沈む少年、浮上する男
深い夢の中。
少年の腕に眠る少女へと必死に手を伸ばし続けるもう一人の少年。
その距離は埋まること無く開き続ける。
少女へと懸想抱く少年の心中はこの時何を思っていたのか。
月明かりに照らされる少女は天女の如く。
されど玉体は魔王の腕に。
どれだけその手伸ばそうと、地人は星へと届かない。
哀れな少年。
非力な少年。
遂に、天へと駆けた少年は翼を焼かれ地に落ちた。
─────どぷん
床が水面のように波紋を広げ、少年の体は底へと沈む。
地味な見た目の男が魔王にとどめを刺した。
光を宿した突き立つ剣に、その玉体を塵へと成した。
男の心を薙ぐように一陣の冷たい風が塵を空へと散らしていく。
使命を遂げた男が仲間へと振り返る。
男の胸にもナイフが突き立った。
誰かの悲鳴が上がる。
天女の悲鳴。
愛すべき我が神が、我が身の為に泣いてくれている。
仲間の顔を見る。
きょとんとした顔につい笑ってしまう。
その顔に、仲間に裏切られたのではないと悟った男は、使命の果てに安らかに眠りについた。
その後は分からない。
男の一生はそこで終わった。
充足の果ての終わりに不満は無い。
しかし、"誰か"の為に再び生を取り戻すのも悪くない。
また一度、天女へと手を伸ばすことも悪くない。
沈んでくる少年。
力を求め、居場所を求め、愛を求める少年が、この地の底へとやって来る。
彼には休息が必要だ。
それもそう長くはないだろう。
だから、任せてくれと虚ろな少年に微笑みかける。
目が交差した。
何か言いたげな少年と入れ替わるように男は再び生を浮上させた。
少年が目を覚ました。
白亜の宮殿のような真っ白な天井が目に入る。
せっかくくすみ一つ無い芸術染みた一面の白だと言うのに格子状の穴が無粋だった。
「ようやくお目覚めのようだね。京くん」
京 将暉。
自分の名前だ。
顔だけを動かして横の男を見た。
髪を固めてある。
ポマードの類だろうか。
その割にはフローラルな香りだ。
獣臭さのようなものもない。
眼鏡は分かる。
しかし、鼻の辺りについてある出っ張りのある支えはなんだろうか。
見たことが無い。
「自分の名前は言えるかな?」
「…………京 将暉」
「よろしい。意識はしっかりしているようだ」
何とか名前を言えた。
「それでだ京くん。何があったか詳しくお話はできるかな?」
記憶はある。
知識も十分だ。
口裏合わせも知っている。
私は学年主任を務める教師と事の成り行きを掻い摘んで話した。
仮面の男からなにも聞いていないのかと執拗に聞いてくる。
あの銀髪の少年が言っていた事は正しいのだろう。
目の前の学年主任の持つ魂は既に人のものではなかった。
なにも聞いていないと、戦闘が激しく、記憶も所々怪しいと告げるとようやく学年主任はその詰問を取り下げた。
「それでだ、仮面の男の正体なのだが、偉助君や君のパーティーの女の子達は瀧虎灰くんがその正体ではないかと勘繰っているようなんだ。君はどうだい?率直な意見が聞きたい」
「意味がわかりません。瀧虎は剣士職ですし、一学生にあんな事ができると先生は本当に思っているのですか?」
最もな意見を返せば教師は言葉に詰まるしか無かった。
カマをかけてきたのは明白だ。
本物の、いや、この世界の魔術師という情報がなければ、そんな質問は出てこない。
あれだけの力を持つ探索者なら、敵対行動はほぼほぼ有り得ないし、そもそもあれだけの力をもつ壊人など有り得ない。
「敵は正体不明のアンチ・エクスプローラーです」
「ふむ。それもそうだな。いやなに、他の者がそうではないかと言っていたから聞いてみただけだよ」
言葉の感じからして瀧虎灰が黒であるという確証はないようだ。
「このタイミングで瀧虎くんから退学届が届いてね。その証言と相まって聞いてみただけだよ」
「退学……」
顔を知られた以上、瀧虎くんとは言え、戻ってはこれないだろう。
教師陣もどういうわけか瀧虎くんが仮面の男だと疑いかかっている。
「帳凛はどうなりますか?」
「あの子もこのまま登校ができなければ退学にしなければならなくなるだろうね」
ありありと残念がる学年主任は続ける。
「あれだけの才覚があったと言うのに、誰ともしれない奴に連れ去られるなど本当に勿体ない。────あれは素晴らしい素体だったのだが……」
おっと、と口を溢した学年主任がさり気なく口を塞いだ。
此方の反応を窺うような言動と素振りがあまりに白々しくつい笑ってしまいそうになった。
「素体?」
「いやいや、すまない。なんでもないんだ忘れてくれ」
すっとぼけた顔で反応してやると、肩を透かしたように学年主任がこちらに興味をなくした。
「それと悪かったね。君は帳君と仲が良かっただろう。起きたばかりの君にこんな話をするべきではなかった。反省しているよ」
これは本音のように見える。
中身は元の人間ではないはずだが、それでも人間味ある振る舞いに寄生種というのがどういったものなのかいまいちわからなくなる。
「それでは私はこれでお暇させてもらうよ。君は暫くこの病室でゆっくりしていなさい。まだまだ体は本調子ではないはずだ。……ここの看護教諭は全快するまで出させてくれない事で有名だ。一部では看獄だなんて言われていてね」
「土師先生?病は気から。余計な事は言わなくて良いんですよ?」
ガチャリとタイミング良く部屋へと入ってきた看護教諭の手が土師と呼ばれた学年主任の頭を掴んで、鬼のようなオーラを発していた。
「あ、戻ってきていらしたのですね?白喰先生」
ミシミシと音を立てる学年主任の頭は今にも柘榴しそうだ。
生徒の前で格好をつけたいのか、我慢をしている様子だが、痛みに声が漏れ出してしまっている。
周りを見渡す。
大丈夫。
ベッドに空きはあった。
「先生のようなヘビのような人間に居られては生徒に毒です。退室していただきます」
「白喰先生……!じ、自分で歩けます。だから手を、い、いたた、い、いや身長差がねっほらっ白喰先生の手の位置に合わせると歩きにくくて腰がねっ。決してアイアンクローされた頭が痛いとかじゃないからっ。だって先生こう見えて前衛職だし、『修道僧』だし」
「めっちゃ早口で言うじゃないですか。ほら出ますよ」
そのまま病室を後にする二人。
随分と人間味があるというか、ふざけているというか、寄生種がどういった存在なのかが増々わからなくなる。
「まぁ、あいつらは一先ず置いておこうか」
彼らは今戦う相手ではない。
今やるべきは、器の主人である少年の悲願の成就。
お姫様の救出だ。
記憶が蘇る。
お姫…………可愛い(見た目は)女の子の救出だ。
相手の居場所も戦力もなにもわかってはいない。
情報収集からだ。
「道のりは長そうではあるけど、なに、長い事やってきたことだ。気長にやろうか」
少年の体を借りる男。
『勇者』───イヴァンアスが立ち上がる。
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