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恋の種の小さな話 4 葉桜の君

作者: 一唐

 〇〇デビューという言葉がある。

 生活環境の変化に合わせて心機一転と言葉ではよく言われるけれど、実際にそれをやる人って案外少ない。赤子の魂百までとか故事もあるように、さあやるぞと始めても大体は面倒臭くなって今まで通りの日常に回帰するもんだ。で、少ないからこそそれをやりきっちゃった人の変貌ぶりに他人は驚かされるのであって、〇〇デビューというのはどちらかというと、心機一転した当人ではなくはたから見る他人の視点に立って、人の変わりように対する困惑と驚きを現わす言葉なんじゃないかと思う。

 で、なぜそんな事を唐突に持ち出すのかというと、僕は今高校デビューしたやつを教室の椅子に座って遠巻きに眺めているからだ。

 そいつの名前はオノダという。オノダは学生の風紀としては望ましくない華美な友人たちに囲まれて、会話に花を咲かせている。

 オノダの人となりを言い表すのは実に面倒臭いので、オノダと友人たちの会話の内容を大まかに述べると、ウェーイでアゲアゲでタピオカでソルトでペッパーなんだそうだ。まあ、他人の会話の内容を盗み聞きするつもりもないので、聞き取れる単語を大雑把に並べればそんな感じだと思っていただきたい。そして、オノダというやつの外見はそんな感じの言葉に付随した人間像だと思ってくれればいい。

 現在は、という付箋ふせんも無論忘れずにだ。

 その日の授業を終え、下校していると桜の並木道を通る。並木道に植えられた桜の木は満開を少しすぎた感のある咲きっぷりで、道路には散り始めの花びらが牡丹雪ぼたんゆきのように淡い白の混じる桃色をひらひらと落としている。そして、そうやって少しずつ色を失っていく花に紛れて、青々とした葉が所々に芽を吹き始めている。

 そんな葉桜の姿を見て、僕はそういや桜って花が散ってから葉が茂るもんなんだなと、季節の風物に対して今更ながらに気づきを得る。

 ふと、桜の木の下で、散る桜の花びらを頭や制服の肩に積もらせて、桜の枝花えだばなを見上げる女の子を見つける。オノダだった。

 桜を見上げるオノダの横顔はキラキラとしていた。夕方前の斜光しゃこうにラメやグロスがきらめくのもあるかもしれないし、春の陽気に洗われた穏やかな胸の内がその風貌に現れているのかもしれない。いずれにしろ、僕には少しまぶしさに目を細めるような光景に見えていた。

 オノダも僕に気がつく。

 僕はオノダに近づいて、オノダの頭や肩に積もった桜の花びらを指でつまんで手のひらに集める。

「桜ももうすぐ散っちゃいそうだし、・・・、お花見でもしようか」

 僕は手の平に集めた花びらにふっと息を吹きかけると、一塊りの花びらたちはふわりと散って陽気の中の風に流れる。

「・・・ん」

 オノダは「う」がやや省略された大分ぞんざいでそっけない同意の返事を僕に返す。

 返事の仕方だけは昔と全然変わっていない。

 僕がオノダと会ったのは、いや同じ中学校に通っていたので、すれ違うなりは毎日していたのかもしれないけれど、親しく・・・も、なったと思っているのは僕だけかもしれないけれど、まあとにかくだ、付き合いができるという程度の関わり合いになったのは二年ほど前の事だった。

 僕はその夜たまらなくバニラアイスが食べたくなって近くのコンビニへ歩いていた。時計は夜の十一時を過ぎていて、スーパーなんかはとっくに閉まっている。バニラアイスというものは、深い意味も理由もなく、ある種の病的な発作のように突如として食べたくなるものだから困る。

 そんな僕がコンビニの店の前に着いた時に目に付いたものがあった。

 女の子がいた。年は僕と同じくらいで、寝巻きにしているようなスウェットにジャージ姿で、足は裸足にクロックスを履いているだけ。髪は洗ったままのボサボサで、顔は寝床からそのまま出てきたような洗った感じのないざらついた素面の質感だ。それで、女の子はコンビニの窓から漏れる明かりに身を寄せて、軒の下にしゃがみ込んでいる。手にはスマホがあって、布団から着の身着のままそれだけ握って飛び出してきたような姿だった。

 コンビニの扉を通る際に横目でちらり女の子を見ると、どこかで見たような気がする。そして、その子が僕と同じ学校に通っている子だと気がつく。

 僕がバニラアイスを買ってコンビニから出ると、その子はまだそこにいたけれど、店先にいる事を迷惑がった店員に追い払われたのか、しぶしぶと立ち上がったところだった。ただ、女の子はどことなく行く当てが無いように見えて、家に帰る様子もなく、スマホに目を落としたままだらだらと歩くふりをするように、進んでは立ち止まって、立ち止まっては進んでを繰り返していた。まるで、だらだらと時間をつぶして、何かが過ぎ去るのを待っているように見えた。

 別につけていたわけではない。けれど、僕と女の子はたまたま歩く方向が同じだったので、僕にはその子の奇態きたいに目を止める機会があったのだ。あと、通学路で見かける事があったような気がしていたので、たぶん住んでいる家の場所も割合身近な場所にあるだろう事も相まった。

 僕は変な子だと思った。でも、それと同時に、何かあったのだろうかとも気になった。なぜなら、暗がりの中のその子の表情がひどく沈んだもののように見えたからだ。

うち来る?」

 僕はその子に近づいて、自分でもよく分からないうちにそんな事を口走っていた。

 女の子はスマホから顔を上げて僕にけげんそうな顔を見せる。返事もしない。

「あ、いや、ほら。たぶん、同級生・・・かな?あ、別にいいんなら、いいけどさ」

 僕は照れたような苦笑いをしながら、自分でも何やってんだろうと思いながら、言い逃れのようなごまかしの言葉を言って、逃げるように歩を速めた。

 でも、初めはたまたま歩いている方向が同じなだけかと思えたが、どうしたわけか女の子は僕に付いて来る。

 それで、そのうちに女の子は僕の背中について玄関をくぐって、クロックスを脱いで家の中に上がり込んで、僕の部屋に入って、適当に居心地の良さそうな場所を見繕ってからそこに座り込んで、何にも言わずにスマホをいじりだした。

 僕と女の子の間には会話すらも無い。時計がコチコチと秒針を刻む音が聞こえるほどの不干渉だった。

 僕が買ってきたバニラアイスを食べようとすると、女の子はたまにちらりと僕の方に視線を向けるので、バニラアイスを分けてやる。僕と女の子間で成立したやり取りはせいぜいそんなものだけだった。

 しばらくすると、女の子は時計を見て、頃合いかとでも言うように立ち上がった。

「帰るの?」

「・・・ん」

 女の子はひどくそっけない返事をする。でも、それからひどくもごもごとした聞き取れないような言葉で何か言ってから、ありがとうとボソボソとした声で言ったような気がした。

「来たくなったらさ、来ていいから」

 僕は女の子の背中にそう言っていた。

「・・・ん」

 女の子はそんな風に声を残して出て行った。

 それがその当時のオノダの姿だった。

 それから、毎晩のようにオノダは僕の部屋にやって来るようになった。

 初めの頃は来るだけ来て部屋のすみに座ってスマホをいじってばかりいたが、その内に気を置く事もなくなったのか、僕の部屋のマンガをごろ寝しながら読んだり、僕と一つのコントローラーを都合しあってテレビゲームをしたりするようにもなった。学校の定期試験が近づいて、僕が勉強道具を持って来るように提案すると、勉強嫌いだしと口をとがらせはするけれど、勉強をする僕を見真似るようにしぶしぶと机に向かったりもした。

 それで、夜も遅くなった頃に、何かの頃合いを見計らったようにそっけなくすっと帰る。まるで、ルーティーンのようなオノダの来訪はそんな風に続いた。

 そんな事が続いて僕の部屋に起こった変化は思いの外ささやかなものだった。部屋の掃除を少し小まめにするようになったのでやや清潔になり、本棚のマンガのバラエティはやや少女趣味を含み、ゲーム機のコントローラーは二つになり、そこにあるセーブデータはタイトルごとに二種類になった。それはオノダは基本的に家で過ごせるだけ満足している節があったので、僕自身への干渉はささやかなものだったからだ。いつもそっけなく、「・・・ん」とだけ言って、どこか拠り所もないように部屋にいるだけの子だった。

 僕の両親は夜な夜な訪れるオノダに関して僕をとがめるような事を言う事はなぜか一度もなかった。

 その内に、僕の母親は近所の奥様方の世間話の体でそれとなく僕にオノダの家の事情を話す事があった。

 オノダの家は両親の関係が悪くなっているのだそうだ。日々口げんかが絶えず、何か争うような物が壊れるような物音が外まで聞こえて来る事まであるらしかった。

 その原因はオノダの祖母の介護ではないかというのが母をはじめとした近所の奥様方の見解だった。オノダの祖母は重度の認知症となっており、その内に寝たきりになってしまったらしい。そんなオノダの祖母の介護はオノダの母親がしているのだが、オノダの家は共働きだ。というよりも、今時は主婦に専念できる家は少なくなっているから、両親ともに働きながら、時間を見つけてオノダの祖母の介護をせざるを得ない。

 でも、介護ってそんな簡単な事ではない。トイレも自分で行けない人間の日常的な行動を都度介助しなければならないのである。オムツを換える時間がないから糞便を耐えろなんて言えるわけもないし、お腹が空いたら適当に何か作って食べておいてとも言えない。その上、オノダの祖母は重度の認知症である。オノダの祖母はオノダの母親を家族とは認識していないらしい。家にいるオノダの母親を見て泥棒と叫んだ事もあったそうだ。おまけにオノダの父親はあまり介護に積極的でもないらしく、仕事の多忙を逃げ道にして、オノダの母親が負担を負いがちになってもいるのだそうだ。

 結果、何もかもに追い立てられ、オノダの母親はノイローゼのような状態になっているらしい。

 心身の不安定さにも色々あるけれど、オノダの母親はとにかく怒るのだそうだ。気化したガソリンのように目にこそは見えないが、何かの拍子に火種がばっと燃え上がり、猛烈に怒り、怒鳴り、暴れる。人に手を出さないようにギリギリの自制はできている事だけがせめてもの救いだった。

 ある時、オノダの家の近くを通りがかった事があったが、その時には外の通りにまでオノダの両親の罵り合うような声が聞こえて来て、屋外でこれならば、屋内でこの応酬の間に挟まれるのは相当にこたえるものだなと、家の壁の中の出来事を見ずとも十分に想像できた。

 そして、オノダが夜遅くまでふらふらと出歩いては、僕の家にやって来る理由も想像できた。

 オノダは部活動をしていない、授業が終わればさっさと帰る。それは早く帰って祖母の世話をしなければならないからだった。そして、それがひと段落つくと、見たくもない出来事と聞きたくもない言葉たちが疲れ切って眠るまで、夜歩いて時間を潰す。

 それがオノダにとっての青春の時の避けようもない日常なのだ。

 僕の両親はオノダにずいぶんと優しかった。顔を合わせると気兼ねなく家に来るように声をかけ、夜食やら菓子やら用意している事もあった。それはオノダに同情しているところがあったのかもしれないが、それ以上にオノダの両親に対して、同じ大人として他人事ではいられないかもしれない事情への共感のようなものがあったのではないかと、今の僕が思い返してみると感じる節もあった。

 いずれにしろ、そんな風にして、ぶっきらぼうに「・・・ん」としか言わない女の子は僕の日常の中に溶け込んだのだった。

 だが、物事の転機は唐突に訪れるもんだ。

 オノダが僕の部屋に訪れるになってから一年ほど経った頃の事だ。オノダの祖母が亡くなった。

 僕はなぜだか両親にくっ付いてオノダの祖母の葬儀に立ち会う事になった。いちおう、当のオノダにどう思われているかは分からないけれどオノダの友人という事もあるし、オノダの夜歩きについて、大人同士の横のつながりで示し合わせている事があったのかもしれない。

 葬儀屋さんのセレモニーホールに構えられた故人のための祭壇で、家族の誰よりも泣き崩れ狼狽ろうばいしていたのは、誰よりも苦しんで、もがいて、怒気を込めて誰彼構わず当たり散らしたオノダの母親だった。

 愛情の対義語は憎悪でなく無関心だとそういえば誰かが言っていた。愛憎の表現は胸の内にある感情から一義的にあらわれる訳でもないのだと、ガキながらにもかすかばかりには理解する。

 オノダはいつも以上に拠り所のないようなぼんやりとした感じでホールの隅っこにたたずんでいた。声をかけるといつものように「・・・ん」とだけ返事する。僕も普段から取り立てて会話が弾むわけでもないので、一緒になって隅っこに立っている。そうして、僕たちは式のプログラムに従いながらも、やや遠巻きに葬儀に訪れてそれぞれに思いを持って故人を送る人々を眺めた。

 オノダの祖母の葬儀をきっかけにして、少しずつ、少しずつ、オノダが僕の部屋に訪れる事は減っていった。オノダの家の前を通りかかっても、以前のようなけたたましいやり取りを聞く事もなくなっていった。

 現実の出来事には舞台の幕が下りたりやエンドロールが流れるような節目なんかない。いつの間にか始まって、いつの間にか終わっている。巻き込まれた者の実感ですらいつだって置いてきぼりだ。でも、外から眺めるオノダの家の静けさに、一つの出来事が終わったのだと理解する事ができた。

 で、何かが終わったとして、それでそれまでに起こった出来事がリセットされるのか、なかった事になって以前のような日常が帰って来るのかと言えば、そんなわけはない。僕たちは誰しもが、望んだりあるいは望まなかったりした出来事に右往左往させられながら、そうして変容してしまった今の延長線上にいるしかない。

 オノダの場合もそのままになってしまったものがあった。

 夜歩き癖だ。

 家庭の不協和音はおさまりこそしたけれど、夜遅くにふらふらとどこかに行くオノダの姿を見かける事はそのままだった。思い出したように僕の部屋にやって来る事も結局は無くならなかった。

 で、類は友を呼ぶと言うけれど、そんな事が続くうちにオノダの交友関係は同じように夜を遊びの時間にしている連中に占められていく事になった。ウェーイでアゲアゲでパーリィーな人々(ピープル)だ。

 そして、人間関係の影響って思ったよりも人の外見にも現れるものだから、オノダはスウェットにジャージとクロックスという衣服とそれと似たり寄ったりのもろもろの集合体のような姿から、どんどんとなんと言うべきか、盛ると言うのだろうか、どう形容したものか分からないけれどゴテゴテとした姿に変貌していった。

 夜の姿が変わるならば、昼の姿もそれにならう、だって中身は同じだもの。かくして、オノダは無事高校デビューを果たす事になったのだった。

 不良だとかグレるだとか、多分そんな言葉でオノダを形容する人もいるのかもしれない。でも、そんな言葉はもう死語に近いだろうし、僕の部屋に通っていた頃の姿とうって変わって、快活に教室で友達と話し笑う姿を目にすると、なんだかもやもやとする所はあるけれど、悪い気はまったくしない。

 そんな風に高校デビューした友人の事をぼんやりと思い出していると、家のインターフォンが鳴る。時計は夜の十一時を指していた。

 玄関に応対に出ると、玄冬げんとうの枯れ枝の時は過ぎて、花盛る桜のような時間を過ごす女の子が立っていた。

「お花見行こうよ」

「今から?」

「そっ、今から」

 そして、僕とオノダは葉桜へと移りつつある桜の並木道を二人で夜歩く。

 頭上にゆる桜たちは、やがて花の時が過ぎてから、散って花が落ちた後で、青々とした命に満ちたたくさんの葉をいっぱいに枝に広げる事だろう。

 僕の二歩前を歩く君もまたそんな葉桜の姿にどこか重なって見えている。

 春はこれからやって来るんだ。

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