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カフェテリアでお待ちかね



「ねぇねぇ紗愛ちゃん。ミステリーで、本来なら移動不可能な距離や時間をトリックで短縮した犯人のアリバイをあばく、というのがあるよね。これって逆の見方をすると、つまりトリックによっては、多少の時間の遅れは取り戻せることの証明になると思うんだよ」

「遅刻したことを謝ってください」

「不可能だと思っていたことを可能にする。それこそが名探偵の条件――」

「…………」

「すみませんでした」

 紗愛の冷たい視線に耐えられなかったのか、柳さんは素直に謝った。




 そんなやりとりの三十分以上前のこと。

 高校の授業を終えた紗愛は、隣にある大学のカフェテリアへと足を踏み入れていた。


 埼玉県南部、所沢駅から徒歩圏内にある秋花学院大学。

 地元に根差したこの大学のキャンパスには、若い大学生だけでなく、近所の人々の姿もちらほら見られる。杖を突いた老人が並木のベンチに座っていれば、図書館には営業周りのサラリーマンが寝ていて、学食には子連れの主婦の姿も見える。

 それはキャンパス内のカフェテリアも例外ではなく、付属高校のセーラー服姿の紗愛が入っても、違和感が無ければ注目されることも無かった。 

 カフェテリアは白色を主体とした内装にガラス張りの壁面が相なって、開放的な作りになっている。天窓から明るい光が注がれ、丸いテーブルの真ん中には観葉植物も置かれている。

 そんなお洒落な空間ではあるが、時間的に中途半端なのか人はまばらだった。


「……ちょっと早かったかな」

 カフェテリアの真ん中にある柱にかけられた時計を見ながら、紗愛は誰ともなく呟いた。

 現在は15:55。約束の時間は、16:30である。

 昨日柳さんから連絡があって、今日の午後4時半にカフェテリアの奥の席で会いたい、とのことだった。

 どんな用事かは分からないけれど、紗愛としては本を読む場所が図書館からカフェテリアに変わるだけなので気軽にOKしたのだ。


 空いている店内を見渡したけれど、当然柳さんの姿はない。

 紗愛は入口のカウンターでアイスコーヒーを注文すると、それを持って窓際の奥の席に座った。

 透明のカップに入ったアイスコーヒーは、おしゃれな店内とは対照的に、紙パックの容器から直接注いだかのような、普通の味だった。少しがっかりしつつも、カバンから図書館で借りた本を取り出して、読み始める。


 それにしても柳さんの用事とはなんなのだろう。

 昔からのなじみとはいえ、相手は年上の男性。二人で会うということに特に意味はないのだろうけれど、多少は意識してしまう。

 紗愛は本を置くと、手鏡を取り出して身だしなみを確認する。髪型は大丈夫。ただ制服のリボンが曲がっているのが気になった。中途半端に直そうとしたら余計ひどくなって、いったん解いて結び直す羽目になってしまった。

 何となく人前でそれをするのが恥ずかしかったけれど、この奥の席へ視線を向けている人はいない。このカフェテリアは二階にあるので窓から覗かれる心配もない。ささっとリボンを結び直し、時計に目をやる。16:25。そろそろ柳さんが姿を見せてもいい時間だ。


 ところが時計の針はが30分を指しても、柳さんは現れなかった。もしかして別の席に座っているのだろうかと立ち上がってカフェテリア内を歩いてみたけれど、柳さんの姿はなかった。

 結局彼が現れたのは、16:45。約束の時間から15分の遅刻だった。

 何らかの理由があれば、15分くらいなら許せる範囲内だった。

 けれど、しれっとスルーされ開き直られたりしたら、文句の一つは言いたくなる。

 それが冒頭のやり取りへとつながったのである。



  ☆☆☆



「ごめんなさい。本当は前もって言っておけば良かったんだけど、それだと紗愛ちゃんに警戒されちゃうから」

「言っておくって、遅れることですか?」

「うん。そう。ちょっとした実験をしたいと思って」

「……それがトリックがどうのこうの、という話になるわけですね」


 紗愛はため息をついた。

 どうやら、ただ遅刻してきたわけではないようだ。

 柳さんは探偵サークルに所属していてミステリー好きだ。紗愛と小学生の頃、クイズを出し合って遊んでいたこともある。今回もその延長線なのだろう。お洒落なカフェで普通にお喋りにならないところが、柳さんらしいというか。


「うん。そういうこと。じゃあ、さっそく行くよ。遅れてきたと思った僕が、実は間に合っていたとしたら?」

「間に合ってません」

 紗愛は一刀両断した。

 柳さんは特に気にした様子もなく、逆に挑戦するかのように続ける。

「うん。確かに今の時間は45分過ぎだよね。けど実際の所はどうかな?」

 紗愛はため息をつくと、柳さんに付き合うように尋ねた。

「――分かりました。要は何かのトリックを使ったと言いたいわけですね。では、そのトリックとやらを考察するため、状況を教えてください」

 紗愛がそう言うと、柳さんは嬉しそうにうなずいて説明を始める。

「さっきまで僕は、新棟二階の大講堂で講義を受けていて、そこを16:40に出て、ここに向かったんだ」

「15分早く出て来てください。これで解決です。そもそも約束は16:30ですけど」

「早く出たいところだけど、受けていた講義は16:40までだったんだ」

「その時点で遅刻決定ですね」

「いやいや。半藤先生の講義は気まぐれで、いつもは早く終わるんだけどね。ところで、新棟二階の大講堂からこのカフェテリアまで、どれくらいかかると思う?」

「新棟って、確か図書館の裏の建物ですよね。そうですね……3、4分くらいでしょうか」


 新棟は大学構内の南東部に、カフェテリアは北西部と対角線上に離れている。キャンパスはそれほど広くはないが、それでも直線距離にすれば、そこそこある。

 紗愛はまだ高校生なので講堂を利用したことはなく、あくまで想像上での推測だが、講義が終わって速攻で講堂を出て階段を駆け下り、新棟からカフェテリアまで全力ダッシュしたとしても、周りに他の学生もいるわけだし、1分そこらでは間に合わないだろう。


「うん。そんなものかな。つまり講義が10分とちょっとくらい早く終わったら間に合ったかもしれない。でも今日の講義は、ピッタリ16:40に終わったんだ」

「その割には、このカフェテリアに着いた時間は、のんびり気味ですね」

 遅れているという自覚があるのに、5分もかけてやってきたことに、紗愛は嫌味を言ってやった。

 柳さんはごほんと、視線を逸らしつつ、問いかけをしてきた。

「さてこの状態で。間に合わせるためにはどのようなトリックが必要だと思う?」

「早めに講堂から抜け出します。トリックでも何でもありませんが」

 紗愛の答えに、柳さんは面白そうな顔をして返答する。

「あいにく半藤先生の講義の出欠の確認は、最後の退出時に行われるんだ。学生証を使ってね。だから友人に代わりに頼むことは出来ないんだ」

「じゃあ無理ですね」

「えー。もっと考えようよ。例えば、待ち合わせの約束時間が実は16:30じゃなくて、16:45が正解だった、というのは?」

「設定を変えるというのは、ミステリーとしてどうかと思いますが……まぁ口約束でしたので、そう主張されたら否定もできませんね」

「じゃあ真面目にミステリーっぽく。講堂の時計を15分先に進めておくとか」

「講堂の時計ってたいてい黒板の上に設置されていますよね。基本的に、講師は学生の方を向いて講義するわけですから、その時計をいちいち見て参考にせず自分の腕時計を参考にすると思います。そもそも他にも学生がいるので、全員を錯覚させるのは無理です」

「じゃあ逆転の発想をしてみようか。先生や学生たち全員を錯覚させるのは無理。けど紗愛ちゃん一人ならどう? つまり紗愛ちゃんのスマホに表示されている16:45だと思っていた時刻が、実は16:30だった、とか」

「いつ私の携帯をいじるんですか。そもそも携帯はあまり見ません。時刻も構内の時計を参考にしているので、間違えることはありません」

「でも僕は実際早く着ていて、紗愛ちゃんを見ていたとすれば?」

「……どういうことですか?」

「確か16時には、紗愛ちゃんはもうこの席にいたよね?」

 柳さんが面白そうに、挑戦的な視線を向けてきた。

 おそらく単純なカマかけだ。紗愛は慎重に考えをめぐらしながら答える。

「確かにその頃からこの席にいました。けど柳さんは私の性格を知っていますので、多少早めに席についていることくらいは予想できますよね。もしくは柳さんに協力者がいて、その人が私の行動を見張っていて、後から柳さんにそれを伝えた、ということも考えられます」

「じゃあ、制服のリボンをいったん全部ほどいてから、もう一度結び直していたことは? 確か25分くらいだったかな? 紗愛ちゃん、ちゃんと人の目がないことを気にしていたと思うけど」

「え――。何でそれを」

 さすがの紗愛も、この指摘には戸惑った。

 柳さんの言う通り、確かに人の目は確認していた。なぜそれを、まだ講義中だった柳さんが知っているのだろう。

「16:30.待ち合わせ時間になっても僕が現れないから、紗愛ちゃんは一度席を立って、カフェテリア内を確認したよね。違う?」

「それは……」

 立て続けに言われて、紗愛は口ごもる。これもその通りだ。

「ちょっと再現してみようか。紗愛ちゃん、僕の言う通りに動いてみてもらってもいい?」

「はい」

 紗愛は言われるがまま立ち上がった。

「紗愛ちゃんは立ち上がって、カフェ内を見回した後、時間をもう一度確認するため、中央にある時計が見える位置に移動した」

 柳さんの言う通りに紗愛は動く。

 自分の行動を逐一記憶しているわけではないが、こうやって再現すると、確かにその通り行動していたことを思い出した。

「そして立ち上がったついでに、時計の下の棚に置いてあるシュガーポーションをもう一つ取って、席に戻ってきた」

 さすがにまたシュガーポーションを取ってくることはなかったが、紗愛は言われた通り時計の下の棚まで行ってから、柳さんが待っている席に戻った。

「どう? 正解でしょ」

「そうですね……」

 確かに時計を見に行ったし、そのついでにせっかく立ったのだからと、取り放題のシュガーポーションを一つ取って、席に戻ってきた。

「確かに私の行動を見ていたような話でした。だからと言って柳さんがすでに到着していたという証明にはなりません。カフェテリアにいた他の誰かから、私のことを聞いただけかもしれません。リボンのことも、やはりどこかで誰かが見ていたかもしれませんし」

「うん。そうだね。確かに紗愛ちゃんの行動を言うだけじゃ証拠にならないよね」

 紗愛の反論にも、柳さんは余裕をもってうなずいてみせた。

 そしてにやりと、どこか面白げに紗愛を見ながら、柳さんは言った。

「じゃあ証拠を見せようか? いま再現したことを思い出して。時間になっても僕が来なかったとき紗愛ちゃんは席を立ったよね。実はそのとき、僕がこの席にこっそりと来て、紗愛ちゃんの飲みかけのカップの裏に細工をしていた、としたら?」

 柳さんがポケットからサインペンを取り出した。


「まさか……」

 紗愛は視線を机の上に移した。

 テーブルの上にあるのは、柳さんを待っている間飲んでいた、アイスコーヒー。ミルク一カップ、シュガーは追加で二カップ入ったコーヒーは三分の一ほどに量を減らし、氷もだいぶ小さくなっている。透明なプラスチックカップだが、コーヒーが入っているので、その裏は見えない。

 紗愛はゆっくりと、それを持ち上げた。

 カップの下にサインペンで、「×」という印が記されていた。


「――どう?」

「凄い。さすがです。どういうトリックを使ったんですか? ――と言いたいところですけど、その細工、今さっきしましたよね。私が再現している隙に」

「あ、ばれてた?」

「ええ。別の所に注目させて……という、マジックではよくある手ですね」

「ははは。やっぱりマジシャンのように手際よくいかないかぁ」

 柳さんの反応に、紗愛も少し緊張を解いて微笑んだ。

「でも良かったですよ。今のはちらりと私が見ちゃいましたけど、それが見えなかったら、危うく騙されているところでした」

 そう答えつつも、まだ紗愛の中に疑問は残っていた。

 柳さんが言っていた、紗愛が待っている間の行動についてである。


「コップの印はともかく、私の行動はどうして分かったんですか。まるで見ていたみたいでしたが」

「うん。実際見ていたんだよ。これで」

 柳さんは得意げにうなずくと、テーブルの上に乗っている観葉植物に手を伸ばし、そこから黒いチップのような物を取り出した。

「……それ、なんですか」

「ふふ。遠隔カメラだよ」

 柳さんはポケットからスマホを取り出して、紗愛にその画面を向けた。

 そこにはぽかんとする紗愛の顔がアップで映っていた。反対の手に持つ小型のカメラの方を動かすことで、スマホの紗愛の映り方も変わっていく。

「…………」

 紗愛は柳さんの手から無言で小型カメラをひったくると、カフェテリアの床の上に投げつけ、その上から足で踏みつけた。

「ああっ。カメラが」

「と、盗撮ですよっ。犯罪です!」


 紗愛は胸元のリボンを手で覆い隠すようにして、顔を真っ赤に染めた。

 柳さんを待っている間、ずっと表情や行動を見られていたと思うと、恥ずかしさのあまり顔から火が出そうになった。

 できればスマホの方も壊したかったけど、それはぎりぎり自重した。

 思わず大きな声を出してしまったので、周りの学生たちからの視線が集まる。

 紗愛は何とか心を落ち着かせ、深呼吸した。


「今度はもう少しまともなトリックを考えてきてください。……まぁ、カメラをピンポイントにこの席に設置したことだけは、評価できますが……」


 カフェテリアにはぱっと見た限りでも30以上のテーブル席がある。一応奥の席、という指定があったとはいえ、その中から紗愛が座るであろう席を予見してカメラを置いたのなら、それは紗愛の性格を考えたうえでの推理と言えるだろう。

 柳さんがどこを見て判断したかは分からないけれど、普段それだけ紗愛のこと注意深く見ているのだろうか。


「えへへ。実は他の席にも同じように5,6個仕掛けておいたんだけど……」

「全部壊しますね」






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