第37話 風紀委員の鷹宮さんは、感情の変化に気付かない⑧
あまりに突然のことで、ただじっと、僕の服の袖を握っている鷹宮さんのことを見ることしかできなかった。
彼女も俯いたままで、心ここにあらずといったように、何も反応を示さない。
「鷹宮……さん?」
「…………えっ!?」
そして、ようやく僕が彼女の名前を呼ぶと、我に返ったかのように僕の袖から手を離す。
「ごっ、ごめんなさい……! 私、何やってるんだろう……!」
鷹宮さんは、乱れてもいない髪を何度も撫でて、視線を彷徨わせる。
どうやら、自分でも何故、僕の袖を握ったのか分かっていないようだった。
「ほっ、本当に、変なことしてしまって、申し訳ありません……」
そして、幾分か落ち着きを取り戻した彼女は、先ほどまで僕の服の袖を握っていた左手に反対の手を添える。
ただ、その立ち姿が、今まで僕が見てきたどんな鷹宮さんの姿より、弱々しく見えてしまった。
いつも風紀委員として威厳を保っている彼女とはまるで違う雰囲気で……。
このまま、彼女は1人で夜を過ごすのかと考えてしまうと、僕の足が鉛にでもなったかのように、動かなくなってしまった。
「……藤野くん?」
そして、いつまで経っても車に戻ろうとしない僕を、さすがの鷹宮さんも不安そうにこちらを見てくる。
もし、もっと僕がしっかりしている人間だったならば、彼女を励ますような一言を言えたかもしれないけれど……。
所詮、僕は誰かの力になれるような言葉をかけてあげることはできない人間で……。
「言えばいいじゃないですか、先輩」
すると、僕の後ろから、そんな声が聞こえてくる。
僕は、その声に釣られるように振り返る。
すると、助手席の窓から乗り出すようにこちらを見ていた三枝が、不敵な笑みを浮かべながら僕に告げた。
「先輩の考えてることなんて、アタシからすれば丸わかりなんですけど、鈍感な鷹宮先輩には分からないみたいですよ?」
僕を試すように、三枝はじっとこちらを見続ける。
「先輩、言わなくても伝わるっていうのは、当事者のエゴです。人の気持ちなんて、言わないと伝わらないに決まってるじゃないですか」
呆れたようにそう告げる三枝の言葉が、まるで僕の背中を押しているようだった。
「……あのさ、鷹宮さん」
だから、僕は自分の今思っていることを、着飾ることなく伝えることにした。
「僕は……今の鷹宮さんを1人にしたくない」
鷹宮さんが手を伸ばして僕を引き留めてくれたとき、彼女の手が少しだけ震えていることに、僕は気付いていた。
でも、だからって僕に何ができるかなんて、具体的なことは何も分からない。
それでも、僕は自分がやりたいと思ったことを、そのまま言葉にして彼女に伝えた。
「藤野……くん。それって……!」
そして、僕の言葉を聞いた鷹宮さんは、戸惑ったような表情を浮かべて、僕の視線から逃げるように俯いてしまう。
……あれ?
この反応って、もしかして引かれてしまった反応なのでは?
だとしたら、僕って物凄く変なことを言ってしまったのはないか!?
「い、いや! 違うんだよ! 別に変な意味とかじゃなくて! その、鷹宮さんのことが心配というか、なんというか!」
僕は必死で、身振り手振りを交えて弁明を並べる。
傍からみたら、さぞかし僕のことは滑稽な姿に映っていることだろう。
「もうー、本当に締まりませんねぇ、先輩は」
すると、いつのまにか車から降りて来ていた三枝が、丁度僕の隣に立っていた。
「でも、先輩にしては頑張ったほうなんじゃないですかね。というわけで、アタシが先輩の願いを叶えてあげましょう」
「……はい?」
すると、三枝がポカンとしている僕の肩に置くと、満面の笑みを浮かべて鷹宮さんに告げた。
「鷹宮先輩。今日は藤野先輩を家に泊めてあげて下さいな」
……はて。
この後輩は、何を言ってらっしゃるのでしょうか?
「藤野くんを……私の家に……!?」
そして、機械的に口を動かし復唱した鷹宮さんも、ようやく三枝の言ったことを理解したのか、慌てて三枝に反論する。
「ちょ、ちょっと待ってください! ど、どうしてそんな話になるんですかっ!?」
「どうしてって、さっきの先輩の勇気ある告白を聞いてなかったんですか? 先輩は鷹宮先輩と一緒にいたいって言ってくれたんですよ? だったら、その気持ちに応えてあげるためにも、一夜を共にしてあげてもいいじゃないですか?」
「い、一夜を共に!?」
三枝から何かを言われるたびに、鷹宮さんの顔がみるみる赤くなっていく。
「さ、三枝! 変な言い方するなよ!?」
「えー、でも、先輩がそうしたいって言ったんじゃないですかぁ?」
わざとらしく口に手を抑えながら、ニヤニヤと笑みを浮かべる三枝。
「ま、ともかく、藤野先輩は鷹宮先輩のことを心配してくれているんですよ? その気持ちを無下にするのは、どうかと思いますけどねぇ」
「そ、そう言われても……!」
当たり前だが、鷹宮さんは三枝からの要求にイエスと答えるはずもないと思っていたのだが……。
「へぇ~。いいんですかねぇ~。アタシが持ってる鷹宮先輩の秘蔵動画をSNSに流しちゃっても~」
「!?」
鷹宮さんは、一瞬だけビクッ! と肩を震わせる。
正直、僕もすっかり忘れてしまっていたことだけど、そもそも何故、クラスメイトだということ以外、全く接点のなかった僕と鷹宮さんがこうして一緒にいるのかというと……。
鷹宮さんは、他の人には見られたくない動画を、三枝に撮られてしまったからだ。
詳細は、もう初期の頃に散々語っていたので省かせてもらうけれど。
つまりは、鷹宮さんは今なお、三枝に弱みを握られている状態にあるということだった。
「ほらほら~、鷹宮先輩~。あんな恥ずかしいところ、他の生徒には見られたくないですよねぇ~。だったら、どうすればいいのかは、賢い鷹宮先輩ならちゃ~んと分かってくれますよね?」
そして、わざとらしくウィンクを投げかけられた鷹宮さんは、パクパクと口を動かす。
「そ、それは……」
果たして、鷹宮さんが下した決断は――。




