休日はサービスエリアで
「ねぇねぇ紗愛ちゃん。推理小説にあるアリバイって、車に乗れることが前提条件になっているものもあるよね。携帯の電波が入らないような秘境の館に行くのも、車がないといろいろ不便だし。自動車は必要だと思うんだ」
「世の中における自動車の必要性から考えれば、優先順位は限りなく低い理由ですけどね」
いつものように図書館で本を読んでいると、いつものように柳さんが唐突に話しかけてきた。
そしていつものようにそっけない答えを返す紗愛に動じることなく、いつものように柳さんは笑顔で話を続けた。
「うん。というわけで、車の免許を取ってみたんだ」
その言葉に、紗愛は一瞬、きょとんとしてしまった。
が、少し遅れて素直に賛辞を述べた。
「おめでとうございます。動機はともあれ、普通自動車免許は持っていて損はないと思いますよ」
柳さんの年齢なら、車の運転どころかお酒も飲めるはずなのだけど、普段話していてもそういう雰囲気がないから、一瞬戸惑ってしまったのだ。
「わー。ありがとう。ところで紗愛ちゃん、来週の日曜日、なんか予定ある?」
「いえ、ありませんけど」
「良かったあ。じゃあ、ドライブに行こうよ。二人で」
「……はい?」
☆☆☆
休日に男の人と二人きりでドライブするというのは、一般的なデートというものに分類されるのだろうか。
いきなりのお誘いに、紗愛は動揺しつつも断ったのだが、免許取得のお祝いにと言われ、先に予定がないと言ってしまった手前、断れなかったのだ。
いや、意識過剰だろう。だって相手はあの柳さんだし。額面通りのドライブで運転を披露したいだけ、のはず。でもだったら、自分じゃなくて新井さんあたりでもいいはずだし……。
当日の日曜日。
所沢駅前で待ち合わせしながら、紗愛の思考は行ったり来たりしていた。
視線を落とし自分の服装を確認する。花柄のワンピースに、シャツジャケットという組み合わせ。緩すぎず固すぎず、をコンセプトにしてみたが、果たしてこれで良かったのだろうか。普段は引き出しに眠っているネックレスも着けてきてしまったが、変ではないだろうか。化粧はしなくて良かったのだろうか。
思考の海に沈んでいる紗愛近くに、真新しい青色の軽自動車がやってきた。
車には詳しくないので紗愛には車種は分からなかったが、誰かを駅に送りに来たか、迎えに来たかのどっちかだ。
もしかしてと、軽くそちらに近づくと、案の定柳さんが顔を出した。
「おはよう。紗愛ちゃん。今日もいい天気だね」
「おはようございます」
身体半分だけ見せた柳さんの服装は、いつも大学で見かけるものと全く同じだった。そのことにほっとした反面、ほんのちょっとくらいは拍子抜けしてしまった。
「この車、柳さんのものですか?」
「ううん。レンタカーだよ。あ、この場所たぶん駐車禁止だから、早く乗ってもらってもいい?」
「ええっ。そうなんですか」
自動車の交通ルールに疎い紗愛は慌てて車に近づいた。
一瞬いつもの癖で後部座席(家族で旅行に行くときは、母がたいてい助手席に座っている)に座ろうとしてしまったが、二人でのドライブなのだし、せっかくなので助手席のドアを開けた。椅子で遮られていないフロントガラスは新鮮だった。
紗愛がシートベルトを締めるのを確認して、柳さんは車を発進させた。エンストを起こさずスムーズに動き出しただけで、紗愛はかなりほっとした。
「今日はどこに行くんですか?」
「うん。まずは高速道路の入り口に向かっているところだよ」
「えっ、こ、高速に乗るんですかっ」
「うん。そうだよ。大丈夫だって。知ってる? 実は信号機や歩行者がいないから、高速道路の方が事故は少ないんだよ」
「そ、そうなんですか……」
「さぁ? 何となくそう思っただけだけど」
「…………」
紗愛は柳さんを駅前で待っていたときとは別の意味で、不安になってきた。
「ねぇねぇ。紗愛ちゃん、ほら見て。あの看板。面白いよ」
「柳さんは前だけ見て運転してください」
「ねぇ知ってる? この高速道路のでこぼこって、運転手が眠くならないために作られたんだって」
「…………」
「紗愛ちゃん? すごく身体が固まっているみたいだけど、もしかしてシートベルトがきつい?」
「私の方を見ないで前を見てお喋りをせず安全運転にひたすら集中してください。そうすれば少しくらいは柔らかくなると思います」
「そっか。うん。じゃあ頑張るね」
そんなこんなで、高速に乗ってからずっと緊張しっぱなしの紗愛であったが、柳さんの運転は思ったよりスムーズで、少しずつ緊張がほぐれてきた。
一方柳さんの方も多少は緊張していたみたいで、それが慣れてきたからか、いつものように、口数も戻ってきた。
「紗愛ちゃん、ほら。前の車も所沢ナンバーだよ」
「そうですね。普段は見慣れていても、高速道路で見ると不思議な感じですね」
柳さんの言葉に、緊張がほぐれてきた紗愛は自然と返した。
「ねぇ。ナンバーの四つの数字で、10を作るって遊び、しなかった?」
「ええ。子供の頃やっていました」
「1・6・4・3、かぁ。できそう?」
「6÷3×(1+4)ですね」
「わっ、はやい。じゃあ次は、あの車に乗っている人たちがどういう人なのか、推理してみない?」
「ホームズみたいな、あれですか」
柳さんとそんな他愛もない会話を交わしながら、紗愛は苦笑した。
とはいえ、せっかくなので柳さんの提案に付き合うことにした。紗愛も休日と言うことで、少し浮かれているのかもしれない。
「そうですね……」
紗愛は軽く身を乗り出して、前をゆく車を観察する。テレビのCMでよく見かける白のワゴンだ。
後ろからなのでそれぞれの顔は確認できないが、運転席に男性、助手席に同い年ぐらいの女性。そして後部座席には、小学校低学年くらいの女の子と、チャイルドシートに乗せられた赤ん坊らしき子が見える。大きい子の方は、赤ん坊が珍しいのか、お姉ちゃんぶりたいのか、ちょくちょくちょっかいを出している様子が見て取れた。
「――だいたい分かりました」
紗愛が自信ありげに宣言した。
「家族連れの行楽ですね」
「そのまんまじゃん」
柳さんが笑った。つられて紗愛も笑う。
「せめて目的地くらいは推理して欲しかったなー」
「そこまでは無理ですよ。特筆するような物は車の中に見あたりませんし、日曜日ということを考えると、日帰りで帰れるような場所だと思いますが」
物語の中と違って現実は、推理しやすい物が都合良く転がっている訳ではない。
そんなことを話しているうちに、白いワゴンは先に行ってしまい、その姿が見えなくなった。これ以上は推理しようがないのでこの話題はおしまいである。
一方で柳さんが運転する軽自動車は、ゆっくりと法定速度を守って左側を通行している。
紗愛は流れていく景色を横目に見ながら、今更ながらの質問をした。
「ところで、私たちは高速に乗ってどこまで行くんですか?」
「んー。特にどこってわけじゃないんだけど」
「はい?」
☆☆☆
柳さんと紗愛を乗せた車は、とある高速のパーキングエリアに到着した。
紗愛的には無名なパーキングではあるが、意外にも多くの自動車が駐車されていた。駐車場の奥に見える建物が江戸時代風なのが面白い。
「うーん。やっぱり外はいいねぇ」
「はい。生き返った気がします」
柳さんには悪いけど、揺れていない地面に足を着けられるだけで、かなりほっとしている紗愛であった。
車の横に立って、大きく伸びをする。
今日は日差しが強く、夏のように暑い。それでも風は吹いているので空気は心地よい。
「ここが目的だったんですか?」
「うん。どこでも良かったんだけど、高速のパーキングエリアに来てみたかったんだ。ほら、こういうところにくると、旅をしているって感じでわくわくしてこない?」
「そうですね……何となく分かるような気はしますが」
紗愛は苦笑した。
子供っぽいと言うか、冒険に憧れる男の子というのか。いつもとは少し違う柳さんの一面が見られて新鮮だった。
「あ、紗愛ちゃん、ほら。あれ見て。さっきの車じゃない?」
紗愛たちが、駐車されている車の間を抜けるようにして建物の方に向かっていると、不意に柳さんが言った。
「そうですね。あのナンバーです」
所沢の1643。白いワゴン車。高速道路で前を走っていて、ちょっとした推理に利用させてもらった車だ。一足先に、このパーキングに寄っていたようだ。
何気なくその車のそばまで来て、柳さんがそれに気づいたようだ。
「あれ。ちっちゃい子の方は、車に乗ったままだね」
「そうですね」
ぐったりと目を閉じており、レース地の綺麗な白いドレスに包まれた身体は、チャイルドシートにしっかりと固定されて微動たりしない。
「冷房ちゃんとついているのかなぁ。今日結構暑いし、車内の温度が高くなっちゃいそうだけど……」
「冷房はついていないようですね」
車の様子を確認して紗愛が答えた。
荷物は持って出たのか、車内はすっきりしていてほとんど物がない。
「どうしよう……」
おどおどする柳さん。本気で心配している様子だ。
紗愛は真剣そうな顔をして言った。
「そうですね。このパーキングの中から、ご両親を捜して一刻も早く連絡することです」
「探すと言っても……そっか。今まで培ってきた推理力が試されるんだねっ」
柳さんはそう言うと、腕組みをして「うーん」と考え始めた。
「あのとき後ろから見た感じだと、行楽地に向かう家族連れに見えた。となると、僕たちみたいにここのパーキングエリアにくることが目的じゃなくて、あくまで途中で寄っただけだと考えられる」
「そうですね。ここが目的って人は少ないと思います」
「そうなると、ここに寄ったのはちょっとした休憩。ならすぐ戻ってくるはずだよね?」
「はい。ただこの車、私たちよりだいぶ先行していたはずです。先にここに着いて止まっているとしたら、もうだいぶ時間は経っているでしょう」
「そうだよね。もうそろそろ戻ってきてもいい気がするけど……」
そば屋の出前状態である。
催促したときにはもう家の前に着いているかもしれないし、まだ店から出ていないかもしれない。下手すれば、電話を受けて出前のことを思い出したという可能性もある。
もう何分経っているから、あと何分で必ず戻ってくるという保証はないのだ。
「やっぱり、探しに行った方がいいかも」
「問題はどこにいるか、ですね」
「トイレだったらここまで時間は掛からないはずだよ。そうなるとお店を回っているかも。この子のお姉ちゃんみたいな、ちっちゃい子がいたから、おもちゃ売場みたいなところにいるかもしれない」
悪くない発想である。時間が掛かるのなら、子供がらみの可能性が高い。江戸時代風の建物からして、ちょっとしたテーマパークになっているかもしれないし。
「可能性はありますね。でもこれだけの人の中から、顔も知らない相手を捜し出すことは出来ますか?」
「うっ」
柳さんが口ごもった。
休日のパーキングエリア。似たような子供連れの姿は多い。後ろ姿しか見られなかった相手をどうやって探せばいいのか。
「じゃあどうすれば……」
「こうなったら最後の手段しかありませんね」
紗愛は出来るだけ真剣そうな顔をして言った。
「パーキングエリアの運営に連絡して、放送をかけてもらうんです」
「そっか、その手があったんだ」
柳さんは手をたたくと、走りだそうとする。
紗愛は慌ててそれを止めた。
「って、どこに行くんですか」
「どこって、もちろんそのパーキングの運営所だよ! どこにあるか分からないけど、走って探せばきっと見つかるはず――」
「ちょ、ちょっと待ってください。そもそも……」
と紗愛が慌てて言い掛けたとき、後ろから戸惑いがちな声が掛かった。
「あのー。うちの車がどうしました?」
「あ」
若い(といっても紗愛たちよりはだいぶ年上だが)女性が不審そうな視線を向けてきていた。少し離れて、同い年くらいの男性が、小学校低学年くらいの女の子の手を引いて向かってきている。
この車の持ち主だ。
「良かった。早く――」
それに気づいた柳さんが何かを言い出そうとするのを遮るようにして、紗愛は愛想良く口にする。
「すみません。可愛い人形だなぁって、ちょっと見とれてしまいまして」
「へっ?」
「この人形、瞳も閉じるようになっているんですね。本当に寝ているみたい」
紗愛が言うと、女性がほほえんだ。
「ええ。可愛いでしょう。あの子のお気に入りで。こうやって車で移動するときには、いつも連れてくるのよ。お世話したいみたいなの。もう小学生なのにねー」
「へぇ。そうなんですか。それじゃ私は……」
紗愛はぺこりと頭を下げると、まだ混乱している柳さんの手を取って引っ張り、逃げるようにしてその場を去った。
柳さんの手を引っ張りながら、紗愛はその手の意外な大きさに驚きつつ、そういえば柳さんと手をつないだのって小学校の通学班以来だなと、思い出していた。
☆☆☆
「……紗愛ちゃん、もしかして最初から気づいていたの? あれが人形だって」
「いえ。高速道路で後ろから見たときは分かりませんでした。ただパーキングでのぞき込んだときに、すぐ分かりました」
「えー。あんなに本物そっくりだったのに?」
「身に付けていた服ですね。あれくらいの子供って動き回るし食べかすもあるから、それこそお人形さんみたいな服は、普段着せないと思ったんです」
「なるほど」
「あと単純に綺麗すぎましたね。別の意味で生気が感じられませんでしたし。それにベビーカーもパッと目、見当たりませんでした」
「ううっ」
「そもそも長時間車を空けるのに一緒に連れて行かない時点で、変に思いましたけど」
柳さんが天を仰いだ。
「ううっ。だまされたー」
「ふふ。ごめんなさい。でも私、赤ちゃんが危ない、とは一言も言いませんでしたよ」
少し悪ふざけだったけど、うまく柳さんが乗ってくれて、紗愛は満足げにほほえんだ。
せっかくの休日なんだし、たまにはこういうのもいいだろう。
「それで、これからどうします?」
「うん。とりあえず食事にしない?」
「そうですね」
紗愛はうなずいてパーキングエリアの建物の方へと歩き出した。
柳さんもその横について歩きながら、何気なく口にする。
「あ、そうだ。紗愛ちゃん」
「はい? 何ですか」
「今日の服、とても可愛いね。似合ってるよ。花柄が紗愛ちゃんにぴったり。アクセサリーも大人っぽくていいよねー」
「なっ――」
完全に不意打ちだった。
紗愛は固まってしまい、太陽の光と関係なく身体中が一気に熱くなってきた。
「な、何をいきなり。それに今更、何で……」
「だって紗愛ちゃん。運転中は無駄口叩かず前を向いて、って言ったでしょ。服のことを言ったら怒られちゃうかなぁって。だから、なかなか言い出すタイミングがなくって」
「ああ。もう。いいから食事に行きますよっ」
紗愛は柳さんから逃げるように、足早に建物へと向かった。
まだ季節的には早いけれど、店内に冷房が効いていることを祈りながら。




