第30話 風紀委員の鷹宮さんは、感情の変化に気付かない①
「すみません……遅くまでお邪魔してしまって。そろそろ帰らないと……」
綾が用意した食後のデザートを食べ終えた鷹宮さんが、リビングの壁に掛けられた時計を見ながら、申し訳なさそうに僕たちに告げる。
「あっ! ごめんなさい! 私が引き止めちゃったから……」
すると、綾も本当に今気づいたように時計を見て、鷹宮さんに頭を下げる。
晩御飯を食べ終わったあとも、綾は鷹宮さんと話がしたかったようで、自分がいつもご褒美に食べるちょっと高めのアイスを提供して、鷹宮さんを引き留めていた。
だが、もう時刻は9時を回っていたし、あまり遅くなってしまっては僕としても心配になってしまう。
ということで、綾には申し訳ないが今日はここでお開きということになったのだが、
「お兄ちゃん、雫さんを駅まで送ってあげて」
妹から、鷹宮さんの見送りを依頼された。
「い、いえ、大丈夫ですよ。駅までは近いですし、そこまでやってもらう訳には……」
「私が心配なんです。それに荷物もありますし、いいでしょ、お兄ちゃん?」
綾の言う通り、最寄りの駅までとはいえ、夜に女の子1人で歩いて帰ってもらうのは、ちょっと不安なところがある。
本当は鷹宮さんの自宅まで一緒のほうがいいのかもしれないけど、流石に、彼女の家の前まで行ってしまうのは本人も抵抗があるだろう。
綾も、それが分かっていて『最寄りの駅まで』という提案をしたんだと思う。
「妹もこう言ってるし、いいかな、鷹宮さん?」
「……分かりました。では、宜しくお願いします」
そして、鷹宮さんにもちゃんとそのニュアンスが伝わっていたようで、僕の同行を許可してくれた。
「雫さん、また来てくださいね」
家を出る際、綾は名残惜しそうに鷹宮さんにそうお願いする。
「はい。必ず……またお邪魔させていただきます」
鷹宮さんは、頬を緩ませて頷いた。
その後、僕は鷹宮さんと一緒に、彼女の荷物を抱えながら自宅を後にする。
「鷹宮さん、今日はありがとう。妹の我が儘にも付き合ってくれて」
そして、マンションのエントランスを通り過ぎたくらいで、僕は鷹宮さんにお礼を告げる。
ずっと言おうと思っていたのだが、綾が一緒だったということもあり、今の今まで言えずじまいだったのだ。
「いえ……むしろお礼を言うのは、私のほうですよ」
しかし、僕の隣を歩く鷹宮さんは、空を見上げながら呟く。
「私、今までああいう風に、誰かと一緒に過ごすことはありませんでしたから」
「そう……なんだ」
本当なら、僕がここで上手く話を膨らませるべきだったんだろうが、何故かそのときの鷹宮さんの横顔が、悲しそうに見えてしまって、全く別の話題へとシフトさせてしまった。
「で、でも、綾のおかげで料理する為の道具はちゃんと揃ったよね。今日の肉じゃがも美味しかったし、お母さん、きっと喜んでくれると思うよ」
練習で綾が一緒だったとはいえ、作り方もちゃんと教わったはずなので、おそらく今度は鷹宮さん1人でも、しっかり料理ができることだろう。
「ああ、そのことなんですが……」
しかし、そんな僕の質問に対して、鷹宮さんは何か言い淀むようにして頬をかく。
「実はあれ……嘘なんです」
「えっ?」
予想外の返しが来たので、僕はつい、問いただすような声をあげてしまう。
「いえ、完全な嘘、というわけではないんです。仕事で忙しい母の為に何かしてあげたいというのは本当ですし、今日作った肉じゃがも、いつかは母に作ってあげようと思っています。ただ……」
そして、彼女は隣にいる僕をじっと見つめながら、告げる。
「本当は、藤野くんにもう一度、私の作った料理を食べて貰いたかったんです」
……今度は、問い返す声すらも出てこなくて、それどころか、思わず足を止めてしまっていた。
だが、そんな僕と同じように、彼女も歩くのを止めて、しっかりとこちらに身体を向ける。
「すみません……自分でも、どうしてそう思ったのか分からないんです。ですが、料理を作りたいって思ったとき、1番に顔が浮かんだのは、藤野くんでした」
そう告げた彼女の瞳は、暗い夜道だというのに綺麗に澄んだ色をしているのがはっきりと分かる。
いつもの学校で見るような、生徒たちに鋭い視線とは全く違うものだった。
「……だから、今日は藤野くんに、綾さんに手伝ってもらったとはいえ、美味しい料理を食べて貰えて、本当に嬉しかったです」
「鷹宮さん……」
「いいものですね。誰かの為に一生懸命になれるというものは……こんな風に思ったのは、初めてです」
感慨深そうに、そう告げた鷹宮さんは、また少し僕より前に出て歩き出す。
結局、僕はそのまま急いで彼女の隣に並び、一緒に駅までの道のりを歩いていった。
もちろん、道中ずっとお互いが無言というわけではなく、鷹宮さんからは明日も朝から風紀委員の見回りの仕事があるとか、僕は僕で三枝から与えられている課題を早くこなさなければ、また怒られてしまうといった、本当に他愛のない話を続けていた。
そして、気づけばあっという間に、最寄りの駅前まで到着してしまった。
もう夜も遅いので、駅の近くの店は殆どシャッターが下りて、店じまいをしている。
開いているお店といえば、せいぜい駅前のコンビニくらいだった。
「…………」
だが、駅の入り口まで向かっていたところで、鷹宮さんが立ち止まって、じっとそのコンビニを見続けて動かなくなってしまった。
「鷹宮さん……?」
呼びかけても、反応が返ってこない。
不思議に思って、僕もコンビニのほうに目を向けると、ある異変に気が付く。
まだ少し遠いので、はっきりしたことは分からないけれど、コンビニの前で、何人か人が集まっているように見える。
そして、その中で1人だけ、女の子の姿があった。
ただ、その女の子の様子が少しおかしいというか……。
実際その子がその場から離れようとしたにも関わらず、1人の男が執拗に後を付けていた。
「……藤野くん。少し、ここで待っていてください」
すると、鷹宮さんは迷うことなく、その男女のほうへと足早に向かっていってしまった。
「たっ、鷹宮さん!?」
僕は、慌てて彼女の名前を呼んだものの、そんなことで彼女が止まるわけもなく、
「あなた、何をしているのですか?」
気が付けば、女の人を追いかけていた男に向かって、鷹宮さんは声をかけていたのだった。




