第9話「ダンジョンのボスか、なかなかでかいな」
いったんダンジョンを探索した翌日。ミロードは、山道の近くにある小さな集落で夜を過ごしていた。
小さな農村と呼ぶに相応しい素朴な場所だが、何人かの冒険者たちも逗留しており、ダンジョンの噂が飛び交っている。
ミロードは村の宿屋でひと晩を取り、朝からまたダンジョンへと足を運ぶことにした。
「さて、昨日はそこそこ稼いだが、どうにも深部が気になる。隣国へ行く前に、サクッと攻略しておくか」
まだ金には困っていないが、興味半分、好奇心半分。多くの罠や未知の魔物が待ち受けているようなダンジョンほど、ミロードの血は騒ぐのだ。
集落から丘を越え、薄暗い洞穴の入り口へ。すでに何組かの冒険者たちが潜っているが、ミロードは相変わらずフードを深く被り、余所余所しく通り過ぎる。
最初の階層や中層部の魔物は、昨日同様になぎ倒していく。重力や火、風魔法の合わせ技で、群れで襲いくる敵を一瞬で粉砕しながら足早に奥を目指す。
「やっぱり結構な人数が潜ってきてるな。宝もだいぶ取られてるかも……いや、逆に最後の“ボス”はまだ手付かずだろう」
そんな予感が的中したのか、ミロードは深層部の大きな扉の前に立つ。ここまで来る者は少ないのか、周囲には新しい足跡がほとんど見当たらない。
扉を開けば、昨日の探索では辿り着かなかった最奥――きっと最強クラスの魔物が待ち受けているだろう。
「上等だ。軽く力試し……いや、これが終わったら隣国へ向かうし、しっかり片付けてやる」
ミロードは軽く息を整えて、重々しい石扉を押し開けた。
円形の聖域のような部屋へ足を踏み入れた瞬間、鋭い嘶きが響き渡った。
光の差し込む薄暗い空間の中央に、気高い角を携えた白銀の大獣――グランドユニコーンが、敵意をむき出しにして佇んでいる。
通常のユニコーンと比べて倍ほどの体躯に、身体から淡い雷光が走る。床には霧のような魔力の残滓が漂い、不気味なほど神秘的な景色だ。
「ほう、“ボス”はこいつか。昨日は見かけなかったが、確かに相当な強さを誇りそうだ」
グランドユニコーンの足元には、丸い形をした光沢ある卵が鎮座していた。
どうやらそれを守ろうとする母性本能(あるいは父性か知らんが)が、ミロードへの激しい殺気を生んでいるように見える。
「卵があるのか……こいつは迂闊に炎で焼いたりできねえな」
いつものように大技で一瞬に焼き尽くすやり方は、卵も巻き添えにする可能性が高い。慎重にやるしかない。
ところが、相手は待ってはくれない。グランドユニコーンは高々と嘶き、角から稲光をほとばしらせながら突進してきた。床を砕くような轟音がこだまする。
「くっ……パワーもスピードも尋常じゃねえな。仕方ない、まずは動きを封じるか」
ミロードは重力魔法を展開し、獣の足元に目に見えない“重圧の床”を作り出す。グランドユニコーンが一瞬足を取られた隙に、横へ転がるように回避。
同時に風の奔流を叩き込むが、獣の周囲を覆う雷気がそれを撥ね返すかのように中和し、風刃の威力が削られてしまう。
「なるほど、タフな上に魔力耐性も高い。……面白いじゃねえか」
相手は容赦なく角を突き立てたり、電撃の衝撃波を放ってくる。ミロードは風と反重力を駆使して素早く跳躍し、なんとか攻撃を回避する。
重力魔法で動きを妨害しつつ、火の魔力を溜めた火球を狙い澄まして獣の脇腹へ叩き込む。
絶叫のような嘶きが聞こえ、グランドユニコーンが体勢を崩した。その身体には焦げ跡が残り、血のような液がにじんでいる。
「悪いが、俺も時間がねえんだ。さっさと終わらせる!」
追撃の《爆炎槍》で、さらに大きくダメージを与える。が、獣は卵をかばうように移動し、できるだけ攻撃が卵へ届かないようにしている。
これほど強靭な力を持つにもかかわらず、命をかけて卵を守ろうとするその姿は、敵ながら健気でもある。
「……仕方ねえ。少しやりすぎたが、くたばられるのも後味が悪いな」
グランドユニコーンの足元が揺らぎ、ついに耐えきれずに床へ倒れ込んだ。息も絶え絶えにミロードを睨みつけるが、もう立ち上がれそうにない。
卵のそばへ寄ろうとするも、身体が言うことをきかず、浅い呼吸が苦しげに音を立てる。
「おい……まだ息があるな。卵を守りたい一心、か」
こうなっては放っておけば死ぬのも時間の問題だろう。ミロードはしばし逡巡したが、決心したようにポーチを漁ると、ストックしていたポーション瓶をすべて取り出した。
「ちょっともったいねえが……まあいいか。お前も子どもも救ってやる。」
倒れ込んだグランドユニコーンの口元をこじ開け、一気に複数本のポーションを注ぎ込む。通常なら人間の重症を癒やす程度の回復力しかないが、魔力の相乗効果も考えれば、多少は持ち直すかもしれない。
しかし、果たして巨大な体躯を持つ幻獣に効くのかどうか……。
しばらくすると、グランドユニコーンの呼吸が幾分落ち着き、傷口の出血が収まり始めた。まだ完全ではないにせよ、即死は免れたようだ。
何より、その双眸から“敵意”だけではない、ある種の意思が感じられる。卵を無傷で守られたことを悟り、ミロードの行為に戸惑っているのだろうか。
「卵は無事だ。……もう無茶に動くなよ。俺はただ、宝が欲しくて来ただけだ。他意はねえ」
そう言って、ミロードはゆっくりと周囲を見回す。すると、部屋の隅に古い祭壇のようなものがあり、その上に“エメラルドの指輪”が鎮座していた。
まるでこのユニコーンを象徴するような、緑色の神秘的な宝石が輝いている。もしかすると、それがこのダンジョンの秘宝の一つなのだろう。
「……卵もお前も助けたんだ。戦利品として、あれを頂いてもいいよな?」
当然ながらグランドユニコーンは言葉を発しない。だが、苦しげに首をもたげ、かすかに嘶く。その瞳には、どうやら拒否の色は見えない。むしろ、納得したような光を帯びている。
その様子を見て、ミロードは指輪へと歩み寄り、そっと手に取った。途端に指先へ不思議な温もりが伝わってきて、まるで“小さな命”が宿っているように感じる。
「こいつはただのアクセサリーじゃなさそうだな……何らかの封印や魔力の収束機能があるのかもしれん」
指輪を見つめるミロードをよそに、グランドユニコーンがうめきながら起き上がろうとした。その身体はいまだ傷ついているが、卵を包むようにそっと鼻先を寄せる。
卵が無事なことを確認すると、ユニコーンは決意したように緩やかに立ち上がり、ミロードのほうへ歩み寄って、首を小さく振る。
なんと、その巨大な身体が次第に薄い光に包まれ、徐々に“指輪”の宝石の中へ吸い込まれていくではないか。
「おい……お前、自分で指輪の中に……入ってんのか?」
驚くミロードの前で、ユニコーンの姿は完全に光へと変わり、エメラルドの指輪に融合するように消えていった。
指輪を握りしめると、微かな鼓動のような魔力が伝わり、まるで「あなたに従います」と告げているかのようだ。
そこには忠誠や感謝、あるいは“子どもを託す相手を認めた”という幻獣の決断が確かに感じられた。
「なるほどな……卵はここに置いていくのか? それとも──いや、卵はお前が守るつもりか」
まだ完全には分からないが、指輪からの伝わる気配は、卵を外敵から守るため、この場を離れようとしているようにも思える。
ダンジョンは危険が多い。いっそ主人が指輪を携えていれば、より安全に卵を保護できる、と感じたのかもしれない。
ともあれ、こうして“ボス”との無益な殺し合いは回避され、聖獣を手に入れる形となった。
エメラルドの指輪を身につけ、ミロードは部屋を見渡す。周囲に目ぼしい宝はほとんどなく、そもそもこの指輪こそがダンジョン最深部の“秘宝”だったのだろう。
卵のそばには結界の名残があり、本来なら誰にも触れさせないための強力な守りだったらしい。だが、ユニコーン自身の判断で結界はすでに解除されている。
「……いいだろう。俺はお前らを受け入れる。これも何かの縁だしな。傷が治るまで、指輪の中で大人しくしてろよ」
そう呟くと、手元の指輪がわずかに輝き、まるで返事をするかのように鈍い光を放った。
それを最後に部屋の静寂が戻り、ダンジョンはただひっそりと息を潜めている。
ミロードは卵を注意深く布で包み、傷を癒やすためのわずかに残ったポーションもかけてやりつつ、荷物に収めた。
「よし、片付いたな。隣国に行く用事を後回しにするわけにもいかねえ。戻るとするか」
あとは来た道を引き返すだけ。道中で魔物が出てきても、いまだミロードの圧倒的魔力の前では障害にならない。何度か小競り合いを経て地上にたどり着いたころには、外はまだ昼下がり。
入り口付近にいた冒険者たちが「あの扉の奥はヤバい」と口々に警戒していたが、ミロードは何事もなかったかのように通り過ぎる。
「大したことなかったぜ……なんて言うと角が立つから黙っておこう」
村への帰路につきながら、彼はポケットの中でエメラルドの指輪を確かめる。そこに宿る神秘的な気配が、かすかに彼の指先を震わせた。
強大な聖獣をも宿すことができる指輪。予想外の仲間を得た形だが、むしろ都合がいい。万が一再び世界規模の脅威が現れたとき、彼女(彼?)の力は大いに役立つだろう。
「さて。宝も手に入れたし、グランドユニコーンと卵も保護した。次は本来の目的、隣国マルステインへ向かうとするか」
幸い金は十分に稼げた。あとは行く先々で気ままに生活すればいい。もしこのユニコーンが元気になったら、きっとまた圧倒的な戦力になってくれるだろう。
そう考えると、胸の奥がわずかに躍る。悠々自適に生きるだけだった彼の冒険に、ほんの少しだけ“守るべきもの”が増えたかもしれない。
ゆるやかな風にマントを揺らしつつ、ミロードは夜の街道を照らす夕焼け空を見上げた。次なる目的地・マルステインへの道のりは、今までとはちょっと違った旅になるのかもしれない。
──こうして、気ままな冒険者ミロードは、聖なる力を宿すエメラルドの指輪を手に、グランドユニコーンの誓いを得て、新たな一歩を踏み出すのだった。