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聖鈴の紛失

翌朝、神殿は異様な緊張感に包まれていた。いつもなら穏やかな朝の祈祷の時間に、修道女たちが慌ただしく動き回っている。

「皆さん、大変なことが起こりました」

朝の祈祷を終えた候補生たちが食堂に集まっていると、修道女と神官たちが青ざめた顔で現れた。その表情には、深刻な事態を物語る緊張感が漂っている。こんなに取り乱した様子を見せるのは初めてだった。

「昨夜、準備室から聖なる鈴が紛失いたしました」

候補生たちの間に静寂が広がった。その後、ざわめきが一気に沸き上がる。

「聖鈴が?」

「まさか…」

「そんなことがあるなんて」

候補生たちは口々に驚きの声を上げた。しかし、エリザベスだけは違った。彼女の目には、計算されたような光が宿っている。

「聖なる鈴とは、月詠祭で使用される…」

一人の候補生が震え声で確認した。

「はい。純銀で作られ、神聖な古代文字が刻まれた、神殿の最も貴重な神具の一つです」

神官の説明に、候補生たちの顔がさらに青ざめた。聖鈴は何百年もの間神殿に伝わる宝物で、その価値は金銭では測れないものだった。

「それが盗まれるなんて」

候補生たちの動揺は激しく、食堂は騒然となった。

「昨夜、明日の月詠祭の準備をしていた際に発見されたのです」

神官の声は震えていた。月詠祭は年に一度の重要な祭典で、王太子をはじめ多くの貴族、そして数百人の信者が神殿を訪れる。その儀式の中心となる聖鈴がなければ、祭典そのものが成り立たない。

「月詠祭に聖鈴がなかったら…祭典が中止になってしまうわ」

候補生たちの不安は頂点に達していた。

「泥棒がいるということですか?」

エリザベスが声を上げた。しかし、よく見ると、その目には不自然な光が宿っている。まるで全てを知っているかのような、確信に満ちた表情だった。

「それは…まだ分かりません。しかし、このような神聖な場所で、神具が盗まれるなど…」

神官は言葉を詰まらせた。神殿で盗難が起きるなど、前代未聞の出来事だった。

「神様もお怒りになっているに違いありません」

一人の候補生が小さく呟いた。

「まず、候補生の皆さんの部屋を調べさせていただくことになりました」

その瞬間、サナの心臓が激しく鼓動し始めた。なぜか嫌な予感が胸を覆う。昨夜の青年との出会いの余韻で温かい気持ちになっていたが、その感情が一瞬で吹き飛んだ。

「もちろん、私たちは協力いたします」

エリザベスが立ち上がって宣言した。

「神聖な神具を盗むなんて、許せません」

「そうですわ。必ず犯人を見つけなければ」

クラリッサも同調した。

しかし、サナは気づいていた。候補生たちの視線が、時折自分に向けられることを。特にエリザベスの目つきには、何か企んでいるような色が見え隠れしている。

「大丈夫よ、サナ」

エリザベスが振り返って、わざとらしく心配そうな表情を作った。

「あなたは心配いらないわよね?」

その言葉には、明らかに含みがあった。

「え…はい」

サナは不安げに答えた。

「もちろん、私たちの中に泥棒なんていないと思うけれど」

クラリッサが続けた。

「でも、念のため調べるのは当然よね」

候補生たちの会話を聞きながら、サナの不安は募っていった。


「では、順番に部屋を確認させていただきます」

午後になって、エドガー神官が数名の修道女を伴って現れた。その表情は厳格で、容赦のない雰囲気が漂っている。彼の後ろには、修道女たちと他の神官たちも続いていた。

「皆様にはご迷惑をおかけしますが、神殿の秩序を守るためです」

エドガー神官の声は威厳に満ちていた。

「ご協力をお願いいたします」

最初にエリザベスの部屋が調べられることになった。

「どうぞ、お調べください」

エリザベスは堂々として部屋の扉を開けた。その様子には微塵の動揺もない。

「失礼いたします」

修道女たちが丁寧にエリザベスの部屋に入った。そこは美しく整理整頓され、高価な家具や装飾品が品良く配置されている。絹の衣装が丁寧に畳まれ、宝石箱が美しく輝いていた。

「素晴らしく整頓された部屋ですね」

エドガー神官が感心したように呟いた。修道女たちは慎重に、しかし丁寧に荷物を確認した。衣装箱、書籍、装身具…一つ一つを確認していく。しかし、当然のことながら何も見つからなかった。

「ありがとうございました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

エドガー神官は深々と頭を下げた。その態度は、まるで貴族の令嬢に対する最大限の敬意を示すかのようだった。

「いえいえ、当然のことです」

エリザベスは優雅に微笑んだ。

「神殿のためですもの。お役に立てて光栄です」

次にクラリッサの部屋が調べられた。

「どうぞ、ご自由にお調べください」

クラリッサも堂々とした態度で協力した。彼女の部屋も美しく、貴族らしい品格が溢れていた。

「失礼いたします」

修道女たちが入っていく。調度品、書籍、化粧品…全てが高級品で占められている。

「こちらも何もございませんね」

修道女の一人が報告した。

「ありがとうございました。お疲れ様でした」

エドガー神官は再び丁寧に謝罪した。

「とんでもございません」

クラリッサも優雅に微笑んだ。

続いてマリアンヌ、そして他の貴族出身の候補生たちの部屋が次々と調べられた。しかし、どの部屋からも聖鈴は見つからなかった。

「皆様、ご協力ありがとうございました」

エドガー神官は候補生たちに深く頭を下げた。

「ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」

そして、ついにサナの番が来た。


「では、最後になりますが…」

エドガー神官の声が急に冷たくなった。サナの部屋の前に立つと、その表情には既に確信めいたものが浮かんでいる。

「部屋を調べさせていただきます」

神官の態度は、他の候補生たちに対するものとは明らかに違っていた。敬意のかけらもない、まるで犯罪者を扱うような冷淡さがあった。

「は、はい…」

サナは震える手で部屋の扉を開けた。

「失礼します」

修道女たちがサナの質素な部屋に入った。他の候補生たちの部屋とは対照的に、そこには最低限の家具しかない。小さなベッド、古い机、質素な衣装箱…すべてが神殿が用意した最も質素なものだった。

サナは震える手を胸に当てながら、その様子を見守っていた。心臓が激しく鼓動している。

「ここが机ですね」

一人の修道女が机の上を調べた。そこには破れた祈祷書と、わずかな学習道具があるだけだった。

「こちらがベッドです」

ベッドの下も調べられたが、埃以外には何もない。

「衣装箱はこちらですね」

質素な木製の箱が開けられた。そこには、神殿が支給したわずかな衣装が入っているだけだった。修道女たちは丁寧に調べていく。しかし、しばらくは何も見つからなかった。

「あの…」

サナが安堵の声を上げかけたまさにその時だった。

「あら、これは?」

一人の修道女が、サナのロッカーの奥から何かを取り出した。

その手には、美しく輝く銀の鈴があった。神殿に伝わる聖なる鈴だった。

「えっ…」

サナの顔が真っ青になった。血の気が一気に引いていく。

「聖鈴ですね」

エドガー神官が冷たい声で確認した。その声には、既に結論が決まっているような響きがあった。

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