遥さんは投げられるのがお好き
私は、差し出されたあなたの右手を追いかける。
もうすぐ手が届くという所で、いつものようにそっと引き寄せられ……。
そして――
次の瞬間、あお向けに寝転がっていた。背筋がぞくりとする。
私を見下ろすあなた。次は私の番。
「力が入りすぎだ」
私、手嶋遥の手首をつかんで振りながら、道着に袴姿の大橋透先輩は言った。周りでは、みんなが畳を叩いて受け身をとる音が元気に響いている。
私は、言われた通り、先輩に手首を振られるのに任せて、腕の力を抜こうとした。
「そうそう。そんな感じで」
手を離した先輩にうながされて、私はそのままもう一度「交差の入り身投げ」に挑戦する。
先輩は、差し出された私の右手(※誘い)を追いかける。
もうすぐ手が届くという所で、私はいつものようにそっと首元を引き寄せて、大胸筋で受け止める。(※崩し)
そして、先輩の重みに押されるように、そのまま回ったところで頃合いを見て返す。(※投げ)
私が見下ろす中(※残心)、先輩は余裕を持って受け身をとり、そのまま回転して起き上がった。
間髪入れず、先輩は私の首筋に手をかけて実演しながらアドバイスを始める。
「崩しは、前にするというより、こう……めくる感じ?で。こう。ちょっとやってみ」
私は失礼して先輩の首筋に手をかけて真似をしてみる。
「こう、ですか?」
「いや、もっと、こう」
「こう?ですか?」
「そうそう。良くなった。じゃあ、それでもう一回」
先輩に教えてもらったことを意識して再挑戦。崩すのがちょっとやりやすくなったかも。
「おお。いい、いい」
先輩が右手を差し出す。交代だ。
つかめそうでつかめない先輩の手。追いかける私。不意に首筋をひょいっと引かれたと思ったら、わけがわからないうちに畳の上にあお向けになっている。
(楽しーー!!)
ジェットコースターなんて目じゃない。世界が一瞬でひっくり返る感覚。
いつの間にか投げられているミラクル。
完璧に受け身をとれた達成感。
楽しすぎてゾクゾクする。
今のも、足が浮いて、体が宙に浮いた! やっぱり先輩はすごい。さすが主将!
自分が投げるのも面白いけど、先輩にもっと投げられたい!
しかし、無情にも先輩が二回手を打ち鳴らして終了の合図。全員がペアを解体して自分の並ぶべき場所に戻って座る。
道場正面には、合気道開祖の植芝盛平翁先生の額、残り三辺にそれぞれ一回生、二回生、幹部(三回生)が並ぶ。四回生以上のOB・OGは、正面と向かい合って並んでいる1回生の後ろに並ぶ。私はいつも通り二回生の所に座った。
主将と副将が次の技を紹介する短い演武をみんなの前で始める。
(あぁっ!大橋先輩の呼吸投げのキレは素敵すぎる。それに大橋先輩の変幻自在の技に瞬時に対応して、受け身をとる田端先輩の動きも美しすぎる~~!)
私は、よだれをたらさんばかりの勢いで、演武を堪能する。
技を終えた大橋先輩は実演を交えながら技の説明を始める。
「両手の呼吸投げです。相手が取りに来るのに合わせて、こう、力が繋がる感じになるように引いてください。しゃがんで落としたり、パイ投げのようにつってきたり、いろいろなパターンを交えてやってみてください」
説明を終えた大橋先輩と田端先輩が向かい合って正座する。
「ありがとうございました」
二人が礼をするとともにみんなも礼をする。それと同時に、わたしたち一・二回生が先輩たちの所に走り出す。
「おねがいします」
先輩たちが、礼から顔を上げた時にはすでに目の前に後輩が来ているという寸法だ。
私は勿論、大橋先輩を狙ったが、後輩の佐久間に先を越された! 急遽、方向転換して四回生の藤原由記先輩の前に滑り込む。
「おねがいします」
顔を上げると、藤原先輩はにっこりと笑う。どこからどう見ても華奢で可憐なお姉様だ。
「さあ、やろっか」
私たちは立ち上がって、他のペアと合体して六人のグループになった。
藤原先輩が真ん中に立って、その向かいに残りの五人が一列に並ぶ。藤原先輩は、向かってきた人を、一人ずつ投げて一周したら次の人と交代するという流れだ。
いよいよ私が投げてもらう番が来た。私は、差し出された藤原先輩の両手をつかもうと走り出す。その勢いを藤原先輩は回転ドアのようにくるりと回って流す。
やっと両手をつかんだと思ったときには、前のめりにかけられた回転にあらがえず、空中で一回転していた。
(気持ちいいーー!!)
まるで糸でつられて動く操り人形になったような感覚。藤原先輩は羽のように軽やかで柔らかいのに、私は鋭く飛ばされる。何の抵抗もできないまま、気がついたら跳ばざるを得ない状況になっている。摩訶不思議。わくわくが止まらない! 口の端がにんまりと持ち上がるのも止められない!
嗚呼、つぎの古畑先輩の呼吸投げもいい! 大木の周りを巡る風のように翻弄されたかと思えば、突如として切り替えられ、つむじ風のように跳ばされる。
ひとりひとりの技を味わう至福の時間。自分が投げるのもまあ面白い。でも、もっと藤原先輩に投げてもらいたい。一番好みだ。
とかなんとか、やっているうちに主将の大橋先輩が手を打ち鳴らして、終わってしまう。
「背の運動!」
主将のその合図で今日の本練は終わり。言われた通りに背の運動をして並ぶ。翁先生の額にみんなで礼をして、円陣を組み、ミーティングをして解散。一・二回生は掃き掃除開始だ。
私がいつも通りごみを勢いよく掃き飛ばしていると、道場に袴姿の青年が駆け込んできた。社会人二年目のOB、桐瀬貴也先輩だ。今日の自主練のターゲットは決まった。
掃除終わりダッシュで、桐瀬先輩の前に滑り込んで正座し、礼をする。
「よろしくお願いします!」
「こちらこそ、お願いします。何の技したい?」
弾けるような笑顔が帰ってくる。
「『一教投げ』がしたいです!」
「わかった」
桐瀬先輩は間合いを取り、自分の額を指さして、私に正面打ちを打ってくるように促す。
私は、右手で手刀を立てて、先輩の額に勢いよく打ち込んだ。――はずなのに、その勢いのままに空中で一回転して、既に畳に転がっている。意味不明だ。
(いい! 一瞬先は畳! この爽快感、たまらない!)
「ぶどぅっぐふふふ……」
思わず変な笑いが漏れてしまった。
技を終えて、私の頭のそばに立膝で座っていた先輩は、その声を聞いて動きを止める。
「手嶋……お前……M?」
「えっ!?いえ、そんなわけでは」
言いながらも、さっきの余韻でまだニヤニヤしてしまう。
「いや、いいんだ。よくあることだし」
納得する先輩。温かく受け入れてくれているけど、そうじゃない。
「ちがうんですー! Mなんかじゃないですから!」
全力で否定しても、優しく肩をポンポンと叩かれる始末。M認定された!
いけない。楽しみすぎると、いろいろだだもれて誤解を招いてしまう。
これからは、表情に出さないように気を引き締めていこうと思ったのだった。