第10話「Éternité」
自宅に戻り、大慌てで出かける準備をする。
「まずはシャワー……浴びた方がいいよね。絶対汗すごいかいた……」
時計を見れば、もう19時半をまわっている。
セナ君からもらったキーリング。
ピアスの穴を開けるために準備していたピアッサーも、そっとカバンに入れる。
そして……
ハンガーにかけてあった、友達からプレゼントでもらったワンピースに手を伸ばす。
あ……なんだろう。
少し緊張してる。期待なのか、不安なのか。
それとも、その全部がぐるぐる混ざった、よくわからない感情。
タクシーに乗り込み、セナ君から教えてもらった住所へ向かう。
……本当に、いいのかな。
手に持つ鍵を見つめる。
ハートのキーリングに付いている、ドッグタグみたいなプレート。
この“鍵に見えない鍵”をかざすと、エントランスの自動ドアが音もなく開いた。
エレベーターに乗ると、すでに行き先の階が光っている。
「わ……さすが芸能人が住むマンションって、すご……」
指定された部屋の前に立つ。
けれど、なかなか勇気が出なくて、ドアを開けられない。
LINEの画面はずっと動かないまま。
中にいるのか、いないのか……わからない。
「ふーーっ……」
大きく息を吸い込んで、鍵を差し込む。
そっとドアノブを回して、中を覗き込むように開ける。
「お……お邪魔します……?」
人の気配がない。
だけど、部屋に足を踏み入れた瞬間……
ガチャン
閉まったドアの音に、胸の鼓動が跳ねる。
靴を揃えて、玄関にあがる。
さっきまでいたマンションの廊下は、少し冷たい印象だったのに。
この部屋に入った瞬間、空気がふわっと柔らかくなった気がした。
「……わぁ……」
広すぎるわけじゃない。だけど、必要なものしかない。
寒々しくもないのに、余計なものが何もない。
玄関から続く廊下には、やわらかな間接照明。
その明かりが、足元に淡く落ちている。
無機質なグレーの壁に、黒のドアとスチールの棚。
けれど、その棚には、きれいに並べられた香水の瓶や、小さな観葉植物。
“生活感がない”のに、不思議と“落ち着く”。
廊下を抜けると、広がっていたのはシンプルなリビングだった。
大きなソファとローテーブル。壁にはテレビ。
等間隔に並んだダウンライトが、部屋全体をやわらかく包んでいる。
間接照明とキャンドルライトの明かりが、夜景と溶け合うように静かに灯っていた。
床は濃い色の無垢材。踏むたびに、ほんのり音がする。
窓の外には、都心の夜景が静かに浮かんでいた。
ソファの端に置かれたブランケット。
ガラステーブルの上には、開いたままのノートと、閉じたMacBook。
まるでモデルルームみたいなのに、不思議と“人の温度”があった。
「セナ君……まだ帰ってない、よね……?」
息を殺すように、リビングの端にそっと腰を下ろす。
心臓の音が、まだ少しだけうるさい。
……なんだろう。今なら、セナ君の曲が作れそう。
頭の中でコードが浮かび、メロディが生まれていく……
そんな時だった。
玄関の鍵が回る音がして、少し落ち着いていた心臓がまた跳ねる。
扉が閉まる音がして、私はリビングから顔を出す。
「おかえりなさい」
「……た、だいま」
「先にお邪魔しちゃってた。……ライブ、お疲れ様」
そっと近づく私に、セナ君は目を逸らしながら言った。
「あーー、ちょいリビングで待ってて。顔洗ってくるわ」
やっぱり、疲れてるよね。
あんなライブのあとなんだもん。無理させちゃったかな……
「なんか飲む?」
洗面所から戻ってきたセナ君が、キッチンで飲み物を用意してくれる。
「色々あるんだね。……これ、お酒?」
「酒以外な。アイスティーでいいか?」
「うん。……20歳になったら、飲んでみたいな」
「ん、3年後な。どんなんがいいか考えとけよ」
……“3年後の約束”なんて、思ってなかった。
ちょっとだけ、口元がゆるんでしまう。
セナ君からアイスティーを受け取り、一口。
テーブルの上に、あのパステルカラーの緑の箱が置かれる。
……あっ、キーリングと同じ箱。
「こっちが、本当の誕プレ」
「……開けていいの?」
「ん」
恐る恐る箱を開けると、中には透明の石がついた、繊細なシルバーピアスが入っていた。
「きれい……これ、シルバーっていうんだよね。なんだか冷たくて、すごく綺麗……」
「開けてすぐはつけられないけど、1カ月くらいしたら、これ着けろよ」
「ありがとう……一生大事にするね」
意を決して、セナ君の正面に座り、ピアッサーを差し出す。
「……じゃあ、開ける?」
「……!!お願いします……!」
向かい合って、そっと目を閉じる。
まるで儀式みたいだな……と、不思議な気持ちになる。
セナ君の指が耳に触れた。
「んっ」
いまビクッてしたしなんか変な声出ちゃったかも……ばれてないかな……
そういえば、耳元ですごい音がするって、友達が言ってたな……
“すごく痛かった”って言ってた友達もいれば、“全然平気だった”って言ってた子もいた。
ねぇ、セナ君。
私は、どっちなんだろう……
「私は……痛くても、セナ君となら大丈夫だよ?」
ふっと息を吐く気配がして、その直後……
バキッ!!!
耳元で、弾けるような音が響いた。
そっと目を開けて、指で触れてみる。
ピアスが……ちゃんと、ついてる。
「わ……すごい……!」
「……あー……ちょっと、休憩させて?」
そう言って、セナ君はふらっと立ち上がり、リビングを出ていった。
どうしよう……やっぱり無理させちゃったかな。
人の耳に穴を開けるなんて、好きでやる人いないよね……
心配になって、彼の後を追って、ドアをノックする。
「セナ君、大丈夫?」
「……あ、わり……ちょっと」
ドア越しに聞こえた声は、少しだけ掠れていた。
それに、なんだか……顔も赤かったような……
「……やっぱり嫌だったよね?ごめん、明日クリニックでやってもらおうか……?」
「や、ちが……大丈夫だから。座れよ。もう片方も、開けてやっから」
促されて、ベッドの端に腰を下ろす。
「じゃあ……お願いします」
再び、目を閉じる。
ギシッ、とベッドの軋む音がして、セナ君が膝をつく。
反対の耳に、また指が触れる。
「……!」
……また、ビクッとしちゃった。
触れてほしいような、でも触れられたくないような……
くすぐったい気持ちと、こそばゆい気持ちが混ざって、なんだかうまく呼吸できない。
さっき開けた方の耳は、じんわりジンジンしてる。
開ける場所を探してるのか、耳をそっとなぞられる。
くすぐったくて、思わず小さく笑ってしまった。
「ふふっ……」
「どした?」
「くすぐったくて……」
「あ、わり……」
ねぇ、セナ君。
さっきの「私は、痛くても……」って言葉、本心なんだよ……
きっと、どんな痛みも、セナ君となら乗り越えられるって思ってる。
バキッ!!!
また音がして、目をそっと開く。
すぐ目の前に、セナ君の顔。
こんな近くで見たの、初めてかもしれない。
「わ……凄い……!」
そっと、今つけたばかりのピアスに触れる。
「……跡、つけられちゃったみたいだね。少しだけ、大人になった気がする」
そう言った私に……
「~~~~~おっまえな……!!」
セナ君が突然、バタッとベッドに前のめりで突っ伏した。
「え? セナ君??大丈夫??」
「や……大丈夫だから。少し……うん……」
背中越しに聞こえた声は、なんだか情けなくて、でもあったかかった。
時計を見れば、もうすぐ22時を回る頃。
あと少しで、誕生日が終わってしまう。
……本当は、帰らなきゃいけないはずなのに……
今はただ、帰りたくないって、初めて思ってしまった。
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アンサーストリート10.5話「ピアスと痛み」は【明日夜】に更新予定です!
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