少女は主人を救いたい
「周成!」
油断を突いて発動したスキルは以前よりもはっきりと竜の姿をしていた。
しかし、明らかに強力になったそのスキルを持ってしても勇者───京 将暉を打倒することは叶わなかった。
京が今覚えたという新しいスキルが神々しい見た目の剣を生み出し、今までとは逸脱した力を爆発させて相賀の展開する守りを叩き割った。
そして今、京の拳が相賀の顔面目掛けて振り抜かれた。
地面に叩きつけられて苦しげな相賀はなんとか意識を手放さずにいた。
もういい。
これは元々、相賀に持ち込まれた戦いではないはずだ。
決闘の理由なんて馬鹿らしい。
見栄と下心の争いなんてくだらない結果しか残さない。
立ち上がろうとする力を全身から抜いてこれ以上の戦いを諦めたことを察した偉助は、意識を失いかけた親友に駆け寄ろと一歩踏み出した瞬間、それがいた。
一瞬、季節外れの雪がそこにあるのかと錯覚した。
「あの娘は……」
近くから帳の声が聞こえた。
そこには陶器のような白い肌に月明かりを溶け込ませたかのような銀髪、そして暗い印象を受ける鈍い寒空の色をした大きな瞳の少女が立っていた。
少女であるはずの相賀の側に立つその人物は、しかし、まるで妙齢の女性を思わせる艶のある雰囲気と、母性のような眼差しを相賀に向けていた。
そんな異国情緒溢れる少女は思いの外、流暢な日本語で、相賀に母のように声をかけ始めた。
しかし、その言葉もよく聞けば自分よがりな発言であることに気付かされる。
いつ現れたのかわからないその少女の周囲の意識を奪う倒錯したような美とオーラに、偉助と帳は現状を忘れてしまう。
それは一時も目を離さなかった京も同様のようで、遅れて目を丸くし驚いていた。
少女が相賀の顔へとその小さな手のひらをかざした。
直後に響く少年の悲鳴。
その悲鳴に金縛りが溶けたかのように全員の意識が現実へと引き戻された。
「何をした!」
被さる怒号。
その怒りを顕にした声に、少女が偉助へと顔を向けた。
にっこりと笑みを浮かべるその少女の顔に悪意が見受けられない。
まるでこれから楽しいことが起きるよとでも言いたげな表情に、偉助の顔が引きつった。
「イィィイイィイイィィイイイイイィィイイイ」
精神が引っ掻き回されるような声が少女の足元から聞こえた。
「おい、冗談だろ」
その声に聞き覚えがあった。
つい先日だ。
まだ記憶も褪せない恐怖の色濃い1日。
人間のシルエットをした人間であるはずのない化け物の記憶。
その理不尽な強さを前に、なにも出来ないまま昏倒した苦い記憶。
その化け物と同じ声が親友から発せられていた。
「まさか……」
帳が感じていた嫌な予感の正体を想像してしまう。
呻き声を上げ続ける少年が、のっそりと上体を起こした。
「勇者様、お逢いしとうございました」
万感の想いの篭ったその声に、京は戸惑いの表情を浮かべた。
当然、眼の前の少女に心当たりはない。
しかし、まるで長年顔を会わせることのなかった恋人同士のような反応に記憶を探るが、やはりその顔に覚えは無かった。
「君と俺は初めて会うと思うんだけど、どちら様かな?」
戸惑いと訝しさを浮かべつつも、努めて優しく声をかけるその姿は、人当たりの良い外様向けの猫を被ったその時の京 将暉だった。
「黙れ下郎」
「は?」
恋する乙女の表情から急転直下。
氷のような冷たい眼差しに京の表情がひきつった。
あまりの変貌に思考が追いつかない。
「貴方に発言は許されていません。我が主の上でものを喋るのは控えなさい」
「何を言って……うっ……」
その温度差の激しい感情と一方的な物言いを前に京は苛立ちを必死に抑え込んで疑問を口にしようとした瞬間、きっ、と睨まれた京は二の句を継げることができなかった。
「さぁ、起き上がりなさい。そして勇者様をお救いしなさい」
「ヤヤャャヤャャヤヤヤヤャャヤャヤヤヤ」
相賀がのそりのそりと立ち上がる。
ゆっくりとした動作。
身体の軸がなくなってしまったかのようにふらつき、呻き超え声を漏らしながら立ち上がる姿はまるでゾンビ映画のワンシーンかのようだった。
「おい、周成……」
さっきから名前を呼ぶことしか出来ない偉助は己の無力さを嘆くも、状況は変わらない。
「ダァアァアァァァアアアァァア!!」
魔法陣が眼前一杯に展開された。
大小混合の魔法陣。
それは相賀が使用してきたスキルの魔法陣はもちろんのこと、知識あるものが見ればそれ以外の魔法陣も多くあることに気づけたが、その知識を有するものは今この場には居なかった。
「お構いなしか!」
帳の怒声は自分達諸共被害を出すことを躊躇しないその殺気と規模に対してのものだった。
「春日!私の後ろに隠れるんだ!」
「くっ……」
状況があの時となんら変わらない。
この現状に偉助はついて行けるだけの実力を有していないからだ。
歯噛みする偉助は、仕方なく帳の後ろへと姿を隠した。
魔法陣が一斉に輝いた。
突如として荒れ狂う風の猛威。
体を引き裂こうとする風が広間を破壊しながら吹きすさぶ。
「『剣牢』!!」
全てを吹き飛ばす風を、帳の剣圧をもってなんとか凌ぐ。
しかし、どんなにその刀で風を凌ごうと、力も数も足りない。
徐々に体に浅い傷を作っていく。
制服が小さな裂け目を作っていき、血が白い生地に滲む。
それは後ろの偉助も同様だった。
いくら守られていようと、全方位に吹き荒れる風からは逃げられず、小さな傷跡がつけられていく。
どれだけの時間、この広間を支配していたのだろうか。
長い時間に感じられた凶風もようやく勢いを落としていく。
止めていた息を吸う音がいくつも聞こえた。
ぜぇぜぇ、と息を切らす帳は全身に傷を作り、破れた制服からはその白い肌が覗いていた。
「大丈夫か?帳……」
「あぁ、問題ない」
強がり姿を見せるもその顔に余裕は一切見られない。
あの時の蝋人間を相手していたときよりも、その顔は焦りに満ちていた。
しかし、余裕がないのはこちらよりも、その風の奔流を直接向けられた京のパーティーの方だった。
京だけでなく、防御系統の魔術スキルを使用できる滝尾 摩耶華をもってしても被害を抑えきれずにいた。
京はなんとか立っている様子だったが、守りに立った滝尾 摩耶花を含めた女子三人はその後ろで息も絶え絶えな状態だった。
あの一撃で、戦闘不能へと追いやられていた。
「流石!勇者様でございます!そのお力はやはり救世と謳われた方と相応しきもの!私の誇りで御座います」
恭しくお辞儀する少女のその言葉は既に崇拝の域に達していた。
「……だから、なんの、こと、だっ……!」
突然現れ、親愛の情を向けられたと思ったら無碍に返され、殺されかけ、そしてまたその熱い感情を向けられている。
京の言葉を聞いて機嫌を大変損ねている少女の顔を見て、あぁ、やっぱり、と簡単に予想があたった。
風邪を引きそうなくらいの温度さと理不尽な暴挙に京も限界だった。
「なんのことだっ──つってんだろうがぁ!!」
依然として消えない聖剣を片手に、怒りの中少女へと突進をかける京。
その動きに戦術といった思慮は一切感じられない。
感情のまま、まさに猪突猛進。
しかし、今の京 将暉はそれですら脅威な程の力を有していた。
底上げされたステータスによって人間を大きく逸脱した速力で少女へと肉薄。
光を強めた聖剣が少女を縦に割らんと振り下ろされる。
「だから黙りなさいと言っているでしょう。平坦な器如きが」
しかし、竜すら叩き伏せた聖なる剣は少女には届かない。
少女との間にある空気の塊にその剣筋を邪魔されていた。
「忌々しい光と剣ね……」
憎々しげ言葉を聞いた直後、横から手が飛び出した。
咄嗟に横へと飛んで京はそれを避けた。
「イイイィィイイィィィイイィィィイィィイィ」
よだれを垂らし、焦点の曖昧な相賀が少女を守るように京へと攻撃を仕掛けたのだ。
「イカれてやがる……」
ついさっきまで尋常な勝負をしていたとは思えない少年の姿に、京は複雑な感情を抱いた。
「ねぇ」
京に向けられた囁くような声、強引に意識を向けさせられるような引力をもったその声に京は反応してしまう。
その隙をつくように相賀が上から両腕を振り下ろした。
「しまっ───」
───ガキン。
金属が打ち付けられる音と共に、京と相賀の間に帳が割って入った。
「もう、決闘などと呼べる状況ではないだろう。助太刀しよう」
「あ、あぁ!助かる!」
再び、肩を並べる事は出来ないと思っていた少女との共闘に京は喜ぶ。
帳の力は京も知っている。
スキル外の能力が高く、その上で強力なユニークスキルを有する帳は、対個人戦では『聖剣開放』を覚える以前の京よりも上で、ユニークスキルの決定力は恐らく、今の京よりも上だ。
そんな強力な助っ人に京は心のなかで勝ちを確信した。
「油断するな将暉。今、私達は死地にいるぞ」
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