魔術結社
探索者学校とはまるで違う様子の瀧虎灰が椅子に座り本を片手に呼びかける。
「そうか、私は負けたのか」
思い出される最後の瞬間。
腹に添えられた手から伝わってきたのは臓腑を揺らす衝撃ではなく、場違いな心地よさの眠気、それが帳の最後の記憶だった。
「あそこまでやれれば十分だろ」
ぶっきらぼうな態度に帳が何かを言いたげな顔を浮かべるも灰はそれを気に留めない。
「何故私を拐わかすような真似をした」
瀧虎灰はその言動から探索者を良く思っていない事は帳でも理解できた。
瀧虎灰が魔術師という、探索者のそれとは違う存在であることも。
そんな人物がどうして帳を指名で連れ去るのか。
「何度も言うが任務だ」
突き放すような言葉。
ページをめくり、目は文字を追って忙しなく動いている。
帳が目を覚ましたことよりもその本をじっくり読むことの方が大事な様子だった。
その様子に力ずくで此方を向かせようかとむかっ腹を立てたが、さっき見たばかりの夢を少し思い出して興味を向ける。
「それは魔術の本か?」
「そうだ」
「随分と勉強熱心なのだな」
「必要だからな」
取り付く島もないというわけでは無いようだ。
「まさか、探索者以外で魔術師という存在がいるとはな。正直驚いた」
帳自身、探索者でない剣客を知っている。
ただ剣を使うだけの人間ではなく、その剣を尋常ならざる高みまで押し上げた、人間離れした達人たちを。
父もその一人だった。
「探索者がいるんだ。本物の魔術師が居てもおかしくないだろ」
「そういうものだろうか」
別の本物を知る帳にはそれを否定するだけの気持ちも弁もなかった。
「随分と落ち着いているな。俺が言うのもあれだが、誘拐犯本人が目の前なんだぞ?」
遂に文字から目を話した灰はその訝しむような目を帳へ向ける。
「取り乱しても現状が好転するわけでもなし、それにお前からそれほど悪意を感じないからな。いうほど悪い扱いを受ける気がしない。……勘だ」
「剣客ってほんと意味分かんないよな」
剣客の持つ直感やその死生観は研究者気質の灰からしたら理解の難しい感覚だった。
「なら今度こそ聞かせてくれるか?。私をどうするつもりなんだ?」
「モルモット……冗談です」
一瞬で怒気を顔に充満させた帳に思わず諸手をあげる。
「一応、治療を試みるんだよ」
キツくした目を僅かに緩める。
「帳さんの中に巣食う寄生種を取り除こうって試みだ」
「取り除く……」
「そう、だが治療の試みは帳さんを含めてもそう多くないんだ。治療法も確立されていないし、目途もない。だからモルモットって言い方も強ち間違いじゃないんだ」
「治療法の確立だというのならもっと簡単に協力してくれる探索者達もいるはずだ。私のようにそこらの探索者を連れ去れば良い。なぜ私なんだ。お前の主目的だったはずの相賀を見逃し、あれだけ目立つ事をしてまで私を拐かした理由はなんだ?お前達になんのメリットがあるんだ」
「恩返し」
予想外の言葉に目を丸くする帳。
動機がまさかそんな善意から来ているなど想像だにしていなかった。
帳はてっきり、もっと組織にとっての利益や誰かの思惑といった利己的なものをイメージしていただけに、その回答に肩をすかす。
「恩返し?だれに?まさか私にか?」
「俺が帳さんに恩を受けた覚えはないが」
帳はそのそっけない物言いにむっとする。
例えそうであっても言い方というものがあるだろうと。
「なら誰への恩返しなんだ」
「……帳 清一郎。帳さんのお父さんだ」
「な……」
先の回答にも目を丸くするほどに驚いたが、次に告げられた人物の名に帳は一瞬言葉を失った。
「父はお前達魔術師と親交があったのか」
「あぁ、あの人は剣客でありながら、俺達魔術師に偏見も無く接するどころか、力を貸してくれていた」
その声はどこか遠くを懐かしむような声だった。
「とても強い人だったからな。俺達魔術師は何度もあの人に助けられてるんだ。だからあの人を慕う人も多いし、抱く恩も大きいんだ」
どこか優しい声だった。
「父が……父が今どこにいるのか知っているのか?」
「……」
「父は探索者だった。在野の上級探索者として長くダンジョンでの活動を続けていた。探索者の中に魔物が潜んでいるというのが本当なら、父はもう……」
最悪の想像。
灰の口から真実を聞かされたその時から考えてはいた。
あの場では深く考えないようにしていたが、もうそれは出来ない。
「父はもう……私のお父さんはもういないのか」
普段の姿からは見られない弱々しい帳の姿に灰が僅かに奥歯を噛み締めた。
「俺達もあの人の足取りを追えていない。だけど、あの人が寄生種に体を乗っ取られるなんてのは考えにくい」
「なら父はどうして」
「今はまだわからないが俺達は今もあの人の行方を追っている。すぐ見つけるさ」
結果的に歯の浮くような台詞になった灰はどこか気恥ずかし気だ。
「……すまない」
珍しくしおらしい姿を見せる帳に灰はどう反応したらいいのかわからずに困惑し、誤魔化すように本へと視線を戻した。
「瀧虎、お前にも意外と優しい一面があるのだな」
帳はいつもの様子へと戻り、少し可笑しそうに微笑む。
「だから誘拐犯に言うセリフじゃないだろ……」
「私はてっきり人をからかってばかりの嫌な奴だと思っていたからな。実習にも手を抜くし、やる気は見られないし、小馬鹿にするような所を見れば腹も立つ。……しかしそれも嘘だったのだな」
灰から顔を背ける帳がどういう表情をしているのかは分からない。
その声色も平坦だ。
「瀧虎は私の父とは付き合いは長いのか?」
向けられた顔はいつもの凛々しい表情だった。
「両親が知り合いだったからな。大体五年くらいか?」
「そうか、結構長いのだな。ご両親が知り合いだと言ったが、幼い頃、大体五歳くらいの頃にうちに挨拶に来なかったか?」
目の前の灰に夢の中で見た幼い少年の面影を見る帳は、その疑問を投げかけた。
「あー、ありそうな話ではあるが幼い頃の記憶があんまりなくてな。悪いが俺には分からない」
「そうか、私の剣を学び始めるきっかけにお前に似た少年がいたから気になってな」
「両親と一緒だったのか?」
興味があったのか帳の話に食い付く灰。
妙に真剣な表情が帳には印象的だった。
「いや、確か誰か別の女性と一緒だと母が言っていたな。確か名ま──え───が───────」
不思議と頭がぼーっとする。
頭から文字や色、イメージか抜け落ちていき思考力が低下する。
頭の中を何かが覆い隠すように広がり何も考えられない。
時間と感覚が間延びしたよう停滞した。
帳ははっと何かに釣られて勢い良く正面の窓へと振り向いた。
何事も無かったように思考が戻る。
(今、ナニかに見られていたような)
正体の分からない視線に警戒心が高まる。
「帳さん?」
横からかけられる灰の言葉に我を取り戻し振り向く帳。
そこには不思議そうな、何かを心配するような灰の様子が伺えた。
「まさか怪我がうまく治っていないのか?」
あれだけダメージを負った体は今やなんの怪我もなければ不調も無い。
びっくりするほどの健康体だった。
「あ、いや、なんの話をしていただろうか」
そう言うと灰は顔をピクリと引き攣らせて明らかに機嫌を悪くさせていた。
「と、帳さんもそんな風に人をからかう事もあるんだな」
「?。何を言っているんだ?」
ごほんと咳払いをして、少し赤い顔で瀧虎灰が言い直す。
「"今はまだわからないが俺達は今もあの人の行方を追っている。すぐ見つけるさ"───」
「───そう言ったんだ。少しキザな言い方だったのは認めるが……聞き直さなくてもいいだろ」
──あぁそうだったと帳は思い出す。
機嫌を悪くした灰はこれ以上深い話をしてくれそうにはないなと帳は話の深堀りを諦めた。
「……すまない」
個人的な深い話を諦めた帳は今の状況、大事な話へと戻す。
「今更かもしれないが、ここは一体どこなんだ?」
顔をこてんと傾げる帳に灰は呆れてため息を吐き出した。
「本当に今更だな。ここは俺が所属する組織───魔術結社【黄金待ち焦がれる崩席】の本拠地だ。地名までは言えないな」
「そうか、ここが」
「体に悪い所が無いなら付いてきてくれ、偉い人がお呼びなんだ」




