第134話 金の糸で縁を紡ぐ
戸張が配信を始めた頃。
DAG極東本部の対になる様に聳え立つ、巨大な建造物。
ダンジョンアタッカーどころか、現在は一般人でさえ知らぬ者はいない、ダンジョンに関する全ての事業を請け負う一大企業、ガーランド・ウェポンズ本社である。
軍需部門・研究部門・建築部門等、数多くの区画が居並ぶ施設の中を、羽場焔那は歩いていた。
十基あるエレベーターの一つに乗り込み、ひたすら上に昇っていくのを目を閉じて待つ。降りた階層に数多く並んでいる部屋の一室に辿り着くと、ノックもせずにドアを開けた。
「……随分と仰々しい場所に呼びつけてくれたな」
「ここなら《《気兼ねなく》》話せるからね」
会議室に使われる様な部屋に一人でいた男、伽藍堂結城は笑みを崩さず、彼女を椅子に座る様に促す。
室内がピリピリとした緊張感で満たされる中、伽藍堂が口を開く。
「羽場さん」
「まずはその薄ら笑いをやめろ。気持ち悪い」
「……そうだったね」
伽藍堂の雰囲気が変わり、羽場の全身が総毛立つ。
数年前、彼等が縁を絶つキッカケとなった時。数多洸を切り捨てた際に初めて見せた、目も鼻も全てが存在しないかのようなのっぺらぼう。
体裁を保つ為に貼り付けている完璧な笑み。それを外した《《本来の》》伽藍堂結城が、そこに現れた。
「まずは謝罪させて欲しい。僕達が袂を別ったあの日の事を」
「ハッ!何を今更。お前があの時……」
憎しみを越えて殺意すら籠った声が、次の伽藍堂の行動で途切れる。
彼は、あろうことか羽場の目の前まで来て、土下座していた。
「何も言えなくてごめん。守れなくてごめん。僕の都合で全部……コウも、コウが作ってくれた関係も壊してしまった。ごめんなさい」
「………ッ!」
「今から全部話す。僕の事を好きに詰るのは、その後にしてほしい」
その言葉の後に吐き出された、あの日の真実。
他人を信じたくなくなるような、大人達の醜い勢力争い。無関係だった数多がそれに巻き込まれ、尊厳も、居場所も、命すらも奪われた事。
全て語られた時、羽場は椅子から立ち上がる事すら出来なかった。
様々な感情が噴き出して止まらない。DAG上層部への殺意、隠していた伽藍堂への怒り、何より《《それらを何も知らずに日々を過ごしていた自分》》への失望。
脳が理解を拒否しようとし、肉体が縛られたかの如く重くなっていく。ようやく紡いだ声は、力無く震えていた。
「なぜ……何故、言わなかった………!それを知っていれば、オレは……オレ達は…!!」
「理由は二つあった。一つは、コウが駄目だと判断された場合、次に狙われる可能性が一番高かったのが君だったから。だから距離を置く為に、あの日全てを伝えなかった。もう一つは──《《君のお父さんにこの情報がいかないようにする為》》」
「!!!!!」
「僕の知る羽場童剛という人は、最終的にDAGの利益になるなら、進んで計画に参画する。君や周囲の人間を通じてコウの件を知り、その争いに加わる可能性を考慮した。その場合、君とも明確な敵対関係となってしまうことを恐れた」
無意識に血が滲み出る程、強く歯噛みする。
伽藍堂の言葉は正しい。羽場焔那の知る父、羽場童剛も《《そういう男》》だったからだ。自己ではなく、あくまで全体の利益としてならば、多少の犠牲を惜しまないだろう。それがDAGという、自身の古巣から生まれた組織であるなら尚更に。
それを理解してしまい、全身が悔しさで震えるのを抑えられなくなる。
「全て、僕の身勝手が原因で起きた事だ。コウにも羽場さんにも……嫌な、最低な思いをさせた。本当に……」
「やめろ!!」
ボヤける視界で、自身の前に隙を曝け出すかつての友。
「謝るな、伽藍堂……もう、やめてくれ」
ライバルとして見上げ、友として諍い、敵として憎みすらした。
そんな男の取った行動の真意を汲み取れない程、彼等の因縁は浅くなかった。
「悪かった。お前独りに背負わせて……数多洸の死をお前のせいにして……逃げてしまった。オレが……オレは…!
最低なのは、オレだった……!!」
あの日に誓った決意。誰にも頼らない強さを手に入れようと心に定め、自らに禁じた感情の奔流。
「すまなかった…!お前に全て押し付けておきながら、オレは……」
『二度と泣かない』と決めていた彼女の瞳から、涙が溢れ出す。拭っても拭っても堰き止められないそれは、彼女の手首を濡らしていく。
伽藍堂が目を丸くさせている事にも気付かず、羽場は数年間貯め込み続けていたその熱をひたすらに感じていた。
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「………見苦しい所を見せたな」
「お互い様だね」
軽口を叩き合う彼等の間に、最早剣呑な気配は無い。今まで言えなかった心の蟠りが解消され、隠していた言葉が自然と出てくる。
しかし、伽藍堂の語られた謝罪の内容を無視する訳にもいかなかった。気を張り詰め直し、伽藍堂と向き直る。
「あのクソ親父め。いなくとも面倒を引き込むとは、上層部もさぞかし使い辛かっただろうな」
「それ程影響力があった証拠さ。だから君も、戸張君を警戒してたんだろう?」
「……当たり前だ。あの男が急に他人の後見人になった挙句、ソイツが東城に来たんだぞ。配信をしていたのは知っているが、裏があると考える方が自然だ」
「それで?一緒に生活してみた感想は?」
羽場は黙り込む。そして、戸張の監視を任された時を思い出す。
『今からくる人間は、人の姿をしたモンスターの可能性がある。不審な気配を見せた場合、即座に捕縛、それが出来なければ殺害せよ。今回の事例は罪には問われない』
DAGの研究員、その更に上の席に座る人物から打診された内容。
何故彼等が自らの手でやろうとしないのかは気になったが、その時の羽場には戸張の後見人として父の名があったという苛立ちが勝っていた。
その時の事を思い出し、自嘲気味に笑う。
(今思えば、それも上の奴等が自分の手を汚したくなかったからだろうか)
「……初めて会った時、オレは戸張照真がクソ親父から何か吹き込まれて東城に来たものだと思っていた。だが世話を焼いている内……」
『羽場さん、アレルギーはありますか?いや苦手な食べ物じゃなくて。ちゃんと野菜も摂って下さい』
『下着は裏返しで洗濯機に入れないで下さい。見られるのが嫌ならちゃんと自分で片付けるように』
『今日はジャガイモが安かったので肉じゃがにするつもりです。はい?だからって酒をいつもより多く買って良い訳ないじゃないですか』
『別に部屋ではどんな格好でも良いと思いますけど、裸族なのは寝室だけにしてくれません?』
『羽場さん?』
『羽場さん!』
「…………世話を!焼いている内分かった。アイツは善人だ」
「どうして二回言ったのかな?」
「ともかく!アレは企みなど出来んタイプだ。あれが全て演技ならば、寧ろ賞賛するがな」
伽藍堂の言葉を強く遮るその頬には、涙とは違う赤みが差していた。
伽藍堂は苦笑しながら、話を進める。
「分かったよ、ありがとう。何はともあれ、彼の誤解と疑念が晴れて良かった」
「フン、珍しいな。お前がそこまで他人を……それも一度しか会った事のない奴を気にかけるとは」
「彼には《《色々》》あってね。今後彼の周囲はもっと騒々しくなると思うから、良かったら彼を助けてあげて欲しい」
「………まあ良いだろう。だが、お前との罪滅ぼしにしては安すぎる。もう一つ条件を加えさせろ」
「別に構わないけど……何かな?」
羽場の空気が変わった事に気付き、空気がひりついていく。伽藍堂が目を細め、その心を見透かさんと羽場を射抜く。
その視線に動じず、羽場は椅子に深く座り直した。
「仮に……仮に羽場童剛が、数多洸を殺した連中と繋がっていたら、オレがアイツを裁く。それはオレなりのケジメだ」




