第127話 卑きメイドに新たなジョブを1
鏑矢宗達が目を開けると、見慣れぬデスクがあった。
身体は椅子に座って……否、縫い止められている。立ち上がる事は出来ないが、それ以外の自由は許されている。
それを確認し、何故自分がここにいるのか記憶を辿る。
(昨日の朝はいつも通りに家族で飯を食べ、待たせていた車に乗り込み、ずっと外回りをしていた。夜は帰りが遅くなると伝え、側近と飲み会して……そこから記憶がない。何が……)
「お目覚めですか、鏑矢様」
耳馴染みのない声が耳朶を打つ。視界の端から、女性が現れた。
艶やかな黒髪を団子に纏めた、クラシカルスタイルなメイド服を纏ったメイドだった。
異常な状況に似つかわしくないその美しいメイドは、優雅な所作で一礼する。
「……誰だ?何故」
「お言葉を遮り、申し訳ありません。多くの疑念があると思われますが、まずは私の言葉に耳を貸していただきたく」
有無を言わせぬ強い口調。身体から放たれるその圧は、一介のメイドのものではなく、《《壁を超えた》》ダンジョンアタッカーが纏うソレと同じ匂いを感じ取る。
生殺与奪を握られていると理解した鏑矢は黙し、相手の出方を伺う。
「感謝致します。鏑矢様は取締役として、DAGにおける人事及び関係機関との連携を密に行うお仕事に従事されていらっしゃる事は、ご自身で理解されている事と存じます」
「………」
「その仕事の中で、政府、警察、DAGの運営する非公式遊撃小隊『牙』に関する人事をされていますね?YESならば首を縦に、NOならば横にお振り下さい」
鏑矢は静かに首を横に振る。
その瞬間、全身を虫が一斉に這い回る様な苦痛が彼を襲った。
「グ、がああああああああ!!?」
「言い忘れましたが、返答には気を付けた方が賢明かと。私、只今《《ムシの居所が悪い》》ので、嘘を吐かれてしまったら……悲しみで、加減出来そうにありません」
「い、イエス!イエスだ!!」
想像を絶する苦痛に耐えかね、鏑矢は首を縦に振る。すると瞬く間に痛みは引いていき、じっとりと湿ったシャツと拘束具の気持ち悪い感触だけが残る。
「ハァ…ハァ…!ふ、ふざけるな!これは拷問だぞ!?こんな取り調べは無効だ!お前が何を握っているか知らないが、私にこんなーー」
「何か?」
先程とは比べ物にならない悪寒と恐怖が、鏑矢の全身を貫く。
「鏑矢様、もしかしてご自身が今まで犯した罪を覚えていらっしゃらないと?死刑囚を率い、邪魔な人間を排除し、都合の悪い事を揉み消し、現在の地位を確立された事は、自分が拷問されるに値しないと?そう仰るのですね?」
虫でも見る様な冷たい眼差しが、鏑矢を文字通り見下していた。温度の無いその瞳を向けられ、氷漬けにされたかの如く全身の熱が引いていく。
「ヒ……」
「私……失礼、我々は鏑矢様含むDAGの上層部の全ての悪事、及びその証拠を握っております。
皆様、いかにも《《腹のムシが治らない》》といった風情で……本来ならば、既に鏑矢様の首は胴体と泣き別れしていてもおかしくない状況であることを、ご理解いただきたく」
「……よ、要求は何だ。私を生かしておいたのは、何かして欲しい事があるからじゃないのか」
なけなしの胆力を千切れんばかりに振り絞り、言葉を発する。するとメイドは、嬉しそうにその瞳を三日月に歪めた。
「流石は鏑矢様、私の言葉を先回りしていただき、その慧眼には感服するばかりにございます」
「……政府が秘匿してきた情報がどこから漏れたかは、この際問わない。私が叶えられる限りの望みは叶えよう。その代わり…」
「鏑矢様と、鏑矢様のご家族には手を出すな、等と《《ムシの良いこと》》でも仰るつもりでしょうか」
「……つ、都合の良いことを言っているのは分かっている。しかし私と違い、妻や子供達は何も知らないんだ。家族だけには危害を加えないで欲しい」
無言。物理的に潰されてしまいそうな程のプレッシャーが、鏑矢を襲う。
永遠にも感じられたその数分は、唐突に笑いを零したメイドによって終わりを告げた。
「ご安心ください。他の方と違い、私は無益な殺生を好みません。鏑矢様に置かれましても、私の個人的な要求を呑んで下さるならば、《《殺しを含む全ての無意味な加虐行為は決して致しません》》」
「……そ、その言葉を裏付ける証拠は」
「我々はDAG上層部とは違う。それだけで充分でしょう?」
会話が通じる事にやや安堵し、鏑矢は必死に思考を巡らせる。
要求の難度は、誰を売るべきか、自分が生き残る為には。ありとあらゆる手段と考えうる限りの妥協案を模索しながら、口を開く。
「……お前の」
「『亜継』とお呼びください」
「……亜継。これはお前達の組織の考えではなく、お前個人の判断で私を生かそうとしている。そうだな?」
「その通りにございます。反対に、鏑矢様が私の願いを聴き入れる度量が無いと判断した場合、即刻我が《《友人達》》にでも身柄を引き渡そうかと」
それを聞き、自身の生存率を再計算する。
亜継が殺意を解き放ったのは、鏑矢が間違いを認めようとしなかった点と、鏑矢の罪について。それ以外では、表面上は融通がそれなりに効く。
加えて、これ程裏社会に通じ、強いダンジョンアタッカーがいる組織に付けば、急造の牙に護られるより遥かに安全である。ならば、『かつての仲間』を裏切って余りあるメリットがあるのでは。鏑矢はそう結論付けた。
「……分かった。お前の望みを叶えよう」
「賢明な判断ですわ」
亜継は、先程までのプレッシャーが夢であったかのような柔らかい微笑みと共に、優雅な一礼を返した。
これからが本当の地獄の始まりとも知らずに、鏑矢は自身の生存率が僅かに上がったことに、そっと胸を撫で下ろした。




