第147話 羽場焔那は怪物だった
怪物とは。大多数の第三者の認識する世界の枠外に住まう異物である。
幼少期の羽場焔那にとって、他人とは『自分より弱い存在』だった。
何故これくらいの事が出来ないのか。何故こんなことも分からないのか。何故これ程までに弱いのか。
第三世代の超人として生まれた彼女にしてみれば、大人も子供も大差無かった。やろうと思えば、まるで玩具の如く容易く壊れてしまうのだから。
羽場焔那は、怪物だった。
物事の分別が付く頃、彼女の力は父から受け継いだものだと理解した。
父、羽場童剛は軍人として多くのダンジョンを踏破した、凄腕のダンジョンアタッカーだったという。
子として、そして強者として生まれた者として、強い父に憧れるのは当然だった。自らもまた、ダンジョンアタッカーとなって伝説を残すのだろうなと考えていた。
『初めまして、伽藍堂結城です』
父と共に訪れた、ガーランド・ウェポンズという会社のパーティ。そこで《《本物》》に出会った。
完璧に整えられた容姿。子供らしからぬ深い知性を宿す瞳。多数の見知らぬ大人に群がられても物怖じしない精神力。
そして、『この生命体には絶対に勝てない』と本能に刻みつけてくる様な、分かる者にしか分からない強さ。伽藍堂結城は、全てを持っていた。
自身と同い年である少年に、彼女が無意識に持っていた優越感とプライドは、根底から叩き崩された。
だが、何よりも彼女を傷付けたのは……。
(《《見ていない》》……!)
真っ直ぐ向けられた目とは対照的な、まるで路傍の石ころでも眺める様な、『興味の無い拒絶』だった。
他の人間に対しても同じ。伽藍堂結城という男は、誰に対しても平等に接し、誰にも興味を示さない。
過去の己が周りの人間に抱いた感情を、今度は自分が向けられた。その事実が羽場のプライドをズタズタに引き裂いた。
やがて彼が視界から消え、震える身体と噴き出す汗が収まってきた頃。羽場は誓った。
必ず、奴と同じ場所に立ってみせる。己も、偉大な強者から生まれたのだから。
実力差を理解して尚奮起出来る。羽場焔那は、怪物だった。
『それで?君の子供もスキルを持って生まれたのだろう?実験は大成功、検証は正しかったと立証された。感謝するよ』
『……いえ』
『…………は?』
偶然聞いてしまった内容に、心臓が凍り付いた気がした。
父が話している相手は、よくパーティで見かけた男。ダンジョン関連の研究論文を提出している人物だった。
その男と尊敬していた父が、人目に付かない場所でしていた密談は、彼女の尊敬していた父親像を打ち砕くには十分過ぎた。
『……おい。どういう事だ』
『!?焔那、何故……』
『実験だと?親父、お前……!オレを生んだのは、DAGの実験の為だったのか?お袋と結婚したのは……』
思い返せば、父の家族に対する態度はどこか普通とは異なっていた様な気がした。
撫でてもらった事がない。褒められた事も、抱っこや応援なんてされた事が無かった。
唯一、彼が父親らしい事をしたのは、誕生日のプレゼントだけ。彼に関わる思い出は、『DAGに関係する場所』しか無かった。
縋る様に見つめるが、彼女の父……童剛は視線を逸らし、何も答えない。
それこそ、何よりの答えだった。
『……ふ、ざけるな!オレは!お前の政治の道具じゃない!!見損なったぞ、屑が!』
怒りのままに吐き捨てる。
会場を飛び出し家に戻ると、衝動のままに自身の部屋の物を片っ端から破壊する。特に、父に関する物は原形が分からぬ程執拗に壊し尽くし、嗚咽混じりの慟哭をあげる。
『こんな……クソ!何の為に、オレは……クソックソックソォォォ……!!』
この日を境に、羽場の家庭からは声が聞こえなくなった。
焔那は、悪魔の棲む家から逃げる様に、ひたすら勉学に励み──学力は超人並みではなかった──東城へ移り住んだ。
羽場焔那は、怪物だった。
『おーいた』
『あ?』
ダンジョンアタッカーになって──筆記試験には二度落ちた──数日が経った頃、背の低い男が話しかけてきた。
自分や伽藍堂結城と同い年らしいその男は、数多洸と名乗った。
『喧嘩しよー』
『……いきなりやって来て何を言ってる。やる訳無いだろう』
『あー安心して良いよー。オメーを傷付けずに倒してやるからさー』
『……ほぉ』
額に青筋が浮かぶ。初対面で余りにも舐め腐った態度なのだから、当然だが。
『……条件がある。オレが勝ったら二度と話しかけてくるなよ』
『ヒヒ、良いよー。じゃあ俺が勝ったら後で乾杯なー』
『ああ……おい待て。何故お前も条件を足してくるんだ』
安い挑発に乗せられ、人の話を聞いていない様な態度をする数多に苛立ちながら、フィールドホールに向かう。
『……は?』
『ゲホ、これがスキルかー……なるほどなー』
そして、自分が敗北したと理解するまでに、数秒を要した。未だに自分が転がされている現状が理解出来ず、ボロボロになりがらも立っている数多を見る。
力も、体力も、スペックだって自分の方が明らかに強い。ゴムの如く軟らかいその体に何度も攻撃を当てた。どれもダンジョンアタッカーになったばかりの人間では、到底耐えられない攻撃の筈だった。現に衝撃だけで服が千切れ、皮膚が裂け、血が滲んでいる部分もある。
なのに。
(当てられたのは最初だけ。次第にオレの動きを見切った様に攻撃が……《《通り抜けた》》?馬鹿な。コイツはスキルを殆ど持っていない筈。しかも……)
焔那は己の身体を見る。疲れを感じてはいるものの、その玉体は怪我一つ無い。数多が宣言した通り、彼女は傷一つ負う事なく倒されていた。
外から見える情報だけでは手に入らない、絶対的な両者の差。彼から感じる得体の知れない圧が、焔那の心を打ち崩した。
『同世代にこんだけつえー奴がいるなんてなー。伽藍堂はもっとやべーのかー?楽しみだなー』
『!?おま、伽藍堂結城にも同じ事をしたのか!?』
『あー?断られたけどなー。アイツは挑発しても無駄だと思ったから今は諦めたけどなー』
あっけらかんと話す数多に、焔那は愕然とした。
手が届かない程高い頂で見下ろす存在。彼女でさえ「いつか」を口にして挑戦する事に怯えた存在である、《《あの》》伽藍堂結城に喧嘩を売るなんて、余程の馬鹿か、想像を超えた傑物でないとあり得ない。ずっとそう考えていたからだ。
同時に、どこか納得する自分もいた。自分は、数多程の覚悟など持っていなかったのだと。才能に胡座をかき、死に物狂いで努力する人間の強さを知らなかった。故に負けたのだと。
目の前の男は、焔那や伽藍堂でさえ持ち得ないだろう強さを、その小さな体躯に宿していた。
完敗を認めるしかなかった。覚悟、信念……強くなりたいという想いの強さを、こうして見せつけられてしまったのだから。
『……クソ、オレの負けだ。だが今回だけだからな。次は、勝つ』
『おー、じゃあ行こうぜー。丁度もう一人も呼んでるしなー』
『は?おい、まさかオレに勝つ前提で呼んでた訳じゃないだろうな』
先導して歩き出す数多にチンピラの如く絡んだ後、彼女は忌まわしき天敵と再び邂逅する。
そうして、数多を中心とした──恐らく、伽藍堂結城も同じ事を思っていた──結城世代はあらゆる面で注目を浴びることとなる。
『伽藍堂君って彼女いるの?良かったらこっそり聞いてもらえないかな』
『ああああああ!!クソ!数多に負けた!!ふざけやがって!何なんだよアイツ!?』
『マナ臓?伽藍堂が見つけたのか?DAGのお偉いさんが直接声かけに来るってよっぽどだぞ』
『数多って強くなりたいって言う割に何で武術ばっかしてんの?人に当たらず、ダンジョン行けば良いじゃん。言ってる事とやってる事が支離滅裂だろ』
『伽藍堂君に指導してもらえないかなー。羽場さんも一緒に行く?』
『数多コラァ!出てこいや!!道場破りや!達人のスキル持ってんのはオドレだけと思うてんちゃうぞ!』
『伽藍堂が──』
『数多は──』
『………………』
羽場焔那は……怪物、だった。




