第81話 伽藍堂結城の決意
伽藍堂結城という人間にとって、妹の伽藍堂叶は特別だった。
物心ついた頃、自分は他の子供とは違う事に気付いた。自分に見えている世界が、他の子達には見えていない。自分に備わっている能力が、他の人には無い。
自分より大きな人間に対してもそうだった。能力も才覚も、自分には遠く及ばない。子供を無理矢理大きくしたかの様な、小さな存在。身体以外で大きいのは、醜く肥え太らせた自尊心だけだった。
両親はどちらもダンジョンアタッカーの経験があり、将来はガーランドウェポンズという会社の舵取りを期待されている。この二人は、結城の目から見ても優秀な人間だった。
《《どうでも良い》》。
あくまでそれは《《周りと比較して》》という意味であり、結城は自分には彼等以上の才能がある事を、幼い頃から理解していた。両親でさえ、彼にしてみれば『養ってくれる他人』程度の認識しか持ち合わせていなかった。
幼年期特有の純粋さが欠けた少年。周囲の人間は、結城をまるで腫れ物に触るように扱っていた。しかし両親は、『ウチの子は他の子より個性的なだけ』と言い、甘やかすでなく、放任主義でもなく、周りの子達と同じ様に接してくれた。
態度の違いにさしたる興味は無かったが、自分の孤立と慢心を防いでくれる優秀な両親なのだなと、結城は感心していた。
『結城。貴方は今日からお兄ちゃんになるのよ』
彼の意識が変わったのは、新しい家族が出来た時だった。
母の腕の中で目を閉じる、自分より小さくか弱い命。母親に全幅の信頼を寄せ、無垢に甘えるその姿は、今まで見たどの生命体よりも愛くるしい。初めて目にする生き物に、結城は戸惑う事しか出来なかった。
『叶、結城お兄ちゃんが来たわよ。結城、叶に触ってみる?』
叶と呼ばれた少女の、僅かでも触れれば壊れてしまいそうな白い手を、恐る恐る指で突く。
ギュッ
『……ッ!?』
『ふふ、叶も結城お兄ちゃんが大好きーって』
思っていた以上の力で指を掴まれ、固まってしまう。母がクスリと微笑み、彼の髪を撫でるが、それ以上に握られている指に全ての神経を持っていかれる。
『おにいちゃん……』
『そうよ、結城もお兄ちゃんになったのよ』
個体名以外に自身を指す言葉など必要無かったが、何故だか「お兄ちゃん」という肩書きは胸にストンと落ち着いた。
握られた指先から感じる、確かな命の灯火。胸の奥から溢れる温かい何か。不思議と、それが『愛情』というモノだと理解出来た。今まで他者に興味の無かった結城が、初めて「家族」を認識した瞬間だった。
結城と叶は健やかに育ち、小学校に共に通う様になった。幼い頃から既に完成されていた姿の二人だったが、学校に通う年頃になると周りは結城を「天使」、叶を「妖精」の様だとこぞって絶賛する程の美貌へと変わっていた。
そんなある時、両親と共に祖父が主催のパーティーに出る事になった。
結城は、両親の社会的な地位もある為、この様な無駄に飾り立てた社交場が必要だと理解していた。そして、地位だけでなく容姿も整った子供が二人揃えば、醜い豚共が放って筈が無いだろう事も。
『結城君は頭が良いね。ウチの子はーー』
『伽藍堂さんのお子さんは、どちらも優秀ですね。特に結城君は、正に神童と言えるでしょう』
口々に持て囃し、おべっかを使い取り入ってこようとする大人を、妹を庇いながら結城は無感情に追い払う。結城にとっては、有象無象の態度や言動など5分後には忘れてしまう些事。だが、何もかも初体験だった叶には、自分より大きな人間達の気味の悪い圧力に耐えられなかった。
夜、結城が叶の部屋の前を通ると、扉の奥から微かに嗚咽と涙ぐむ声が聴こえた。
『叶っ!?』
『ヒグ……っおにぃちゃぁん……』
愛する妹は、声を押し殺して泣いていた。枕を抱きしめ、肩を震わせるその姿は、何かに怯えているようだった。
瞬間、結城の心にマグマの如く煮えたぎる熱が噴き出す。
『どうしたんだい?誰かに酷い事されたの?』
『……こあい』
『怖い?』
『おとなの人、こあぃい……!』
《《神童の妹》》に対する大人達の無遠慮な態度は、小さく、しかし確かに叶の心を幾度も傷付けていた。
叶とて、その天稟は他の者を容易く凌駕しているだろう事は想像に難くない。だからと言って、心まで他人と隔絶した差を持っている訳では無かった。
それを見て、結城は怒りを覚えると共に少し安堵していた。
妹は自分と違って、化け物じみた子供ではないのだと。どこにでもいる、普通の女の子なのだと。
だったら自分が守りたい。大切な妹が、他よりも少し優秀なだけの普通の子でいられるように、『お兄ちゃん』が汚い豚共から妹を助けたい。
『大丈夫だよ、叶。もし今度、大人に囲まれても、お兄ちゃんが守ってやるからな』
『……ほんとう?』
『うん、本当だ。指切りする?』
涙で目を腫らす妹の手を握り、指切りをする。そして、彼女が眠るまで側で見守っていた結城の中から、先程の熱が更に湧き出してくる。
『絶対、何があっても、お兄ちゃんが守るからな』
安らかに眠る妹の顔を見ながら、結城は自分自身に言い聞かせるように呟く。
噴き出した想いは決意となって、結城のこれからを決定付ける事となった。
まるで、運命の様に。




