第75話 羽場童剛の戦い
戸張照真が寝ている頃。
『ーーですので、上の判断としましてはやはり身柄の拘束が妥当かと』
「……そうか」
(いずれ来るとは思っていたが、予想以上に早かったな)
戸張が配信を終えた直後に届いた連絡を、冷静な頭で受け止める。DAGの上層部が二つ星の、それもまだ2回のダンジョンアタックしか経験していない男の配信をチェックしているとは思わなかった。
しかもあろうことか彼等は、彼の今後の処遇について、《《羽場抜きで話を進めていた》》。
頭は完全に冷え切っている。しかし、それは憤怒の情を宿していないという訳ではない。電話の向こうにいる奴の全てを、如何にして蹂躙してやろうか。その為に、羽場はどこまでも冷徹に思考を巡らせる。
「やけに対応が早いな?発覚したのは、つい数時間前だが」
『ネット上で、モンスターが人の姿で暴れていると報告がありましたので。速やかに対処すべき事案であると判断されました』
(なるほどな。上は実際に照真の配信を観たのではなく、ネットで上がった単語だけで決めたのか)
早すぎる対応だと思っていたが、その実杜撰な情報管理と不十分な根拠が露呈しただけだった。
政府やDAGは、D災以降ダンジョン関連の内容には非常に神経質になっている。モンスターのコスプレをするだけで、警察やDAGに通報されてしまうくらいには、この国はD災の恐怖から脱せていないのだ。
羽場はDAGの支部長を任されている身として、そして彼の後見人として、『疑わしきは罰せよ』とでも言わんばかりの戸張の拘束を勝手に決めた連中に、静かに怒気を募らせていく。
『後程書面にて通達するので、先に例のモンスターの拘束と移送の…』
「断る」
『えっ』
「奴にそのような危険は無い。拘束も不要、予定通り東城に送る。その時に、検査なり何なりすれば良いだろう」
『いやあの、モンスターですよ?しかも人の姿で暮らしてるんです。危険度は……』
「さっきから聞いていれば……貴様、実際に見た事がないな?」
違和感は気付いていた。もし上が事実確認でも何でも、それこそ羽場に連絡を取るなりし、戸張の性格や状態を把握していれば、事後報告で突然拘束を決定する事などあり得ないのだ。
しかも戸張自身、ダンジョンアタッカーとして配信でその姿を晒している。DAGがそれを認識していない筈が無い。
もし戸張の配信を視聴し、身柄の拘束を決定したとすれば、それの意味する所は……。
「研究資料としての利用価値、といったところか」
『………』
羽場の考えを肯定する様に、沈黙が場を支配する。羽場が当初考えていた戸張の《《使い方》》なのだ。DAGが目を付けるのは、ある意味必然だったのだろう、と羽場は過去の自身の浅慮を反省する。
「奴はダンジョンの謎を解明するきっかけとも言える魔眼を有し、纏魔気鱗や吸魔の墓のマナを逆に吸収する等、《《将来に期待の持てる》》優秀なダンジョンアタッカーだ。その未来を奪うのは、DAGの今後において大きな損失ではないか?」
『……羽場さん。戸張照真は、非常に希少な存在です。人でありながらモンスターでもある、そんな生命体は確認されませんでした。彼を《《研究》》すれば、我々の技術とダンジョンへの理解は更に進むでしょう。貴方だけでなく、支部全体の昇級と褒章さえ「おい」』
「殺すぞ」
たった一言を、淡々と言い放つ。しかし、その声に載せられた殺気は、電話の向こうでさえ血生臭く感じる程、鮮烈に伝わった。
男が息を呑む。元々ダンジョンが出現するまでは、『対人』の訓練を受けていた羽場である。元本職の人間が出す本気の殺気は、相手の勢いを殺すには充分過ぎる一撃だった。
「貴様、照真の尊厳を金で買おうとしたな?大義名分の為と言えば、人であろうとする者の心を否定して良いと思っているのか」
『い、や……それは…』
「人の心を理解しようとしない貴様等こそ、真の化け物だ。上に伝えておけ。『戸張照真の意思を無視した行為をすれば、貴様等を必ず殺す』とな。これは、DAG山櫛県支部の総意だ」
戸張は、ダンジョンアタッカーとして活動し始めてまだ日が浅い。しかし、彼のひたむきな姿に心を射止められた者は数多い。
特に、DAG山櫛県支部の支部員は、彼と関わる機会も多かった。彼の性格や誠実さを直接味わっていた彼等は、吸魔の墓の配信後の周知会で「戸張照真が東城都へ行った時どの様な事があるか」を真剣に議論し、現在も殺気立っている。
『いや……ちょっ、と待って下さい。DAGの一支部が極東本部の決定に逆らうんですか!?』
「それがどうした。我々は既に心中する覚悟は出来ている。奴を知らない、知ろうとしない貴様等如きに、戸張照真という男の《《真の価値》》が分かってたまるか。寧ろ貴様等全員、照真へ土下座の準備でもしておけ」
それだけ言い残し、ヒビ割れた受話器を乱暴に置く。沸騰した頭を冷やす為、溜め息を溢す。
(流石に怒りに任せ過ぎたか。だが人事不足の今、オレをいきなりクビには出来ないのがDAGの現状だ。お前が思っている以上に味方は多いんだぞ、照真。しかし……やはり東城での味方は欲しい。伝手はあるが、果たして俺の言葉を聞いてくれるか……)
「し、支部長!!」
彼の思考を切る様に、支部員の焦った声が自分を呼ぶ。尋常じゃない声に、思わず身構える。
「どうした」
「と、戸張君の……!」
支部員の言葉を最後まで待たず、医務室へ駆け出す。
(抜かった…!最初から目を付けられていたか!オレを電話で引き止めている間に、戸張を力づくで誘拐する算段だったか!)
普段より戸張や支部員からヤクザ呼ばわりされる顔を悪鬼の如く歪め、医務室へ駆ける。周りの支部員が、彼を見るなり脇に避け、目を合わせない様に顔を伏せていく。
「照真っ!」
何故かドアが開いている医務室へ飛び込むと、そこにはーー。
「そろそろ彼から離れたまえ私を差し置いて妻を名乗る?冗談を言うならもっとユーモアを学びたまえどこぞの至強のリーダーよりつまらないな」
「そちらこそ離れてくれませんかそんな馬鹿力で掴まれた照真さん可哀想アタシが《《女性らしく》》抱きしめてあげますね」
「栄養が全て胸にいった者は哀れだな彼の言葉に勘違いした拗らせ女は何も残せないままさっさと消えろ彼の指に嵌められた指輪が見えないのか?」
「その言葉そっくりお返ししますね形でしか愛を証明出来ないお嬢様アタシの運命の人に変な物付けないでもらって良いですか?アタシは《《初めて》》を彼に捧げてるので」
「なるほど死にたいらしい今すぐ殺……」
「貴様等ぁっっ!!何をしている!!」
戸張を挟む様に二つのブラックホールを叱り飛ばす。戸張は、この騒ぎに気付く事なく眠り続けていた。
(配信で身を晒しているのだから、相応の危機感を持たんか大馬鹿が!!)
羽場による説教3時間コースが決まった瞬間だった。




