の言葉が今の彼の姿と重なる。


そしてその度にマリアはこう言った。


「大丈夫にする、のよ」


 今思えば好奇心が旺盛だったというよりも、何か躍起になって新しい事に挑んでいた事を思い出す。


そのくせ、振り返って彼がいないのが一番の不安だった。


しかしもうマリアは家族に手を繋がれていなければならない年でも、受けられない愛情に駄々をこねる年でもない。


 溜息をつく。


当時の自分が子供だったと思い知る度に少しは大人になっていればと思うが、ただ現実はそう確実な尺度で測れはしない。


子供の時に出来なかった事を大人になったら出来ると思う事こそがまだ幼稚に思えた。


「ダグラス、まだ寝なくても平気?」


 頷いたダグラスを認めて、マリアは何度か深呼吸を繰り返し彼を見詰めた。


長く長く、見続けて来た人だった。


こうして視界に納められずとも、心だけはいつも彼の姿を見詰め続けた。


端的に言えば彼が特別な事をした思い出はない。


常に優しかった訳でなく時には父や母よりも凄い剣幕で叱られた事もあった、彼の勉強が上手く捗らない時には邪険にもされた。


思春期を過ぎればマリアも兄のような存在から離れ、ありがちに自分に対してただ優しく接してくれる人を選べたはずだった。


 マリアは苦笑する。


もう感情だけでは理由になっていないのだ、生きる己の根底にダグラスがしっかりと根付いている。


多分、好きという感情は持たなかった。


ただ最初から――愛していた。


「はっきり言っておく。私はまだ戻れない、貴方と一緒には戻れない。……あの頃にも、戻れないの」


 何故なら、弟妹達とて一生マリアと共にいる訳ではない。


道が分かれる、それが普通なのだ。


例え血が繋がった家族とて。


「貴方が今もあの頃のまま私を大事にしてくれるのは嬉しい。私も、今も貴方を大事に思ってる。でも私達は家族のようなものであって、それ以下にもそれ以上にもなれない。ダグラス……いずれ本当の家族を築いて、幸せになって」


 妙に鈍く痛む胸をマリアは無視した。


「貴方なら出来る、私はずっと貴方を見てそれを知ってる。普通の子なら悲鳴を上げそうな勉強も理解するまで寝ずにしていた。それにご両親の事も、私達の事も、大切にしてくれた。貴方は、愛する人と幸せになる権利がある。今までずっと頑張って来たじゃない。私達も――神様も、それはご存知よ」


 握られたままの手が彼の両手によって更に強く握られた。


首を振るダグラスにマリアは微笑む、そうしてくれた事が嬉しかったから。


「私も頑張る、貴方に負けないように自分の幸せを見つける。ありがとう、貴方が今まで私の為にしてくれた事忘れない。私、……ダグラスを好きになってよかった」


 離れている間も、背を向けられていた間も、彼は確かに大切に思ってくれていたのだと今なら理解出来る。


 ――だから今度は、私が、貴方を危険から遠ざける。


 例えそれが、私自身であっても。


「……リ、ア……ッ」


 首を振り続け掠れた声を絞り出すダグラスの唇にマリアは先程彼がそうしていたように指先を当てた。


「ダメ。私が言い出したら聞かないのはもうわかっているでしょう?必ず、あの村に帰ると約束する。ねえ、私が約束を破った事がないのも知っているでしょ?」


 不意に伸びて来た腕が全身を拘束するのを、マリアは拒まなかった。


広い胸に頬を預け、彼の背をそっと撫でる。


「もう謝らないでね。そりゃあ冷たくされて恨んだ事だって一度や二度じゃない、どうして貴方を好きになったんだろうって自分を嫌になった事もあったわ。でもいいの、例え貴方を好きにならなくとも、私は貴方の事を嫌いになれない」


 愛情だけだったのなら、いつか憎しみにさえ変わったかもしれない。


けれど彼と育んだ時間は強い親愛も成長させた。


どんなに怒りが募っても、クリスティアンとキャサリンの顔を見るとそれが持続しないのと同じだ。


ふと弟妹の顔が思い出されてマリアは微笑む。


駄々をこね、拗ねた弟妹を相手にしているような気持ちだった。


 マリアは顔を上げ不安げな表情をしたダグラスの頬を両手で包む。


そして彼の額に自分のそれをぴたりと寄せて、昔と同じ「儀式」をした。


「約束しましょう。私達、必ず幸せになるって。貴方は貴方の望む姿で。それから私は……私、として。歩くのさえ止めなければ、いつか出るとこに出るわよ」


 髪に頬を摺り寄せて来るダグラスの髪を梳いて、マリアは遠い未来に思いを馳せた。


「お邪魔だったかな?」


 ノックが聞こえ、マリアが体を離す事を許されずにいる間にドアからダニエルが顔を出す。


「うん、お邪魔だったようで大変申し訳ないんだけれど。ミスター・ボルジャー、少々マリアをお借りしてもよろしいでしょうか?どうやらあちこち雨漏りしてるんだ」


「ええっ!?」


 ダニエルの言葉にマリアはダグラスを押し退けて立ち上がる。


さっと部屋の隅に目を走らせたが、この部屋は幸い大丈夫なようだった。


「滲んでいる程度だけど、この嵐が近々治まるという保障もないからね。処置しておくに越した事はない」


「そうね、奥に工具があるから取って来るわ。ダグラスはもう休んで」


 ダグラスの肩を押してベッドに押し付けたマリアは苦笑するダニエルの脇を抜けて部屋を出る。


廊下に出ると確かに隙間が濃い色に滲んでいた。


 残されたダニエルは未だ己を突き刺して来るかという視線に苦笑する。


マリアの立てる物音を聞きながら、そして静かに言った。


「やっぱり、君が納得する訳はないよな。でなければここまで追いかけて来る訳もないだろうし。全く……僕は君が羨ましいよ」


「何?」


 戻って来たマリアが首を傾げるのにダニエルは苦笑したまま首を振って工具箱を受け取った。


「一応全ての部屋を見ておこう。僕の寝ていた部屋が一番酷いかもしれない、寝ていたら額に雫が落ちて来て驚いたんだ」


「それじゃあダニエルの部屋から行きましょう」


 ダニエルと一緒に件の部屋へ向かったマリアは、薄い笑みを浮かべている彼に再び首を傾げた。


「一体何なの?」


「僕も……彼のように追いかける事が出来ていたら、結末は違っただろうかって……どうしようもない事を考えた自分に可笑しくなったんだ」


 椅子の上に立ったダニエルに木片を手渡しながらマリアは目を細める。


あの時もっと上手く出来ていたら――後悔に苛まれる人は皆そう繰り返す。


「そうじゃないわ。もっと肝心なところに気付く事からやり直せなかったら、同じ事の繰り返しなのよ」


「そうだね」


 自分に言い聞かせるようだったマリアの言葉にダニエルはただ頷いた。


「彼の説得は難航しそうだね」


「声が出ないみたいなの……、熱の所為で一時的なものだと思うけど」


「ああ、それで何も言わなかったのか……」


「何を?」


 木片を打ち付け終わったダニエルが椅子から降りて大袈裟なまでに頷く。


「ほら、「マリアに近付くな」――って」


 一瞬で頬に熱を集中させたマリアはダニエルの腕を叩いた。


「もう、止めて。彼はきっとその事を憶えていないわ、知ったらきっと落ち込みそうだから話さないでね?」


「どうして?」


「いつもはあんな事をする人じゃないからよ。貴方も昔の彼を知っているならわかるでしょう?」


 ダニエルはそれに肩を竦め両手を広げる。


「まあ確かに、冷静で沈着、優雅のお手本みたいな感じだった」


 ほらねと歩き出すマリアを追いかけて椅子を持ちながら並んだダニエルは廊下に出てそれを置く。


廊下の二箇所とキッチンの脇、玄関の三箇所を修繕して、新たに見付かったダニエルの部屋の一箇所にもう一度木片を打ち付けていた最中ダニエルが再び口を開いた。


「だから余程君は彼にとって特別なんだって思うんだけれどね」


「特別は、特別だったんだと思うわ。彼には他に兄弟がいなかったし」


「僕にもいないよ。兄弟同然に育った従兄姉はいるけど、……どうかな」


 ダニエルに向かってわざと大きく溜息をついてマリアは言った。


「何か書ける物を持ってはいない?ダグラスの泊まっている場所を聞きたいの」


「ないな……ああでも、それなら手の平に書いて貰ったらどうかな?」


「ああ、そうすればよかったわ!」


 彼の事になると君もやっぱり随分冷静さを欠くよね、とはダニエルは賢明にも口にしなかった。


そしてその代わりに「嵐が早く治まるといいね」と言う。


マリアはそれに頷いて、雨戸をガタガタと鳴らしている暴風に眉根を寄せた。


すでにこの雑音が耳に慣れてしまって、風が止んだら静寂に耳がおかしくなりそうだと思う。


今は一刻も早く止む事を祈るばかりだ。


そうでなければダグラスも、ダニエルも危険に近付いているままになる。


 ――ダグラスをホテルに戻したら、その足で今度こそこの村を出よう。


ダニエルが椅子から降りるのを見守って、マリアは持っていた工具箱を強く胸に抱いた。





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