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01.見失う居場所

 マリアは今しがた額から拭おうとした汗が急速に引いていったのを感じた。 


いつの間にかすぐ手前に立っていたダグラスにどうして気付かないでいたのかと自分を罵りながら。


 ダグラスはマリアの昔からの馴染みだ。


尤も今となっては「単なる顔見知り」を「馴染み」と呼ぶならばの話ではあるが。


つまり昔から知ってはいるが、そう深い話をした訳でもなければ、笑顔で挨拶をした事もない。


 マリアはその無表情を見詰め、自分も表情を強張らせながら「こんにちは、ダグラス」と言うのが精一杯だった。


「ホレーショーはいるかい?」


「今日は出ているわ。明日の昼には戻ると言っていたけれど」


「そう」


 ちらりとマリアを一瞥したダグラスは表情を変える事もなく、柵に掛けていた手を下ろしてあっさりと背を向ける。


ダグラスに気付いたマリアの七つ年下の弟妹が作業を放り出して駆け寄って行くのが見えた。


「クリス!キャット!まだ終わっていないわよ!」


 声を上げたマリアに弟妹の鬱陶しそうに振り返り、ダグラスがわざとらしげに肩を竦めたのにマリアは唇を噛みそうになるのを必死で堪える。


いつもこうだ、最近は特に。


「マリア、少しくらい休んだっていいだろう。さあ二人共、家においで。バーバラが美味しいアイスティーを淹れてくれる」


「やった!」


 にっこりと笑ったダグラスに飛び上がって喜んだ二人はそのままマリアを振り返りもせず行ってしまった。


それを見送って、マリアは掻き集めていた藁の上に無意識に座り込む。


力が出なかった。


 ダグラスの家は隣町、そしてマリアの家とこの農場は村の境目で家自体はとても近い。


ダグラスの父――エイブラハム=D=ボルジャーは妻の家の貿易商を引き継いでいて自身は爵位もある、一人息子のダグラスもすでに貿易商を生業としていた。


昔はダグラスの家とも頻繁な行き来があって、お互いの両親は親友と言ってもよかった。


 だがそれもマリアの両親が五年前に亡くなり、ボルジャー家の事業が成功に成功を収めるまでの話だ。


勿論ボルジャー家の家政婦であるバーバラは家に訪れたマリアの弟妹を邪険にする事などない、むしろマリアと共に我が子のように可愛がってくれる。


多忙を極めあちこち飛び回っているエイブラハムやその妻のヘンリエットも年に一二度会う時は同じ事であった。


 美男美女と謳われたボルジャー夫妻の一人息子ダグラスは親の七光りと周囲に言わせない存在だ。


ヘンリエットから受け継いだ赤みがかった金色の髪と琥珀色の瞳は眩しいほどで、年々男らしい美貌を備えていくだけでなくエイブラハムに負けない手腕を振るいつつある。


女性なら誰もが振り返る存在であるダグラスは、そしてまた誰にも笑顔を振り撒く存在だった。


 ――たった一人、マリアを除いては。


「お嬢さん、どうしたんです?具合でも悪いんですか」


 納屋の方から藁を抱えてやって来たボリスに慌ててマリアは首を振って立ち上がる。


うっかりすれば再び力が抜けそうになってしまう体を叱咤し、再び作業に没頭する事にした。


 あまり頭を悩ませこれ以上頭痛を感じるのは嫌だった。









 少なくともマリアの両親が生きていた頃はそうではなかった。


五つ年下のマリアをダグラスも自分の妹のように可愛がってくれた。


 けれどいつの間にかこうなってしまった。


ダグラスは昔のようにマリアに微笑みかける事もなければ、優しく話を聞いてくれる事もない。


他の人には惜しみなく微笑みを向け、親切に接するというのに。


一体自分の何がいけなかったのかマリアにはわからないままだ。


 思えば両親が亡くなって残された農場をどうするか途方に暮れていた時にダグラスが全て手配をしてくれたのが最後だった。


人を雇い入れ農場を切り盛りし、学校に通いながら幼い弟妹の面倒を見、日々忙殺されて気が付いた時にはもう昔のように駆け寄れないほどダグラスとの距離は開いていた。


 マリアにとってダグラスは憧れのヒーローで、そして想いを寄せる幼馴染みだ――恐らく今でも。


昔から周囲に人を集めていたダグラスの隣にいる為にマリアは幼いながらに様々な努力をしたものだ。


今となってはもうダグラスに振り向いて欲しくて下手な化粧をする気にもならないが。


 そろそろハイティーンになるクリスティアンとキャサリンも、口煩い姉など最近見向きもせず優しいダグラスに助けを求めるように駆け寄って行く。


誰も彼も、何もかもが、マリアは失っていく予感がした。


両親が残した家と農場を守り弟妹を育てるのに精一杯で、マリアは自分にはそれ以外何もない事に気付き愕然とする。


 この先弟妹が大人になったらそれこそマリアは必要がなくなるし、クリスティアンは農場を継ぐ事など考えもしていないだろう。


彼はダグラスのように貿易会社に勤めて旗を揚げたいと望んでいる。


キャサリンにしたってこの頃はボーイフレンドに夢中で農場を手伝って汚れるのを極端に嫌がるようになった。


 マリアは椅子に腰掛けたまま、仕事終わりのままの自分の格好を見下ろして自嘲する。


日々の忙しさだけでなく心は未だにダグラスに囚われたままで、余所見など考えもしなかった。


学校に通っていた頃は男の子に誘われた事もあったが、幼い弟妹が家で待っているか思うと碌にデートも出来ず、身奇麗にしている余裕もない。


肝心のダグラスには冷たく背を向けられたまま。


 マリアは両親が亡くなってからもう五年にもなるのかと遠くを見て思う。


九つだったクリスティアンとキャサリンはもう十四、そしてマリアは二十二だ。


周囲を見れば同じ年頃の村の女性達はすでに結婚をしている者が多い、そうでなくとも毎日化粧もせず農場に通って汗水流している人などいない。


村の若者の殆どが町に出て働いているのだから、それもそうだろう。


自分一人が時間の流れに取り残されてしまったようで、思わずマリアは膝を抱えて丸くなった。


 全ての心を許せる存在は最早いない。


少しずつ滞り始めている農場の事をダグラスは勿論の事ボルジャー家の人間には話せないし、学生時代も忙しくそんな友達を作る暇もなかった。


唯一の相談相手だった伯母は一昨年流行病で逝ってしまった後だ。


 のろのろと立ち上がり、シャワーを浴びてマリアは夕飯の支度を始める。


どうせ弟妹はボルジャー家で夕飯を済ませて来るだろう。


毎日殆ど同じメニューしか並ばない家での夕飯より、バーバラの作る見た事もないようなご馳走の方がいいに決まっている。


ヘンリエットが貴族暮らしに慣れなかった所為で使用人が何十人もいるような家ではないが、「ボルジャー侯爵」のお屋敷に入るだけで二人にとっては自分達も貴族の仲間入りをしたような気分になるのだ。


 案の定遅くに帰って来た二人にそれでもマリアは小言を言わざるを得なかった。


「こんなに遅くまでお邪魔をしては駄目よ」


「だったらマリアも来ればよかったでしょ。姉さんはいつもそう、ボルジャー家には近寄るなって、そればかり。確かに家は貧乏だけど、妬むのはよくないわ」


 つんと顎を上げて言った妹にマリアは眩暈を覚えそうになる。


けれどこうした反応は何もキャサリンだけではない、恐らく村の多くの者がそう思っているだろう。


自分に背を向けているのはダグラスで、マリアはその反応を見たくなくてこれ以上嫌われないようにしているだけだというのに、周囲にすれば「親切なダグラス」を避けているのはマリアの方なのだ。


「別にお邪魔じゃあないさ」


 後から入って来たクリスティアンの後ろからダグラスが入って来たのを見て思わずマリアはぎょっとしてしまう。


さっさと自室に引っ込んでしまった弟妹に眉を寄せながら、マリアはダグラスに向かい直った。


「どうもありがとう。けど貴方が送って来てくれるなんて珍しいのね」


 昔からダグラスにはセクシーな美女が入れ替わりで腕を絡めている、仕事がなければ毎日がデートで羨ましいとクリスティアンが零していたのをマリアは憶えていた。


 確かにダグラスの恋人を初めて見た時のショックは忘れられない。


マリアとは違う艶やかな黒髪、それに宝石のようなグリーンの瞳、お洒落で手触りのよさそうな服、惜しげもなく晒されたグラマーなスタイル――どれもこれもがマリアにはないものだ。


農場を自分でやり始めたばかりで肌も髪も焼け、手は傷だらけになって荒れた。


いつか彼の何番目かの恋人に言われた「彼に近付かないで、貴女のみすぼらしさが移ったら大変」という言葉が己の羞恥をよりかき立てた。


 そうしていつからかマリア自身もダグラスを追いかける事など出来なくなってしまったのだ。


どうせ彼は自分を振り返ってなどくれない、そんな風に気持ちに蓋をした。


「仕事が一段落着いてるからね」


 立ち去らないダグラスをマリアが見上げる。


「何か御用?」


「御用がなければいけないかい?」


 白々しく肩を竦めたダグラスにここ何年もずっと遊びにも来なくなったくせにと怒鳴りたいのをマリアは必死に堪えた。


「クリスティアンとキャサリンの事で少し話したいんだよ」


 勝手に椅子に座ってそう言ったダグラスの言葉にマリアはきゅっと胃を掴まれた思いがした。


農場の事と共に二人の今後の事もマリアは頭を悩ませている。


クリスティアンの成績は悪くはない、しかし本人が言うように貿易の仕事をこれから本当に目指していけるかもわからなかった。


キャサリンと共にあまり堪え性がないのだ。


 じっと自分を見詰めるダグラスに心臓が不規則な動きになるのを覚えながらマリアは頷いて正面に座った。


「今日少しあの子達の話を聞いてね。あの子達は不満なんだよ、自分達はもう片手ほどの子供じゃないって」


「一人で生きて行けるほど大人でもないわ」


「それはわかってる。……マリア、俺も君の気持ちがわからない訳じゃないさ、確かにこの五年間あの子達の面倒を見て育てて来たのは君なんだから」


 私の気持ちがわかるですって?冗談じゃないわ!


マリアはかっとなったのを誤魔化すようにふと細く息をつく。


 ただでさえ数年ぶりにこうしてダグラスと二人で向かい合っているのだ、何もかもが落ち着かない。


嬉しさ、懐かしさ、寂しさ、悲しさ、空しさ、全てがマリアの胸を交差する。


「けど俺から見たって君は過保護だ。すぐ近くの家に招待されるのも嫌がるなんて」


 うっすらとマリアは唇を噛む。


以前二人は今日同様ダグラスに家に呼ばれ、仕事をサボって行こうとしていたのを叱り付けた事があった。


結局いつの間にか抜け出した二人はボルジャー家の使用人に送られて帰って来た。


 その後暫く弟妹とは口を利かなかった、正確には散々文句を言った二人が姉を無視するという行動に出たのだ。


「ご招待は有り難いのだけど、あの二人に仕事を投げ出してもいいという事を教えないで欲しいの。家は貴方の家とは違うのよ」


 両親が生きていた頃はマリア達の家にも家政婦がいた。


しかし五年前からは家事の一切もマリアが引き受けている、弟妹も本当に幼い頃は手伝いもしてくれたが今ではこの通りだ。


 マリアの言葉に溜息をついたダグラスは緩く首を振った。


「違う事なんか何もないだろう。昔馴染みなんだ、家を頼ってくれて構わない。父さんも母さんも歓迎するし、バーバラだって喜ぶさ」


「根本的な解決にはならないわ。少なくともクリスはこのままじゃいけない。何でも楽な方を選んで仕事が続かなくなったらどうするのよ」


「クリスティアンはまだ十四だ。……マリア、どうしてそう頑なになるんだ」


 そうしていないと折れそうだったからだと言いたいのをマリアは堪えた。


いて欲しい時に貴方が傍にいてくれなかったからなのだとは言いたくない。


後ろ手で差し伸べられたものなど受け取りたくはなかった。


「貴方には関係のない事でしょう。家の事に口を挟まないでダグラス。あの子達の家族は私よ」


「生真面目なマリア。けど君がそんな風にしていたら、いずれあの子達はどう思うかな」


 ぐさりとその言葉がナイフのようにマリアの胸に突き刺さった。


 ダグラスはこう言いたいのだ。


――すでに二人は口煩い姉を姉とは思っていないと。


 震えた手をテーブルの下でぎゅっと握り締め、マリアは努めて声を抑えて言う。


「帰って、ダグラス」


 大きく溜息をついたダグラスは肩を竦めマリアの言葉に従った。


 ドアが閉められ静寂が戻ったところで俯いたマリアの膝にぱたぱたと何かが落ちる。


久しぶりの話がこれだ、知らず歪んだ笑みが口元に浮かんだ。


 わかってはいるのだ、まだ十四の二人に家の事をあれこれしろと言うのが無理な事は。


そして自分が上手くやれていない事も。


けれどどうしても先の不安がマリアをかき立ててしまう。


これから農場をどうして行くのか、弟妹とどう接していったらいいのか、そして――自分がどうして行きたいのか。


 涙を拭ってふとマリアは笑った。


何もわからない、そしてわからないほどに自分には何もないのだ。


じっとしたままで一人、マリアはいつまでもそうしていた。















 次の日予定より少し遅れて戻って来たホレーショーが神妙な顔でいたのにマリアは歩み寄った。


「おかえりなさい。どうかしたの?馬は売れそう?」


 矢継ぎ早に聞いてしまったのを後悔するより早く、ホレーショーはマリアに口を開いた。


「マリアお嬢さん、実はさっきボルジャーのとこの坊ちゃんに会いまして」


 今年で五十五になるホレーショーは皺が目立ち始めた顔を少し歪ませる。


どうやらいい話ではなさそうだとマリアは頷いて、二人で納屋の外へ出た。


「この農場を売ったらどうかと言われたんですよ。いや、お嬢さん、違うんです」


 ぎょっとして目を剥いたマリアにホレーショーが慌てて首を振る。


しかしマリアの心臓はすでに落ち着かなく嫌な風に高鳴った。


 カートライト農場は両親から受け継いだ家の一部だ、手放せと言われてそうですねと頷ける訳がない。


だからこそマリアは両親が亡くなった時にもダグラスに両親の遺した物は何一つ手放したくないと言ったのだ。


そしてまだ当時十七だったマリアが受け継げるように整えてくれたのはダグラスだったというのに。


それすらダグラスに忘れ去られてしまったのかと胸がキリキリ痛む。


「経営者としてダグラスが立つだけで、勿論ここはこれまで通りお嬢さんが――」


「そんな事をして勝手に売られていたって文句は言えないじゃないの!」


「ですがお嬢さん……マリアもわかっているだろう、このままでは売るどころの話ではなくなる」


 力をなくしすとんとその場に膝を折ったマリアの肩をホレーショーは抱き寄せて優しく擦る。


マリアの父とはボルジャー夫妻と共に長い付き合いである、そして今はマリアにとって一番近しい人だった。


ホレーショーとてマリアの事は自分に出来た末娘のように可愛がっていたのだ、生真面目な娘の姿にホレーショーの胸も痛む。


 しかしいつ調べたのかはわからないが、ダグラスが口を挟むほどとなると、二人が思う以上に先の経営は明るくないのだろう。


そうして「施し」を受けなければならないほどに。


そう、昔ならともかく、今ダグラスがしようとしているのは、「同情」故に過ぎない。


「わかってるわ……わかってるのよ、ホレーショーおじさん」


 マリアは顔を両手で覆いながら体の震えを堪え切れなかった。


 ただただ、脳裏に楽しい思い出が蘇る。


両親と幼い弟妹の笑い声、時折やって来るボルジャー一家の笑顔、そしてその中でマリアも笑顔だった。


いつからこうなったのだろう、もうマリアにはいつ自分が笑ったのかも思い出せない。


「もう少し、もう少しだけ考えさせて」


「ああ、わかっているよ。私はただお前の事が心配なんだ、十七でこの農場を継いで、お前は外に遊びにも行かず頑張って来た。だがな、今のお前を見たらジェシーはどう思うか……。なあマリア、思い出は残る、私の中にも残っている。そればかりを追いかけて、お前が先の幸せから目を逸らすようにはなって欲しくないんだよ」


 何度も頭を撫でて励ますように肩を優しく叩いたホレーショーは「少し休みなさい」と言い残して戻って行った。


 残されたマリアの頭には様々な思いが巡る。


何故今頃になってダグラスはそんな話をホレーショーに言ったのだろう。


確かにマリアとて当時からずっと一人でやり切れるとは思っていなかった、けれどこの農場をすぐには潰したくないという思いをわかってくれたからこそ手筈を整えてくれたのではなかったのか。


せめてマリア自身に最初に話してくれたら――そして経営権などではなく、ただ自分の傍にいて励ましてくれたのなら……マリアの思いは違ったかもしれない。


 そんな風にされるような事を自分が何かしたのだろうか。


マリアには考えてもわからなかった。


もうダグラスは妹のようになど思ってもいないのだ、ダグラスは自分が嫌いになったに違いない――それだけがマリアの頭を占める。


 やがて頭痛のし始めた頭を抱え、ホレーショーに一言告げて家へと戻る事にした。


そんな事をしている暇はないのだが、このままいても自分は役には立たないだろう。


重い足を引き摺るようにして歩くと遠くから子供達の笑い声が聞こえ、また涙が溢れて来た。


 今朝も弟妹は口も利かずに学校へと出て行ってしまった。


戻った家のテーブルには手が付けられなかった三人分の冷めた朝食が残っている。


マリアは自身の全身がじわりじわりと針に刺されているかのような気分に陥った。


その場から駆け出し自室のベッドに飛び込むと、そのまま枕に顔を押し付けて泣く。


 うわあんうわあんと、子供のようにマリアは泣き喚いた。


弟妹の事も、農場の事も、そして未だに捨て切れない想いを抱くダグラスの事も、何もかも頭から追い出すように。


今は何も考えたくはなかった。


 それなのに脳裏には昨日の弟妹やダグラスの事ばかりが蘇る。


優しくされたのはいつだろう、笑ってもらったのはいつの事だろう、自分同様三人の笑顔も思い出せない。


思い出そうとしても浮かぶのはまだ自分も幼かった頃の事ばかりだ。


 マリアはホレーショーの言葉を思い出す。


父が見たら……きっと母も今の自分の姿を嘆くだろう。


けれど自分の幸せなんてわからない、先の事などもっとわからない。


この五年間ずっと弟妹と農場の事だけを考え暮らして来た、どうしたらよくなるのか、そればかりを。


 ぐっと唇を噛んでマリアが嗚咽を堪えるが無様な音で零れてしまう。


「よく、なんて、なっていないじゃない……ちっとも、なってない」


 自分は上手くやろうと頑張って来たつもりだった。


しかし今現実はそれを示してはいない。


 そして昨日のダグラスの言葉を思い出してマリアは自嘲した。


自分は頑なだと、そう言った声。


確かにそうかもしれない、それは認めざるを得ない。


しかしそうでなければ一体どう出来たというんだろう、最初から家も農場も手放せばよかったのか。


そして弟妹は血も繋がらない他の誰かに預ければよかったというのか。


 結局「つもり」でしかなかったのか。


手放したくないと思っていたのはマリアだけだったのか。


 ダグラスとて背を向けたではないか、昔のように微笑んで声を掛けてくれる事も一番に自分の心配をしてくれる事もなくなって、「恋人」と「妹のようだった赤の他人」の立場の差を見せ付け続けたではないか。


 激しい頭痛を感じた、蹲って頭を抱え込む。


少しずつ真っ暗になって行く部屋の中で、マリアは独りきりなってしまったような感覚を覚えた。


もうこのまま融けてしまえばいいとすら願って。






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