第6話「俺の勝率?ギャンブルは五分五分ってとこかな」
新たな金が手元に入って気分も軽くなったミロードは、町の中央広場付近にある大きな掲示板を横目に、いつもの食堂へと足を向ける。ここはギルドからも近いせいか、冒険者や商人がよく立ち寄る場所だ。
扉をくぐると、香ばしい肉の焼ける匂いが鼻をくすぐり、慣れ親しんだざわめきが耳に心地よい。人混みをかき分けて奥へ進むと、カウンター席の一角で腕組みをして待っている男がいた。
「おう、ミロード。今日こそは一緒に行くだろ? “ザ・スプリント”の開催日だぜ」
声をかけてきたのは、獣族の男シグロ。浅黒い肌と鋭い目つきが特徴で、獣族特有のしなやかな筋肉が見て取れる。食堂でよく顔を合わせる仲で、飲み友達でもある。
「おまえも相変わらずギャンブル好きだな、シグロ。ま、今日ならちょうど金もあるし、付き合ってやるか」
ミロードは肩をすくめながら、カウンターへ注文を投げる。いつもの肉料理とパン、そして軽めの酒をさらりと頼んだ。
「いつも通りの注文だな。さっさと腹を満たしてから行こうぜ」
「おう。その前に一杯くらい呑んどかないと、勝てる気がしねえ」
そんな軽口を叩き合いながら、二人は食事を済ませると、活気に満ちた競技場“ザ・スプリント”へ向かった。
“ザ・スプリント”とは、魔獣使いたちが“馬のような魔物”を走らせ、スピードと持久力を競うレースだ。猛々しい体躯の“四足獣タイプ”から翼を持つ“半魔族タイプ”まで、バリエーションは多彩。
広いトラックを一気に駆け抜ける様子は迫力満点で、客席も熱気に包まれている。ミロードとシグロは券売所で小さな紙の券を買い、スタンド席に腰を落ち着けた。
「さて、俺の勝率はだいたい四割五分。今日はどうかな……」
ミロードは買った馬券――正確には“魔獣券”を眺めながら、ぼんやりと呟く。
過去に何度もここへ足を運んでいるが、彼自身、大勝ちした記憶はあまりない。とはいえ、ダンジョンで稼いだ金を遊ぶには充分な刺激なのだ。
「シグロはどの魔獣に賭けたんだ?」
「俺か? 今回は“レッドノーズ”ってやつにしてみた。スタートダッシュがイマイチだが、終盤の伸びがすごいって話だ」
「なるほどな。俺は“ブリザードスプリンター”ってのを押さえてみた。暑さに弱いらしいが、今日は天気もそこそこだろ」
そうこう言っているうちに、場内アナウンスがレース開始を告げる。スタンドからは期待と興奮が入り混じった声がいっせいに湧き上がった。
ゲートが開くと同時に、さまざまな姿形の魔獣たちが一斉にスタートする。空気を震わす蹄の音や地響きが、観客の胸を高鳴らせた。
「いけーっ!」
「おらあ、走れぇぇ!」
ミロードもシグロも、つい身を乗り出して応援に熱がこもる。
前半は“ブリザードスプリンター”が勢いよく飛び出し、先頭争いを繰り広げる。対して“レッドノーズ”はやはりスタートが遅く、中団あたりに取り残された。
しかし後半に入ると、“レッドノーズ”がグングンと加速を始める。見る見るうちに他の魔獣を抜き去り、先頭集団に迫っていった。
「よし、いいぞ“レッドノーズ”! そのまま突っ走れ!」
「おいおい、“ブリザードスプリンター”も逃げ切れよ……頼むから失速すんなよ!」
立ち上がったまま絶叫する二人。レースは終盤を迎え、先頭を争う魔獣は二頭に絞られていた。
ついにゴールライン直前、レッドノーズが最後の力を振り絞り、ミロードのブリザードスプリンターをほんのわずかに差し切ったのだ。
「ゴールイン……優勝は、レッドノーズだーーーっ!」
場内は大歓声に包まれ、シグロは拳を突き上げて飛び跳ねる。
「勝った! やったぜ! おいミロード、見たか!? 俺の直感は当たったんだよ!」
一方、ブリザードスプリンターに賭けたミロードは、呆然とゴールラインを眺めつつ、しばし言葉を失っていた。
「くそ、あとちょっとだったのに……まあ、仕方ないな。勝率なんてこんなもんだろ」
悔しさはあるが、そこまで大金を突っ込んでいたわけでもない。ミロードにしてみれば、外れても“ついでの遊び”の範疇だ。
レースが終わると、ミロードとシグロは賭け金の清算に向かう。シグロは想定よりも良いオッズだったようで、そこそこ大きな額を獲得した様子。
一方、ミロードは見事に外れ券を手にしたまま肩を落とす。しかし、その様子は深刻でもなく、どこか楽しげでもある。
「ははっ、気分がいいぜ、ミロード。今夜の酒は俺がおごってやるよ」
「いやー、助かる。ギャンブルに負けても、飯と酒に困らんのなら問題なしだ」
二人は上機嫌のシグロ先導で、近くの居酒屋へ向かった。勝利で気分がいいシグロは、宴会気分でテーブルを豪快に叩きながら注文を通していく。
「店長、肉の盛り合わせとビールをとりあえず何杯か頼むぜ!」
「ったく、うらやましいぜ。でもまあ、このくらいの大勝ちは珍しいんじゃないか?」
ミロードがニヤリと笑えば、シグロは得意げに鼻を鳴らす。
「まあな。でもこんなに上手くいくのは滅多にない。だからこそギャンブルはやめられねえんだ」
乾杯のグラスを合わせると、そこからはお互いの冒険話や近頃の噂話に花が咲く。獣族のシグロは腕っぷしも強く、帝国の辺境へ行ってはモンスター討伐を請け負っているらしい。
一方でミロードは、最近のダンジョン探索と正体不明の魔物討伐の件――もちろん“変装してた”などという話は秘密だが――をぼかしつつ話題にする。
「まあ、俺たちみたいな連中は、今日の酒と明日の宿が確保できりゃ万事OKだろ?」
ビールを飲み干して笑うミロードに、シグロも笑い返す。
「その通りだ。なあ、次に一緒に仕事することがあったら、また稼いだ金でこうやって飲もうぜ。ギャンブルもまた行こうじゃねえか」
「おう、俺は懲りないからな。負けてもまた賭けちまうんだろうし、勝ってもすぐ使い果たすだろうしな」
気づけば卓上は骨付き肉の残骸や空きジョッキでいっぱいになっていた。腹も満たされ、ほろ酔い加減で店を出るころには、シグロの勝利金もしっかりと目減りしている様子だ。
「結局、一回勝ったくらいじゃ大した額は残らねえけどな。まあ、これが人生ってやつだ」
「そりゃそうだ。けど満足できりゃいいんだよ。少しでも懐に残ったら、また次のレースに賭けりゃいい」
二人とも酒に酔い、上機嫌。通りを歩きながら、ミロードは頭の中で“さしあたって当面の金稼ぎ”について考える。勝負には負けたが、今は討伐報酬と魔硝石の換金があるから当座は問題ない。
明日にはまた気ままに街をぶらついて、あるいは久々にダンジョンを覗いてみてもいいだろう。とにかく“今日稼いだ分”を楽しむ――それだけが、彼にとっての真理だった。
「よし、シグロ。せっかくだし、このあともう一杯だけどうだ?」
「いいぜ。今夜は付き合ってやるよ。もうちょっとだけな!」
そんな会話を交わしながら、二人は夜風に吹かれ、次なる店へと歩を進める。勝ち負けがどうであれ、彼らには“今夜を楽しむ”ための時間が、まだ少しだけ残されていた。