9話~現れたのは~
「恋が始まらない」は毎週水曜日21時更新です。
「……花園、どうしたの?」
捻った足首を抑えて泣いていた時、誰もいないはずの周囲から自分の名前を呼ぶ声がした。
びっくりして声がした方を見ると、そこにいたのはイケメンの王子様やクラスの人気者の男子なんかではなく、それとは正反対のクラスでも目立たない男子だった。
確か名前はーー水城冬馬。
あまりというか、喋ったことが全く記憶にないが、他に頼る存在がいないので、この人に助けて貰うしかない。いや、この人にすがるしかなかった。
「足を……挫いて」
感情交じりに彼に訴えると、彼は顔色一つ変えずに少し傾斜が急な崖を下って来てくれた。そして自分が歩けないと理解すると彼は言った。
「花園……、おぶるけどいい?」
その言葉に香織の心臓が大きく波打った。別に惚れたからなんかではない。異性に身体を触られるのが嫌だからだ。
重度の、までとはいかないが、香織は男性恐怖症だった。
それは中学生の時にちょっとした痴漢に遭い、それからというもの同級生の手が触れる事すら避けてきたほどだ。それくらいに男性という存在は信用がなく、嫌でしかなかった。
しかも今日だって自分がこんな目に遭っているのは男子のせいだ。
香織は少し前に起こった出来事を脳内で再生した。
「あ、古谷君! ごめん香織! 私古谷君と行くから!」
「え……」
香織は仲の良いクラスメイトの代わりに、同じクラスの女子と肝試しを一緒に参加するという約束をしていた。が、出発する直前にその子が、男子からの誘いを受けたという事で、まさかのスタート直前にドタキャンされてしまった。
このままじゃ参加できないし、部屋に戻って数学の解きなおしでもやるか、と思って振り返ると、急に背後から肩を掴まれた。
「いやー俺たちとりのこされちゃったなー、せっかくだし二人で行かない?」
肩を叩いたのは、クラスメイトの伊達という男子だ。伊達君は他の男子人と比べて顔立ちが整っていると女子から評判だが、香織としては挨拶をするくらいで全然話したことはなかった。
別に無理して参加する者でもないし、身を引こうと考えていると、「次のペアー」と点呼の声が聞こえた。
「よし、行こ!」
「え……ちょっと……」
伊達は香織の手首を掴んで参加用紙に記入を済ませると、そのまま香織の身体を引きずる感じで歩行ルートに進んでしまった。
結局その場で断る事ができず、どうせ何分かの辛抱だと自分に言い聞かせて伊達と肝試しに参加することにした。
それから「早くゴールしないかなー」などと考えて喋りながら歩いていると、橋の近くくらいまで行った時に急に伊達が立ち止まった。
「なあ、花園。俺、入学した時からずっとお前の事が好きだったんだよね」
「……は?」
「だから俺と付き合ってくれない?」
予想だにしなかったシチュエーションに香織が黙っていると、伊達が距離を縮めて告白を続けた。
「だめかな?」
「ごめん、私今は誰とも付き合う気がないんだ」
「……なんで? 男をとっかえひっかえするくらいなら俺でいいんじゃないのか?」
「え……なにそれ」
男性恐怖症の香織にとって、男をとっかえひっかえするなどと言った事は命に関わるくらいの事であり、絶対にあり得ないはずだ。いったいどこからそんなデマが出回っているんだ。
全く身に覚えのない情報に困惑していると、伊達が力強く香織の腕を掴んだ。
「ほら、付き合おうぜ」
「……嫌だ! 離して!!」
少しの取っ組み合いの後、運よく伊達の腕からすり抜ける事ができた香織は、そのまま深い緑が覆い茂っている草むらの中に決死の思いで飛び込んだ。
そして草むらの中を呼吸を荒くして無我夢中で走った。後ろから追ってくる足跡に怯えながら。
やがて草むらを抜けたと思ったら、急に地面がなくなり、香織はそこから転落した。香織が走り抜けた先は少し傾斜が急な崖だった。
幸いその場所は崖の上からは目につきにくい場所となっていて、伊達の足音がそれ以上近づいてくることはなかった。だが……。
(……どうしよう)
ただでさえ人目に付かなさそうな場所へと来てしまった挙句、さっきの転落で足を挫いてしまい真面に歩けるような状況ではなかった。
何で、こんな目に……。
瞼から自然と涙が溢れてくる。その水滴は土のついた頬を伝って流れ落ちていく。何もうまくいかない自分が哀れで、あの時ちゃんと断れなかった自分がひどく腹立たしい。
心の中で自分に怒りをぶつける程に涙の量は増していく。
それから泣いては鼻をすすって、泣いては鼻をすすってを繰り返していると、崖の上から声が聞こえた。
「……花園、どうしたの?」
涙混じりの瞳に映ったのは、クラスではあまり見慣れない眼鏡をかけた男子の姿だった。
お読みくださってありがとうございます。花園が男性恐怖症という事が分かりましたね。これからどのようになっていくのか、花園編開始です!
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