明日柳さんを殺しますね
「いいですか。明日、柳さんを殺しますね」
「えぇぇ。僕、殺されちゃうのっ?」
「はい。理由はそうですね。適当に痴情のもつれ、ってことで」
「えーと。できればそれ以外でお願いしたいんだけど……」
柳さんが申し訳なさげに言うけれど、紗愛は聞いていなかった。
どうやって柳さんを殺すか、それで頭がいっぱいだった。
☆☆☆
話は数時間前にさかのぼる。
土曜日の昼下がり。紗愛は高校に隣接した大学の図書館で、ゆったりと本の世界に浸っていた。紗愛の通う高校は土曜日の授業がないので休日なのだが、特に予定がなかったことと、前日に読んでいた本の続きが気になったので、わざわざここまでやってきたのだ。
大学のほうは普通に講義があるため、キャンパスにも図書館にも学生の姿は見えられる。けれど世間的には休日とあって普段よりその数は少なく、逆に近所に住む会社勤めと思われる人の姿がちらほら見られた。
いつもより静かな空間で読書にいそしんでいると、柳さんから携帯に連絡が入った。どうやら柳さんも講義で大学に来ているようで、もし図書館に来ているのなら、サークル室に遊びに来ないかということだった。
紗愛は「結構です」とそっけなく返した。
するとほとんど間を置かず柳さんから「うん。じゃあ迎えに行くね」と返信の返信が入った。よくある勘違いのパターンである。確信犯で言っているのか、本気で勘違いしているのかは不明だけど。
「……はぁ。まったく」
紗愛は携帯をしまってため息をついた。
ややこしい文面を送った自分にも非がある。ま、少しぐらい付き合ってもいいかなと心の中で弁明する。なんだかんだで、休日にわざわざ学校近くの図書館まで来てしまうくらい、暇を持て余していた紗愛であった。
しばらくして柳さんが図書館に姿を見せた。いつもと似たようなシャツにチノパン姿だ。せっかく顔はいいのだから、もう少しおしゃれに気を遣ってくれてもいいのに、と紗愛は思う。
そんな柳さんは、紗愛を見て少し意外そうな声を上げた。
「あれ。今日は制服じゃないんだ」
「はい。休日なので」
紗愛の服装は、ソフトな春色のカーディガンに白いスカートを合わせた、シンプルだけど、最近暖かくなってきた気候にあわせたコーディネートだ。大人っぽい女子大生に交じってしまえば、やや子供っぽく見えてしまうかもしれないけれど、それは年齢的にその通りなので、仕方ない。
「そっか。うん、似合ってるよ」
「そうですか」
柳さんの言葉に、紗愛は素っ気なく返したが悪い気はしなかった。
「ところで今日は何ですか」
「あ、そうそう。今サークルのメンバーが来てるんだ。だから紗愛ちゃんにも紹介しようと思って」
「西園寺さんと柳さん以外にもいたんですね。メンバー」
「いるよ! 驚きすぎだから」
むしろ紗愛の言葉に柳さんの方が驚いている様子だった。
「南郷天馬って言って、僕と同じ二年生。男の僕が言うのもなんだけど、格好いいイケメンだと思うよ」
「そうですか」
そう言われてもあまり興味がない。紗愛が好きなのは、大河ドラマの空宮くんか、西武ライオンズの粟山選手だ。
「それでね。紗愛ちゃんのこと話していたら、連れてこいって話になって」
「連れてこい、ですか」
何か偉そうな感じだなと、紗愛は何となく思った。
そしてその予感はあっさりと的中するのであった。
「遅かったな、美貴。ん? それが例の女か」
「どうも」
それ、呼ばわりされて、紗愛の挨拶もそっけないものになる。
確かに柳さんが言っていたように、美形の男性だった。
柔らかで子供っぽさが残っている柳さんとは正反対のタイプで、硬派で年上の魅力を醸し出すタイプだ。耳を覆い隠すほどの長髪も不潔さは全く感じることなく、いい意味で年を重ねた男らしさがにじみ出ていた。
雰囲気的には、いわゆる王子キャラみたいな印象だった。ただし目つきは悪く、口も悪そうだ。毒舌王子というジャンルがあるようだが、あいにく紗愛の守備範囲からは外れている。
「美貴に聞いていたからどんな奴かと思ったけど、ただのガキじゃないか」
「そうですね。無理矢理若作りされている御先輩からすれば、私なんて子供ですよね。ところで、柳さんと同学年とうかがいましたが、何年浪人されたんですか」
「――はぁ?」
「あれ、どうしました?」
紗愛は可愛らしく小首をかしげた。普段柳さんにも見せたことのないような笑顔である。
「え、えっと……」
普段は鈍感な柳さんも、さすがに二人の間の空気に気付いたようだ。だがおろおろしているだけで、その空気を仲裁しようとする動きはない。
それを察したのか、南郷が一方的に宣言した。
「頭が回ると聞いたが、早速だけど、お前を試してやるよ。推理対決でもしようじゃないか」
「ええ。私はかまいませんよ」
ぱちぱちと火花が飛び交う。
「それでどうするばいいんですか? 謎がなければ、推理のしようもありませんが」
「ふん。俺がわざわざ犯人役をするわけないだろ。お前が何かしらのトリックを用いた問題を起こせ。俺がその謎を解く。解けなかったらお前の勝ちだ」
「問題ありません。やります」
「期限はどうする? さすがに今すぐじゃ無理だろうけどな」
「明日までで十分です」
きっぱり言い切った紗愛を見て、南郷がふふっと笑った。こんなやり取りをしていても、思わず目を惹いてしまうような笑みだった。
「場所と時間の設定は、美貴を通して俺に連絡しろ。まぁせいぜい頑張るんだな」
南郷は席を立つと、軽く手をあげてサークル室を出て行った。
そして冒頭の紗愛の発言に繋がるのである――
「まぁこの際、動機なんてどうでもいいです。争点はトリックですから。そうですね。単純ですけどやはりアリバイでしょうね。ついでに密室もつけておきましょうか」
まるで出前のピザのトッピングを頼むような調子で、紗愛が口にする。
とはいえ、さすがにいきなり実践できそうなトリックが思いついているわけでもなく、頭の中であれこれ考えている最中である。
「ねぇねぇ、で、どうするの?」
なので今は、柳さんの問いかけは邪魔以外の何物でもない。
紗愛はそっけなく告げた。
「柳さんは黙って私に殺されていればいいんです」
「えーっ」
理不尽な言いように、柳さんは天を仰いだ。
☆☆☆
翌日、日曜日。
柳はぽつんとサークル室に一人でいた。
今日の午前中に、紗愛ちゃんから指示があったためだ。おそらく例のトリックの打ち合わせだろう。約束の時間は午後三時だ。
ちなみに、天馬に午後五時にサークル室に来るように伝えてくれ、とメッセージに書いてあったので、その旨は柳が伝えている。
「それにしても、いい笑顔だなぁ」
紗愛ちゃんから送られてきたメッセージには、そのとき一緒に撮ったと思われる自撮り画像が添えられていた。普段このようなことはしない子なので、珍しさより戸惑いの方がちょっと大きいけれど。
機嫌がいいのか、満面の笑みはどことなく営業スマイルみたいにも感じられるけど、正直可愛いと思った。
待ち受け画面にしたら紗愛ちゃん怒るかなぁ、なんてことを考えつつ、とりあえず誤って消してしまわないようロックを掛けつつ、柳は時計をみた。
そろそろ午後三時になる。
紗愛ちゃんはたいてい、約束時間の十分前には訪れるタイプだ。まだ時間前とはいえ、少し奇妙な感じがした。
そして午後三時。
スマホが光った。紗愛ちゃんからのメッセージだった。
『ごめんなさい。まだ地元の駅です。遅れます』
メッセージとともに、スタンプ代わりだろうか。ごめんなさいしている自撮り画像が送られてきた。スマホを持った状態で撮っている。映っている背景は、紗愛ちゃんの地元の狭山市駅前だろう。
器用だなぁ、なんて感心していると、次のメッセージが送られてきた。
『まだ時間かかりそうなので、サークル室で寝て待っていてください。不用心ですからちゃんと鍵をかけてくださいね』
「えーと。これは言われたとおりにしなくちゃいけないのかなぁ」
眠くもないし、鍵もかける必要ない気がするけど、これが紗愛ちゃんのトリックに関係しているのだとすると、後でぷんぷん文句を言われそうだ。
柳は仕方なく立ち上がり、鍵を掛けようと扉に向かう。
するとまるでタイミングを見計らったように、扉がノックされた。
誰だろうと、疑問に思いつつ扉を開けた柳の目に映ったのは、春色のカーディガンに白いスカートを身に着けた愛らしい少女。
ついさっき、狭山市駅前を背景に映っていたまんまの紗愛ちゃんだった。
「え――。なんで紗愛ちゃんが。まだ向こうの駅にいたんじゃ――」
「これから柳さんを殺しますね」
紗愛ちゃんは送られてきた画像と同じ笑顔を柳に向けながら、ハンドバッグに手を伸ばした。
☆☆☆
午後五時。
紗愛は大学の正門前で南郷と待ち合わせをしていた。
南郷はスラックスにジャケット姿だった。大人っぽい服装がまた似合っている。彼は「やあ」とだけ軽く挨拶を済ませると、さっそく挑戦的に言ってきた。
「さてと。これから何を見せてくれるのかな。期待はしていないけど」
「どうでしょう」
紗愛もそっけなくそれだけ答える。
南郷はちらりとそんな紗愛を一瞥すると、先をゆくようにサークル室へと向かった。日曜日のため通常の講義がなく、いつもに比べて人もまばらだが、それでもサークル活動や自主的な勉強に来ている学生の姿はちらほらとみられる。
それらの学生とすれ違うようにまっすぐサークル室までたどり着く。入口一階のスペースで、マジック同好会が野外練習をしていた。
顔見知りがいたのか、南郷はそのうちの誰かとさっと会話を交わして、外付けの階段を上って二階に向かう。紗愛もぺこりと同好会の人に頭を下げて、その後に続く。
探偵サークルの部屋は、階段を上った一番手前である。
南郷はドアノブに手をかけて、怪訝な表情を浮かべた。
「ん、珍しいな。鍵がかかっているのか」
「そうみたいですね。これでは私は入れませんね。外から柳さんに声をかけましょうか。けど寝ているかもしれませんね。そういえば、たしか南郷さんも合い鍵を持っていると窺いましたが」
「なるほど。そういうことか」
紗愛のわざとらしい口調に、南郷はにやりと笑った。どうやら紗愛の意図に感づいたようだ。
南郷は中に声をかけることなく、ポケットから取り出したサークル室の鍵を回して、扉を開けた。
サークル室内のもわっとした空気が二人の肌に触れる。
そして彼らの目に映ったのは、部屋の中で倒れている変わり果てた柳さんの姿――ではなかった。
「あ、紗愛ちゃんと天馬」
「って、何で殺された柳さんが、机の前に座って本を読んでいるんですかっ」
紗愛は南郷を押しのけるようにして、怒鳴るようにツッコミを入れた。
「あ、そうだった。だって、殺されてずっと放置されていると退屈で」
「それを言ったらダメですっ」
「あ、そうか。それじゃ、もう一回転がるね」
「あああ。もう!」
「……お前ら、やる気あるのか」
南郷が疲れた様子を見せた。
「まぁいい。ようは密室だった部屋に入ったら、美貴が殺されていた、という状況にしたかったんだろ。美貴は死体だから話は聞かないでやる。で、この状況はどういうことだ?」
予定外の展開にもしっかりと意図をくみ取って、南郷が紗愛へと質問する。
「え、えっと。わ、あたしは三時に柳さんと会う約束をしていたんですが、急な予定が入っちゃって。それで……」
「下手な演技はいい」
「いちおうミステリーっぽく演技してみたのですが、その方が私も助かります」
紗愛はしれっと言うと、あとは簡潔に続けた。
「三時に会う予定でしたが、間に合いそうにないので、私の地元駅である狭山市駅の前で一度連絡を取りました。その後、四時過ぎくらいにもう一回、南郷さんと一緒に五時に来るというメッセージを送りました。ただそのときは、柳さんからの返信はありませんでした」
「ふぅん」
南郷が机の上に置いてある柳のスマホを手に取る。
柳さんのスマホのパスワードは「1111」である。前に一度パスワードをど忘れして面倒な手続きの再起動が必要になって以来、他人に情報みられるより自分でパスワードを忘れて初期化しなくちゃならない方が危険だから、という理由で、その番号にしたとか。
その話を聞いて紗愛は呆れたものだが、南郷もその事実を知っていたようだ。
「お前と美貴のやり取りを見せてもらうぞ」
南郷はなれた手つきで、通話アプリを開く。
そこには柳と紗愛とのやりとりが残っていた。
「まだ時間かかりそうなので、サークル室で寝てまっていてください。不用心ですからちゃんと鍵をかけてくださいね」15:00
「ごめんなさい。急用でまだ時間かかりそうです。五時頃、南郷さんと一緒にうかがいます」16:10
「うん。わかった」16:10
「何返事しているんですか。この時点で柳さんはもう死んでいるんですから、スルーしてください。それからこの文章も消しておくこと!」16:12
「おい」
南郷が冷たい視線を向けてきたので、紗愛はすっと目をそらした。
「まぁ設定は分かった。つまり美貴は三時頃から四時の間に殺されていた。その時間、お前にはアリバイがある、と」
「はい。そのスマホに。16:00以降のやりとりは見なかったことにしてください」
「この写真は、狭山市の駅か? だが発見の五時まで二時間もある。三時直後では間に合わないが、五時までならいくらでも殺害は可能だろう」
「そうですか? 外でマジック同好会の人が野外マジックの練習をしていましたよね。三時にサークル室に集合して簡単なミーティングをしてから外で練習をしていたって聞きました。その人たちに、私が通ったかどうか、聞いてみたらどうですか」
二階に上がるには入口反対側にも外階段があるが、いずれにしろサークル棟の入り口スペースを通る必要がある。
「ふん。まぁならそういうことなんだろう。だったら三時前の時点ですでにサークル室の前にいて、この文章を送ったとすればどうだ? 文章はどこでも打つことができる」
南郷はそこをどうやって通ったかの考察はせず、別の指摘をしてきた。
「確かにそうですね。でもそうなると、この写真はどう説明するんですか?」
「写真なんて、以前撮ったやつを使えばいい」
「なら、これは?」
紗愛は挑戦的にスマホの画面を指さした。
ぺこりと小さく頭を下げている紗愛の画像。その背景には駅の時計が写っており、その時刻は画像が送られたときと同じ時刻を指していた。
「わぁ、本当だ。送った時間とぴったり。すごいねー」
死体役の柳さんも起きあがって感心した様子を見せる。もう紗愛もつっこみを入れる気がなかった。
だが南郷は、紗愛の指摘を受けた途端、むしろ得心がいった表情を浮かべた。
「なるほど。違和感の訳が分かった」
「どういうことですか?」
「この写真は今日撮られたものじゃない。昨日の同じ時間に撮られたものだ」
南郷は紗愛を見てさらりと言った。
「その理由は?」
紗愛が問う。だが南郷はすぐには答えず、別の話題を口にする。
「えっと、紗愛、だっけ。苗字知らないから名前で呼ぶが。ガキっぽい雰囲気はあるけど、見た目はそれほど悪くない。化粧はしてないようだがリップぐらいは使っているようだし、髪も毛先まできれいに整っている。年相応に容姿にも気を使っているようだな」
「ど、どうも」
いきなり容姿を褒められて、紗愛は動揺しつつ何とか礼を口にする。
口調と中身はともかく、見た目は美男子から面と向かって言われ、頬が少し熱くなってしまったような気がした。
「だからこそ、逆に聞きたいんだけど……」
だが南郷はそんな紗愛の様子を気にすることもなく、むしろ挑戦的に紗愛の顔を覗き込むようにして、尋ねてきた。
「二日続けて同じ人間と会うというのに、昨日とまったく同じ服ってのは、どうなのかなって?」
「うっ」
紗愛は下を向いた。その視界に、昨日家を出る前に頭を悩ましてコーディネートした白いスカートがひらりと揺らめいているのが映った。
南郷の指摘通りだった。いつもの制服姿なら良かったのだが、昨日柳さんと別れた後、即席で思いついたトリックをすぐ実行してしまったため、粗が出てしまったのだ。
「あ、本当だ。昨日とまったく同じ服だ。気づかなかったよ」
「い、今まで、気づかなかったんですか?」
南郷に気付かれてトリック的には台無しになってしまったのだけれど、柳さんに服装のことを気づかれなかったのは、それはそれでショックだった。
「というわけで、あんたのアリバイはなくなったわけだけど。それとも、私は二日続けて同じ服を着て人前に出る人間です、って言い訳する?」
「うう」
先に紗愛の容姿を褒めてからのこの流れは反則である。仮に真っ先に服装のことを指摘してきたら、紗愛は多少のプライドを犠牲にして、同じ服着たっていいじゃないですか、って反論していたかもしれない。
だが、まだ終わったわけじゃない。
「だからどうしたというのですか。確かに私のアリバイはなくなりました。けれどこの部屋は密室だったんですよ。鍵を持っていない私に、柳さんを殺せる訳ないじゃないですか。どうやって扉の鍵を閉めたんです?」
「紗愛ちゃん。それ、まんま犯人のせりふだよ」
「いいんです。私が犯人なんですから」
「おい、自白しているぞ」
南郷は後ろ頭を掻きながら呆れつつも、紗愛に尋ねる。
「そもそも柳はどうやって殺されていたんだ? その前提が無いと推理のしようがない」
「あ、そうそう。僕はこういうことで」
柳さんが机の上に置かれていたA4用紙を、ぺたりと後頭部に貼る。そこには赤いペンで、「鈍器による撲殺」と書かれていた。そのマヌケな光景に、最初は自分でやったにもかかわらず、紗愛は少し恥ずかしくなった。
「ところで、窓が少し開いているが、これは美貴が暑いから勝手に開けたのか、それとも設定か?」
「……設定です」
なんでこんな馬鹿馬鹿しい説明をしなくてはならないのだろう。これも柳さんが勝手に生き返ったせいだと、設定ではなく本気で殺意が芽生え始めていた。
「なるほどな。部屋の外から鈍器を投げて殺害も可能か。ただ部屋に凶器らしいものは見当たらない。ひもを付けて回収しようにも、血の跡が残って現実的ではない。そもそも下から二階の部屋にいる美貴の頭に当てるのも至難の業だ。となると、犯人は直接美貴を殺害した後、部屋を出たことになるな」
「そうすると、扉が閉まっていたのはどうなりますか? あ、鍵はあっちの机の上にありますね。言っときますけど、私ずっと入り口付近に立っていて、あそこまでは行ってませんよ」
紗愛が白々しく説明する。
柳さんが座っている机の対角線上、一番離れた位置に辞書やら何やらの重そうな本が横積みになっており、その横にサークル室の鍵が置かれていた。
鍵を持っていた犯人が、探偵役と一緒に密室に入った後、こっそりその鍵を部屋に置いて、あたかも最初から鍵が部屋の中に置かれていて密室が成立したと思わせる、初歩的なトリックを否定するためである。
だが南郷は頭をぽりぽり掻きながら、
「そもそも鍵が机の上に置いてあること自体が怪しいんだよ。普段美貴は使っていないから、表に出ることはないんだ。そうだな。糸でもピアノ線でも細い何かをその辞書の山の下を通して、糸の両端が窓の外に届く程度まで垂らしておく。鍵を持って出た犯人はその鍵でサークル室を施錠して、外に向かう。マジック同好会は三時にサークル室に集合して、ミーティングの後外に出てきたのだから、まだ目撃される心配はない。あとは裏庭に回って、垂れている糸の片方に鍵をひっかけ、もう片方の糸を引っ張る。鍵は辞書の山に当たって落ちて、糸は回収される。それでどうだ?」
「――正解です。まぁ理論上可能ということだけで、実際は柳さんにお願いしておいてもらっただけですが」
南郷の説明を聞いた紗愛はにこりと微笑んで答えた。
「ふん。こんなものか。ずいぶん物足りなかったな」
南郷が挑戦的な視線を紗愛に送る。だが紗愛は悔しがるどころか、感心したような表情で、南郷をほめたたえた。
「はい。私の負けです。南郷さんを侮っていました。さすがですね。想像以上でした」
「ん、どういうことだ?」
予想外の反応に、南郷がきょとんした表情で聞き返してくる。
「そもそも解けない謎はミステリーとして成立しません。単に不可解な事件、もしくは超常現象です。解いてくれる探偵がいるから、成立するんです」
「その探偵が、俺って言うことか」
「はい。ただ私は南郷さんの実力を読み違えていました。それで、このような分かりやすいトリックにしてしまったのです」
「ふん。確かに小学生に大学の問題を出す馬鹿はいないからな。俺も見くびられたものだが、お前の想像の上を言っていたというわけか。まぁ、そこそこの暇つぶしにはなったぞ。次はもう少し俺にあった謎を用意しておくんだな。はっはっは」
そう言うと、もう用事はないのか、南郷は上機嫌に去って行った。
「さすがだね、紗愛ちゃん。そこまで考えていたなんて」
その姿を見届けた柳さんが、感心した様子で笑顔を紗愛に向けた。
だが紗愛はむすっとした表情のまま、ぶっきらぼうに答えた。
「そんなわけないじゃないですか」
「え?」
「南郷さんが解けなくても私が解説すればいいんですから。トリックに破綻が無ければ、超常現象に何てならないです」
得意げに解答を示し、南郷の悔しそうな顔を見る。本来は、それこそが紗愛が望んでいた展開であった。
「ということは……さっきのは」
「ええ。口からの出まかせです。南郷さん、プライドは高そうだから、そこを突けば満足するだろうと思って」
紗愛の読みは当たった。
その結果、南郷は紗愛を馬鹿にするようなことはなかった。むしろ先輩を立てられる出来た後輩、みたいなイメージを持っただろう。
馬鹿にされるよりは良いが、それは紗愛の望みではなかった。
だからこそ、いつかリベンジすると決意するのであった。
「というわけで、またいつか柳さんを殺しますので、覚悟してくださいね」
「えー。そこは日常の謎くらいでお願いしたいなぁ」




