バイト先盗難騒動
高校の授業が終わった後、いつものように紗愛は隣接している付属の大学図書館で本を読んでいると、彼女に話しかける声がした。
いつものように柳さんかと思って紗愛は顔をあげたが、その人は柳さんではなかった。
「やぁ、石田ちゃん」
「……新井さん?」
柳さんの友人の大学生である。柳さんとセットで会うことは何度もあったけれど、こうやって二人きりで会うのは初めてだ。紗愛の中では、軽い感じの人という印象である。
ちなみに柳さんも軽いと言ったら軽いけど、あれはふわふわって感じで、新井さんの軽さとはベクトルがちょっと違う。
それはさておき、今日の新井さんは、ゆるゆるなシャツにジーパンという、相変わらずラフな服装である。
「実は石田ちゃんに相談があるんだけど」
「そういう話は、柳さんを通してください」
紗愛はきっぱりと言って、本に視線を移そうとしたら、新井さんがいきなり顔を近づけてきた。
「そう、それさ!」
「……はい?」
「せんせー。いつも美貴の頼みだけ聞いて、俺の頼みを聞いてくれないのは、不公平だと思いまーす」
「は?」
紗愛は目を点にした。何を言い出すのだとしたら。
「誰が先生ですか。別に柳さんのお願いばかり聞いているつもりはありません」
「えー。でもそうじゃん。美貴だけ特別視しているじゃん。もしかして石田ちゃん、美貴のこと」
「特別視してませんっ。ああもう。分かりました、相談くらいは聞きますよ」
新井さんの挑発だと分かっていても、結局言わされてしまった。
「おっ、マジで? じゃあせっかくだし、現場まで来てほしいんだけど。ここからすぐ近くだから」
「はいはい。もうどこでも行きますよっ」
紗愛はやけっぱち気味に答えると、机の上の本を持って立ち上がった。
そう。けっして柳さんだけを特別扱いしているわけではないのだ。
☆☆☆
というわけで。
新井さんに連れられ学校帰りの制服姿のまま紗愛が訪れたのは、大学からのすぐ近くにある、こじんまりとした倉庫だった。
新井さんはここでアルバイトをしているとのこと。
「ここは飲食店向けの業務用ショップなんだ。野菜・なまものから、缶詰や冷凍食品などの色々な商品があって、それを店からの注文を受けて出荷してるんだけど、その作業を俺たちがやっているんだ」
「部外者の私が入っても大丈夫なんですか?」
「大丈夫。大丈夫。いまは出荷時間じゃないから暇してるだけだし」
そう言って新井さんが扉を開ける。裏口なのか、扉の先はいきなり倉庫になっていて、食材が至る所に溢れていた。さすがに食品を主に扱っているからか、冷房が効いていて少しひんやりしている。
部外者ということもあって新井さんから離れないよう歩いていると、三十代半ばのちょっと頼りなさそうなスーツ姿の男性が声をかけてきた。
「あれ、新井君。今日はシフトじゃなかったと思うけど。ん、そっちの子は? もしかして、彼女さん?」
「違いますっ!」
「あ、そうなんだ。じゃあ、バイト希望者?」
「いや。そうじゃなくて、例の事件を調べに来てくれた助っ人なんっすよ」
「ああ。あの件ね。うー、何とかしないと本部がうるさいんだよねぇ。僕も先月この店に赴任してきたばかりだというのに……」
男性が弱々しくつぶやく。気弱な管理職みたいな感じである。
新井さんに聞くと、彼はこの店の責任者。つまり店長さんとのこと。同じ系統のショップがほかにもあるようなので、実際中間管理職みたいなものなのだろう。
「で、何があったんですか?」
「うーん。実はね、商品が紛失しちゃったんだよ。それも、単価の高いキャビアが、ごっそりと」
店長さんに案内され、紗愛は新井さんとともに業務用の冷蔵庫に入った。冷蔵庫なのだから当たり前だが外より冷えていて、スカート姿を恨めしく思った。
中はかなり広く、高校の教室くらいの大きさだろうか。棚が何列も並んでおり、そこに様々な商品が乱雑に並んでいた。あまり整理されている感じではない。
これなら、小さい商品ならこっそり持ち出すことも可能だろう。
紗愛たちは棚の脇にそのまま置かれている商品をかき分けるように進み、一番奥までたどり着いた。
店長さんが棚を指さす。
「これが例のキャビアの箱なんだけど」
「あれ? 残っているんですか」
「いや、全部ってわけじゃないから。えーと。紛失したのは21箱だったかな。ちなみに単価は1箱一万円」
「それは……けっこうな金額ですね」
桁の違う金額に圧倒されつつ、紗愛はキャビアの箱を見る。大きめの図鑑程度のサイズで、周りには英語じゃない何とか語の表記がされていた。これは外箱のようで、その箱の中に出荷単位だと思われる手のひらサイズの箱が二つだけ入っていた。残った隙間から察するに、外箱は1ダース12箱入りだろう。
「このちっちゃな箱の中に入っている小さな小瓶が、1本で一万円だぜ。すげーだろ」
新井さんが自分のものでもないのに自慢げに言った。
しかしまぁ、高いとは知っていたけれど、あんな小瓶一つで一万円とは。キャビアなんて今まで食べたことなかったけど、今後も口にすることはないだろうと、紗愛は思った。
とそれはさておき、無くなったのが21箱ということは、21万円の損失になる。確かに店長が頭を抱えるのも当然だ。
「――あれ、店長。どうしたんですか、冷蔵庫まで来て……ん?」
そこにまた別の人物が姿を見せた。防寒が施されたジャージに身を包んだ二十代半ばの男性だ。新井さんよりは年上っぽい。
彼は、新井さんと、場違いな高校の制服姿の紗愛を見て事情を察したようで、どこか小馬鹿にした様子で言った。
「ふぅん。彼女が、君が言っていた探偵さん? まぁ何でも良いけどさ。滅多に出ない商品が、君がバイトにきた途端に紛失騒ぎだからね。今ならまだ、見つかった、で済まされるんじゃない?」
「小早川さん。バイトのリーダー的存在」
新井さんが小声で説明した。見たところ、新井さんを疑っている様子だ。
先月赴任したばかりという店長さんや新井さんより、現場に詳しそうなので、紗愛は小早川さんに向けて尋ねてみた。
「キャビアがいつ紛失したかは、分かっているんですか?」
「いや正確には分かっていない。今月の棚卸で、実数と理論値がずれていることが分かったんだ。あ、棚卸って分かる?」
「はい。会社にある商品を実際にカウントして、資産の現状を確認することですよね」
その棚卸の際、実際にカウントして出た数字が実数。
理論値は、先月の棚卸で確定した数から、出荷数と入荷数をプラスマイナスして導き出された数だ。
本来ならずれることのないその二つの数字に誤差があったというわけだ。しかも21瓶も。
「普段の仕事の流れは、どういう形なんですか」
「この時間帯は、俺か店長が各店からの注文をまとめている。現場は倉庫に入ってくる入荷の作業。夜に注文書を見ながら、その日のシフトの人間がそれぞれ商品を箱に詰め込んで、それをトラックに積み込む。基本的にはその繰り返しだ」
「個々が商品を取って来て箱に詰め込んでいるということは、こっそり持ち出すことも可能ですか?」
「ああ。出来ると思うよ。ロッカーはあるけど、みんな手荷物をカバンごと現場に持ってきているから、そこにつめちゃえばいいわけだし。監視カメラもないし、センサーによる防犯システムもないんだから」
小早川さんの口調は、どこか小馬鹿にしたような印象だった。
もっともそれは、紗愛に向けられたものではなく、この仕事場の管理体制に対するもののようだった。
「棚卸で誤差が分かったということですが、キャビア以外の商品は盗まれたような……数字のずれは全くないんですか?」
「いや、そんなことはない。数え間違い・出荷ミス・破損やらで、それなりに誤差は出ている。ただ、毎日何百も注文がある安い商品ならともかく、キャビアなんて一か月に1つ出るか出ないかだっぞ」
「実際のところ、先月の出荷数はいくつだったんですか?」
「えーと。データー上では1箱だけになっているね」
店長さんが答えた。
「あ、てことは、その1箱を出荷したのは俺だぜ」
新井さんがこれまた自慢にならないことを自慢げに言った。
「ここに二つ残っていて、誤差がマイナス21ということは、本来なら23瓶なくてはならないってことですよね。新井さん。先月初旬からここでアルバイトをしていたということですが、そのときはちゃんと数通りありましたか?」
「えーと。どうだったかー? 外箱が2つあったのは見た気がするけどさー」
何とも頼りない話だが、12本入りの外箱が1箱と、そこから1つ抜かれた11本入りの箱があれば正しくはなる。正確に数えていないようだけど。
「小早川さんや店長さんは、商品があったことをちゃんと見ていますか?」
「あいにく。いちいちすべての商品を毎日数えているわけじゃないからね」
「恥ずかしながら、僕もです」
倉庫からの出荷作業は、取引先の店から来る注文書を各々が見ながら詰め込んでいくため、誰がどの商品の担当というのは決まっていないとのこと。
「発注作業は僕か小早川くんがしているけれど、いちいち倉庫まで行って実際の数を数えに行くのも面倒だから、データー上の数字でやっちゃっているかな」
「キャビアは先月、仕入はしたんですか?」
「いや。してない。だって23箱もあったら、必要ないだろ」
小早川さんがあっさりと言う。
確かに滅多に注文のこない高価な商品なら、在庫数も減らすのが正しいだろう。
紗愛は思考を巡らせる。
誰かが持って行った、と考えれば簡単な話だ。転売すれば1本一万円くらいで売れるのだから。
だが転売目的だとしてもそれだけ大量に持ち出すだろうか。1、2本なら誤差で済まされるかもしれないが、これだけの数になると、こうやって大事になってしまう。逆に2本だけ残した意図も不明だ。
そうなると疑うべきは、現在の2本の方ではなく、誤差のもとになった、データー上の数である23本の方かもしれない。
「先月……じゃなくて、新井さんが来る前の先々月の末に棚卸でこのキャビアを数えたのは誰ですか?」
紗愛が店長に尋ねる。店長は小早川さんを見た。先月赴任したと言っていたので、先々月の末には彼はいなかったからだろう。
小早川さんが少し考えてから、首をひねりつつ答える。
「んー。確か、先々月の棚卸のとき、冷蔵庫の奥のカウントしていたのは小倉のじいさんだったかな。もう辞めちゃったけどさ」
小早川さんの説明によると、棚卸はパートを含めた各々が、ここからここまで、と決められた場所の商品を数え、そのメモ書きを社員である店長に渡し、店長がそれを見てパソコンに数字を入力する流れという。
「ほら、ここに数字が書かれたガムテープが張ってあるだろ。これがカウントした数の名残さ」
小早川さんが言う通り、棚にはべたべたとガムテープが張られている。ほとんど動きのない商品なのか、中にはずっと昔から張りっぱなしのようなガムテープも見える。
「それを、意図的に少ない数を書いて、申告することもできますか」
「うーん。確かにできるけど、そうしたら棚卸で実棚と理論値がずれるから、すぐに分かるけどね」
「あ、そうですね」
店長の言葉に、紗愛はうなずいた。
「小倉のじいさんは、抜けているところあったし、かなり面倒くさがりやだったけど、棚卸をちょろまかして、黙って商品を持ち帰るようなワルでもなかったな」
小早川さんの口調は、どこか昔の仲間を懐かしむような感じだった。
「うん。いちおう参考に先々月の棚卸の結果にも目を通したんだけど、誤差はなかったんだよねぇ」
店長の言葉に、紗愛はうなずいて言った。
「分かりました。すみませんが、紙とペンをお借りしていいですか」
「うん。はい。紙は……事務所にあるかな」
「そうですね。まずは冷蔵庫からいったん出たいです。さすがに寒くなってきたので」
冷蔵庫の中に一人だけ薄着の紗愛は、苦笑して両手を胸の前で抱えた。
事務所に入った紗愛は店長から受け取ったサインペンとコピー用紙に、いろいろと数字を書き並べる。
「んー、石田ちゃん、何してんの?」
「新井さんはちょっと黙っていてください。私、数学はあまり得意じゃないので手当たり次第ですが……」
そう言いつつ、紗愛はいろいろ計算式を書いていく。
そしてようやく納得できるものが浮かび上がった。
「――つまり、こういうわけではないでしょうか」
紗愛は、いろいろ書いた数字や数式の中から一点を丸く囲み、一同に見せた。
12+3=15 12×3=36 36ー15=21
「これは……?」
「棚卸しのカウントを小倉さん。それを入力した前任の店長さん。どちらがミスしたかは分かりませんが、かけ算と足し算をミスしたんです。本来は1ケースとバラ3本と書いた物を、1ケース12本入りが3ケース、と」
「でもさっき言った通り、先々月の棚卸はずれていなかったけど」
「おそらくですが、このミスはそれ以前のことで、先々月にカウントした小倉さんは、ほとんど出荷がない商品だからと、それ以前に記入したガムテープの数字を、そのままメモしたのではないでしょうか」
キャビアの所にガムテープは張られていなかったが、おそらくその当時にはあったのではないか。キャビアがあるのは、冷蔵庫の一番奥。いくら棚卸のためとはいえ、商品をかき分け、いちいち箱を開けて数を数えるのは大変だ。
そこで小倉さんは楽するため、以前に書かれた数字をそのまま記入した。仮にずれていても、その場合は今回のように店長たちが確認するだろうと。
紗愛がそう説明すると、小早川さんが思い出したように言った。
「まぁあのじいさんならやりかねないけどさ。あ、そういえば何か月か前くらいに前の店長が、キャビアの数が妙に多くなっているっていってたな。減った訳じゃないからまぁいいか、って済ませてたけど」
「なるほど。それかも。月をさかのぼって調べてみるね」
店長さんはそう言うと、事務所にあるパソコンの棚卸画面を立ち上げて、確認作業に入る。
「そういうわけですので、あとはお任せします。私は帰りますね」
紗愛はそう言って出口に向かおうとした。
だが店長さんから返ってきた言葉は、紗愛の予想とは少し異なるものだった。
「あー、ちょっと待って! 今確認したんだけど、確かに僕が赴任する一か月前の棚卸の数字がずれていたんだ。ただ、誤差は「+10」だったんです。パソコンに入力されたデーターだけだから、石田さんがいうようなミスがあったかは分からないんですけど……」
店長さんの言葉に、小早川さんが首をひねって言った。
「10ってことは……あんたの推理でいえば、「12」と「2」のかけ算・足し算の間違えじゃないか? 24箱と14箱」
「そうかもしれませんね。ただ、それを考慮しても、「+10-21」で、まだ「-11」ですね。パソコンを見せてもらうことは出来ますか?」
「ええ。値段とか詳しい情報を見なければ、問題ないと思いますよ」
店長さんの許可をもらい、紗愛はパソコンの棚卸画面を覗き込んだ。
四か月前のデーター上の数は14箱。それが一か月後の、三か月前のデーターでは、24箱となっていた。二か月前は変わらず24箱。そして一か月前は23箱、と表示されていた。
「本当に注文が来ないんですね。他の商品に比べて数がほとんど変わっていませんね。先月一つ減っているのは、新井さんが出荷作業をしたときのものですよね」
紗愛はそう言いながら、頭の中で数字を組み立てる。
誤差は、マイナス11本。12……1……。もしかして――
「……新井さん、さっき1箱出荷した、といっていましたが……」
「おう。注文書通りにちゃんと出してるぞ」
「もしかして、12本入りの外箱を、1箱出荷していません?」
「へ? 1箱って注文書に書いてあったから、それでいいんだろ?」
「…………」
紗愛は黙って視線を店長さんと小早川さんに向けた。
二人も事情を察した様子の顔をしていた。紗愛は確認のために尋ねる。
「先月の出荷数は1箱になっていましたが、それって1瓶、のことですよね?」
「うーん、確かに箱入りの瓶だから、本なのか瓶なのか箱なのか、単位が分かりにくいかもしれないけど」
「けどまぁ常識的に判断してもらいたいところだけどな。俺たちがここまで話していたのなら、気付いてほしいところだし」
「まぁ、新井さんですから」
「……へ? えっ、どういうこと?」
一同が大きくため息をつく中、新井さんだけが事情が分からない様子できょろきょろしていた。
☆☆☆
「へぇ。そんなことがあったんだー」
後日。図書館にやって来た柳さんに、紗愛は新井さんの話をした。
「はい。大変でした。結局見つかりましたけど」
店長さんがさっそく出荷履歴を調べ、「1箱」出荷した店に確認したところ、やっぱり1本注文したつもりだったのに、1ダース12本届いたとのことだった。
先方は「あはは。サービスだと思ったよ」と言っていたようだけど、確信犯だろう。せっかくなら貰っちゃえ、と。
結果的には、後から請求に応じてくれるようなので、無事事件は解決となった。
「結局、犯人は新井だったってことかぁ」
「犯人、といえばそうですけど、分り難い単位や、店長さんたちの新井さんへの教育や聞き取りも不十分だったようですので、必ずしも新井さんが悪いってわけでもないでしょう。ただ、結果的には新井さんらしい気の抜けた感じの結末になりました」
紗愛はため息をつくと、あらためて柳さんに向けて言った。
「今回は公平を期すために新井さんの話を引き受けるはめになってしまったので、今後はこういうことのないように、柳さんからのお話も、公平にお断りしますね」
「えぇーっ」
図書館に柳さんの何とも言えない悲鳴が響き渡った。
結局今回の件で、一番損をしたのは柳さんかもしれないけれど、それは自業自得ということで、あきらめてもらおうとする紗愛であった。




