第109話 死ぬまで毒を飲め
『虐められるのが嫌だった』。それが武術を始めたきっかけだった。
子供は残酷だ。無邪気に自己と他者を比べ、少しでも外れ者がいると寄ってたかって的にする。
他の子よりチビ。その程度で、少年は虐めの標的にされた。それがたまらなく嫌で、強くなって彼等を見返したかった。唯それだけの理由で、子供用の空手教室に通い始めた。
(これだけじゃダメだ。またイジメられる)
少年はそれなりに聡かった。周りの子達と同じ事をしても、結局何も変わりはしないと。小さな体躯と武器で大きな相手に挑んだところで、フィジカルでゴリ押しされて負ける。同じ教室に通っている子と自分の体を比べて、彼は幼いながらにそれを理解していた。
そして始めたのが、『克己の心を説く道』ではなく『理合で相手を制する術』だった。
(おーすげ。人ってこんなふうにできるのか)
少年が初めて目にする武術は、人体の持つ可能性を引き出す宝箱だった。敵の急所や死角を的確に狙い、無駄の無い動きで仕留める。理合と呼ばれるその合理性の塊は、正に少年の理想であり、その美しさに魅了された。
(これだ。俺のすすむ道は)
『体を鍛えるのも良いけど、勉強は大丈夫?皆より賢くなれば、馬鹿にされる事も無くなるのよ?』
身体を鍛える事を、最初は両親も賛成してくれた。しかし小学生になり少し経った頃に気付いた。彼が強くなっていく程、両親が『ソレ』を口にする事に。
『貴方はパパとママに似て賢いから、分かるわよね?社会で活躍出来る人が一番強いのよ』
まるで《《自分達こそが正しいのだ》》と言わんばかりの両親の悪意の無い言動に、彼は歪な悍ましさを覚えた。
そして『ソレ』を打ち払う様に、少年は更に武術を磨いた。
(誰にも文句を言わせないくれー強くなれば、親も認める筈だ。俺の進む道は間違ってねーと)
その日を境に、少年の世界は狂い始める。
《《最初からそうなる事が決められていたかの様に》》、彼の人生は『ソレ』に満たされていく。
(親はどっちも身長が低い。フィジカルに期待出来ないなら内側を強くするしかない。身体作りに最適な物は全部摂ろう。味はどうでも良い。いっそ全部ミキサーにかけて飲むか)
『身体じゃなくて頭を鍛えなさい。そんなので将来食べていける訳ないでしょ』
(指先まで神経を巡らせ、自身に流れる気を感じる……これだけじゃまだ足りない。気の流れを掴むには、もっと多くの武術を学ぶべきだ)
『社会で役に立つのは学力だ。身体を無駄に強くしたところで役に立たないぞ』
(ゲーム……格ゲーのキャラの動きは使えるかもしれない。クレーンゲームやシューティングゲームは体性感覚を鍛えれる。武術の幅をもっと広げられるな)
『いつまでそんな事するつもりなの。どうせ社会で暴力なんて使わないんだから、いい加減辞めなさい』
(プロレス……話術か。語尾を普段から伸ばしてスローペースを作っておけば、攻撃のテンポを狂わせられるかもしれない)
『勉強を疎かにするつもりなら、もう道場に通わせないからな。テストで一位を取れなかったらもう武術なんて辞めるんだ』
応援などされなかった。寧ろ彼が努力すればする程、『ソレ』はより醜さを増して襲いかかってくる。
両親は『成績』という目に見える結果にしか興味を持たず、少年が必死に打ち込んでいる事など眼中に無かった。次第に彼等の少年を見る目つきは、呆れから疎ましさへと変わっていった。
(……俺は間違ってねー)
武術が無駄だと言うのなら、武術を活かす場所があれば良いのだ。そう考えた彼が、DAGの資格試験を受けるのは必然の流れだった。
『何度言ったら理解するんだ!《《少し武術を齧った程度》》で、体格の小さいお前が勝てる訳ないだろう!』
『ダンジョンアタッカーなんて力に自信のある人だけがやってれば良いじゃない!貴方の将来を思って言ってるのに、どうして私達の言うことが聞けないの!』
容赦なく『ソレ』をぶつけてくる、顔を醜く歪ませた大人達。彼等にとっての子供とは、自分に都合の良い人形であると気付くのに、そう時間はかからなかった。
彼等は自分を悪人扱いするように『ソレ』を吐き出し続け、青年の心を侵食していく。
『学費だけは払ってやる。道場の月謝や生活費は全部自分で稼げよ。一つでも成績を落とせば、武術なんて辞めてもらうからな』
(……ざけんな。何が間違ってるってんだよ)
ダンジョンアタッカーとなった彼の前に現れたのは、人の形をした怪物だった。
伽藍堂結城、羽場焔那。マナを吸収する事で獲得出来るスキルを最初から持って生まれた、正に超人。
そんな彼等は、やはり周囲から浮いていた。特に伽藍堂はその超人ぶりを遺憾無く発揮し、他者を寄せ付けない威圧感と風格を漂わせていた。
(コイツらに認められれば、武術にも価値を持たせる事が……俺の道は間違ってなかったと、証明出来るんじゃないか?)
無意識に身体が動いていた。彼等の行動には、自分と同じく『目的』が存在している事が分かったからだった。
同い年で、それぞれに目的を持った者同士。だからこそ、分かり合えるんじゃないかと思った。超人である彼等になら、自分が見ている道を……『運命によって決められた様な世界』を理解出来るのではないかと。
『何故わざわざ武術を掛け持ちしてるんだ。おまけに系統は全部バラバラ、何がしたいんだ』
『武術を修める時間を、もっとダンジョンアタックに割けば良いのに』
彼等から来たのは、そんな言葉。
分かっていた。単に強くなりたいだけならば、ダンジョンアタックすれば良い。マナを吸収しスキルを多く獲得すれば、それだけで常人の数倍以上に強くなれるのだから。彼等は何も間違っていない。《《わざわざ武術に固執する必要など無い》》。
彼等の『ソレ』は正しく、青年は何も言い返せなかった。
(……俺が間違ってる、のか?)
『チッ……自慢かよ。ウザ、一人でやってろよ』
『はぁ?何で鍛錬にそんな時間かけんの?ダンジョン行けよ、邪魔すんな』
『地道な鍛錬よりレベルアップした方がすぐ強くなれるじゃん。ばっかみてえ』
DAGには、武術をスキルに昇華した者も多くいる。彼等は自分と同類だと思っていた。しかし、何故か自分に向けて飛んでくるのは『ソレ』だけ。彼等は、幾つもの武術をスキルへと昇華させた青年を奇異な目で見るばかりだった。
(……俺の、俺の進んできた道は……)
『一笑万力…?何だーこれ』
ある時、エクストラスキルを得た。
そのスキルは『笑う事でステータスを強化する』という、青年にとって《《理想的な》》スキルだった。
そのスキルの効果を確かめる為に潜った四つ星ダンジョンにて、青年は。
『……は?』
かつて、やや手こずりながら倒したコアモンスターが呆気なく死んだのを見て、絶句した。
『………』
青年はそのままダンジョンの奥へと潜っていく。少し笑い、手を振り、脚を出せば、三つ星ダンジョンアタッカーでさえ苦戦するコアモンスター達が容易に屠られていく。
それを見て、青年は
『……ヒ、ヒ。すげー……なー……』
(たかが笑うだけで、こんな簡単にモンスターの身体を千切れるのか)
『このスキルがありゃ、伽藍堂にだって勝てるんじゃねー?』
次々と現れるモンスター達を、楽にあしらえる。《《特別な構えなどせずとも》》、《《理合を突かずとも》》、笑うだけで相手の肉体が爆ぜる程の圧倒的な力が手に入る。
そして、最奥にいるボスモンスターを軽々と仕留めた後、青年は立ち尽くしてしまった。
『……そーだよなー。強くなるのが目的なら……もう叶ってん、だよな……こんなに力がついたんだから』
(そうだよ、分かってただろ。ダンジョンアタックすれば、超常の力を手に出来るって。何も間違ってねー。間違えてんのは……)
自分自身に言い聞かせる様に、喜んで見せる。だが、自分を納得させようと言葉を並べる程、何故か身体の力が抜けていく。
『ヒ、ヒっ…… よかったじゃん。そーそー、これでもっといろんなことできんだからさー。わらうだけでちからがつくんだから……』
(笑え。笑え笑え笑え笑え笑え笑え。形だけでも笑えば、強くなれんだぞ。《《俺が何年もかけて積み上げてきた武術なんか》》、一瞬で……)
『……ぁ』
とうとう思ってしまった。考えてしまった。
他人にずっとぶつけられてきた『ソレ』が、遂に自分自身から出てしまう。
『…………何でだよ。武術なんて時間の無駄だろ。強くなれただろ……!もう鍛錬する必要なんて……ヒ…!!』
(そうだ。無駄だったんだ、全部。俺の進んできた道は、全部……全部間違いだったってだけの話だろ。笑える話じゃねーか。《《何で泣く必要があんだよ)》》)
幼い頃から心を蝕み続けてきた『否定』という猛毒。それを飲み下した末に、彼は《《念願の力》》を手に入れた
『ヒ、ヒ…ガ……グゥヴヴヴヴヴヴッッ……!!』
代償として、彼の心は死んでいた。




