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見捨てられた聖女

「ねえ、聞いた?シスター・レイチェル、僻地へ行かされるらしいわよ」

朝の祈祷を終えた候補生たちが、神殿の廊下でひそひそと囁き交わしていた。

「本当?レイチェルが?」

侯爵家の令嬢クラリッサが、扇子で口元を隠しながら驚いたように尋ねた。シスター・レイチェルは神殿でも特に厳格で知られており、候補生たちの指導にも一切の妥協を許さない姿勢で臨んでいた。

「私の侍女が修道女たちの会話を聞いたの。明日にもいなくなるそうよ!」

エリザベスは得意げに情報を披露した。彼女の声は普段より高く、興奮を隠しきれない様子だった。

「まあ、それは大変」

「どちらへ行かれるの?」

「辺境の…なんとかいう小さな村の教会だそうよ。名前も聞いたことがないような場所」

令嬢たちの会話は次第に大きくなり、廊下を行き交う他の候補生や修道女たちの注意を引いていた。


それから、神殿は一日中、レイチェルがいなくなるという話題で持ちきりだった。修道女たちも小声で話し合い、普段は威厳を保っている神官たちも深刻な表情で頭を寄せ合っている。

サナは隅の席で一人、その光景を見つめていた。胸の奥に嫌な予感が広がっていた。


「レイチェル様が…本当に?」

若い修道女が震え声で尋ねた。

「静かになさい。神殿内で噂話をするものではありません」

年長の修道女が窘めたが、その声にも動揺が隠しきれない。

「でも、なぜ急に…」

「それ以上は言ってはいけません」

年長の修道女は周りを見回してから、小声で続けた。

「私たちは神の僕です。上からの決定に従うのみ」

しかし、その表情には明らかな不安が浮かんでいた。シスター・レイチェルは神殿でも尊敬される修道女の一人だった。その彼女が突然辺境に送られるなど、誰もが異常事態だと感じていた。


「皆さん、お聞きください」

夕食時、神官が候補生たちの前に立った。

「シスター・レイチェルは、辺境の教会での奉仕のために転属されることになりました」

神官の声は普段より低く、どこか力なく聞こえた。候補生たちは皆、じっと彼の言葉に耳を傾けている。

「辺境の教会では、多くの人々が神の教えを必要としています。医療も十分でなく、教育も行き届いていません。シスター・レイチェルの豊富な知識と献身的な奉仕により、そうした困窮する人々を救うのです」

神官の説明は表面上は立派に聞こえた。しかし、候補生たちは皆、その真意を理解していた。特にエリザベスは、満足そうな微笑みを浮かべている。

「それは…とても尊い行いですね」

一人の候補生が恐る恐る尋ねた。その声は震えていた。

「はい。神に仕える者として、最も尊い行いの一つです」

神官は微笑みを浮かべようとしたが、その表情には明らかな動揺が見て取れた。手も微かに震えている。

「いつお発ちになるのですか?」

「明朝です。皆さんも、レイチェル様の新たな門出を祝福してください」

しかし、誰もが感じていた。これは祝福すべき門出ではなく、追放に等しい処分だということを。


食事が終わると、候補生たちは再び小声で話し始めた。食堂の片隅で、エリザベスを中心とした令嬢たちの輪ができていた。

「奉仕活動だなんて、誰が信じるのよ」

エリザベスが冷笑を浮かべた。その声には、勝利者の余裕が滲んでいる。

「王太子殿下に口答えをした罰に決まってるじゃない」

「そうよ。あの時、貧民を庇おうとしたから…」

「きっと後悔してるわよ。なぜあんな子を庇ったりしたのかって」

令嬢たちの会話は次第に辛辣になっていく。

「可哀想に。シスター・レイチェルも災難だったわね」

「まさか、あんな下賤な娘のせいで左遷されるなんて」

「これで分かったでしょう?あの貧民に関わると、ろくなことにならないのよ」

令嬢たちは口々にそう言った。サナは食堂の隅で小さくなっていたが、その声ははっきりと聞こえていた。

サナはそれを聞いて、深く俯いた。シスター・レイチェルが自分のせいで辺境に送られるのだと思うと、胸が張り裂けそうに痛んだ。食事の味など、もうわからなくなっていた。


翌朝、まだ薄暗い中、サナは早起きをしてシスター・レイチェルを探した。他の候補生たちがまだ眠っている時間に、そっと部屋を出る。神殿の庭を歩いていると、朝もやの中に一つの人影が見えた。シスター・レイチェルが一人、小さな荷物をまとめている。

「レイチェル様…」

サナが近づくと、レイチェルは振り返った。その顔には、いつもの厳しさの代わりに、深い悲しみが宿っていた。しかし、サナを見ると、優しい微笑みを浮かべた。

「サナ…こんなに早く起きて」

「申し訳ありませんでした。私のせいで…私のせいで、あなたが…」

サナの目に涙が溢れた。自分を責める気持ちで胸がいっぱいになる。

「あなたのせいではないわ」

レイチェルは優しく微笑みながら、サナの前に膝をついた。

「これも神様のご意志よ。私はそのお手伝いをするだけ」

「でも…でも、王太子殿下に逆らったから…」

「サナ」

レイチェルはサナの両手を取った。

「あなたは間違っていない。私も間違っていない。神様の前では、誰もが平等に愛されているの」

「はい…」

「どんなに辛くても、その真実を忘れてはいけない」

レイチェルはサナの肩に手を置いた。

「神様があなたを選ばれたのには、必ず理由があるの。どんなに辛くても、どんなに孤独でも、信仰を失わないで」

レイチェルは立ち上がり、小さな包みをサナに手渡した。

「これは私の祈祷書よ。あなたに託します」

「そんな…大切なものを」

「大切だからこそ、あなたに託すの。これからも神様の教えを学び続けて」

そう言って、レイチェルは静かに神殿の門に向かった。サナは一人、庭に取り残された。朝日が昇り始め、神殿に新しい一日が始まろうとしていた。

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