二話
「こんにちはー!ごめんください、ちょっと水がめを貸してほしいの」
戸口で片目をおさえつつ声をかけると、おかっぱの髪が振り向く。
「ゆきさん!つかって つかって!」
はなは人懐こい女の子だ。血の繋がりはないが、村の中は兄弟のごとく育っている。
「ありがとっ」
椀を借りて目を洗い、喉を潤した。ふぅ…息を吐いた途端、日が陰ったようにゆきの周りだけ暗くなった。
「…!」
「よぉ」ものすごく近くで低く響く声にバッと見上げると真後ろにそう太のでっかい体が立ちはだかって日差しを遮っていた。「あれ?おまえまた背が縮んだんじゃねぇ?」
「んわぁっ…!!ちょ、ちょっと。突然真後ろに立たないでって言ってるでしょ」
しかも失礼な!どくりと大きな音を立てた胸元を押さえるが、
「あ、大にいちゃん。ゆきさん、今きてくれたとこだよ。」にこにこと見上げるはなの笑顔になんだか文句を言いたかった気持ちが萎んでいった。(もう言った後だけど。)
気を取り直して話しかける。
「おばさんは?」
「おゆうと川に行ったぞ。」
「そう。今日はまたいい天気だもんね。うちのうめ姉さんも行ったから向こうで会うかもしれないわね。」
「知ってる」
「………あ」
…そう、か。知ってても不思議じゃない。気にかけているだろうし。というかそう太の前ではあまりうめ姉さんの話に触れるべきでなかったのでは、と不安を覚えた。しまったな。
本人から聞いたわけではない。
が、そう太の目がうめ姉さんを追っていたり、
『働き者だよな』『お前と違って細かいことで怒らないから』『絶対良い嫁さんになるよな』等々の言動から察するに…そう、なんだろう。
しかしうめ姉さんには昔から親しくしている松さんという約束のお相手が既におり、妹の私から見る限り 誰かが入り込む隙は無さそうだ。そう太はうめ姉さんにしたら年下だし…つまるところ片想い。
松さんだって良い義兄になりそうだが、そう太に気の毒でノリノリに応援出来ずにいる。
色々脳内をぐるぐるし始めて言葉が出なくなった私の顔に、はなちゃんが困ったような顔をしたかと思うと、そう太に意味ありげな目配せをし始めた。『何か話せ』だろうか。
「…なんだ?昨日たまたま会って洗濯物が溜まったから洗いたいだとか聞いてたしな。遠目に川の方に続く道になんとなくそれっぽいのが通った気がして…」
あぁぁ…言い訳を始めさせてしまったかしら。えーとえーと…何の話だっけ…そう!
「で!私がお使いに来ることになって…今年の瓜はなかなか上手く出来たのよ。皆でどうぞ」
あわてて籠を差し出せば、先程から釘付けになっていた はなの目が更にきらめく。
「わぁーいっ!ゆきさんとこの瓜、瑞々しくてだぁいすきー!」
「ふふ…」
「おう、悪ぃな!そうだ。菜っ葉持ってけ。さっきとったばかりだぞ」
そう太の土まみれの大きな手が荒っぽく鷲掴みにして 瓜の代わりにどさどさと籠に葉物野菜を積んでいく。日に焼けた肌にゴツゴツした体つきが男くさくて、悔しいけど頼もしくなった。そのせいか最近ふと訳もなく居心地が悪くなる。突然そう太が大きくなったせいで、いまだ慣れずになんだかそわそわしてしまう。
「わわ…いっぱい。濃くて良い色ね!ありがと。」
「あれーゆきちゃんだ!」
「それ、ゆきちゃんとこの瓜?!」
わいわいとそう太の弟妹たちが集まってきた。
「うんうん、食べ頃よ。川で冷やしてお八つにお食べ。」
きゃーっと喜ぶ姿を見るのは制作者冥利に尽きる。帰って更に畑仕事に精が出せそうだ。やる気わいてきた!
「じゃあ 私もどるわ。」
さぁ…っと吹き抜けた爽やかな風に目を細めて、ゆきが笑顔を向けてきた。後れ毛を耳にかける細い手首の白さが眩しくて目を惹かれつつ、そう太は会話の終わりへの落胆を感じながらも笑顔を返した。
「…おう。おれも作業に戻るかな。」
首筋をがしがしと掻いて応じた。
またね、と手をふり来た道を戻る私の後ろ姿を見ながら兄妹はぼそりと会話する。
「大にいちゃんのばか」
「な…!ちゃんと説明したぞ…」
そう太だって、ゆきが何か勘違いしているのは分かっている。が、本人からそうと言われたわけでもないのに『違います、横恋慕なんてしてません』と言ってみたところで『うんうん、そっか』と切なげに微笑まれて終わると既に何度か実証済みだ。…信じろよ…。
幼馴染という気安さもある。そう太の照れ臭さを乱雑さで誤魔化してしまう性格と、ゆきの遠慮がちな思い込みも相まってなかなか焦れったい状況が続いているのだ。
はなは横目でちらっと兄を見ると、一つ呆れたようにため息をついてスタスタと行ってしまった。
「…まだ早いだろ…」好きだと、打ち明ける前に。もう少し雰囲気よくなっておきたい…が…どうやったらなるんだよ…
小さくなるゆきの後ろ姿に目をやり、そう太の口からも盛大にため息が漏れた。




