始まり
死にたい。
そう考えるのは何度目だろうか。
高校3年生にもなって進路が何一つ決まっていない俺は、教室の中でぼんやりと外を眺めていた。
未来に期待が持てない。
俺はもはや癖になってしまった溜め息をついた。
急に背中に衝撃が走る。
「おはよー! お前いつも暗い顔してんなー」
「おはよ、健人」
さっきの背中の痛みは健人が俺の背中を叩いたからのようだ。
今日だけの話ではない。
健人いわく、俺をシャキッとさせるためだそうだ。
「なあ、昨日のドラマ見たか? 結構面白かったよな」
「ごめん、まだ見てないや」
「面白いから絶対見ろよな! ところでさ……」
健人はとてもしゃべるやつだ。毎日が楽しそうで、正直うらやましい。全然性格が違うのに、なぜか俺と仲良くしてくれる。
俺と健人が話していると、先生が教室に入ってきた。
「佐藤匠ー!」
俺の名前が呼ばれた。
「はい」
「ちょっと職員室に来い」
何かしてしまっただろうか?
面倒くさいな……。
健人はドンマイというように俺の肩に手を置いた。
職員室に入ると先生が難しそうな顔をしていた。
俺は先生の前に座るように言われた。
「佐藤の進路についてなんだが……」
ああ、またその話か。
「佐藤、お前はもっと高いレベルの大学を狙える。どうだ、志望校を少しだけ考え直してみないか」
俺は黙っている。
「佐藤の志望校を見ると、近場で、あまり苦労しないで入れる大学を選んでいるように見える」
見える、というかその通りだ。
「佐藤、今はそれでいいかもしれない。でも、将来のことを考えろ。良い大学に行けば、それだけ有利になる。佐藤にはもっと上にいける力がある思う。オープンキャンパスとかに行ってみたらどうだ?」
いつもの流れだ。先生は俺のことを考えてくれているのは分かる。
でも必死に勉強して、大学に入って、次は?
俺には将来の夢がない。会社に入ったとしても、出世をしたいとは思わない。なら、なんの利点があるのか。今、大変な思いをして努力する意味はあるのか。
答えは否だ。
「分かりました。考えてみます」
適当に返事をして教室に戻った。
「どうした? なんか、げんなりしてんなー。何言われたんだ?」
「別に。いつもの進路のことだよ。面倒くさいから適当に答えて戻ってきた」
「ふーん」
健人はしばらく黙った。この話はあまり続かないと判断したらしい。
その証拠に、しばらくすると別の話題を振ってきた。
「匠はもっと笑顔でいればいいのに。そうやって疲れた顔しないでさー。
ほら、『救世主』も来ることだしね!」
「健人、その話、本当に信じてるの?」
「もちろん! だって有名な学者とかも言ってるんだぜ」
「でも、『救世主』が来ると言われてから3年も経つじゃないか」
「いやいや。5年以内に来る予想だからな。可能性は高いさ」
『救世主』と言うのは3年前に広がった噂だ。
「神から遣わされる救世主が現れて、世界を救う」
そんな大雑把な内容立った気がする。
最初は誰も信じていなかった。
しかし、面白がって色んな人が噂を広めたこと、どこから出た情報なのか分からなかったことから信じる人も出てきた。
そんな感じで徐々に広がっていった結果、知らない人はほとんどいない状況になった。
政府や有力な学者も真剣に調べ始め、『救世主』は5年以内に現れる可能性が高いという見解を出し、社会問題にもなった。
俺は信じていなかった。そんなものがいるのなら、誰も苦労していない。
そろそろ授業が始まる。健人に席に戻るように言わなければ。
「健人、そろそろ授業が」
「おい!」
急に健人が叫んだから驚いた。健人はとても興奮している。なぜだろうか。
「どうしたんだ?」
「現れるってよ! 今日!」
「え? 何が?」
「だから、『救世主』だよ!」
「いや、それSNSの嘘だろ。騙されるんじゃねーよ」
「違うよ」
声のした方を振り向く。クラスの女子がスマホを持って立っていた。
「ニュースになってる」
「いや、冗談だろ?」
先生が教室に入ってきた。
「これから授業を行う。だが、その前に知らせることがある」
まさか……。
「もう知っている人もいるかもしれないが、今日、『救世主』が来る可能性が高いと政府が発表した。先生自身も信じられないが、3年前から言われていることだ。一応、みんな把握しておくように」
政府も言っているのか!
これは本当に来るのかもしれない。
まあ、来たところで何が起こるということもないと思うが。
国のお偉いさん達で、好きに騒いでおいてくれ。
俺には関係ないことだ。
「1分後、『救世主』が来ると通知が来ました」
放送が入った。今のは校長先生の声だ。
「ほんとだ! めっちゃ拡散されてる!」
健人がスマホを見ながら叫んだ。
「あと1分なら、授業は一旦止めようか」
先生は健人が授業中にスマホをいじっていたことは気にも留めず、なんかわくわくしている。
クラスの人たちはカウントダウンなんて始めた。
「ほら! 匠も!」
10秒を切った辺りで健人に誘われた。
まあ、数えるくらいやってもいいか。
「5、4、3、2、1、0!!」
……なんだ。なにも起こらないじゃないか。
「おい、健人。なにも起こらなかったな」
健人の方を見て、俺は息を飲んだ。
「健人……?」
健人は固まっていた。だが、次の瞬間、溶けた。
比喩とかではなく、そのままの意味で。
皮膚から肉へ。肉から骨へ。
最終的には健人の体は、何も残っていなかった。床にどろどろの液体があるだけだ。
「おい、健人、どういう冗談だ?」
クラスを見渡すとそれぞれに変化が起きている。
健人みたいに体が溶けている人。体が細長く、細長く伸びていく人。目の数だけが増えていく人。体の動きがギクシャクして、人形みたいになっていく人。
どういうことだよ。『救世主』のせいなのか?
吐き気を催した。
質の悪い悪夢を見ているようだ。
姿の変わった人達は、ぞろぞろと教室を出ていく。
校門を見ると、数えきれないほどの化け物になった人達が次々に校門から出ていっていた。
太陽は雲に隠れ、辺りはどんよりと暗くなった。
なにが『救世主』だよ……!
地獄じゃないか……。
どうすればいい?とにかく誰かと連絡がとりたい。
母さんに電話をした。
つながらない。
どうしよう……。
迷った末に、俺は、あるチャットのトークグループの画面を開いた。