助言と陰
潜り初めて一時間と少しが経過した。
灰達の探索スピードは非常に速く、既に5階層を抜ける直前まで来ていた。
「いやぁ、やっぱ2人で潜ってた時とは比べ物になんねー速度だな。6階層なんて俺達からしたら限界到達階層だから時間ギリギリでの到達なのに信じられねーな」
制限時間は基本午後の授業のコマ全ての16時頃まで。深く潜り過ぎて時間が超過してしまえばその分減点となる。2人で来れるのは精々次の6階層の浅い部分のみだ。
「しかも戦闘のほとんどが僕ら抜きだからね。一対一最強の剣士と後方火力の魔術師の組み合わせってずるいよね」
戦闘の全てが10カウント以内で完結してしまっているために行軍スピードにほぼ影響されず、かつスタミナの減少も微々たるものとなっている。
「いっくんがいち早く敵を見つけてくれてるから僕と帳さんで先制が取れて楽に戦闘ができてるんだよ」
「まぁ、斥候としての最低限の仕事だわな」
「役割をこなしてくれていれば十分だ」
帳がそう言ってチラリと横目で視線をやる先には、わざとらしく顔を反らし口笛を吹き始めた灰がいた。
「お前はなぜ剣を抜かないんだ」
「いや、だってすぐ終わっちゃうし」
灰の気の無い返事に溜め息を吐く凛。
偉助が立ち止まって振り向く。
「あんたも大変だな。こんなやつライバル視してたなんて」
「む、私は別にライバルなどとは」
偉助の言葉に返答し切れないあたり、否定ばかりが答では無いのだろう。
「お前も剣くらいは抜けよ。いくら戦力が過剰だって言ったって警戒くらいはしてくれよ。2人を観察ばっかして、なんかいやらしーぞ。視姦か?」
「なっ!?貴様!戦場だというのに私をそういう目で見ていたのか!道理で下半身をなめ回すように視線を寄越していたのだな!」
「うぅ……誤解が酷い。偉助もやめてよこの人こういう冗談通じないんだから。剣士なら足腰が基本でしょ?自分より優れた剣客を見て学ぶのは修行の基本だよ、基本。それに―――」
―――僕はどちらかと言えば胸派でさらに言えば巨乳派だ
とは言葉にはしない。多分剣が飛んでくる。そう思い灰は言葉を寸のところで飲み込む。
「……胸にもチラチラ視線を感じたぞ」
「よし!このままの調子で進もう!出来ることなら8階層辺りまでの経験を積んでおきたい!ここから先は僕も剣を抜くよ!さぁ!いこう!」
隣から剣気の高まりを感じた灰は姿勢を改め言葉を取り繕い始める。隣の剣気が萎んでいくのを感じて胸を撫で下ろす。許されたというより呆れられたというような感覚はするが危機が去ったことには変わりない。見るのは下半身だけにしよう。いや変な意味で見ているわけでは本当に無いのだが。
6階層まではこれまでの階層と敵の顔触れは変わらないが、徒党の数が多く、乱入の頻度も高い。シンプルに階層の中の敵の密度が他の階層より高いのだ。そのため警戒は背後にまで必要となり、灰が殿を務めることになった。
戦闘回数は他階層に比べ増えたが、警戒さえ怠らなければ敵の強さはそう変わらない。数的不利になることはあれど、相賀の強力な風スキルがあれば数体の足止めも纏めて薙ぎ倒すことも可能であるため数的不利が悪影響になることはなかった。なにより帳が一合の下、敵を沈めるため後ろに敵が侵入することも出来ず、終始、灰たちはペースを支配し続けることができた。
灰たちはさした苦労も無く、7階層へとたどり着いた。
機嫌の悪かった凛の表情も和らぎ、今では機嫌の良さすら僅ながら感じとることができた。灰が殿として役割をこなし、いざ戦闘が始まれば遊撃としての立ち回りを見せ、帳と本格的に肩を並べて戦った事が功を奏したのだろう。偉助から見ているとそういった印象を受けた。学年一の剣士からここまで好評価を抱かれている灰はどのように思っているのだろうかと思うが心中は分からない。ただ勿体無いなという思いが込み上がる。この感情も何度目か。
「こっからは俺達は授業で習った程度の情報しか持ってない。だから帳、気を付ける事があったら教えてくれ」
偉助の助言を求める声に、帳は腕を組んで考え始める。
「ふむ。ここからは魔術スキルを使ってくる敵が出始める。つまりは強力な遠距離攻撃が飛んでくるということだ。幸いここの敵は索敵に優れていない。バカ騒ぎしなければ先制を食らうことはまず無いと思って良い」
「偉助注意されてるよ」
「あ?MPKしてやろうか?」
「ダンジョンの中なのに2人とも普段とあんま変わんないね」
2人の軽口の応酬に相賀はやや不満気の様子だ。
灰はダンジョン内で遭難を経験した本人の前で軽率だったかと気を絞め直した。決して話の腰を折られて睨んでくる剣姫が怖かったからではない。
「こほん。このように戯れあってもすぐには問題化しない程度には敵の索敵能力は低い。誉められた事ではないがな」
ごめんなさいと二人で謝って続きを促す。
「問題なのは魔術スキルへの対応だ」
「対応?普通に避けちゃダメなのか?」
「個人での戦闘なら普段通り避けても問題無いだろうが、広さのあまりない通路でのパーティー戦では回りに注意を向けなくてはならない」
「避けた魔術スキルが後ろの味方に当たっちゃうとかかな?」
「……連携不足でもなければそういったケースは稀だが確かにそれも一つのケースだ。真後ろの味方の視界を塞いで、味方が魔術スキルの射出に気付かずに急に避けて射線を開ければ、味方がどうなるかなど想像に難くない。しかしよくそれが最初に出たものだな相賀」
「まぁ僕も魔術師クラスだからね」
「そうか、それもそうだな。しかし相賀の言ったケースは連携の取れていないパーティーでの事故だ。このパーティーはスキルに頼らない個人能力だけは優秀な2人が上手く立ち回っているからな、後ろの相賀に直撃するような事はまずないだろうさ。そこは心配するな」
「灰は気を付けとけよ?」
「殿を狙い撃ちって器用すぎない?」
「2人とも仲良いなぁ」
「こっほん」
「「すみません」」
「基本的に気を付けるのは隊列の乱れだ。投げナイフや弓矢といった点での中・遠距離攻撃も厄介だが、範囲攻撃となると余計に立ち回りを考えなくてはならない。大きく避けて味方の間合いを邪魔したり、回避先を塞いでしまったり、最悪、ぶつかりあって複数人纏めて魔術の餌食になってしまう。故にお互いの位置を完璧に把握しておかなければならない。その上で敵の行動予測だけでなく、味方の行動予測も頭に入れておくとなおいい」
「帳さんのパーティーはそこまでやってるの?」
灰の疑問に帳は顔をしかめた。
「勇者様がそこまで考えて戦ってるようには思えねーよな」
「……事実、あまり連携という面では胸を張れるものではないんだ。個人個人の戦闘能力が高すぎて、基本敵に何もさせずに完封しているからな。たまの守りでさえ麻耶華の結界スキルで防ぎきれてしまっている現状、協力して相乗効果を生み出すなんて戦い方を彼らは知らないんだ」
帳が零す不満もわかる。
一方的に上から殴れば、こちらの損耗はゼロで済む。
絶対にそれに越したことはない。
しかしそれでは貴重な経験を積むことができず、いざ、不利な対面に出くわした時が怖い。
一方的な戦い方しかわからなければ、戦法の通じない相手に取れる手段の持ち合わせはない。
経験からくる柔軟性も発揮されず、待っているのは主客転倒。立場の逆転だ。
「私も得意というわけではないが、集団での実戦形式の稽古は積んである」
「そういえば実家が道場なんだったよね」
「あぁ、父が師範をしていてな。実戦主義の人だったから、幼い頃から厳しくされていたよ」
「お父さん、有名な探索者なんだよね?」
相賀の言葉に偉助の表情が厳しくなった。
「おい、周成」
「いいんだ、春日。隠していることでもない。」
あっ、とそこで相賀は帳の父親のことを思い出した。
「ご、ごめん!わざとじゃないんだっ。そ、その───」
「いいと言っているだろう相賀。知っているやつは少なくない。私も心の整理はできているさ。それに父は色々と有名だったからな」
帳の落ち着いた声と、無意識の内に触れた刀からカチャリと音が漏れる。
「僕でも知ってる人だね。第一陣探索者、日本最強探索者、そして───」
「───消息不明の未帰還者。探索者にとって、ダンジョンは宝箱であると同時に墓場でもある。実力のある探索者でもダンジョンで命を散らすなんてことは日常茶飯事だ」
「で、でも」
「しかし、私は父が命を落としたなどとは考えていない。父が、探索者になる以前から剣豪の称号を得ていたあの父が、そう簡単に命を落とすなどとは思えない。私は」
「生きてるよきっと。帳さんのお父さんはいきてる」
徐々に言葉に熱が帯始めた帳を、灰の柔らかな声色で宥めるように言葉を被せた。
「灰?……ふふ。あぁ、そうだ。私の父はダンジョンなんかでくたばるほど柔な人じゃない。私が上級探索者になったら良い年をして迷子になっている父を見つけて、首根っこを捕まえて母の前に付き出してやるのさ。きっと鬼の形相の母を前にして私に泣きつくに違いない。あぁ、きっとそうだ」
目蓋を閉じ、自身に言い聞かせるように、しかしその未来を自らの手で掴むことを確信しているかのように芯のある言葉だった。
目を開くとパンッと手を叩いて前を向く。
「つまりはだ。将来家庭内で立場の失くなる父のようになりたくなかったら、きちんと家まで帰りましょう。そのためには個人技だけでなく、協力しあうことも大切だと言うことだ。これが私からの助言だ!以上!」
そう良い終えるとしっかりとした足で前を歩き出す。
「おいおい。イケメンだろ。俺は今づかとか、ジェンヌとかのスターを前にしてんのか?」
「やっぱり帳さんは……しいな」
やれやれと呆れ気味の少年と、喜色ばみ、ぼそりと呟く少年が跡を続く。
ぽつんと立ち尽くしたまま、殿を務める少年の足は動かない。ダンジョンは暗く、その表情は伺えない。
「……生きてるよ。君のお父さんは」
呟き漏れた言葉に乗った感情は捉えられない。
距離の開いた3人にはその声は届かなかった。