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蝋人間

 言葉に出来ないプレッシャーが4人を襲う。


 膝をついてしまいそうな重圧に、冷たい汗が背中を伝う。


 口の中が乾いて、喉がひりつくように苦しい。


 目の前の人影が徐々に近付いてくるのを、ただ待つしかない状態。


 誰かが飲み込んだ唾の音が嫌に響く。


 ───イィイ、イ、イイイィイ


 呻き声が耳を撫でた。


 その声だけで皆の背中が凍り付く。


 まるで、助けを求めるような、誰かを道づれにしてしまいそうな、奈落から響くような亡者の声。


 影から浮き出た魍魎の姿は、溶けた蝋燭のようだった。


 全身が溶け、爛れ、そして固まってしまった、元には戻れない人間のようで。そして恐らくその印象に間違いはなさそうだ。


 「あれは、魔物なのか……?」


 開口一番はやはり帳だった。


 似た重圧を経験しているためか、立ち直りは周りより早かった。


 「あんなの、見たことも聞いたこともねーよ。何だよアレ。ファンタジーの類いじゃねーだろ」


 授業でも聞いたことがなければ、教科書にもデータベースにも載っていない未発見種。


 それは未だに情報を持ち帰った探索者が居ないと言うこと。


 新種故か、それとも遭遇しても持ち帰ることに失敗をしたのか。偉助に判断はつかない。しかしもし後者ならば、そのパーティーの結末は……


 「こんなの……どうしろって」


 力をつけた相賀も、目の前のプレッシャーに心が折れかけていた。


 その驕った気持ちさえ飲み込んでしまう化け物は歩みを止めること無く近付いてくる。


 放たれるプレッシャーに対して、その化け物は灰達とそう変わらない背丈だった。


 中途半端に溶けて固まった蝋燭のように表面は波立ち、全身を所々黒く染めている。


 ───ヤャヤヤャャヤャヤ


 交戦距離にまで到達した蝋人間に、ようやく4人の体は臨戦状態へと移行する。


 「先手をかけるぞ!」


 音頭を取った帳に灰が続く。


 2人は左右から挟むように斬りかかった。


 「『兜割』ッ!」


 灰の斬擊は痛手を与えることが出来なかったが、帳の発動したスキルは、大上段からの一撃をもって蝋人間の頭をかちわった。


 「よし」


 顔をしかめるほどの響き渡る絶叫が効果の程を示す。


 その手応えに帳は内心で弛みが生まれた。


 「だめだ!帳さん!」


 残心を忘れた帳に灰の焦声が飛ぶ。


 頭が二つに避けて尚、止まることのない蝋人間が太い腕を帳に向けて振りかざしていた。


 斬擊後、すぐに距離を取った灰は、帳の救助には僅かに間に合わない。


 「『ハードスラッシュ』」


 気付かぬ間に距離を詰めていた偉助のスキルが蝋人間の胴を斬りつけるも、僅かにたじろぐのみでその動きを止めない。


 しかしその僅かな時間で十分だった。


 急加速を見せた灰が、帳を抱き抱えるようにして離脱。空間に微少の青が散る。


 「『烈風(フィアス・ウィンド)断刃(・セブランス)』!」

 

 帳への暴腕を妨害し、ヘイトを買って孤立した偉助を助けるべく、相賀の魔術スキルが蝋人間を幾重にも切り刻む。


 「助かった!周成!」


 偉助はすぐに後退し、灰達の元に戻る。


 「すまない。油断した」


 「あれはしょうがないよ。普通なら頭を二つに割った時点で終わってるはずだし。見てよ、全身裂けるチーズ見たいになってるのに最初と何も変わらない。相変わらずの圧だよ」


 見た目がよりグロテスクになっただけで敵の様子は最初と全く変わらない。


 呻き声を最初からあげているから反応でダメージが予測できない。


 身の毛もよだつプレッシャーだけが、敵の脅威を依然として知らしめている。


 「残心を忘れるなど、自分でも知らない内に心に恐れがあったのだな」


 

 「ダァアァアァアァアアア!!!!」


 呻き声、絶叫、続くは咆哮。


 先程の絶叫など比べ物にならない大音声が空間を激しく揺らした。


 まるで内臓が揺れているかのような音圧に体が強ばってしまう。


 「不味い!くるぞ!」


 その瞬間には既に帳の目の前で腕を振りかぶる蝋人間がいた。


 「ぐっ」


 回避の出来ない一撃に刀身を合わせるも、襲いかかってきた衝撃は人間程度の質量の威力では決してなかった。


 帳の成長した探索者としての膂力と鍛え抜かれた体幹を持ってしても受けきることのできない脅威の腕力。


 受け止めきれない力で体が砕かれそうになるのを回避するため体を後方へ逃がすように飛びしさる。


 大きすぎるエネルギー量に帳の体は大きくぶっ飛んだ。


 前線を離れた帳を目で追いかけ、灰は無事を確認すると周りに檄を飛ばす。


 「距離を取れ!」


 腕を振りかぶった後、緩慢な動きを見せる蝋人間から距離を取る三人。


 「『烈風(ゲイル・)(フォース・)急襲(アサルト)』」


 相賀の強力な風の魔術が蝋人間を後ろへと押し止める。


 「大丈夫?とばりん」

 

 「……斬るぞといっただろ」


 刀を杖に立ち上がる帳に大きな外傷は見られない。軽口に応えられる程度にはまだ余裕があるようだ。


 「どうやらかなり憎まれているようだな」


 「そりゃ、頭を二つに割ればね」


 最もダメージを与えている帳は標的として最優先で狙われているのだろう。最初よりも空気を支配するプレッシャーが自分に集中しているのが帳にはわかる。


 「イィイィイイィィイイイ」


 動きが鈍い蝋人間は再び呻き声をあげ始めた。


 すると、ぐじゅり、ぐじゅり。

 

 不快な音を立て、風や剣で傷付けられた箇所が元に戻り始める。


 2つに割かれた頭も同様に。


 「効いてんのかもわかんないうちに再生し始めるとか厄介すぎんだろ」


 自身が攻撃した胴を眺めながら、愚痴垂れる偉助。


 「僕の魔術もあんまり効いているようには見えなかったよ。本当ならもっと威力があるはずなんだ。アレだけで済むはずないんだよ」


 怯えの色を隠せない相賀。自身の持つスキルの威力を知るがゆえに、敵への警戒は灰や偉助よりも大きいはずだ。それは帳も同様だ。


 「再生しきる前に全員でスキルを叩き込む!滝虎もだ!」


 ぐじゅり、ぐじゅりと音を立てながらも、こちらを向き攻撃の意識を見せる蝋人間にそう時間の余裕が無いことを悟る。


 「いくぞ!──『兜割』!」


 機を逃さぬように駆ける帳に、灰と偉助が続く。


 「沈んでくれよ!──『ハードスラッシュ』!」


 「『風の弾丸(ウィンド・バレット)』っ」


 偉助のスキルと前線を巻き込まない程度の相賀の魔術スキルが同時に蝋人間に向けられる。


 「……ハードスラッシュ」


 やや遅れて偉助と同じトリガーワードを呟く灰。


 同時にスキルによって瞬間的に跳ね上げられた身体能力が剛剣を生む。


 三つの剛剣と無数の弾丸が蝋人間を襲う。


 再び上げられる絶叫と切り裂く音。


 癒着した頭が、今度は胸まで断たれ、二本の腕が斬り飛ばされる。全身を細かく銃弾によって殴打され、でこぼこになった蝋人間。


 四人同時のスキル行使は蝋人間の体の形を大きく変えることに成功した。


 「手応えありだよな?」


 「僕の魔術も全弾命中したよ」


 「……やったか?」


 「いや、そのセリフはどうかと」


 「ヤヤァヤヤャヤヤヤヤャャヤ」


 動きを止めた蝋人間の足元に魔方陣が出現した。


 「おいおいおい!このなりで魔術師ってか!」


 「ッ……どおりで僕のスキルの通りが悪いんだね」


 「私は魔術師に力で負けたのか」


 「相手のスキルがくるよ」


 蝋人間の周りに無数のつららが現れた。


 漂う冷気に場の気温が下がっていく。


 「だいぶ強力そうなスキルだな。行けるか?周成」


 「……やってみるよ」


 「防御耐性をとれ、くるぞ!」


 その直後、敵のつららがようやく動き始め牙を向いた。


 「『風の盾(ウィンド・シールド)』」


 灰達の眼前で発生する暴風に、つららが方向を変えていく。しかし風の薄い場所を抜けてしまったつららが灰達を襲いかかる。


 「私の後に入れ!『剣牢』!」


 帳を囲う無数の銀線がつららを叩き落としていく。


 風を薙ぐ音と砕ける音が場を支配した。


 徐々に灰達の周囲の床や壁は凍りつき、白く染められていく。


 そして風を凪ぐ銀線の音は徐々に鈍くなり、牢の壁は薄くなる。


 銀線に煌めく白が見え始めた頃、ようやく吹雪は過ぎ去った。


 息を切らし、膝に手を突く帳の握る刀が凍りついていたのが見えた。重くなった剣を振るうのはさぞ大変だっただろうと灰は思う。


 蝋人間はまた立ち止まって何かをうめき続けている。


 「……無事か、三人とも」


 「ありがとう、帳さん。助かったよ」


 「周成もありがとな」


 「……るな」


 「周成?」


 相賀の様子がおかしい。


 なにかを呟く相賀に三人は負傷を心配するが、それらしいものは見当たらない。


 偉助が相賀の肩に手を置いた瞬間、後から再び魔方陣の光が飛び込んできた。


 「っ、また!」


 偉助が振り向き、小剣を構えて迎撃の準備に入る。


 「もう一度あの攻撃がきたらさすがに持ちこたえられないね」


 「くっ、もう一度全て弾き返してやるだけだ」


 剣を構える灰と立ち上がった帳には緊張の面持ちが伺えた。


 「おい!周成!もう一度あの防御スキル使えるか!……周成!」


 偉助は声を張り上げるが相賀の返事が返ってこない。それを不自然に思い。相賀のいる背中に振り向くと、蝋人間を睨み付ける相賀がいた。


 「ふざけやがって!僕がこんな所で苦戦するなんてあり得ない!僕の持つ最強のスキルでぶっ殺してやる!」


 そう叫ぶと徐々に風が相賀の周囲に集まってくる。始めはそよ風程度だったそれは、次第に強くなっていき、強風へと変わる。


 「まさか、相賀。それは……こんな所で使うつもりか!滝虎!引くぞ!」


 それを知っている帳は慌てたように駆け始める。風は既に身動きがとり辛いほどにまできている。


 「下がるぞ」


 「ちょ、なんだいきなり!」


 相賀の使うスキルを知らない偉助は困惑を浮かべたまま灰に首根っこを捕まれて相賀から引き離されていく。


 「『逆巻く(ドラゴニック・)龍の顎(トルネディア)』!」


 暴風はやがて竜へと変わり、天井を穿ち、壁を削り取っていく。


 崩れた天井や壁の石材を飲み込んだ風と石の竜は咆哮を挙げるように勢いを最大にまで加速させると、床を削り巻き上げながら蝋人間へとその(あぎと)を向け突き進む。


 蝋人間は遂に抵抗することもなく、竜の顎に飲み込まれた。


 飲み込んで尚、止まることのない濁流は7階層の床を突き破って進み、蝋人間の居た場所を腹の位置にまで来たところで消滅した。


 「な、んだそりゃ。周成……お前」


 「ははっどう!?これが僕の最強のスキルだよ!これならあの化け物もくたばったはずさ!あの訳のわからない男じゃないんだから!」


 「相賀、それを使うなら先に声をかけてくれ。知らなかったら後退が遅れて私たちまで巻き添えを食らったかもしれないだろ」


 「帳さんならこれを知ってるし大丈夫だって思ってたよ。いっくんだって僕の近くなら巻き込まないように調整はできたからね」


 「しかし、相賀……」


 相賀の足らない配慮に怒りが湧いた帳は詰め寄ろうと足を踏み出そうとした瞬間、空気が変わった。


 「やっぱ無理そうだね」


 灰の視線の先には不快な音を立てながら立ち上がる蝋人間の影があった。


 土煙が徐々に晴れていき、はっきりと姿を見せた蝋人間の姿は、竜に飲み込まれる依然とそう変わらない姿だった。


 ────イィイイィイィイィイィィィイイイ

 

 


 





 


 


 

 

 

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