13.彼女の輪郭
長い沈黙を破ろうとせず、ダグラスは二人の言葉を待つ。
やがて口を開いたのはクリスティアンだった。
「学校は楽しいよ、でも基本的に自分達の事は自分達でやらなくちゃいけなくて……当たり前なんだけど。それを僕達はあんまりわかっていなかったんだと思う。そんな事も出来ないのかって、本当は貴族様なんだろうってさ、友達には馬鹿にされる始末だし」
二人が通う学校の生徒の大半は両親が仕事で忙しかったりする中流家庭が大半で、一部に町に住む貴族の子がいる。
貴族の子供達には別寮があり、親の意向であれば特別授業も行っていた。
あの学校のイメージの大半は何故かその貴族向けの施設であったりする為、入った子供達ががっかりしてしまうのはダグラスも友人から聞いて憶えがある。
クリスティアンとキャサリンもそうだったのだろう、二人からあの学校に入りたいと聞いた事があった。
はあと息をついてクリスティアンは続ける。
「やらなきゃいけない事ばっかりじゃないんだけど、でもそれをやってないと置いて行かれるのは自分の方なんだよね。勉強も同じで、やっぱり将来いい仕事に就きたいんだったら自分でやらないと駄目なんだ。自分で無くしたくないものなら、誰かに甘えてちゃ駄目なんだ」
自分に言い聞かせているようなクリスティアンの言葉にキャサリンも頷く。
「家や農場がなくなるなんて思ってもみなかった。ずっとあの家にいると思ってた。それで、姉さんはずっと、傍にいると思ってた。姉さんだけは、何があっても傍にいるんだって……」
深く俯いたキャサリンがしくしくと泣き出すとその肩をクリスティアンが擦る。
キャサリンの言葉がダグラスの胸にも深く刺さった。
今きっと、この二人は自分と同じ後悔をしている。
まだ十四の二人がわからなくても仕方がないかもしれないが、いい加減二十も過ぎた大人の自分がこれかと思うとダグラスは情けなささえ覚えた。
「あの時姉さんを少しでも手伝ってたら、家も農場も誰かにやらないで済んだんじゃないかって。姉さんは意地悪で言っていた訳じゃないのに……なんでそれがわからなかったんだろう。父さんや母さんだって、ずっと傍にいてくれる訳じゃないって、当たり前なんかじゃないんだって、わかったはずなのに」
徐々にクリスティアンの目や鼻も赤く染まっていく。
どうやら親に等しかったマリアから離れてこの数ヶ月を生活する事で二人も何か感じるところがあったらしい。
「こ、こんなの、今更わかっても、嫌われたって仕方がないって……だから姉さんは手紙もくれないし住む場所も教えないでどこかへ行っちゃったんだ……!」
とうとう俯いたクリスティアンの目からもぱたぱたと零れた涙が膝に落ちてズボンに染みを作る。
ダグラスは立ち上がって二人の間に割って座ると、その両肩を抱き締めた。
「そんな事はないよ。マリアが君達を嫌うなんて、天地が引っ繰り返っても有り得ない。マリアは出て行く時なんて言っていた?」
「……手紙を書くって、それから……住む所が決まったら遊び来てって。私に、無茶をしないで、ちゃんと具合の悪い時は休むのよって」
「僕には風邪に気をつけてって言ったんだ、ちゃんとご飯を食べなさいって。元気で……楽しくやれって……」
「そんなに心配しているのに、嫌っているなんて思ったらマリアが可哀想だよ」
二人の肩を優しく撫でるとその小さな二人の肩が微かに震える。
「本当にマリアは君達を愛してるんだよ、家族として、誰よりもね。マリアが住む所を教えられなかったのは、共同アパートメントに住んでるからだ。そこでは手紙なんかの郵便物がよく紛失するらしいから。君達が手紙をくれたのに無くされたらマリアがとても悲しむからだよ」
「本当に……嫌っていない?」
恐る恐ると言ったキャサリンにダグラスは大きく頷いて見せる。
「ダグラス、姉さんにいつ会える?本当に姉さんは大丈夫なの?」
「少し時間がかかる。マリアは君達を呼べるアパートメントに越そうと思って仕事を頑張ってるんだ。大丈夫だよ、マリアを信じて、いい子で待っているんだ」
ダグラスは二人がしがみ付いて来たのを受け止めて強く抱き締めた。
実際アパートメントで同室だった女性からの話では、マリアはその為に夜遅くまで仕事をしていたらしい。
恐らくこの二人はマリアに残された唯一の望みだったのだろう。
一人見知らぬ土地で頑張っていたマリアを思うと胸が張り裂けそうに痛む。
――そんな彼女に、一体自分は何を言った?
取り返しがつかないかもしれない自分とは違って、この二人は幾らでもこれからマリアとの関係をやり直せるだろう。
早くクリスティアンとキャサリンにマリアを会わせてやらなければならない。
何より、マリアの為にも。
きっとどれほど彼女が喜ぶかわからない、もう遠くなったマリアの笑顔が輪郭だけぼんやりとダグラスの脳裏に浮かんだ。
「さあ、二人共もう帰ってお休み。俺は明日マリアの様子を見に行って来るから」
「本当に?」
「ああ」
ダグラスが頷くと二人は視線を交し合って、クリスティアンがポケットから何かをダグラスに差し出した。
「手紙?」
「うん。姉さんに会ったら渡して欲しいんだ。それから、返事を貰ってくれると嬉しい」
「わかった、必ず渡すよ。返事も貰って来る」
「いつ帰るの?」
矢継ぎ早に言うキャサリンにダグラスは苦笑する。
そういえば昔はとても仲のいい姉妹で、マリアと一緒にいたダグラスはよくキャサリンから嫉妬をされた事を思い出す。
「俺も少し時間がかかるよ。船で行かなきゃならないんだ。それに向こうで仕事もある」
今は殆ど人に任せた状態になっているが、マリアの手がかりを向こうで探しながら出来る事はするつもりだった。
「わかった。ダグラス、信じてるわ」
「手紙、必ず渡してね」
もう一度ダグラスを強く抱き締めた二人はそう言って立ち上がる、ダグラスも後を追って階下へ行くとロビーで数人の護衛と一緒にヘンリエットが待っていた。
ダグラスに歩み寄って来たヘンリエットは護衛に連れられてホテルを出て行く二人の姿を見送りながら小さく苦笑する。
「どうしてもって聞かなくて。でも少し大人になったみたいね、寮学校にあの子達を入れたのはよかったと思うわ」
「ああ、連れて来てくれてよかった。明日発つんだ」
さっとヘンリエットの顔が強張った。
「気をつけて。あまり無茶はしないようにね」
「わかっているよ」
ぎゅっと自分を抱いた母を抱き締め返し、ダグラスはホテルを出て行く後姿を最後まで見送った。
恐らく母には自分が言った言葉など通じていないのはわかっているだろう。
出来る事なら、今すぐ飛んで行きたい。
それが出来ない自分が酷く無力だと思った。
部屋に戻りながら明日の事を考えるが、頭に穴でも開いたかの如く思考が抜けて行く。
無理矢理ベッドに潜り込んで強く目を瞑っても、浮かぶのはマリアの顔だ。
――笑顔が思い出せない、頭に浮かぶ笑顔は皆幼い頃の彼女ばかりで。
もう二度と自分には笑ってもらえないかもしれない。
あれだけ身勝手に酷い仕打ちをして来た自分を許さないかもしれない。
否、マリアはきっと許してしまう。
けれど以前のようにマリアが、自分を想ってくれる事などないだろう。
そう、勝手だ、彼女に同じ仕打ちをされたらと思うだけで怯える自分が。
そんな事にさえも気付けなかった自分が、滑稽ですらある。
「マリア、……マリー」
暗闇の中に手を伸ばす、己の拳は宙を掻くばかりで何も掴めない。
それでも、諦める訳にはいかないのだ。
こればかりは、どうしても。
闇に消え行こうとする彼女の輪郭を、ダグラスは必死で頭の中で繋ぎ止めた。
翌朝一番で船に乗り込んだダグラスは潮風を頬に受けふと表情を歪める。
マリアが船で連れ去られたのは一番日差しが強い時期だ、そんな中荷物と一緒に箱の中に入れられて、この風を一度もその体に浴びなかったのに違いない。
どうしても嫌な思いがダグラスの頭からは拭い去れなかった。
体調などを悪くしてはいないだろうか、もし病気になっていたりしたら――。
ダグラスが吸い込んだ潮風を短く吐き出して、宛がわれた個室へ戻るべく踵を返す。
エドウィンには眉を寄せられたが、今となってはやろうと思えば山のようにある仕事が僅かながらの救いだ。
何も手に付けずマリアの事を考え続けていては、船旅の間に体よりも神経がおかしくなりそうだった。
マリアの運び出された国がわかっても、それからは情報と自分の足が物を言う。
すでに先の知人には連絡をしていたが色よい報告も貰えていない状況だ、それに国に残って調べを続けている者達からも姿を消したヴィーンラットの足取りは未だ掴めていない。
この状況で姿を消したヴィーンラットを無関係だと言うのはかなり苦しいものがある、だからと言ってヴィーンラットの関係者がマリアを連れ去ったのだとしても動機や証拠がまだ曖昧だ。
マリアを盾にボルジャー家を揺さぶるつもりなら、すでにその片鱗があっていい頃だろうにそれもない。
クリスティアンとキャサリンに付けていた者の報告からしても怪しい人物は姿を現さず、状況だけ見ればマリアだけが故意に狙われたとも思える。
確かにダグラスや両親にとってはマリア一人でも大事ではあるが、それにしては保険が不十分であるとも言えるだろう。
狙いがマリア一人でも、弟妹がいればマリアは自発的に言う事を聞かざるを得ない。
効果的にマリアを手元に留めておかせるのならクリスティアンやキャサリンに見向きもしないのはむしろ不自然だ。
ダグラスは個室に戻ると机の上に束ねられた書類を引き抜いて、そのままそれを手に椅子へと深く腰を下ろす。
これまで培われた経験と習慣が事務的に仕事へと向かわせた、それが有り難くも複雑な気分になる。
頭で認めはしたものの、どうにも心の霧は晴れない。
未だ本当にヘンリエットの言う通りだろうかと、そんな風に思う自分も否定は出来なかった。
勿論恋愛がそう綺麗なものではないとはわかっている、人の感情の上にあるものだ、いつだってそれはコインの表裏のようにあっさりと裏返される。
そしてマリアと己はまさしくその表裏なのだとダグラスは思う。
そんな一部の面しか持たない自分達の心を果たして、そう呼んでもいいものかと。
「ダグ」
懐かしい少女の声が聞こえたかと振り返ったダグラスの視線の先にいたのはエドウィンだった。
「如何されましたか?」
「……いや、何でもない。どうした?」
「これを」
ドアの前に立っていたエドウィンが歩み寄って差し出して来た物をダグラスは手を差し出して受け取る。
開いた手の中に転がった物を見て、ダグラスは驚愕に見開いた目を上げた。
「先程例の船員から受け取って来ました、船底に落ちていたそうです」
マリアを目撃したという船員はこの船にも乗っていたのかと、ダグラスは頭の隅で思う。
そしてもう一度手の中に視線を落とし、見覚えのあるそれを手に取り直してじっと眺めた。
元はマリアの母――キャスリンが愛用していたというブローチだ、そして彼女が亡くなって以来何か大きな取り決め事をする時や奮起したい時にマリアが身に着けていたのをダグラスも知っている。
特に高価という物ではなく、ダグラスの目にもそれはどこにでも売られている平凡なブローチに見えた。
赤茶色の蔦模様で周囲を縁取られ白い花があしらわれた生地が貼り付けてあるだけだ、だがマリアはこれを大事にしていた。
幼い頃はこれをドレスに飾ってお嫁に行くのだと誇らしげに見せてくれた事もある。
見間違いはない、これは確かにマリアの物だ。
裏を見ればあの時マリアがこっそりと刻んだ印があった。
そして運ばれる時にでもどこかへ引っ掛けたのだろう、ブローチには行方不明になったというその日マリアの着ていた服の切れ端のような物が僅かに引っ掛かっている。
再びマリアの状況を顧みる事になって、ダグラスは手の中のそれを強く握り締めた。
そして指先にふと違和感を覚える。
「ダグラス様?」
「行っていい、ご苦労だった」
「失礼致します」
目付きの変わった主を追及しなかった賢明な執事に感謝しながら、ダグラスはそっと再び指を開いてブローチを眺めた。
もう片方の手で縁をなぞり、そして布が貼られた部分へと指を滑らせ止める。
さらりとした生地の一部分が指にごつごつと当たるのだ、何かが入っている様子はないがダグラスは無性にそれが気になった。
一瞬逡巡した後、机の引き出しからナイフを取り出すと慎重に縁に沿って刃先を当てる。
半分だけ切り取られた生地を捲ると、指に当たった部分の台座に何かが刻まれているのが見えた。
目を細めて眺めるが文字なのか記号なのかもわからないものだ、それは列を統一されいないように見え真ん中で線を引くと上や下に並べてあった。
しかしどうにも胸騒ぎがして、覚えのある国の言葉ではないかどうか記憶の引き出しを探る。
仕事で携わった様々な言語の形に当て嵌めてみるが、むしろシンプル過ぎるそれは考えれば考えるほど文字には見えなくなって来る。
似たような記号はないかと書類を漁りながら、何をやっているのかと自嘲もした。
確かに意味深に刻まれたものではある、しかしだからといって「隠された」ものである確証などない。
あるとすれば精々、どうにも納まりのつかないこの胸騒ぎだけだ。
ダグラスは机の上に広げた書類を見下ろしながら椅子に背から倒れ込む。
深く吐き出した息は重たく、そのまま自分の心境を表しているかのようだ。
膝に置いた手の中でブローチを転がし眺める、今は半分生地がだらりと垂れ下がっているそれも身に着けているマリアの姿を思い起こさせるには充分だった。
マリアが大人になったら渡すのだとキャスリンが言っていたブローチの一つ、それを借りてマリアは一番にダグラスに見せにやって来た。
そう、キャスリンとジェシーが他界した後も、自分を追って来るマリアの胸元にはいつもキャスリンのブローチがあった。
「こんなにして……怒られるかな」
ふと零れた呟きにまた自嘲が零れる、昔のマリアならつんと唇を尖らせてそっぽを向いて怒っただろう。
でも今はどうだろうか、そんな風にしている姿も想像出来ない。
ダグラスのやる事なす事が皆マリアにとっては苦痛なのだと諦めている――そんな姿しか。
ふと息をついて垂れた生地を元に戻すようエドウィンを呼ぼうかとした時だ、手の中で逆さまになったブローチに目が行く。
はっと顔を上げたダグラスはもどかしげに机の引き出しを漁り、手に納まるほどの四角い鏡を取り出してブローチに当てる。
次に慌しく隣の部屋に行き備え付けられた鏡に向かって、先程の小さな鏡をブローチに当てたまま翳した。
そして上半分に当てたそれを今度は下に当ててもう一度大きな鏡に映す。
鏡文字を更に半分にしてあったそれは、ダグラスの前の鏡の中でメッセージを告げる。
「わたし、の、プリンセス、マリアへ、ささげる、……もう一人の、母と、幸せ、に」
職人が彫ったとは思えない、そしてそれ以上にたどたどしい綴りだった。
まるで知らない言葉を、手本を見ながら書いたかのように。
ぶるりとダグラスは頭を振った、――今自分は何を考えた?
浮かんだ思考を否定しようにも、しかし思い出してしまった。
マリアは異国から来ている、一時期を境にマリアは母国だろう言葉をすっかり話さなくなってしまったが、確かにダグラスは覚えていた。
「もう一人の母」が何を意味するのかはわからない、しかしこの言葉が真実であるとすれば可能性は生まれる。
マリアにとって「もう一人の母」がいた可能性、そしてキャスリンが「母」ではない可能性。
「……何と言ったかな……」
再び隣の部屋に戻って椅子に深く腰を下ろし、ダグラスは額を指先で押さえた。
マリアから聞いたのは初めて会った幼い日のたった一度きり。
今の状況でそれが意味のある事とは思えないのも事実だったが、しかしそれに反してダグラスの頭は記憶を掘り起こして行く。
どこから来たのかと尋ねた自分に対し、彼女はそれならば答えられるとばかりにたどたどしいながらもはっきり言ったはずだ。
「ハー……ハーサ、……リェ、ルスト」
途切れ途切れに言ったダグラスは改めて繋げて発音し確信した。
だが思い出してもその国名にダグラスでさえも心当たりはない、異国らしき言葉で話していたところから見ても幼い頃のマリアの想像の産物だけとも考えられないが。
それにマリアはキャスリンとジェシーの前では一言さえあの言葉を話そうとはしなかった。
ならばキャスリンはこの刻まれた文字の存在を知らないのだろうか、そう思ってみてもどこか釈然としない。
突如マリアが行方不明になったと知らされた時の絶望が蘇って来てダグラスは僅かに混乱する。
幾らでも間々ある事だと理由付ける事は可能だというのにも関わらず、キャスリンがいずれ託すはずだったブローチに隠されたメッセージがダグラスの心を乱した。
先程僅かに取り戻したかと思えた彼女の輪郭が、また遠く闇に消え行くようだ。
手を開いてみればいつの間にか強く握り締めていたブローチの形がくっきりと残っている。
だがいずれはこれも消え行く。
それを拒むようにダグラスはもう一度ブローチを強く握った。
何をこんなに焦燥感に駆られているのかと自分が可笑しくもなる。
「私のプリンセス」そんな言葉をダグラスでさえもマリアに言った事がある、小さな少女相手にそう珍しくもない事だ。
そしてヘンリエットもマリアの事は「私の娘」と呼ぶ事だってあるのだ、何も特別な事じゃない。
まるで言い聞かせているようだとダグラスは視線を上げ、小さな窓から見える海原を見やる。
この海の向こうのどこかにマリアはいる、今はそれだけを考えるのだ。
ダグラスは手の中のブローチを、クリスティアンとキャサリンの手紙と共にそっと引き出しに納めた。
暫くしてエドウィンが寄越したのだろう船員が持って来た茶を口に付けほっと息を吐き出す。
妙な事に巻き込まれていなければいい、それだけを願った。
きっとマリアを救い出して弟妹の許へ帰してやる、マリアもそれを願っているはずだ。
もしヴィーンラットが取引の条件としてマリアを使うつもりなのなら、ダグラスの全てで条件を飲んでもいい。
「ボルジャー家の息子」でなくなっても構いやしない、そうでなくとも自分が「彼らの息子」である事に違いはないと母が教えてくれた。
そして自分がそうであるように――例え、マリアがどこの誰でも構わない。
今になって漸く、マリアの気持ちがわかる。
心にある大事なものへの繋がりは、恐らく何があろうとも変わらないだろう。
だからマリアはあれほどしがみ付いていた家からも農場からも、そして弟妹やダグラスからも手を離す事が出来た。
クリスティアンやキャサリンとて、マリアから離れ自分達で生活をする事で学んだ。
たった一人、自分だけが取り残された迷子のようだ。
認めなくてはならない、マリアが決して自分に都合のいい存在ではない事、そして己が如何にマリアの存在に頼りきっていたかという事。
受け入れなくてはならない、マリアが自分から離れて行っても、もう二度と自分を慕ってはくれなくとも。
そして、それでも……自分はマリアがとても、とても大切だという事を。
愛かどうかこの際呼び名はどうでもいい、ただこの気持ちだけは確かなのだから。
もう二度とマリアを傷付けたりはしない、そう誓える。
ダグラスは僅かに頷いて、机の上に散らばった書類を纏めると、それに向かい合い再び仕事に没頭して行った。
はっきりとマリアの笑顔を胸に秘めて。