愛しのあの人は
「ねぇねぇ紗愛ちゃん知ってる? 探偵のお仕事って、トリックを暴く推理だけじゃなくて、調査のお仕事もあるんだよ」
「むしろそれが本来の仕事では?」
そうきらきらと瞳を輝かして語る柳さんの表情は、初見の女性なら思わず見とれてしまうほどだ。
だが慣れている紗愛はそっけなく答えた。
「そっちの方は西園寺さんが好きそうですけどね。まぁミステリー小説の探偵と実在の探偵業は別物になるかもしれませんが。……で、どうしていきなりそんな話題になったんですか?」
紗愛が珍しく柳さんの話に付き合って聞き返した。
最近柳さんたちがうるさいので、多少の会話なら許可されている飲食スペースで読書をするようになった紗愛である。
「うん。実は新井から調査の依頼をもらっちゃったんだ」
「新井さんって、あの豚汁を頭からかぶって、女性の知り合いがいない、あの新井さんですか」
「うん。その新井さん」
確かその人も探偵サークルに所属しているのでは、という疑問を紗愛が口にする前に、柳さんはこくりとうなずいて話し始めた。
☆☆☆
それは昨日のこと。
講義の合間に、柳を見かけた新井が話しかけてきたのだ。
「なぁ。高三のとき同じクラスだった黒田って、覚えているか?」
「うーん。何となく覚えている、かな」
柳は首をかしげながら答えた。
柳と新井とは同じ高校出身で、そのときからの付き合いだ。
黒田も同じ高校だったけれど、一度だけ同じ班になった程度の間柄で、高校卒業後は特に接点もなく連絡も取っていない。
目立つタイプではなく、いわゆるオタクっぽい性格で、人付き合いはあまり得意な感じではなかった、と思う。
「その黒田にこの間再会したんだけどさ、なんか彼女がいるっぽいんだ」
「え、本当にっ?」
柳は思わず聞き返した。
ぱっと思い出した彼の風貌や性格が「彼女」とは正反対だったので、失礼ながら驚いてしまった。
「ああ。俺と話しているときに、黒田に電話がかかってきたんだ。向こうの声は聞こえなかったけど、どうやらバイト関係の話みたいだったな。話を聞く限り、その電話の相手は女の名前なんだよ」
「えー。それだけ? それじゃただのバイト先の同僚じゃないの?」
「最初は俺もそう思ったけどさ。けどかなり親しげで、頼むよ、みたいなこと言ってたし。この間はどうもありがとう、とも言っていたな。付き合い長そうな感じだった」
「へぇ」
「で、思い切って聞いてみたんだよ。電話の相手のことを。そうしたら黒田の奴、思いっきりあわてた様子で、ほかの奴には黙っててくれって」
「それを僕に言っちゃったんだ」
黙っててくれ発言をさっそく破っている新井に、柳もあきれ顔だ。
「説明するためにはしかたないだろ。美貴にしか言ってないし。それより気になるだろ? あの恥ずかしがっている感じの反応は、絶対女だって」
「うーん。どうなんだろ。僕は見てないから何とも言えないけど。まぁ気になるかも」
その言葉に新井はチャンスとばかりに、ずいっと身体を寄せて来た。
「だろ? というわけで探偵サークルらしく、浮気調査じゃないけど、彼女調査をやってみないか」
☆☆☆
「というわけなんだ」
柳さんの話を聞いた紗愛は大きくため息をついた。
途中から聞いていて呆れてしまっていたが、それは新井さんの強引さにではなかった。
「ひとつ聞きたいんですが」
「うん。何?」
「その電話で話していた人の名前って、『さくら』さんじゃありませんか?」
「ええっ、すごい。どうしてわかったの?」
「なんていうか、途中からオチが読めてしまいまして」
予想通りの答えに、紗愛は頭を抱えた。
「その『さくら』さんは人名じゃなくて、お店を繁盛しているように見せるため客のふりをする、あのサクラですよ。たぶんアルバイト先が飲食店か何かで、サクラをお願いしたんだと思います。ありがとうとか頼むよって内容はそれですね」
「なるほど! さっそく新井に確認してみるよ」
柳さんはスマホを取り出して、新井さんにメッセージを送った。
それからしばらくして、返事が返ってきたようだ。
「紗愛ちゃん。半分正解だったよ」
「半分、ですか?」
中途半端な答えに、紗愛は軽く首を傾げた。
「新井が黒田君と連絡先を交換していたみたいだから、直接聞いてもらったんだけど、やっぱりさっきの話はバイト先の『サクラ』のことだったみたい」
「はい」
「でもそれはそれとして。黒田君にそのことを聞いたときの様子からすると、そのバイトの『サクラ』とは別に、『さくら』って名前の人が、いるような反応だったんだって」
柳さんの話を聞いた、紗愛は大きくため息をついた。
「ひとつ聞きたいんですが」
「うん。何?」
「その『さくら』って、名前ではなく苗字じゃないんですか? 千葉県にある佐倉市の『佐倉』とか。そして実は男性だったりしませんか?」
「あ、なるほど! よく気づくねっ」
「――オチがあるならもう一方はこれのような気がして」
紗愛は軽く額を抑えた。
それを尻目に柳さんはスマホをもう一度操作して、新井さんへメッセージを送った。
それからしばらくして、返事が返ってきたようだ。
「紗愛ちゃん。半分正解だったよ。やっぱり『さくら』というのは名前じゃなくて、苗字だって。性別も男みたい。ただ漢字は『佐倉』じゃなくて『咲良』だったから、半分正解」
「さすがにそこまで分かりませんし、どうでも良いです」
「ただ、新井によると、まだ気になることがあるみたいなんだ」
「もういっそのこと、私たちを通すのではなく、新井さんが直接黒田さんに会って、ストレートに聞いてもらえばいいんじゃないです」
紗愛がそっけなく提案する。
けれど柳さんは残念そうに首を横に振る。
「いや、それはできないって」
「何でですか」
「うん。新井が黒田君と話したかぎり、どうやら黒田君、その咲良君に本当に惚れちゃっている様子なんだって」
「え? でもその咲良さんは男性なんですよね?」
「うん。それは間違いないみたい。でも、黒田君は咲良君のことを、ちゃん付けで呼んでいて。なんか怪しいなって思って新井がさりげなく聞いてみたら、黒田君が、その咲良君といろいろ会話しているうちに徐々にひかれていった、みたいなことを話したって」
「でも、男性なんですよね?」
大切なことなので、二回聞いてみた。
「うん。結ばれることないって分かっているんだけど、その気持ちを抑えきれないって」
柳さんの戸惑い気味の答えに、今まで興味なさげに聞いていた紗愛の様子が変化した。
もしかするとこれは噂に聞く、男×男、ボーイズラブというものでは?
女子なら誰もが大好き。紗愛も興味がないと言ったら嘘になる、
「新井の奴、これ以上黒田君と話していたら俺もターゲットになるかもしれないから、この件から手を引くって。そういうわけで。咲良君のことを直接黒田君に聞くというのはNGだって」
「そうですか……」
紗愛は肩を落とした。
BLというのは、単なる同性愛ではない。男と男の、行きすぎた友情の結晶なのだ。無差別に男なら誰でもいいというわけではない。友情と愛情のはざまで苦悩しつつ、そこを乗り越えていく過程が美しいのだ。そこんところを小一時間くらい新井さんに語りたい紗愛であった。
そんな様子をみて、柳さんは笑って紗愛に提案した。
「気になるなら直接探ってみる? 新井から黒田君の居場所は聞いたから」
☆☆☆
というわけで。
柳さんに言われるがまま、大学を出て現場に来てしまった紗愛であった。
「あの人ですか?」
「うん。あの人。雰囲気変わっていないなぁ」
物陰に隠れながら、紗愛は黒田さんの姿を確認した。
黒主体の服が、目立たないような恰好をしようとして、逆に少し浮いてしまっているような印象を受ける。あまりモテそうにないという柳さんたちの評価に紗愛も頷けた。
ここは大学とは駅を挟んだ反対側、所沢駅前の商店街にあるゲームセンターである。賑やかな曲が店内を騒がしている中、黒田さんは先ほどから一人でクレーンゲームをしていた。
同じように物陰で様子をうかがっている柳さんが黒田さんに聞こえないよう小さな声で、紗愛に話しかける。
「僕は黒田君と顔見知りだから話しかけづらいけど、紗愛ちゃん、何か聞いてきたら?」
「どうして私なんですか」
紗愛も小さく言い返す。
人見知りではないけれど、ゲームセンターで見知らぬ男性に声をかけられるほどの神経も持ち合わせていない。
とはいえ、わざわざ黒田さんを追ってゲームセンターまで来たのに、このままずっと見ているだけというのも馬鹿らしい。
そこで紗愛は、さりげなく後ろから近づいて、様子をみることにした。
黒田さんは背後の紗愛に気付いた様子もなく、クレーンゲームに興じていた。
だがその表情は楽しんでいるというより、どこか険しい印象を受ける。
やはり、咲良くんのことが心に残って、ゲームに集中できないのだろうか。紗愛がそんな風に考えていると、黒田さんが大きくため息をついた。
「はぁ。やっぱり、無理か。あきらめた方がいいかな……」
「あの。頑張ってください」
その哀愁漂う背中に、紗愛は思わず声をかけてしまった。
「えっ?」
黒田さんが振り返って、戸惑った様子の表情を紗愛に向ける。
いきなり制服姿の女子高生に応援されたら、戸惑うのは当然の反応だ。
もっとも戸惑ってしまったのは、つい声をかけてしまった紗愛の方も同様だった。
「あ、あのすみません。何となくそう感じて。えっとその……」
しどろもどろに言葉を続けるのが精いっぱいだった。
明らかに怪しい反応だったが、その様子を見て、黒田さんは少しだけ相好を崩した。
「よく分からないけど、ありがとう。良かったら、これやってもいいよ。あとちょっとで取れそうなんだけど、僕、もう手持ちがないから」
「あ――」
もしかすると、無理とか諦めるというのは、クレーンゲームのことだったのかもしれない。
紗愛は思わず赤面してしまったが、黒田さんは特に気にした様子もなく去って行った。
その背中には、先ほどのような哀愁は感じられず、何かを決意したかのような意志の強さを感じる、と紗愛は思った。
「どうだった? 紗愛ちゃん、何かいい顔しているね」
トイレにでも行っていたのか、黒田さんが去ってからしばらくして、柳さんが紗愛のもとにやってきた。
「はい。そうでしょうか」
そう疑問形で答えつつも、紗愛は自分の顔が、柳さんの言うようにすっきりしている気がした。
「ところで。手に持っているそれは?」
柳さんが、紗愛が持っているアニメキャラと思われるフィギュアの入った箱を指さす。
「はい。黒田さんが途中までやっていたクレーンゲームの景品です。けっこうぎりぎりまで来てたんですけど、お金が尽きちゃったみたいで。勧められたので、その後私がやってみたら、あっさりと取れてしまって。もう黒田さんも行ってしまったので、良かったら柳さんにあげますよ」
いわゆる美少女キャラのフィギュアだ。
柳さんの趣味に合うかどうかは不明だが、少なくとも紗愛にとっては持っていても困るものだった。もし柳さんに断られたら、弟の部屋に無理やり置いておこうと思っていた紗愛だったが、意外にも柳さんは興味深げに、その箱を手に取った。
けれどそれは、フィギュアを気に入ったというわけではなく、別の理由のようだった。
「ああ。なるほど。分かったよ。咲良ちゃんって、そういうことだったんだ」
「はい?」
いきなり柳さんが得心したようなことを言い出して、紗愛は首をかしげる。
そんな紗愛に、柳さんは、「ほら」と言って、景品の入った箱をくるりと回し、そこに書かれている文字を指さした。
そのフィギュアのキャラ名だろうか。そこに「咲良」という文字があった。
「もしかしてこれが、黒田さんが言っている『咲良さん』ですか?」
「うん。そういうこと。そりゃ結ばれないわけだよ。当たり前だ。だって二次嫁だもん。恋愛シミュレーションゲームも出ているみたいだから、会話しているうちに、っていうのもゲームのことかな」
うんうん、と柳さんが一人納得してうなずいている。
良い悪いはともかく、二次元のキャラに恋をする人が存在するということは、紗愛も耳にしている。
だが紗愛は柳さんの説に反論する。
「えっ? でもそれじゃおかしいじゃないですか。黒田さんが好きになった咲良さんは、男性のはずですよね?」
紗愛は改めて箱の中のフィギュアを見る。
背中まで伸びるアニメっぽい青い髪。大きめのピンク色のカーディガンに、ひらひらしたミニのプリーツスカート。そこから伸びる真っ白な足。
どう見ても女の子だ。
「うん。そうだよ。実はこのキャラ、男の娘って設定なんだ」
「男の子?」
「男の子の子が、子供の子じゃなくて、娘。おとこのむすめって書いて、男の娘。そう言うジャンルもあるんだよ。熱狂的な人は、『こんな可愛い子が女の子のわけないじゃない』っていうくらい」
紗愛は何の反応も示せなかった。完全に固まってしまっている。
言われてみれば、このフィギュア。胸部はぺったんこだった。
「それにしても、二次嫁+男の娘かぁ。黒田君も二重で大変だよねぇ」
「もうどうでもいいです」
結局、紗愛が期待していた男同士の行き過ぎた友情なんてものは、まったくの勘違いで、的外れなものだった。
でもだからといって、黒田さんの気持ちをこれ以上知りたいとも思わなかった。