第32話 風紀委員の鷹宮さんは、感情の変化に気付かない③
「はぁ……はぁ……!」
鷹宮さんの手を引っ張りながら、僕たちが逃げ込んだのは近くの公園だった。
だが、そこには人の姿も見当たらない。
これでは、誰かに助けを求めることもできない状況だ。
「……クソっ! あいつら、どこ行きやがった!」
しかし、街灯も少なかったお陰なのか、とっさに僕たちが茂みに隠れたことはバレていないようだった。
もしかしたら、このまま隠れていればやり過ごせるかもしれない。
荒くなってしまった呼吸を何とか整えて、その場から動かない。
隣にいる鷹宮さんも、僕と同じようにじっと息を潜ませる。
だけど、その間もずっと、僕は鷹宮さんの手を離さなかったし、彼女も僕から手を離そうとはしなかった。
彼女の汗と体温が、僕の手のひらを通して伝わってくる。
きっと、鷹宮さんだって今のこの状況が怖いに違いない。
そして、誰にも頼れないのなら、僕が彼女を守るしかない。
「……おい、逃げられちまったんじゃねえの?」
声だけだが、おそらく取り巻きだった男の1人が、そんな愚痴をこぼす。
「なぁ、もういいだろ? 面倒くせえし、もう帰ろうぜ」
すると、それに乗っかるように、もう1人の男も不機嫌そうに答えた。
「……チッ。わかったよ」
そして、2人の言葉に耳を傾けたのか、男たちは公園から立ち去っていこうとする。
良かった……。あともう少しやり過ごせば、きっとあの人たちもいなくなって……。
「――キャッ!?」
だが、鷹宮さんが悲鳴のような声を上げてしまう。
一体どうしたのかと思って、彼女のほうをみてみると、茂みに蜘蛛の巣が張っていて、そこに大きめの蜘蛛が姿を現していたのだった。
きっと、鷹宮さんはそれを見てしまって、つい声が出てしまったのだろう。
鷹宮さんも、慌てて口を塞いだのだが……。
「おっ! なんだよ、そこにいんのか?」
当然、鷹宮さんの悲鳴は男たちの耳にも届く。
「おい、出て来いよ! たっぷり可愛がってやるぜ!」
どうやら、僕たちから出てくるのを待っているようだ。
だけど、いつまでも待ってくれるはずなんてないし、痺れを切らしたら、すぐにこちらに来ることだろう。
ならば、僕が今から取れる策は、1つしかない。
「鷹宮さん……」
僕は子声で、鷹宮さんに話しかける。
「僕が、あの人たちを引き留めるから、鷹宮さんはその隙に逃げて」
「えっ!?」
鷹宮さんが驚きの声を漏らすが、僕はそれに気づいていない振りをして、早口で話す。
「心配しないで。こんな僕でも、多分、時間稼ぎくらいはできるよ」
「駄目です! そんなことをしたら……!」
「いいから、お願い」
そう言って、僕は鷹宮さんの手を離して、立ち上がる。
そのときの鷹宮さんが一体どんな顔をしていたのか、僕はあえて確認をしなかった。
もし、心配そうにこちらを見る鷹宮さんを見てしまったら、僕の決心が鈍りそうだったから。
「やっぱそこにいたか。ちょこまかと隠れやがって……」
男たちが、僕の姿を見て近づいてくる。
そして、僕も逃げることなく、茂みから出て彼らに近づいていく。
「……女はどうした? 一緒にいるんだろ?」
「彼女は……関係ない……です」
「関係ない? そもそもあいつが因縁ぶつけて来たんだろうが。あー、まあ、いいや。じゃあ、まずはお前からだ」
男たちは、分かりやすく拳を鳴らして、僕のほうへとさらに近寄って来る。
僕はこの時、「ああ、本当に、こういうことってあるんだな」なんて、まるで他人事のように考えてしまっていた。
多分、怖くて現実逃避をしてしまっていたんだろう。
だって、こんな展開、本当に漫画やゲームに出てくる展開みたいじゃないか。
ただ、1つだけ違うことがあるとすれば、僕は主人公にもなれないような人間だってことだ。
もし、漫画とかなら、ここで僕が、目の前の男たちをカッコよく倒すのだろうけど、現実はそうじゃない。
「んじゃ、まずは1発……っと!」
そんな馬鹿なことを考えている間に、男の振り上げた拳が、僕を襲った。
「――ッッ!!」
左頬に、強烈な痛みが発生する。
まるで、ハンマーで殴れたかのような衝撃で、立つこともできなくなった僕はそのまま勢いよく倒れてしまう。
「……なんだよ、やっぱ何もできねえのか」
僕に向かって、男は何か言っているようだけど、僕はそんなことよりも殴られたショックで頭が真っ白になってしまっていた。
思えば、喧嘩なんて妹とだってしたことなかったし、誰かに殴られることなんて1度もなかった。
「お前も俺に手出したんだから、これでお返しだろ? ほら、さっさと立てよ」
蹲る僕に、男は吐き捨てるように言い放つ。
立ち上がれ、だって?
そんなの、嫌に決まってるだろ。
誰が好き好んで、わざわざ殴られる為に立ち上がるんだ。
だったらいっそ、このまま大人しくしていれば……。
「――お願いですっ! もう、止めてくださいっ!」
だけど、そんな朦朧とした意識の中で、僕を庇う背中が視界に入ってくる。
こんな暗闇でも、綺麗だと思ってしまう黒髪が揺れて、花のような香りが鼻腔をくすぐる。
「なん、で……」
痛みを堪えて顔を上げた瞬間、僕が見てしまったもの。
それは、涙を流しながら、必死に僕を守ろうとしてくれる、鷹宮さんの姿だった。




