5/31/'19
内心でどんなことを考えていようと、損得勘定によってなされようと、善は善だ。他人に良い影響を及ぼしたことは議論の余地がない。
偽善とかなんだとかわけのわからないことを言う奴がいるが、本来は偽善なんて言葉がある方がおかしいのだ。善というのはなされたことによってのみ決められるものなのだから。
その逆も然り。
心中でどんな過激なことを考えていようと、危険思想の持ち主だろうと、犯罪を実行しない限り問題はない。犯罪者のみが悪であり、予備軍はあくまでも予備軍だ。罪人ではない。日本は罪刑法定主義だしね。
つまり、それが捕まりたくないとか、ゲームしたいだとか、気分次第だとかどんな理由であったとしても、罪を犯さない限りはただの一市民だ。悪人扱いすることは許されない。
なんのために刑法があるか。答えは抑止力のため、つまり損得勘定のためだ。
なのに、やれ定義の曖昧な道徳だの偽善だの持ち出して、内心の自由を侵害しようとする輩がいる。ふざけんなよ。心の中で一度たりとも姦淫の罪を犯したことがない人間などいない。
世の中には、安くこき使うためにユダヤ人をナチスから保護して、結果的に讃えられた偉人だっているんだぞ?




