安楽椅子探偵の挑戦
「紗愛ちゃんよね?」
「はい」
大学の図書館でいた紗愛は、名前を呼ばれ顔をあげた。
声をかけてきたのが見知らぬ男子学生だったら警戒したかもしれない。
だがその声が女性だったので、紗愛は素直に答えた。
すらりとした体躯。背中まで伸びるストレートの髪の毛は軽く染められて、明るい光沢を放っている。背は女性にしては高い方で、切れ長の瞳からは知性が感じられる。いわゆる美人に分類される女性だ。年齢は二十代中頃だろうか。学生にしては少し年上に見えるので、大学の職員か、もしくは学院生だろう。
白のトップスに濃い色のロングパンツの組み合わせは落ち着いた大人の女性と言った印象で、紗愛も見習いたいと思った。
彼女は紗愛の前の席に座ると、意味ありげな笑みを浮かべて話しかけてきた。
「美貴ちゃんから色々聞いてるわ。雰囲気ですぐわかっちゃった」
「そうですか」
美貴とは柳さんの下の名前である。
予想はしていたが、やっぱり柳さん関係者のようである。
雰囲気ですぐわかっちゃった、と意味ありげなことを言っているけれど、この図書館で高校の制服を着ているのは紗愛くらいなので、大して自慢にならないし。
ところがその女性は、紗愛のそっけない対応が気に入らなかったのか、ずいっと顔を寄せてきた。
「えー。それだけー? ねぇねぇ聞いてよー。私が誰かとか、美貴ちゃんとどういう関係とか、気にならないのーっ? 嫉妬したりとか? つまんなーい」
紗愛はぱたりと読んでいた本を閉じた。
第一印象とは異なって、ずいぶん子供っぽい人だった。
それにしても、この女性は何をしてほしいのだろう。嫉妬の意味も分からないし。
「では、名前を聞かせてもらってもいいですか」
「うん。私は秋草学院大学非公認サークル探偵部の部長、西園寺美夏よ!」
「実在していたんですね。探偵サークル」
思わず本音が漏れてしまう紗愛であった。
この間の豚汁事件のときにサークル室は見せてもらったけど、こうやって名乗られるとインパクトは違う。
「ええ。まぁ実態は私が探偵の真似ごとをしたいから勝手に名乗っているようなもので、まともに活動しているのは数人だけどね」
西園寺さんは悪戯っぽく笑った。
「そんなことより、紗愛ちゃんのことは、美貴ちゃんから聞いているわ。凄い洞察力でいろいろな問題を解決しているって」
「無理やり付き合わされているだけですが」
「うふふ。別に謙遜しなくてもいいのよ」
「いや、本当に……」
「ただ、美貴ちゃんの話を聞く限り、紗愛ちゃんっていわゆる安楽椅子探偵タイプよね」
「そうでしょうか」
いちおう現場には足を運んでいるけど、それはどちらかというと、図書館で話していたらうるさいからだ。おおよその話を柳さんから聞いて判断するという点では、そうかもしれない。
「けど私は、探偵というのは足で現場を捜査して何ぼなタイプなの。尾行・張り込み・地道な調査っ」
「はぁ」
「というわけで、勝負よ!」
「はい?」
適当に聞き流そうとしていたけれど、いつの間にかそうはいかない展開になってしまった。こういう点も、柳さんに似ている。
となると、結局は抵抗しても無駄ということだ。
「それじゃ、さっそく問題を出すわよ。これは私が実際に体験した話なんだけど……」
「……図書館なので、お静かに、手身近でお願いしますね」
勝手に話を進めてくる西園寺さんに、紗愛は素直に諦めて耳を傾けた。
☆☆☆
西園寺美夏はとある女性を尾行していた。対象はこの大学の学生である。
その女性はこの図書館へと入っていった。当然、美夏も後を追った。もちろん見つからないように。
女性は階段で三階まで上って、奥の書棚の方に向かった。美夏は、ちょうどいま紗愛が座っている席に座って、様子を見ることにした。
図書館の階段は一か所のみ。階段前のこの席なら、尾行している女性がどこに行ったとしても必ずここに戻ってくるはずだから。
ところが時間がたっても例の女性は奥の書棚に消えたまま。
不安に思った美夏は、何気なく席から窓の外を見た。するとそこには例の女性の姿が。
いつの間にか、図書館の外に出ていたのであった。
☆☆☆
「えっと……それだけですか」
手身近に、とお願いしたけれど、こんなにあっさり話が終わるとは思っていなかったので、紗愛は拍子抜けした。
「ええ。私から話せるのはそれだけ。さて、その女性はどういうトリックを用いて私の尾行を巻いたのか。もちろん、双子ってオチはないわよ」
「左奥にエレベーターがありますよね?」
紗愛もこの図書館を利用して長い。構造は把握している。
それを利用すれば、目の前の階段を通らなくても下の階に降りることが出来る。
普段は階段を使う紗愛だが、たまにエレベーターがちょうど一階に停まっていたら、それを使うときもある。
「そうね。けれどエレベーターは一階に、4時~5時まで点検、って張り紙があったの。彼女もそれを見て、三階まで階段を使って上った感じだったわ。ちなみに、図書館に入ったのは四時ちょっと過ぎ。図書館の外に出ているのを見つけたのは、4時半くらいだったわね」
「つまりエレベーターは使用できない、というわけですね」
紗愛も仕方ないので、いちおうまじめに考えてみる。
窓から降りるという裏技をのぞけば、通路は目の前の階段のみ。ならば探偵役の目をごかまして進むしかない。
「人に紛れて一緒に階段を下りたというのはどうですか?」
「この図書館に人に紛れられるほど、そんなに人がいないわよ。あなたも知っているでしょ」
「そうですね」
利用者が少なくて過ごしやすいから、紗愛も大学の図書館を利用しているのだ。
「では、何かの騒ぎを起こし、探偵役の注意をひいた隙に、というのは?」
「なるほど。そういう手もあるのねっ! あ、でもそのようなことは起こらなかったわ」
「なら、変装はどうですか?」
「変装?」
「はい。別人になりすまして、堂々と階段を下りるんです」
「変装するにも、彼女は手荷物を持っていなかったわ」
「あらかじめ用意して置いておくことは出来ます。あとはトイレなり死角で着替えればいいだけです」
「うー。残念だけど、図書館を出たときの服装は、尾行前と同じだったわ」
「一階に降りた時点でもう一度着替えることも出来ますが」
「ううー。それはないの。だって尾行に気づかれるようなヘマしてないもんっ!」
西園寺さんが手を振った。面倒くさい人だ。駄々っ子か。
そう思ったら、逆に紗愛は冷静になってきた。
……そもそも何で自分はまじめに考えているんだろう。図書館で本を読みにきただけなのに。
我に返った紗愛は、西園寺さんに向けて答えた。
「それじゃ階段から降りるのは無理ですね。分かりません。やっぱりエレベーターを使ったんじゃないですか。実は動いていたんですよ、きっと」
適当なことを言って、あっさりと降参する。
そもそも最初からこう言っておけば良かったのだ。
「そう。正解! さすがね、紗愛ちゃん!」
「……え」
予想外の反応に、紗愛の目が点になった。ある意味、問題以上に謎だった。
「そう。あのあとエレベーターのところに行ったら、もうとっくに点検が終わっていたの。図書館の人に聞いたら、予定より早く実施していたみたい。一階の張り紙もあの後すぐにはがされたんでしょうね」
「はぁ……」
「ほら、安楽椅子探偵って、状況を誰かから聞いて、そこから推理するわけじゃない。でもそもそもの前提が間違っていたら? 正解にたどり着けないわよね。だからこそ、探偵本人が地道に現場を見て捜査することが重要なのよ!」
西園寺さんが力説する。
適当に答えた紗愛を、なぜか勝手にいい方向に捉えてほめたたえる。
「そういう点では、紗愛ちゃんは現場の重要性、捜査の仕方もしっかり分かってくれているようで一安心だわ。これからもよろしくね!」
「えっ、あ、はぁ。は、はい」
こうして紗愛は、また巻き込まれていくのであった。
そもそもエレベーターの件、それってトリックでも何でもなくって、単に西園寺さんの捜査ミスですよね、とは最後まで言えなかった。




