第146話 かけるモノ・かけられるモノ2
目の前に杯が二つと、封の開けられていないラベルの無い酒瓶が三つ置かれる。
酒と杯を持ってきた女将が一礼し、「何かあればお呼び下さい」と言って襖を静かに閉める。
「ここは財界の著名人が使うだけあって、食材は全てダンジョン産の物が使われています。これもその一つ、ダンジョン『酒利城』のコアモンスターからドロップしたブラン酒という酒です。この酒の面白いのは、同じ名前なのに、一つ一つの度数や味が全く違う事です」
酒利城は、酒好きのダンジョンアタッカーには有名なダンジョンである。難易度は三つ星だが、このダンジョンはかの有名なエロトラップダンジョンと同じく年齢制限が課されている。
何故なら、このダンジョンの素材は名前に違わず全て酒関連の物だからだ。故に、このダンジョンしか潜らないダンジョンアタッカーもいたりする。
「……ブラン酒は知っている。飲んだ事はないがの。それで、この酒を飲む事が賭けというわけか?」
「ええ。酒の席ですから、変に趣向を凝らすのは面倒だと思いまして。シンプルに、三つのブラン酒からそれぞれ一つ選び、飲む。また新しいブラン酒を持って来てもらい、再び選ぶ。これを繰り返し、先に眠ってしまった方が負けというのはどうでしょうか。勿論、スキルの使用は禁止で」
「……成程、な。余興にしては贅沢だが、面白い」
内容を聞いた伝承者はは、特に考える素振りを見せることもなく、杯を無造作に取る。
「……受けよう。お主からの誘いを」
「……よろしくお願いします」
杯を軽くぶつけ合い、静かに勝負が始まる。
空気がやや硬くなったが、賭け自体は緩い。昔話を肴に、出される料亭をつまみに、自分で選んだ酒を飲む。それは変わらなかった。
金城も思わず酒が進む。己の策は既に成り、後は結果を待つだけなのだから、先程までの緊張が嘘の様だった。金城にとって、これは正しく勝利の美酒だった。
「あれだけ無口だった先輩がここまでお喋りだったとは……人生、何が起こるか分かりませんなぁ」
「……そうだな。儂も、お主が《《ここまで出来る》》とは思ってなかった。それが嬉しく……少し、哀しい」
ピタ、と。箸を動かす手が止まる。
褒められる事は何度もあった。しかし、何故彼が嬉しくなっているのか、そもそもその褒め言葉が何を指しているのか分からず、伝承者を見る。
「……金城、お主は賢い。堅実に謙虚に、しかし己の通せる我だけは通すやり方は、第一世代と呼ばれた儂らには出来ん事じゃった」
「はぁ……」
「……じゃが、何事も『越えてはならぬ一線』というものがある。お主はそれを踏まえておると思っていた。今の、今まではの」
「……は、はは。ははははは!」
金城が笑う。睨み付けてくる相手を気にする風もなく、唯嗤う。
「世間は知らないのです。近年の目覚ましい発展は、DAG無くしては……ひいては、我々なくして今日までの安寧は無かったと。知ろうとしない連中から蜜を搾り取る事が、先輩にとっては罪なのですか?」
笑うしか無かった。よもや自分と同じく汚れる事に抵抗の無い男から、まるで人を慮る様な言葉が出た事が。
『自分はまだ汚れてない』と、まるで自らを潔白だと主張するような静かな声音が、無性に神経を苛立たせた。
「貴方が私を訪ねてきた理由も分かっています。もうご存知なのでしょう?『牙』の事は」
「……お主からその話題を出すとは。しかし──」
「ならば理解出来る筈だ!この国でDAGが地位を得るには、この国が力を付ける為にはあらゆる犠牲が必要だと!貴方方第一世代が命を懸けても成し得なかったダンジョンの素材回収……それがこの国で安定して出来るようになったのは、第二世代以外に《《私が創り上げた》》『牙』がいたからだ!!私がここまでどれ程苦労したかも知らず、突然横から先輩風を吹かし、あまつさえその私から利益を掠め取ろうとしている!これ以上の侮辱があるか!!」
酔いのせいなのか、それとも老化現象の為か、一度吐き出された言葉は留まることを知らない。
溢れた感情が肉体を支配し、呼吸が荒くなる。力任せに叩いてしまった机を酒が濡らす。
それでも、伝承者は表情一つ変えない。ブラン酒を飲み、大きく溜息を吐く。
「……誰が大義の話をした。別にお主を責めるつもりはないし、そんな気色の悪い利益などいらんわ」
「……は?今更何を──」
「……儂は、こう見えて情に厚くての。お主がしている事を知った上で、それでもどこか信じておった。利益と友情を天秤にかけられる……そんな事はしない、とな」
金城が言葉を発しようとした瞬間、視界が傾く。
机に顔を打ち付ける金城が見たのは、伝承者の手にある金の装丁が施された分厚い本。
『安虚危資』。彼の代名詞と言える、本の形をしたスキルが、いつの間にか眼前に顕現していた。
「な、に……」
「……タス・ナトプの永眠薬か。それを盛っているとはな。《《だから事前に解毒剤を飲んでいたのか?》》」
「!?ぁ、ぇ……」
「……一目見た瞬間、お主が何かしかけようとしているのが分かった。だから、『胃の中の物を全て入れ替えさせてもらった』だけじゃ。お主が賭けを持ち出す前よりな。しかし、どちらの杯にも細工をするとは、随分大胆になったものじゃ」
瞼が急激に重くなる。同時に、身体からあらゆる力が抜けていく。全てを投げ捨て強制的に眠りに誘う死神が、金城の全身を包む。
口を動かすのも億劫になりながらも、唇を血が出る程噛み締め、痛みのシグナルで死の眠りに抗う。
「な、ぜ……わらひは」
「……力はあらゆる人間をあらゆる形に変えてしまう。以前のお主なら、儂に賭けなど挑んで来なかった。儂の周囲を調べ上げ、料亭を貸切にし、従業員まで金を握らせ、公安を配備すれば何とでも出来ると思ったか?お主の好物の《《ハム》》は、既に儂の仲間に譲ったわ」
「!!そ……やだ……」
「……駄々をこねるな。責めるつもりは無いと言ったぞ。《《既に見限っておるのだから》》。それで……勝った方は何でも命令出来るんだったな」
金城の視界が黒く染まっていく。心臓の鼓動が弱くなっていくのを感じ、己の命の終わりを理解させられてしまう。身動きの取れない体に、恐怖がじわじわと這い上がってくる。
ゆっくりと死んでいくかつての友へ、伝承者は顔色一つ変えずに告げる。
「……そうだな。地獄で自分の足でも舐めてこい。そうすれば、少しは情けをかけられるかもしれんぞ?」
「…………東城。D災以来か」
「お久しぶりです。招待に応じていただき、ありがとうございます」
「ああ。お前から連絡が来た時は驚いたが……一体何の用だ?」
「勿論、貴方に内密のお話があるからですよ。羽場童剛さん」




