第98話 金メッキの青春1
伽藍堂結城は、鏡が嫌いである。
妹を護る為、多くの人間の思惑を読んできた。
疑念、軽視、搾取、媚び、敵意……彼の周りには、大人による負の感情が常に渦巻いていた。彼等の強固な外面を看破し、対策して先に取り入る。そして内部から操り、自分と妹から距離を取らせる。そうしていく内に、彼は読心術に至る程の洞察力を手にしていた。
そして、その瞳で視る自分の顔はいつもーー。
五つ星ダンジョンアタッカーになって数日。周囲の喧騒が遠巻きに自分を包んでいる中、彼は談話スペースで本を読んでいた。
普段ならば、どこの誰が見ているかも分からない場所で本など読まない。しかし以前からの有名に加え、ダンジョンアタッカーとしての才能をも世に打ち出した彼は、更に大勢の人に注目される事となった。
それについて不満は無い。妹に汚い目を向かせない為に、彼は社会の表に立つ覚悟を決めたのだ。しかし、それでも人間の相手は着実に伽藍堂結城にストレスを与えていた。
したがって、普通の手段では入る事の出来ないDAGは、仮初の休憩所として最適だった。彼の名声や才能を知る者は特に、その名前の威に圧倒され近付いてさえ来ない。僅かな時間ではあるが、彼はのんびりと妹を守る手段を身につける事の出来る時間を楽しんでいた。
「おーいた」
そんな折、誰かに声をかけられた。聞いた覚えのある声だと瞬時に判断し、しかし記憶の中の誰とも合致しない。彼は本から顔を上げ、目の前の男を見据えた。
「相席良い?」
「ああ、どうぞ」
変な男だった。身長は165cm前後、男性にしては細身の体格とそれに似つかわしい童顔をしている。間延びした口調と合わせて、『可愛らしい』という印象を最初に受ける。しかしその風貌とは裏腹に、抜き身の刃の様な鋭利な雰囲気を纏っていた。
しかし、伽藍堂が『変な男』だと評したのは、彼の顔から視える伽藍堂に向ける感情。
(興味と……これは、一体…)
見た事の無い感情だった。悪意とはまた違う、しかし正では決してない奇妙なモノ。
未知の感覚を引き連れた未知の《《敵》》に、必然伽藍堂の警戒度が上がる。
「自己紹介いる?」
「うん、お願い出来るかな?」
「数多洸って言います。同い年だぜーよろしくー」
伽藍堂の脳内で、彼の情報がヒットする。
数多洸。伽藍堂、羽場と同じ『結城世代』の一人。DAGに入った当初、自分達の事を何も知らず暢気にこちらを見てきていたと記憶している。
(なるほど、覚えが無い筈だ)
《《興味の無い対象》》を一々覚えておくのは、伽藍堂にとって特に時間の無駄である。しかし、こうして謎の感情を向けられている今、彼は早急にこの男を解析、今後の対策を練る必要があった。
まずはいつもの様に笑みを貼り付けて応対する。
「そうだったんだ。ごめんね、あの時は自分の事に精一杯だったから周りが見えてなかったよ」
「良いよー、そういうの俺もよくあるからねー」
「それで?いた、って言ってたけど……僕に用があるのかな?」
表面上は穏やかに、しかし悪意ある一挙手一投足を見逃すまいと神経を集中させる。それに気付く様子も無く、数多は頬杖を付く。
「そーだそーだ、いきなりで悪いんだけどさー。
喧嘩しようぜ」
周囲の、否。DAGにいる全員が、凍り付いた。
DAGにおいて、伽藍堂結城とは特別だった。ガーランドウェポンズという、ダンジョンアタッカーにとって生命線とも言える企業の御曹司。それだけでなく、彼自身もあらゆる才能に溢れ、たった一週間で五つ星へと昇格するという伝説を成し遂げたばかりの、超が何個も付く様な規格外。
そんな伽藍堂結城に喧嘩を売る。それがどういう意味を持つのか、実行しようとする身の程知らずなどいる筈が無い。それはあらゆる意味での死であり、GW……最悪DAG全体を敵に回す事にもなる、正に自殺行為なのだ。
そんな暗黙の了解とも言える禁忌を、目の前の男は平気で超えてきた。『何かの聞き間違いなのでは』という空気が漂う中で、伽藍堂自身も数多の言葉に混乱していた。
欲望を丁寧に包み込み、懐に潜り込もうと近づいて来る連中は何度も見てきた。しかし目の前の男は、初対面にも関わらずあまりに非常識な要求を、隠す気も無くストレートにぶつけてきた。それは、日々見えない魑魅魍魎を相手に戦っている伽藍堂からすれば、笑ってしまう程清々しく、だからこそ何かあるのではと勘繰ってしまう。
「……えっと。もう一度言ってくれるかな?」
「喧嘩しよー。勿論拳で」
周囲の空気など目もくれない男が間延びした声で言い放つのは、まるで遊びに誘うかの様に気安い喧嘩の再提案。
敵意をまるで感じない、今まで出会ったどのタイプとも違う相手を前に、伽藍堂は即座に警戒度を跳ね上げる。同時に《《研究の為》》に思考を相手の観察へと切り替える。
「……何故?」
「え?今一番強いのがオメーって聞いたから」
(訳が分からない。何故それが僕と戦う理由になるんだ)
「…ごめんね。それは僕に何もメリットが無いから嫌だな」
「あーそっかー。そうだよなー」
ストレートな申し出をストレートに返す。意外にも話の通じる獣だったようで、アッサリと喧嘩を諦m
「じゃあ飯行こうぜ」
「は?」
=====
「最近ここに出来たなろう系ラーメンが結構評判良いんだってさー。食った事ある?」
「いや無いけど……」
観察対象の異常者に連れられ、やってきたのはよく目にするラーメンチェーン店の看板。
(……どういう思考回路してるんだ?いきなり喧嘩を売ってきたと思えば、その相手を食事に誘う?何を考えている)
伽藍堂の訝しげな視線をモノともせず、数多は食券の券売機で券を二枚買ってくる。
「ほい、さっきの詫びね」
「……ありがとう」
「なろう家系って行った事あるー?トッピングはカウンターで頼むんだけどー」
「無いね。ジャンクフードは普段食べないようにしてるんだ」
少し、自分の事を話してみる。しかし彼は「へー」と答え、特に深掘りする事も無く伽藍堂を連れてカウンターの席に座る。
(……興味があるのは、《《僕の強さだけ》》?僕の趣味嗜好を探ろうとしている訳じゃない)
「この店って初心者にお勧めのトッピングがあるんだってー。やってみる?」
「そうなんだ。それじゃあやってみようかな」
彼についての思考を、一度打ち切る。主観的視点でこの男を測ろうとしても無意味だと分かったからだ。故に、客観的に観測する為に彼の行動に乗る事にする。
「次の方、トッピングはどうしましょう?」
「はい、ヤサイマシマシカラメマシアブラスクナメニンニクをお願いします」
「おーすげ。一発でスラスラ言えるじゃーん。なろーやーの素質あるよ」
「はは、その素質はいらないかな」
「次の方ートッピングは?」
「あ、俺はヤサイマシだけでー」
「は?」
=====
「ヒヒ、初めてのなろう系ラーメンの感想は?」
「……舌と胃が馬鹿になる」
下手くそな引き笑いに苛立ちを覚えながら、渡されたブレスケアを口に入れる。
その後、彼と共に腹ごなしにとバッティングセンターやゲームセンターで遊び歩いた。ダンジョンアタッカー専用のパンチングマシーンをしたり、格闘ゲームで対戦したり、UFOキャッチャーで景品を狙ったり……。
「それで?結局何がしたいの」
「んー?」
帰り道。とうとう伽藍堂から、数多へ質問をしてしまった。
「君は僕と闘いたいと言った割に力づくで行動に起こさず、あまつさえ君の奢りで食事や行動を共にした。その間も何も聞き出そうとせず、こうして帰路に着いている。メリットなんて無い、時間の無駄じゃないか。一体何がしたかったんだい?」
「え、そんな事考えてゲームとかしてたん?きっしょ」
「君のせいなんだけど」
自殺志願者でも無い、サイコパスともどこか違う。伽藍堂にも分からないロジックを持った変人を前に、思わず愚痴を漏らしてしまった。
伽藍堂は己の失言に気付き、内心舌打ちする。それを気にすることも無く、数多は少し考えてから口を開いた。
「喧嘩を売った理由は強くなりたいから。皆が言う最強さんの力を知って、自分が今どの位置にいるのか知りたかった」
「何故そこまで強さが欲しいんだい?」
「何故って……んー………なんとなくー?」
「自分でも分かってないのか……」
「てかさー、ダチと飯行ったりすんのにそんな理由いるー?」
「は?」
「《《腹減ってたから、ついでにオメーを誘っただけだよ》》。バッセンとかも同じ。そんだけー」
一瞬だけ思考が止まり、そして理解する。
(コイツは、本能に従って生きる男だ。《《友人になりたいだけ》》なら、幾らでも方法はある。僕と親しい関係を築きたいなら、もっとマトモな人間を上手く潜り込ませる。わざわざ不興を買う様な真似はしない。本当に、やりたい事をやりたいようにしているだけか)
危険度は限りなく低い。未だに読み取れる感情は不明だが、暇潰しにやるパズルの様に気長に観察していけば良い。
そこまで至り、伽藍堂は溜め息を吐き、無意識に入っていた肩の力を抜く。それを横目に観ながら、彼は笑う。
「ヒヒ。大丈夫かー?喧嘩してストレス発散する?」
「しないし、別に友人でも無い。それに僕と君とじゃ、力に差がありすぎる。勝負にすらならない。もっと力量差にあった人としてくれ」
「マジか。じゃー俺が強くなったら喧嘩しよー」
「はいはい、強くなったらね……異常者め」
「聴こえてんぞー?イカれてると言え、イカれてると」
「一緒じゃないか。何が違うのさ」
「そっちの方が可愛い」
「は?」
あまりにも奇天烈過ぎる出会い。しかし周りにいる大人達の様な煩わしさを感じる事は無く、新しい玩具で遊ぶ子供みたいに、不思議と退屈はしなかった。




