『笑わせたい』
クロエに出生の事実を話した結果、オスカー侯爵領には珍しい突然の雷雨が降り注いだ。
「まさか、雹まで降るなんて。」
呟く私に、マルクスが含み笑いで答える。
「言葉選びをミスしましたね。」
アル―ア村についての事実を調べ上げたのはマルクスだ。
ハマード伯爵邸から戻った3日後にクルラーナ山脈に向かった彼は、既にあてはあったのだろう。
予想を上回る速さで、様々な真相を手に入れ昨晩、オスカー邸に彼は帰って来た。
父上と共に報告を聞いた私ですら、現実を丸々受け入れるには時間がかかったのだ。
当事者である推定7歳のクロエが受け入れるには、かなりの時間がかかることは想定内だ。
(末の8歳の弟マシューより身体が小さいクロエが、まさか11歳だったとは・・・。)
明らかに彼女に足りないものは『栄養』だろう。
この邸に来てから、彼女の栄養管理はしっかり取り組まれている。
ありがたいことに、好き嫌いのない彼女は何でも食べてくれるのだ。
しかし、今まで空腹が普通だったこともあり、食がかなり細い。
サラダ一人前を食べただけでも満腹になる始末。
クロエ付きのメイドに言って、毎日間食をさせるようにした所、クッキー2個で満足すると聞いた時にはまさかと思った。
実際、クロエの休憩時間を見計らい様子を見ていて分かったが…
(クロエは食に執着がない。)
いや、生きることそのものに執着が薄いとも感じる。
それもこれも、生まれながらに奴隷という紋を背負ったからだろうか。
「忌々しい紋を早く消してやりたい。」
*-*-*-*-*-*
夕食の時間になる頃には雨もやみ、いつもの星空が見えていた。
(クロエも落ち着いたようだ。)
小さく息を吐き、ダイニングへ向かう途中、弟たちと出くわした。
「兄上~。クロエを泣かせたでしょう?クロエを虐めたら僕が怒るよ!」
「な?!」
顔を合わせてすぐにそう言ってきたのはすぐ下の弟、ヒャルデンだ。
母親譲りの緑色のくせ毛がふわふわと揺れる様は、令嬢たちの庇護欲を掻き立てると話題なのだとか。
(確かに見た目は可愛いのだが、正確に難ありなんだよな…。)
「僕、雹なんて初めて見たよ。雷雨に驚いてお気に入りのカップを落として割っちゃったんだけどさ、雹を見せてくれたから、兄上が新しいやつ買ってくれれば、許すよ。」
「なぜ、私がお前に許しを請わねばならないのかが理解できないが?」
ジロリと睨みつけるも、彼は慣れっこだからか、全く気にする様子もなく「残念。」と肩を竦めて見せる。
そんな私たちの間に飛び込んできたのが末の弟、マシューリ。
「セフィ兄さま!雷ドーン!からの雹攻撃は見事でした!」
マシューは私と同じ、王族の血筋を意味する黄金の髪をしている。
「私の攻撃ではない。」
「そうだぞ、マシュー。どちらかというとあれはクロエの攻撃だ。」
「きゃはは!クロエ強~い。」
オスカー邸に来て数週間経つうちに、弟たちもクロエに懐いている。
彼らもクロエも、一番の年下はクロエだと思っているからということもあり、マシューは毎日クロエに絵本を読み聞かせているくらいだ。
「クロエに次はどんな技を教えてあげようか?」
「雹が降らせられたなら、次は槍かな?」
弟たちの中でクロエのイメージが可憐ではなくなっていることに絶句しつつ、再びラウンジへと歩みを進めた。
「父上!」
ラウンジ到着すると、既に両親が揃っていることに弟たちは驚きの声を上げた。
(父上が夕食を共にすることは久しぶりだ。)
侯爵としての仕事が立て込んでいる父は、滅多に一緒に食事をとることはなかった。
(母上との朝食は毎日一緒らしいけど。)
自分の席に着き、弟たちが父に近況報告をしている間に、クロエが遅れて到着した。
「お待たせしちゃって、申し訳ございません。」
(いつもと変わらない様子に見える…が。)
クロエが私の顔を見るなり、ぱっと反らしたことに違和感を覚えた。
(え?)
久し振りに家族が揃った夕食は、弟たちのお陰で賑やかに終わった。
夕食後のお茶を飲んでいる時に、父が口を開く。
「セフィード、クロエリア。この後、私の執務室に来てくれるかな?」
「はい」
「かしこまりました。」
もう一度、あの話を父の口から聞くことになるクロエに、一抹の不安を感じつつ。
私は何事もないと、お茶を飲み干した。
*-*-*-*-*-*
ラウンジで弟たちを見送った私とクロエは、父たちの待つ執務室へ向かうことにする。
「クロエ、行こうか。」
いつもの通り、何気なしにクロエの手を握れば、一瞬彼女の身体がピクリと強張るのが分かり、首を傾げる。
「クロエ?」
「あ・・・だ。大丈夫です。行きましょう。」
心なしか耳が赤い気がするクロエだが、俯いたまま、口を開こうとしない。
「熱でもあるの?」
そっと赤く染まった耳に触れた瞬間、涙目のクロエに睨まれた。
「え?」
「大丈夫です。ちょっと…恥かしかっただけですから。」
(恥ずかしい?)
それきり、クロエが何かを言ってくれる気配がないので、気にすることを一旦やめる。
父上の執務室に来るのは、クロエを紹介した時以来だった。
あの時もクロエはこうやって私に手を引かれて、この廊下を歩いたんだっけ。
無表情なのに、キョロキョロと興味津々な様子に、私は笑いを堪えるのが大変だったことを思い出す。
執務室の前に来てノックをすれば、中から父の執事が扉を開けてくれた。
父に促されるまま、両親の座る席の前の席に着席して、隣を見れば、何か腹を括ったように一文字の口をしたクロエが父をじっと見つめていた。
「クロエの出生についてはセフィードから聞いたね?」
穏やかな口調で話を始めた父に、クロエが頷いた。
「はい。ですが、私が女神の生まれ変わりだという証拠がございません。」
きっぱりと言ったクロエの台詞だが、そこにいた者たちからは苦笑いが漏れる。
「証拠は既にクロエが見せてくれた。そうだろう?セフィード。」
父から真っ直ぐに視線を向けられ、私は頷いた。
「夕方、雷雨がありました。それが、証拠になるかと。」
私の言葉を聞いて、母がうふふと笑い出した。
「ヒャルデンもマシューリもとても嬉しそうでしたわね。」
私たちの会話に取り残されたように、キョトンとしているクロエに、父はマルクスが説明するように指示を出した。
「今回の調査はマルクスが行ったからね。直接、教えてあげなさい。」
「ありがとうございます。」
父に礼を取ったマルクスは、クロエの側に来ると片膝をつき、クロエの目線と合わせて微笑んだ。
(マルクス!クロエは私の未来の嫁だからな!)
そんなマルクスを私は睨む。
「クロエリア様。私はあなたの母親と従兄妹です。」
「へ?!」
マルクスの母親がクルラーナ山脈の生まれだとは聞いていたが、まさかクロエと近しい親戚関係だとは思いもしなかった。
マルクスの母親は、男爵家と結婚しクルラーナ山脈を離れたが、幼い頃のマルクスはクロエの母親、つまり当時のアル―ア侯爵家で一緒に遊ぶ仲だったのだという。
互いの兄弟よりも仲が良く、本当の兄妹の様に育ったマルクスとクロエの母の交流はその後も続き、手紙のやり取りも頻繁に行われていた。
しかし、10年前『出産が楽しみだ』と書いた手紙を最後に、その交流は消えたという。
「これらは私がしまっていた、貴方のお母様との手紙です。」
マルクスが手紙の束を机に並べ、その中から1通だけ取り出すと、中を読んで聞かせた。
『親愛なる従兄、マルクス。
愛しい我が子を抱きしめられる日が近づいて参りました。
主人とこの子の名前を色々と考えている日々もとても楽しいのです。
でも、やはり早く抱きしめたいわ。
先日、お医者様にきっと女の子だろうと仰られたの。
息子たちは大喜びで剣の稽古をしているのよ。
今度こっちに来たら、息子たちの剣の相手をしてあげてね。
変に思うかもしれないけれど、きっとこの子は生まれ変わりよ。
妊娠した時から不思議と守られている感じがするのだもの。
こんな気持ちは初めてだわ。
うちの母に頭が上がらなかったマルクスなら分るでしょう?
侯爵家の長子に対しての不思議な感覚。
私もやっとその気持ちが分かったわ。
この子は女神の生まれ変わり。
生まれたら知らせるから、マルクスも抱いてあげてね。
貴方の従妹、ロベリア・アル―アより。』
妊婦のうちから、女神の生まれ変わりがお腹の中にいると分かっていたというのか?
女神とはそれほどまでに・・・?
「10年、私はアル―ア村の事件を水面下で調べていました。ですから、殿下よりこの命を言い渡された時、これは運命だと確信したのです。」
マルクスがクロエの手を取り、そっと両手で握りしめた。
「あなたはロベリアの幼い頃にそっくりだ。生きていてくれて…良かった。」
マルクスが心底呟いたその言葉に、クロエの両方の目から大粒の涙が零れ落ち始める。
私が慌ててハンカチを出そうとした瞬間、窓の外が明るいことに気付いた執事が声を上げる。
「なんと!」
オスカー公爵邸執務室の窓から見えたその光景は、クロエが女神以外何者でもないことを証明するには十分なものだったことは言うまでもない。