雪山
俺はバスの外に放り出されていた。
仰向けになると、ぼんやりと夜空を見上げた。
「雪?」
まだ立ち上がれないほど、体中が痛かった。
落ちてくるものが『雪』なのかはっきり意識しないまま、俺は再び目を閉じていた。
どれくらい経ったか分からない。
「おい、しっかりしろ」
呼び掛けられた声に、俺は目覚めた。
「……」
俺は肩を担がれていて、遠くに見える小屋を目指し歩いていた。
「!」
突然そこで意識が戻ったことも驚いたが、もっと驚くことがあった。
あたり一面雪が降り積もっていた。
しっかり目を開けると、真っ黒な空から雪が降ってきているのが見えた。
「今は夏のはず」
「知らないが、降っているからは認めないと」
「あなたは?」
「お前が倒れていたから助けてやっている」
肩を担がれていて、互いの顔が近くにあった。
かなり眉毛が濃く、頭髪は癖毛でかつ硬そうだった。
随分と剃っていないようで、頬や顎に髭がびっしり生えていた。
「いや、そうじゃなくて」
「名前か? 長山というが、名を聞いてどうする?」
会話していると、吐かれる息が流れてくる。彼の息はとても臭い。
「なぜ助けてくれたんですか?」
「逆に聞こう。困っている人がいたら助けるのが人間じゃないのか?」
「……」
俺たちは小屋に着いた。
長山はコーヒーを淹れてやると言って、小屋の隅で湯を沸かしている。
どうやら、俺は足を痛めたようだった。
曲げるとかなり痛い。それと歩く時の衝撃程度でも、頭に響くぐらい痛みが走る。
「どうしてこんなところにいるんですか?」
「こんなところというが、ここがどこかわかっているのか?」
「私はU野原からバスに乗ってここまできました。だからここ、U野原野近く何じゃないですか?」
長山は湯をコップに入れたインスタントコーヒーに注いだ。
「さあ、知らん。そこなら夏に雪が降ってもおかしくないなら、そうなんだろう。ほら、飲め」
「長山さんはどうやってきたんですか?」
「車で峠を攻めていたら、減速が間に合わず、ガードレールを突き破った」
「えっ?」
まさか同じ場所から落ちてここに来たのではないか。
「U野原の近くの峠でしたか?」
「さあな。俺は、お前のいう『U野原』という地名に対して全く記憶がないんだ」
「き、記憶喪失とか、そういうこと?」
車の事故でここに辿り着いたにしては、彼は登山をしていたような格好をしている。
大きなリュック、見るからに登山靴を履いて、ポケットがいっぱい着いたベストを着ている。
「……かもしれん」
「どれくらいここにいるかは覚えていますか?」
「わからん。とにかく、ここにいても朝が来ないから、まだ一晩しか経っていないのかも」
話を聞けば聞くほど混乱してくる。
「何か食べているんですか?」
「ああ、食べている。持ってきたチョコレートとか、マヨネーズは食べ尽くしてしまったが、ここで調達した食べ物があるから腹が減って困ることはない」
長山はまた小屋の隅に行くと、麻袋から何か白いものを取り出した。
「腹が減っているのなら、お前も食べるか?」
白いものは、細めのソーセージのような格好のものだった。
ただ、色が毒々しいほど白かった。
「なんですか? それ」
「言うと食べたくなくなるだろうから言わん。ほら」
俺はそれを一つ摘んでみた。
確かに弾力などはソーセージのようだった。
だが、そのモノの持つ何かが俺に訴えてきていた。
『食べるな!』
と。
だから、俺はそのままモノを長山に返した。
「うまいんだがな」
長山はそう言って口に放り込んだ。
口の中でソーセージの皮が弾けるような『パキン』という高い音がした。
「……」
彼は何か物音に反応したようだった。
「静かに」
「どうしたんですか?」
「静かにしろ」
長山は小屋の壁に立てかけてあった鉈を手に取る。
そして小屋の扉に近づいて止まった。
何か獣でも近づいてきているのか、と俺は思った。
二人が黙っていると、やがて俺にも音がわかった。
外で何者かが雪を踏みしめながら移動しているのだ。
そして、近づいてきた音も、扉近くで止まった。
俺は息を呑んだ。