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10回目こそは。

はっとして目を覚ました先は、何度も見覚えのある薄暗い天井と、埃とカビの匂いが充満するシーツの上だった。


無言で胸元を触る。


ぺちゃんこの胸に、貫かれた時の熱さの記憶が蘇り、息を飲む。


(毎度のことだけど…胸を突かれるのは慣れない感覚だわ。)


小さく短い息を何度も吐き出し、呼吸を整えてからベッドをそっと降りて、窓もない部屋の中をウロウロと歩いた。


「10回目がスタート。」



私はこの人生を繰り返している。


それは推定7歳の朝から始まり、17歳の夜に終わる。


たった10年間の人生だけど、10回目ともなると流石に飽きて来るものだ。


そして、何度死んでも慣れない感覚に恨みを覚える。


(神なんて、結局貴族と同じ『勝手な偽聖者』だわ。大嫌い!)




はっとして、今やるべきことを思い出す。


そっと床に耳をつけ確認すれば、遠くから近づいて来る革靴の足音が二人分だと分かる。


(来た)


またあの声を聞くのかと思うと虫唾が走るが、そうも言っていられない。


(ここで死にたくても、どうせ死ねないのだし。少しでも長く生きるため足掻くしか方法がないのよ。)




ガチャガチャ・・・バタンッ!!


「クロ!出ろ。」


雑に施錠を解かれたドアを開けて顔を見せたのは、この邸の主とその従者だ。


見飽きるほどに見てきた二人の男を見上げる。


でぷっとまるで雪だるまのような体型の、全身脂ぎっているその男、ハマード伯爵に私が買われたのは2年前。推定年齢5歳の冬だった。


それからずっとこの納戸の地下室に隠され飼われてきたが、これから彼の愛娘『アイリーン』の元に差し出されるその日の朝だ。


ヒステリックで我儘なアイリーン・ハマード伯爵令嬢の奴隷兼メイドという形で仕えることになる。


表向きはメイドだが、その実は彼女の玩具(おもちゃ)だ。


この伯爵邸の面々に(なぶ)られ、犯され、弄ばれ…それでも死には及ばず、絶望しかない日々を生きる。


(そもそも、私の身体って案外丈夫なのよね…。)


10年後、ハマード伯爵がとんでもないことをやらかし、隣国を怒らせてしまい、攻め込まれる。


王都から遠い辺境の地であることも災いし、ハマード伯爵の自業自得であることを理由に自国からも見捨てられる領地は火の海と化す。


そこで私はやっと死ぬ。


…これが大筋だ。


過去9回とも同じ生き方をしてきたわけではないので、勿論、細かい部分に違いはある。


だが、どう生きても、足掻いても…結局、私は17歳で死ぬ。


あの人に殺される形で。


一瞬、金髪に青い目の私の胸を貫いた彼の苦しみに歪んだ顔を思い出し、胸がチクリと痛んだ。




どうすれば平穏に生きられるのか…。


9回の失敗が脳裏を過ぎり、奥歯を嚙み締めた。




(とりあえず、この場をさっさと終わらせよう。)


「喜べ。お前をここから出してやる。」


ハマード伯爵の幾重にも重なった顎なのか首なのか分からない顔が愉悦に歪む。


見下ろす目がいかにも『独善的』すぎて反吐が出るが、不必要な感情を捨て去り私は『無』になる。




「ありがとうございます、旦那様。では、お邸に入れるように、すぐに身を清め、衣服を整えて参りますので、着替えはそこに置いておいて頂けますでしょうか。従者の方がついていてくださいますから、私は逃げられませんし、そのような気もございません。どうぞ私に張り付いて見張っていてくださいませ。」


一気に相手が言おうとしていたことを口に出し、一礼を取る。


指示を出すまでもなくこれからやることを報告した奴隷に、呆気に取られ一瞬ぽかんとした表情をしたハマード伯爵だったが、時間が惜しいようで「ふんっ」と鼻を鳴らし、従者を置いて邸に戻って行った。




ここは伯爵邸の庭の北の外れにある物置き倉庫。

うっそうと茂った林の中にある場所で、邸の使用人すらも近寄らない。

その倉庫の地下に私は2年間隠されていた。


伯爵と従者のリューク以外は、今日まで私の存在を知る者はない。




薄暗い階段を上って外に出れば、案の定というべきか…記憶通りというべきか。


まだ時々北風が木立の間を吹き抜ける季節。

昼間とはいえ、北の外れはやっぱり肌寒い。


(雨が降っていないだけマシね。)


厚い雲に覆われた、曇天の空を見上げる。


ここで身を清めないことには始まらないのだから、仕方がない。




倉庫の掃除用に作られたのだろう井戸は、長い事使われていないらしく、動きが鈍い。


力を込めてロープを引っ張っても、中々上がってこない桶に、手のひらが痛くなる。


やっとの思いで汲み上げた水の入った桶を見つめ、覚悟を決めて頭からかぶる。


一瞬にして身震いが起き、鼻水が止まらなくなる。


(今夜は風邪をひいて熱との闘いになるわ。)


意識が遠のきそうになるのを、気合いで耐え抜く。


手足は寒さで感覚を失い始めるが、体中に染み付いた埃やカビの臭いが消えるまで冷水を浴び続け、その様子を呆気に取られた様子で見ている従者に声を掛けた。


「その布…」


従者が手に持つ布を指し示せば、彼ははっとしたようにそれを手渡してきた。


(この男はいつだってハマード伯爵の手足だった。絶対に油断をしてはダメ。)




7歳の小娘の身体は、貧相な上に血行が悪い。

その上、寒空の下、堂々と全裸になって水を浴び続ける子供を『普通』とは到底言えないだろう。


(私の背中に焼き付けられた『奴隷印』がある時点で、私は普通ではないのだけれど。)


従者から受け取った布を寒さで真っ赤になった身体に巻き付け、部屋に戻る。


部屋のベッドの上に置かれた着替えを手に取り、身に着ける。


既に手足の感覚はほぼ皆無だ。


かじかむ手先を何とか動かして、小さなボタンを留めていく。


その間も、リュークはじっと私を監視しているようだった。




ハマード伯爵邸のメイド服。


もう何度も着た物だけに、センスの悪いデザインのそれに袖を通す。


サイズが少し大きいのも記憶通りだ。




それから、腰まで伸びた黒い髪を器用に一つに纏め上げて、メイド帽をかぶった。


これから私は我儘令嬢アイリーンの玩具として召し上げられる。


アイリーンから受ける日々の理不尽な体罰に耐え続け、15歳を過ぎたら伯爵から処女も奪われる。


そのことを使用人たちの噂話で知った夫人からも、過酷な体罰を受けることになるのだ。


死なないギリギリのラインを攻めて来る夫人の執念が、実は一番恐ろしいのだ。


私たちが倉庫を出て本邸に向かってしばらく歩いていると、背後からけたたましい破裂音がした。


振り返れば、つむじ風が倉庫を飲み込み、壊した後だった。


「・・・マジかよ。」


猫背で前を歩くリュークが、大きな溜息を吐いたのが分かる。

彼に倉庫の修復作業が言い渡されるのは、近い未来の出来事だ。



10回目の人生になる今回は、今夜のうちにこの邸から逃げ出したいと考えている。


過去9回の記憶を総合的に考えて、今夜がベストなのだ。


9回目の人生の終わりの数ヶ月間、私は10回目の人生を何度もシュミレートした。


逃げるなら遠くへ。


国内ではすぐに捕まってしまうから、外国へ逃げよう。


今夜を逃したら…今までの人生と同じことになる。


死なない為に出来ることは、まずは逃げて捕まらないことだと9回目の人生で学んだ。


奴隷として生まれて隠されて生きてきた私には10年×9回分の知識がある。

我ながら、長い道のりだったと思う。

だからこそ、失敗したくない。


決して勘付かれないように、私は9回分の人生で身につけた『無感情』の仮面被った。

死んだ魚のような目に、わずかにしか開かない口。決して動かない表情筋。

見るからに、生きることを諦めた7歳児からのスタートだ。


ハマード伯爵に気に入られるようにと笑顔を貼り付けたこともあった。

結果、アイリーンからの体罰が苛烈になっただけだった。


子供らしく泣いたこともあった。

結果、声が出せないように舌を切られた。


目を潤ませれば目を抉り取られる。

頬を染めれば、顔に火傷を負わされる。


髪を降ろせば引きちぎられ、走れば足の骨を折られ、失敗すれば手の爪を剥がされる。


奴隷の私の結果は全て悪い方にしか転ばない。

故に『無』を選ぶ。

感情を持たなければ、表情も崩れない。

表情が崩れなければ、無駄な体罰を受ける可能性が低くなる。


窓ガラスに映る自分の姿を見て『人形みたいだ』と思う次の瞬間には、『明日には顔に傷を負うことになる』と確信をもつ。

主人より見た目の良い人形は、望まれないのだ。


(こんな貧相な子供に敵対心を持つ裕福な子供ってなんだろう。)


今日の夕刻からアイリーン7歳の誕生日パーティーが始まる予定になっている。

昼食前にアイリーンに私はお目通しされ、その後はメイド長の指示でパーティーでの雑務に駆り出される。それは深夜近くまで続く過酷な作業になる。


パーティー会場の後片付けでくたびれた頃、アイリーンから呼び出しを受けて、鞭で打たれる流れだ。

だから、パーティの途中でなんとか逃げ出したいと考えている。


何度も行ってきたシュミレーションを再度思い出し、顔を上げる。


(さあ我儘な主、アイリーンの元に向かおうか。)


従者のリュークに連れられて通された応接室。

悪趣味なギラギラした装飾品が並ぶ部屋の皮張りのソファーに、先ほどの脂ぎっきゅ伯爵とその妻である厚化粧夫人。向かいの席に我儘アイリーンの姿を目視する。


橙色の長い髪をクルクルと巻いた頭上には、ド派手に存在感を主張する真っ赤なリボンがついている。


何度見ても彼女のセンスは最悪だ。


リボンと合わせた真っ赤なヒラヒラのドレスは、今日の為に新しく父親に買ってもらったのだと、いつかのアイリーンが自慢していたが…全く羨ましいと思えない残念な一品だった。


(体形が体型だけに、流行の形のドレスが似合わなすぎる。)


アイリーンは控えめに言っても、美人ではない。

肥満体型で油ぎっしゅ伯爵と、地味顔を厚塗りメイクで誤魔化す伯爵夫人の悪い部分を全て受け継いだような容姿で、太めの体形に地味な顔をしている。その上、性格も努力を嫌い、無駄にプライドだけが高い傲慢な子供で、大人たちも用がなければ関わりたくないのが本心だ。


辺境の地に邸を構えていることもあり、他の子供たちと接する機会も多くないことが原因だろうとメイドたちは言っていた。


狭い世界…このハマード伯爵邸内でならアイリーンは『女王』でいられる。


それは、メイドたちに指摘されずとも、本人が一番分かっているのだろうが…彼女は成長するにつれて王都を嫌悪していく。


この後の未来では、気に入らない人物が現れる度に、手段を選ばず犯罪じみた方法で蹴落としていくため、年々社交界でも疎外され孤立していくことになる。


そして辺境の地、ハマード伯爵領から出ることを嫌がるようになっていくのだ。


引きこもり、自分のコンプレックスを他人のせいにして、周りに当たり散らすも相手にされないため、唯一その為の存在である私が、ことある毎に彼女から執拗な拷問を受ける。


身に覚えのない『罪』を理由に…。


『私より見目の良いメイドなんていらないのよ。生意気。』


それが彼女の口癖だった。

どうせ今回も彼女からの体罰はエスカレートしていくのだろう。

だから、一刻も早くこの邸から逃げ出す必要がある。

今日を逃せば、しばらくチャンスはない。


出来るだけ遠くまで逃げるチャンスが。


「アイリーン、ほら誕生日プレゼントだよ。動く人形が欲しいと言っていただろう?お前専用の人形だ。」


脂ぎっしゅ伯爵が愛娘に優しい父親面を見せる。


「わあ!お父様、アイリーンの欲しい物を覚えてくださっていたのですね!嬉しい!」


「良かったわね。アイリーン。」


私は『無表情』で、彼ら家族の前に両膝をつき頭を下げる。


「この度は私を明るい場所に出してくださり、ありがとうございます。」


私の台詞に、伯爵は機嫌を良くしたようだったが、アイリーンはそうではないようだ。


「あんた、空の下に出ただけで嬉しいわけ?人形のくせにつまらないわね。」


彼女は自分ではなく父親の行いに私が感謝を伝えたことが気に食わないのだろう。


今回も傲慢令嬢は出来上がっているようだと確信する。


「空の下も嬉しいのですが、太陽のように眩しいお嬢様に出会えたことが、嬉しゅうございます。」


私は、あながち嘘はついていない。


ギラギラゴテゴテのドレス姿のアイリーンは、その無駄に手入れされクルクルと巻かれた橙色の髪も相まって『眩しすぎる存在感』を醸し出しているのだから。


私は太陽を見たことはないけれど。すべて、人から聞いた話と本で読んだ知識だ。


しかし私の台詞に分かりやすく彼女の表情は崩れた。


「分かっているじゃない。素直な子ね。その調子で今夜のパーティーでは私を盛り立てなさい。」


私を鼻で笑う彼女だが、今夜の彼女は恥をかくことになる。

顔の良い男性何人にも声を掛けるが、全て玉砕。彼女の念願のダンスを踊る相手が見つからないことに癇癪を起して、騒ぎ、伯爵の命令を受けた大人たちに捕まり連行される途中で転んで、運悪くワインが並んだ棚に転がり突っ込んでしまい、頭からワインまみれになるのだ。


前回までの''生''では、今夜私は彼女からそのことに対する八つ当たりで体罰を受けるのは決定事項だ。


そんな苦い記憶を飲み込み、平静を保つ。


「…はい。」


初顔合わせのこの場を退室するよう命じられ、私は立ち上がる。


そのまま、頭を下げたまま部屋を出れば、先ほどまで(かしず)いていた部屋から一斉に笑い声が聞こえてきた。


「歳の割に立場をしっかりわきまえている奴隷じゃない?色が地味で気持ち悪いけれど。」

「まあな、幾分表情がなくなり過ぎたが、まあ…問題ないだろう。地味なくらいがいいんだよ。あれが居れば幸福になると聞いたのだが、どうやら(だま)されたようだしな。奴隷らしく使ってやろうじゃないか。」

「あんな無表情が人を幸せに出来るわけがないじゃない?まあ、玩具として可愛がってあげるけど。」


「おいおい、死なすんじゃないぞ、アイリーン。死体の処理は面倒くさいんだ。」


(死体を出さなけば何をしてもいい。今回も殺してくれないことが確定したわね。)


心の中で溜息が漏れるが、一切顔には出さないように気を引き締める。

そんな私の心の葛藤など知るはずもない侍従のリュークが感心したように呟いた。

「奴隷のくせに、馬鹿ではないようだ。」

その目は何かを探っているようだが、私は全く興味がないというように、すぐに視線を反らす。


そして小さい声で答えた。

「どうも。」


(あんたの意見なんて、どうでもいいわ。)

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