慣れないドレス
オスカー公爵邸に来て数週間が過ぎた。
未だに慣れない部屋の広さと、ドレスとヒールに困惑するものの、オスカー伯爵がつけてくれたメイドや家庭教師たちに、日々、様々なことを学んでいた。
9回の人生で初めて文字というものに触れた。
もっと早くこの知識を得ていたのなら、9回も死なずに済んだのではないかと思うことも多々あった。
長いメイド生活の中、どうしても一気に覚えられず苦戦することは多かったからだ。
しかし、メモを取るという技術を知っていたのなら、同じ失敗を何度も繰り返すことはなかったように思う。
何度も罵られ罵倒されたことを思い出し、私にも知識があったなら、無駄に体罰を受けないで済んだのではないかと思い知らされる。
「少しでも多くのことを学びたいわ…。」
ぽろっと零れた私の呟きに、側にいたメイドが笑って答えた。
「クロエリアお嬢様は覚えが早いですから、すぐに博識になられますよ。」
「ありがとうございます。」
親切な彼女に頭を下げれば、「メイドに頭を下げてはいけません。」と注意を受けた。
私のハマード伯爵邸でのことは、オスカー公爵邸に着いた日に公爵と夫人に話した。
まさか9回も人生を繰り返していることは言えず、あくまで奴隷としての7年間の人生だけだが。
それでも、彼らの想像をはるかに超える状態だったらしく、セフィードだけでなく公爵までもが「ハマード伯爵邸を潰そう」と怒りを見せてくれた。
私はそれが、なんだか温かい気持ちになった。
公爵の計らいで、私の身の回りには親切な人が多い。
当初は数名のメイドを私の専属につけようとしてくれたが、私自身が奴隷育ちということもあり、誰かに世話をされることに慣れていない為、丁重に断りを入れた結果、一人のメイドの’’シエラ’’が私の専属になった。
メイドと言っても、私に常識を教えてくれる役割を担った彼女は、年は18歳で、領地の子爵家の次女だという。
「私の家は元々農民上がりなのです。だから、令嬢らしくない部分もありますが、それがクロエリアお嬢様には気を使わせすぎないのではないかと公爵様のお考えみたいですよ。」
ざっくばらんに話すシエラに、私も安心感を抱いた。
(ハマード伯爵邸にいた新人メイドたちに少し似ているわ。)
ハマード伯爵邸はいつも人員不足だったため、メイドや侍従の募集をかけていた。
時々新人で入ってくるメイドや侍従は、領地の農家の子や商人の子がほとんどで、庶民という理由で伯爵家の者たちから理不尽な扱いを受けることもあった。
彼らはいつも「あなたよりはマシよ。このくらいで泣いていられないわ。」と言って笑ってくれた。
(大嫌いな邸だったけれど、悪い人ばかりではなかったのよね。)
「クロエ。今日の勉強は終わった?一緒にお茶にしようよ。」
文字の練習にひと段落した所で、セフィードがやってくる。
(いつものことだけど、タイミングが良すぎない?)
侯爵家次期跡取りとしての勉強も多いだろうセフィードだが、毎日決まって、私の休憩時間を見計らって現れる。
シエラがお茶の準備を始めるのを見て、私も席を立つ。
「クロエは休んでいなさい。シエラの仕事まで奪う必要はないでしょう?」
「でも・・・」
セフィードの言い分は尤もなのだが、どうにも慣れない。
そんな私の手を引き、セフィードはソファに私を誘う。
「今日は君に大事な報告があるんだ。」
「大事な報告?」
私たちの様子に微笑みながら、シエラは手際よくお茶の準備をして部屋を出ていった。
「父上からも近いうちに聞かされるとは思うんだけど、クロエの生まれた場所が特定できたよ。」
「ええ?!」
9回の人生で一度もなかった新たな事実に、私は気持ちが追い付かなかった。
*-*-*-*-*-*
10年前、ソレヴィーユ帝国の北方に位置する連山。
霊山とも言われるクルラーナ山脈の麓に、今はない『アル―ア村』があった。
狩りと農業が盛んな村で、信仰心の厚い村民たちが住んでいた。
ソレヴィーユ帝国では当たり前に子供の頃から聞かされる『女神伝説』があり、その女神の子孫が代々守ってきた村だったのだ。
女神の直系の第一子がアル―ア村の村長になり、そのほかの子供たちは村長を補佐するか、近くの村に嫁ぐかをして、長い歴史を積み重ねてきたが、ある晩、そんな長閑な村が族に襲われた。
その日は女神の生まれ変わりが誕生した祝いの宴が催された晩だった。
伝説ともなっている数百年に一度生まれる’’女神の生まれ変わり’’は黒髪黒目の女児。
黒髪の子供が生まれることは多い村で、黒目の女児が生まれる確率は低く、それが女神たる所以と言われる。
女神の生まれ変わりは奇跡を起こす存在。
彼女を大事にすれば村の安泰は約束されたもの。
だから、村人たちは生まれたばかりの赤子を守ろうと必死に族と戦った。
そして、その村は跡形もなく・・・一晩で消えた。
「10年前に生まれた赤子が君だと思う。」
「そ・・・それでは年齢が合いません!」
私は推定7歳だ。
10年前0歳だったのなら、11歳でないとおかしいじゃないか。
「ハマード伯爵が君の年齢を推察したのは、アイリーン嬢と比較したからだったでしょう?私も昨日初めてアイリーン嬢を見たけれど…彼女は年齢の割に身体が大きい。そんな彼女と比較したら、君の方が年上でもおかしくないんじゃないかな?」
(え?でも子供の…4歳の違いって見て分かるものではないのかしら?)
「アル―ア村の子供は他より幼く小さい見た目だった聞いた。」
「え?」
衝撃的な展開に言葉を失った私の頭を、セフィードが優しく撫でた。
「アル―ア村の村長は女神の加護を国王に認められ、代々『侯爵』の爵位を賜っていた。」
見上げる私の視線が、優しく潤んだ青い瞳と交差した。
「君はアル―ア侯爵家の令嬢だったんだよ。」
彼の言葉に次の句が見つからず、固まる。
「詳しい話は父上からあるだろうから。今はその事実をまず受け止めて。」
「本当に…その赤子が私かどうかは、分かりませんよね?」
やっとの思いで紡いだ私の言葉に、青い瞳は細められた。
「確認するまでもないけれど、どうしてもというなら、確認してみる?」
「そんな方法があるのですか?」
思わぬ言葉に私は縋る思いで問う。
「君が心から笑えば、自ずと答えが出るんだよ。」
(笑う?)
9回の人生の中で私が笑った回数は何回あっただろう。
暴力が嫌で媚を売るために笑って見せたこともあったが、それは嬉しさや楽しさからの笑みではなかった。
そんな私に心から笑うという無理難題を言ってのけたセフィードを、心底理解できないと思った。
前世…途中までは感情というものが私の中にあったのだろうと記憶しているが、今の私にはそういった感情が分からないのだ。
「それは…また…難しいことを仰いますね…。」
絶望に似た気持ちを抱え、私は俯いた。