第8話「まずは小手調べを」
暗い岩壁の通路を歩き始めてから十分ほど。足元の土はしっとりと湿り気を帯び、壁には発光苔らしき青白い光が淡く揺らめいていた。
ミロードはフードを被ったまま、鼻歌まじりに進んでいく。聞こえてくるのは、水が滴る音と、ときおり響く小動物のような物音だけ。まだ本格的な魔物の気配は感じない。
「おや、結構整った道だな。自然洞窟ってよりは、昔の遺跡でも利用したのか……? ま、関係ねえか」
呟きながら、ポーチに入っているポーションの数をちらりと確認する。さほど多くはないが、今のところ深刻な準備不足は感じていない。もし何かあれば、自前の魔法でどうとでもなる。
しばらくすると、通路の先が広がり、ちょっとした空洞になっていた。洞内に立ちこめる淡い光が、そこに何かが蠢いているのを映し出す。
「ん……さっそくお出まし、ってわけか?」
地面を這うようにうごめく影。その正体は大きめの甲羅を背負った虫のような魔物だ。丸い体には硬い節が並び、節の隙間から粘液が糸を引いている。
数匹が集団で地面をガリガリと削るように動き回っており、音を立てたミロードに一斉に触角を向けてきた。
「はいはい、こんにちは……って、あんまり相手をしたくないタイプだな。虫はどうも好きになれん」
そう言いながらも、ミロードは冷静に魔力を集中させる。すぐにこいつらの行動パターンを察した。動きは遅そうだが、数が多い。噛みつかれたり捕まったりすると厄介かもしれない。
だが、ミロードの表情に焦りはない。軽く手をかざすだけで、周囲の空気がピリリと震えた。
「──《風の奔流》」
彼の呟きと同時に起こった激しい突風が、甲虫の群れを吹き飛ばす。頑丈そうな甲羅をしていても、風魔法で体勢を崩された挙句、壁や床へ叩きつけられれば抵抗などできない。
そのまま甲虫たちは転がっていき、中にはひっくり返って足をバタつかせているものもいる。ミロードはそのうち大人しくなった数匹に近づき、警戒しつつ蹴り飛ばしたり、追い打ちの火の玉を放って完全に仕留めた。
「まあ大したことはないが……数の暴力ってやつか。油断して巻き込まれりゃ面倒だな」
そう言いつつ、倒した魔物が落とす素材や魔硝石を探ってみるが、めぼしいものはほとんどない。辛うじて小粒の魔硝石が数個手に入った程度だ。
肩をすくめて甲虫の死骸を蹴散らすと、ミロードは再び先を目指して歩き出す。
さらに奥へと進むと、通路は次第に幅が広がり、所々に古代文字のような刻印がうっすらと残る壁面が見え始めた。気づけば、見慣れた自然洞窟の雰囲気とは違った、遺跡めいた空気が漂っている。
ミロードは石柱の根元を軽く叩き、土の質や岩の硬さを確かめるようにしていると、後ろから人の気配を感じた。
「おい! そこの黒フードの人!」
振り向くと、同じく冒険者らしき集団が慎重にこちらへ近づいてきた。数は三人、全員が革や金属の鎧を着用して、手には武器を携えている。どうやら探索中にミロードを見つけたようだ。
「危ないぞ、先には甲虫の群れが……」
「いや、もう掃除してきた。通路は通りやすくなってるぜ」
ミロードがさらっと返すと、相手のリーダー格らしい男が目を瞬かせた。
「掃除? まさか、あの甲虫の群れを始末したのか? 俺たちが昨日来た時は手も足も出なかったのに……どうやって?」
「ま、ちょっと風魔法が得意でね。あんたらも気をつけるんだな。あれでも油断すると噛まれるからよ」
言い捨てるようにして、再び進もうとするミロード。相手の冒険者たちはまだ何か言いたげだったが、フードを深く被った彼の雰囲気に圧されて声をのみ込んだようだ。
大勢で行動するのが常套手段の冒険者にしてみれば、こんな軽装で単独行動の男は得体が知れない。しかも甲虫の群れを一人で倒したらしい――近寄りがたい雰囲気も無理はない。
(バレてない、バレてない……このままサクッと潜って奥まで行くか。どうせ大した連中もいないだろう)
まわりに余計な詮索をされるのはごめんだ。ミロードは心の中でそう呟き、足早に奥の通路へ向かった。目指すのはより深い階層、どうせなら財宝の匂いが濃い場所だろう。
進むにつれ、時折小さな部屋や空間が出現するが、ミロードの目を引くような宝箱はまだ見当たらない。代わりに、そこそこ強い魔物がポツポツと現れるようになった。
人型に近い魔物が集団で襲ってきたときは、ちょっとした苦労を強いられた。だが、重力魔法をほんの少し使い、足止めしてから火と風を合わせた複合魔法で一掃する。
一瞬にして燃え盛る火柱と猛烈な突風が吹き荒れ、魔物たちは悲鳴を上げて散っていった。
「ふう……こんなとこか。けっこう手強い奴らだが、ま、問題なしだな」
倒した魔物から魔硝石のかけらをいくつか回収すると、さすがに少し汗ばむ。洞窟の奥は湿度が高いためか、肌に纏わりつくような蒸し暑さを感じる。
そろそろ一度引き返す手もあるが、まだ収穫には満足していない。もっと奥へ行けば、大きな魔硝石や金品が見つかるかもしれない。
「もう少し進んでみるか。夕方には戻れるだろう……あんまり長居して、夜を迎えるのも面倒だしな」
そう決めると、ミロードは小走りで通路を突き進む。岩肌には怪しげな装飾や、獣の頭蓋骨がかざされている箇所もあり、さらに不穏な雰囲気が強まってきた。
行けども行けども脇道や分かれ道があり、全貌がさっぱりつかめない。どこかで地図を拾えると楽なのだが、さすがにできたばかりのダンジョンとあって、そんな都合のいいものは落ちていない。
「はあ……めんどくせえ。適当に当たりを引くまで彷徨うとするか」
ほとんど迷宮同然の通路を、ミロードは苦もなさそうに歩く。彼の耳は、周囲のわずかな音も聞き逃さない。何か大きな気配を感じたら一瞬で魔力を高め、一撃で片付ける用意がある。
その“圧倒的な余裕”こそが、普通の冒険者には真似できない伝説級の実力なのだろう。
やがて、わずかに開けた大きめの部屋に辿り着いた。中央に小さな台座があり、その上には何やら古びた宝箱が鎮座している。
天井付近から差し込む微かな光が、宝箱をうっすらと照らしていて、実に怪しげな光景だ。
「おっ……ついに来たか? こういうベタな演出、嫌いじゃないんだよな」
思わず口元がほころぶ。もちろん、そう簡単に中身を頂けるとは限らない。大抵は罠や守護モンスターが付き物だ。
しかしミロードは横着なほどに慣れた手つきで、まずは空気中の魔力を探る。すると、台座のまわりに妙な魔力の層を感じ取った。
「えーと、こいつは……結界……ってほどじゃないが、魔力を閉じ込める陣式か。ま、破っちまえばいいだけだな」
わざわざ難解な解除手順を踏むつもりなどない。彼は両手に魔力を集中させ、台座周辺の空間を強引にねじ曲げるように「重力」をかけた。
すると空気が震え、今まで見えなかった紋様が一瞬うっすらと輝いては砕け散った。結界が破られた拍子に、床下から複数の小型ゴーレムが現れ、威嚇の唸りを上げる。
「はいはい、やっぱりな」
面倒くさそうに呟くと、ミロードは魔法の切り替えを行う。火や風の大技を使えば、一瞬で粉砕できそうではあるが、ここは少し魔力を温存しつつ、効果的に仕留めたいところ。
小型ゴーレムが突進してくるのに合わせ、ミロードは床に重力場を描くように魔力を込めた。
「《重圧の床》」
彼の足元からドス黒い気配が広がり、ゴーレムたちは一斉に動きが鈍くなる。重力が増しているのか、金属が軋むような不快な音が響き、やがてひとつ、またひとつとゴーレムが地面へ崩れ落ちた。
さらに止めの一撃として、風の刃を幾筋も飛ばし、ゴーレムの核となる部位を断ち割る。石片が砕け散り、粉々になった残骸が床に転がった。
「よし、邪魔者は片付いたな。……さて、宝箱の中身はどうかな」
ひび割れた台座の上に鎮座する古い宝箱。その錠前が壊れていないか確認すると、意外にもまだしっかりしている。どうやら“普通”の鍵が必要なタイプだ。
しかしミロードはお構いなしに、右手に微量の火属性と反重力を合わせて“こじ開け”を試みる。熱と衝撃で錠前を破壊し、蓋をこじ開けるのだ。
──バキッ!
乾いた破壊音とともに錠前が砕け、宝箱の蓋がゆっくりと開いた。中には古ぼけた装飾品と、小さな袋がある。袋を開けると、そこにはいくつかの宝石と小粒の金貨が入っていた。
「おお、思ったよりはいいんじゃねえか? これなら少しは儲けになるな。……ん? こっちの装飾品はなんだ?」
取り出してみると、謎の紋様が刻まれた腕輪らしい。魔力を感じ取ろうと試してみても、特に強力な魔法が込められているわけではなさそうだ。ただ、骨董品としてはそれなりの値打ちがありそうだ。
「ま、持って帰って鑑定してもらうか。ちょっとした小遣い稼ぎにはなるかもしれん」
腕輪と宝石の袋をポーチに押し込み、満足げにうなずく。これでひとまず“本日の稼ぎ”としては上々だろう。
もっと奥へ進めば、さらに大きな財宝があるかもしれないが、すでに夕刻も近い。深追いして夜を越す気にもなれない。
「よし、今日はここまでにして帰るか。明日は……そうだな、もうちょい奥へチャレンジしてみてもいいかも。どうせ数日掛かるって聞いてたしな」
満面の笑みで宝箱を閉じ、ゴーレムの残骸を避けて部屋を出る。あとは元来た道を引き返し、ひとまず街へ戻るだけだ。
もちろん道中にも何匹か魔物が現れるだろうが、今のミロードには大した脅威ではない。先ほどのように重力や火の魔法を適当に使えば、楽に押しのけられる相手ばかりだ。
「また散財するのは目に見えてるが……。でもまぁ、金が無くなれば、また潜りゃいいだけだ」
軽く鼻歌を響かせながら、ミロードは来た道を引き返す。深い迷宮と化した洞穴の奥には、さらに強大な魔物や、もっと価値ある宝が潜んでいるかもしれない。