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雑念と憧憬と恋心

 校舎から少し離れた位置にある修練場。


 武器の試し斬りや影響の少ないスキルの試しに使われる事はしばしばあるが、その者たちは意識の高い方と言えた。


 それほどまでに武術を学ぶ生徒は少ない。


 スキルを使用すれば練達の技を再現できるが故に、スキル以外で攻撃をしない今の探校生は、体一つで剣を振るうことの必要性をまるで感じていなかった。


 故に修練場に足繁く通うものは居らず、たまに姿を見せるものがチラホラといる程度。


 そのがらんとした修練場に一人の少女が汗を流して刀を振っていた。素振りで型を確かめる様に何度も何度も往復する動きに微調整を施しながら最適解へと近づけていく。


 少女──帳 凛は先日の戦いを思い出しながら、悔しさを振り払う様に振るう剣に力を込める。


 彼女が抱いている帳一刀流への誇りと、幼少からの努力、そしてなによりすべての原動力となっている刀を自在に振るう父への憧れ。


 そのすべてが、あの化け物に、いやダンジョンという存在そのものに馬鹿にされたような気がしてならなかった。


 彼女の磨いてきた剣技は蝋人間相手に痛痒を見せることすら出来ず、反対に、時間も掛けずにいつの間にか使えるようになっていたスキルだけがあの化け物にダメージを与える事ができていた。


 スキルを初めて使ったときの感情が蘇る。


 技名を呟くだけで、体の動きが最適化され、自分では再現の出来ないその技の理想的な型を勝手になぞった剣の冴えに、複雑な気持ちを抱いたのだ。


 今敵を倒して、覚えた技を今使って繰り出される絶技に理不尽なものを感じた。


 周りを見渡せば皆が同じような技を使っている。


 己の流派の技とは信念が違えど、そのどれもが皆、今の己の剣の腕より遥かに上なのだ。


 目眩さえ覚えたほどだ。


 しかし、己は探索者になったのだ。


 郷に入るなら郷に従え。


 その言葉で己を無理やり納得させ、探索者として実力をつけてきた。


 己の鍛えた剣がすべて無駄になったわけではない。


 最も重要な足運びはもちろん、相手の出方を伺い、予測しながら戦うなどの戦闘のいろはは十分以上に役に立ったし、大きなアドバンテージだった。


 そのおかげで他より強敵と立ち会えるし、その分成長が早かった。


 そのタイマン性能が買われて京 将暉から声がかかり、京のパーティーへと合流。


 その後の成長は更に早く、上級クラスである《剣豪》へと至るまでになった。


 ユニークスキルも覚え、10階層までなら敵なしだった。


 探索者としての身体能力も相まって、帳一刀流の技でもあまり苦労をすることはなかった。


 だから忘れていた。


 己の鍛えた剣が、スキルに劣るということを。


 それを目の当たりにして、蓋をしていた感情が突沸のように湧き上がった。


 歯ぎしりが鳴る。


 奥歯が砕けそうな程に食いしばられた彼女の表情はどこか泣きそうだった。


 雑念を自覚した帳は振るう腕を止めて下ろした。


 首にかけてある白いタオルで滴る汗を拭い、湧き上がった悔しさを飲み込んでいく。


 心の平静を取り戻すために深呼吸を数度。


 「はぁ……まだまだ未熟だな私は」


 彼女は心・技・体の一番大事にしている心が未熟だとため息を吐いた。


 心が乱れていては技は狂い、体は調子を崩すのだ。


 心はいつでも凪のようでなければならないのだが、これが難しい。


 いつも落ち着いていた巌のような父を思い出して過去を懐かしむ。


 あの背中に憧れて女にして刀を握ったのだ。


 その背中に触れることの出来ぬまま腐る事は出来ない。


 それにあの時、滝虎 灰が言ってくれた事。


 スキルでなく、帳家の技を必要としてくれた事。


 そして滝虎のユニークスキルありきだが、帳一刀流の、己が目指す道の先が僅かだが見えた事が今の帳の心の支えになっていた。


 意識を入れ替え、雑念を無理やり払うように帳が刀を構えようとしたその時、入口の方から人の気配を感じ取って振り返る。


 「誰だ?」


 意図的に気配を小さくしていると分かる入場者に誰何を投げかけた。


 「気配消してるつもりだったんだか、やっぱり剣姫様は違うな」


 そこには苦笑いを浮かべる偉助の姿があった。


 「気配を消して入ってくるなどやましいことでもあるのか?」


 憮然とした態度の帳に偉助は慌てて誤解を解こうと口を開いた。


 「悪かったって。だから人を覗き魔扱いするのはやめてくれっ」


 「ならなぜそんな器用な真似をする」


 帳はこれでも長い事、剣に時間を費やした武人だ。人の気配を察知するその感覚は人並み外れている。


 その察知能力を持ってしても、扉を開けて修練場の畳を踏むまで、気づくことはできなかった。


 「わざわざスキルか?」


 それなら本当に覗き魔として対処したほうが良さそうだ。例えば腰の捻りを十分に効かせたハイキックをぶち込むとか。


 「こんな事でスキルを使ったりしないって。そもそも俺のクラスは魔法剣士だから斥候(スカウト)じみたスキルは持ってないって」


 「……なのにパーティーでは斥候をしてるのか。お前達のパーティーはとことんセオリーに当てはまらないのだな」


 「セオリー通りにできるならそうしたいさ。それに恵まれなかったからスキル以外に頼らなくちゃいけないんだよ」


 やれやれと大げさに首を振る偉助に帳は話を本題へと切り替える。


 「それで、スキルに頼りたい奴がどうしてこんな所に来たんだ?」


 「気配消してたのは悪かったって、これは俺の悪い癖みたいなものなんだ。だからそんな刺々しくしないでくれよ」


 「す、すまない。そんなに邪険にするつもりは無かったんだが、少し、心が乱れていたようだ」


 気配を消す輩にあまりいい印象の無かった帳は、知らず知らずの内に、これから正式に同じパーティーになる仲間に棘を出していたようだ。先程の事も相まって平静さを崩してしまっていた。


 「いいよ。俺が悪いわけだし。ここに来たのは単に特訓のためだよ」


 「特訓?珍しいな、スキルの試用でもなく?」


 偉助のような生徒はゼロでは無いが非常に少ない。ダンジョンが一時封鎖をされても尚、偶に顔を見せる生徒の頻度が多少増える程度だ。


 「スキルなんて使い慣れたものばっかだからな」


 暗に新規のスキルが無いことを自虐気味に言っているようだ。


 「ここへは体術の練習にな」


 そう言ってストレッチを始める偉助。


 「前から聞こうと思っていたのだが、お前も何か流派のような物を学んでいるのか?」


 スキルに頼ることの少ない下級生の時期に、その身のこなしで周りから重宝された経歴のある偉助に、滝虎同様に以前から興味があった。


 「学んでたっていうか、叩き込まれたっていった方がしっくりくるな」


 「家が武道でもやっていたのか?」


 帳は自身の家系を引き合いに聞く。


 「まぁ、似たようなもんだな。それも昔の話なんだが」


 その返答に帳は深く詮索するのをやめた。


 「あのばけもんと戦ってて思ったんだ。スキルって大事だなってさ」


 痛い所を突く偉助の言葉に何かを言い返そうとするが、それを覆せるほどの弁も実力も帳は持ち合わせていなかった。


 「……スキルの試用に来たのではないのではなかったか?」


 そう返すのがせいぜいだった。


 「あぁ。スキルは重要だ。残念極まりないが、探索者として最重要だといっても差し障りはねーよ」


 「……」


 同じく武道を学ぶ者でも他と同じ結果に辿り着く。


 その事実にわかっていながらも、動揺を隠せない帳がそこにはいた。


 聞きたく無い言葉だったのだろう。


 片肘を持って上から背中へと押し込むようにして柔軟をしていた偉助は帳の様子を横目で見て言葉を続ける。


 「でも、今はダンジョンの中に潜れないし、新しいスキルがあるわけでもないしで、やれることをやらなくちゃいけないんだと俺は思ってる」


 あぁ、その通りだと、帳も思う。それしかないと、逃げるように剣を振っている。


 「あの時、俺は頼れる様な強力なスキルは無いけど、もっとやれる事はあった。普段から体術磨いてりゃ、あいつの撹乱程度は出来たかもしれない。そうしたら、お前や相賀が強力なスキルをぶち込む為の時間は稼げた筈なんだ」


 偉助の前向きな言葉。


 しかし今の帳の暗い気持ちを照らすには足りなかった。


 「しかし、奴に私達のスキルは通用しなかったぞ」


 思わず溢した言葉に帳はハッとした。


 「だとしたらどうやって倒したんだともう一度聞き出したいところだが、どうせあいつだろ?」


 「……」


 確信めいた偉助の言葉に帳は何も言い返せない。


 「あいつが何か隠してるのはまぁ、何となく察してる。やっぱ奥の手があんのな。置いてかれた気分だな」


 「……怒ったか?」


 偉助のぶっきらぼう物言いに、二人の関係に罅を入れたのではないかと不安に駆られた帳は恐る恐る口にした。


 「いいや、そんなかっこわりぃ事は言わねーよ。寧ろ良い目標じゃねーかよ。いずれ追いついてやるさ。それまではこっちから何も聞いたりしねーから安心しろよ」


 表情にギラギラとさせた意思を乗せて言い放つ偉助に帳は眩しい物を感じた。


 「お前は強いな」


 自分と比べて前をしっかりと見据える偉助、対して逃げるようにして剣を振るう自分とは違う強さに、帳は叱咤された気分になった。


 「とりあえず今は体術を鍛え直す!できることをやって、どんな敵がきても自分ができることを最大限やれるようにするだけだ!そうして死ぬなら悔いはない」


 探索者たるもの何時死が訪れてもおかしくなどない。


 それが前回の蝋人間戦だったという可能性も十二分にあった。


 滝虎 灰がいなければあの戦いは正に死地であった。


 友人が自分より先を行くことを秘密にされていても、あの場で死んでいてもおかしくなかった経験を積んでも尚、眼の前の少年の瞳は灯火を揺らす事すらせず、その視界を明るく照らしているに違いなかった。


 「どうしてそこまで強くいられるんだ?」


 自然と湧き上がった疑問を偉助に投げかけた。


 「憧れてる人達がいるんだ。その人達と肩を並べるまで俺は絶対に諦められない。あんたもあんだろ?どうしょうもないほど焼き付いて離れない人の姿が」


 その言葉を聞いてすぐに父を思い出す帳。


 憧れのためにひたすらに努力をする。


 偉助に帳のような焦りは無いのだろう。


 報われないかもしれないという恐怖心も無いのだろう。


 帳が抱く、探索者という存在に対する矛盾する嫉妬心も当然。


 「ふっ、私は不甲斐ないな。武人だと自覚していたつもりだと言うのに、最近までサボっていた男に諭されるというのだから」


 自嘲気味な言葉はしかし、己の愚かさを吹き飛ばす為の笑みだ。


 まだ完全に焦りも、恐怖も、嫉妬心も消えたわけではない。


 しかし無様に剣を振っていたさっきとは違う。


 負けず嫌いな帳は眼の前の少年の気高い意志を認めると同時に奮起した。


 一番大切だと自負する心で負けていられない、と帳は己に喝を入れた。


 「ま、あんたほどの人間が何にそう焦っているのかは知らんけど、あんたなら大丈夫だろ」


 ストレッチを終えた偉助が型の練習に入る。


 それを見て自分も心機一転、剣を振ろうとした所で、そうだ、と偉助がこちらに顔を向ける。


 「こっそり聞いたんだが、あんたんとこのリーダーが灰を屋上に呼び付けてな、決闘申し込んでたぞ。結構あくどい感じに」


 「なに……!?」


 突然の内容に帳は寝耳に水だった。


 「どうして将暉はそんなことを言い始めたんだ!」


 帳の疑問にこいつまじかといった様に驚いた偉助に帳も戸惑う。


 「わ、わたしか?」


 恐る恐る聞く帳に偉助は大仰に頷く。当然だとばかりに。


 「あんたを灰に盗られたとでも思ったんだろ」


 「私が自分の意志でお前達のパーティーに参加すると伝えたんだっ。決闘なんてした所で私の意思は変わらないぞ!そもそももう実習での卒業の為の成績は達せられたんだ、私が居なくとも別に……」


 成績も戦力も十分だと言いたい帳に偉助は呆れたようにため息を吐く。京の事はあまり好きではないが、少し同情してやりたい気持ちになった。


 「そう言う事じゃないんだがな」


 その言葉を聞いても帳の頭の上の疑問符は消えていないようだ。


 「ところで、あんた。勘なんだが、俺の気配に気づいた時、灰が来たとでも思っただろ」


 「なっ、なぜそうなる!誰が来たかなど分からないじゃないか!」


 心を見透かされたような偉助の言葉に帳は今日初めてのキョドりを見せた。


 誤魔化そうとするが、その反応が答えを物語っていた。


 「そう言うとこだぞ」


 再び疑問符を浮かべる帳に、あーこれは付ける薬ねーわと偉助は諦めたのと同時に、恋心が実りそうにない勇者様に憐憫の念を送った。


 (あいつならNTR?なんて煽りで京に言いそうだなぁ。俺は流石にいい切らねーけど)


 この場にいない張本人が今どう思っているのかは分からないが、眼の前の少女の反応をあの馬鹿に話すのは辞めておこうと心に留めた。


 

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