出発
(本編に関係なし)
前回は漢字ミスが幾つかあり、すいませんでした!
謎の魔力の持ち主の正体には、この場の全員が動揺していた。それもそのはず。なぜなら魔力の正体はもはや人ではなく、悪魔そのものだったのだから。
「ん?どうしてこんな所に人間が?」
「お前が今回のゾンビ大量発生の元凶か?」
悪魔の見た目は、頭に角が1つ。さらに目も1つだ。身長は2メートルほどとかなり高めだ。見た目だけを見ると、悪魔というよりはギリシア神話に登場するキュクロープスに近い。雰囲気はゾディアに似ている。だが、魔力は全くと言っていい程の別物だ。
「だったらどうする?俺を討伐でもするのか?」
「討伐でも捕獲でもいいから発生を止めるわ!」
そう自信に満ち溢れて言ったのは副長カシオ・フォルズだ。彼女の周りからも膨大な魔力を感じる。既に戦闘態勢に入っているようだ。後ろの男性2人は、どうも身が入っている様には見えない。
「遊!早く後ろに下がって。魔法援護は頼んだわ!」
「了解。任せといて!」
遊楽は後ろに大きく飛ぶと、あらかじめアリエスから渡されていた詠唱の呪文が書かれている紙を取り出し、いつでも高度魔法を唱えられるように構えた。
「これだから人間は嫌いなんだ。この姿を見るなりすぐ戦闘を始めようとする。ほんと腹立たしい…。怒りで我を忘れてしまいそうになるよ。お前らがそのつもりなら、俺も容赦はしない。人間なら尚更だ。」
悪魔の魔力はより一層濃くなっている。ここまで来るともはや魔力ではなく、瘴気のレベルだ。だが、遊楽側も負けてはいない。カシオ・フォルズの、より光を増す魔力に加え、アリエスの武器を構えた状態の闘気、遊楽の燃え上がるような魔力と宙に舞う風の魔力があるのだから。
「雷精よ、数多の矢を持て、敵を討ち取れ!」
先制攻撃を仕掛けたのは、カシオ・フォルズだ。彼女の上空には、数百本に及ぶ黄色の矢が現れた。
この魔法は、水属性を除いたすべての属性が使用可能であり、広範囲に及ぶ攻撃だ。広範囲な分、威力は少し落ちてしまうが、足止めをするぐらいには充分な威力だ。
だが、今回の相手には効果小の様だ。
「人間の魔法も、数年でここまで落ちるとは…。期待外れだな。」
「まだ僕たちは攻撃してない。たった一撃だけで決めつけられると困るな。」
「お前の魔法技能も高が知れてる。そんなんじゃお前等は全員死ぬぞ。」
悪魔は、こちら側に揺れるように歩んできている。
先ほどの発言には謎の恐怖があり、身震いした。背中には寒気がし、全身を恐怖が埋め尽くす。そんな中、遊楽を恐怖の波から救ったのは1匹の狐だ。
『狐?』
その姿は黄色の毛並ではなく、白い。遊楽の知識でヒットしたのはただ一つ。妖狐だ。
遊楽は心の中で疑問を抱いた。だが、この疑問を抱けるようになったのもこの狐のおかげだ。得体の知れないこの狐からは、水属性の魔力を感じる。アリエスほどではないが、恐怖の心を打ち砕くほどのリラックス効果はある。身体回復よりも、精神的回復が得意の様だ。
「ほう。立ち直れたのは評価してやる。だけど、このまんまじゃ期待できそうなお前もすぐダウンしそうだな…」
その通り。今の遊楽は完全な状態ではない。また、他のメンバーはまだ立ち直っていない。周囲を見渡しても先ほどの狐の姿はどこにも見えない。正直なところ絶体絶命だ。
「チャンスをやる。お前には少しばかり期待することにした。」
「?」
だからと言ってどうするのか。こんな状況でそんなことを言われても、どうすることもできない。
「だからってどうすればいいんだよ…」
「今回は俺を見逃せ。その代りにお前たちを見逃す。ゾンビの件もお前が望むなら今回だけ特別に引いてやる。どうだ?」
これが悪魔の囁きと言うものなのか。それとも悪魔が得意とする取引なのか。だがこの際選択の余地はない。
「…分かった。今回はこっちも分が悪い。だけど次は絶対倒す。」
「あぁ、それまでに強くなっていろよ。次は手加減なしだからな。」
そういうと、ゾディアが消えた時と同じような門が現れた。悪魔の交通網は、この門によるものらしい。
前回のゾディア戦でもそうだったが、何かと決着がつかずに戦闘が終わる。これは幸運というべきなのか、はたまた不運というべきなのか。人によって見方は異なるが、少なくとも今回は幸運であっただろう。
「みんな、いい加減目を覚まして。もうあの悪魔はいないよ。」
「うーん?」
遊楽以外のメンバーは、恐怖に屈していたのではなく、眠っていたようだ。特に目立つような外傷は見当たらないし、魔力が切れている様にも見えない。
「あの遊楽さん。先ほどの悪魔は?」
「そのですね…。逃がしたというか逃げてもらったというか…」
「「ええっ!」」
アリエスとカシオ・フォルズは声をそろえて驚いていた。自分たちの知らない間に物事が進んでいたどころか、終わっているのだから。
遊楽は先ほどまで起きていた事情をすべて話した。2人は話を聞くと、納得したようで少し落ち着き始めた。
しばらくしてから、カシオ・フォルズは現状確認をしていた。そのころには、眠っていた2人の男性も起きていた。
「遊楽さん。事情の確認をしてもらっていいですか?」
「はい、どうぞ。」
「悪魔の戦闘では遊楽さんを除いた4人が寝てしまった。そんな中起きている遊楽さんに悪魔が取引を申し出た。今回はその要求を吞んだ、ということで合っていますか?」
「そんな感じです。起きていたのに御役に立てずに面目ないです。」
遊楽がそんなことを言うと、カシオ・フォルズは少し慌て始めた。
「えっと、そんなことないです!実に賢明な判断だと思います。遊楽さんのおかげで助かったといったも過言じゃありません!」
「そうですか?ありがとうございます。」
この瞬間まであまり話していなかったアリエスが、遊楽の反応をみて急に耳を引っ張り出した。実に唐突的なものだった。
「痛い痛い!」
「依頼を熟してる最中デレデレしないの!まだ戻ってこないって確証はないんだから。」
ある意味アリエスの言うとおりなのだが、それにしては少し痛すぎるような感じもした。ステータス的に仕方ない事なのかもしれないと疑問を抱きつつも、遊楽は他の可能性も考えた。結局何も思いつつかなかったが。
しばらくすると、少し申し訳なさそうにしているカシオ・フォルズが2人向けて話し掛けた。
「あのー2人の時間を割くようで申し訳ないんですけど、討伐班の所まで戻りませんか?発生が止まったかも確認したいですし…」
「そ、そうですね。戻りましょうか。」
アリエスは頬を膨らませてあまり機嫌を戻したようには見えなかったが、討伐班の元まで戻ることにした。
その前にカシオ・フォルズだけ回復をしていた。彼女だけ少しばかり傷があったからである。戻った時にまだ戦闘が終わっていなく、傷のせいで戦えないともなれば、彼女は正義感が多少強いので、悔しい結果になってしまう。そうならない為の治療である。適材適所だ。
先ほどまで回復術師を守っていた符は多少の割れ目が入っている。それでもまだ仕事は果たしていた。だが、攻撃も何もしていない悪魔の魔力によって破壊されたと考えられるので、そう考えると侮れない相手だ。
調査班の仕事はこれにて終了。あとはゾンビの大量発生が収まったのかを確認し、残っているゾンビを殲滅するだけだ。ゾンビの発生が止まっていなければ、また別の作戦を立てる必要がある。
ゾンビに襲われることはありつつも、遊楽たちは無事に最初の墓所周辺まで戻ってこれた。一番最初に遊楽たちを見つけたのは、ルーイ・メルンだ。
「お帰りなさい、副長さん達。発生源はたてたようですね。おかげでこちらのゾンビの数が減りました。」
「えーと、それがですね…。あとで全冒険者が集まった時に説明しますね。」
「そうですか。それじゃあ素早くゾンビを全て倒しましょう!」
調査班にとっての2度目のゾンビ討伐にはさほど時間はかからなかった。ゾンビの発生が止まっていたというのが大きな要因だろう。まぁ一番の理由は、討伐班の冒険者たちが、貢献してくれたおかげである。
「みなさーん。討伐も一区切りついたので、一度集合してくださーい。調査班の方々が帰ってきましたよー」
集合の声を掛けたのは副長であるカシオ・フォルズではなく、現在指揮官のルーイだ。別れた時から時間は割と立っているのだが、まだまだ彼女のスタミナは有り余っていそうだ。
数分後、少し離れていた冒険者グループも1か所に集合した。討伐を行っていた冒険者は円陣を組んでいる。その円の中心に、遊楽、アリエス、カシオ・フォルズ、ルーイが立っている。
一番最初に喋り始めたのは、ルーイだ。
「それではまず初めに私から。これにて指揮官の任を解かせていただきます。ありがとうございました。あとは副長さんにお任せします。」
指揮官の任を解く事はあっさりと終ったが、冒険者からは拍手が送られていた。全冒険者が彼女の功績を称えているようだ。全冒険者というのは中心に要るメンバーも、もちろん含まれている。
続いて喋り始めたのは、カシオだ。
「それでは次に、調査での結果を報告します。報告に関しては、遊楽さん。お願いできますか?」
「は、はい!僭越ながら説明させて頂きます!」
正直なところ、説明の内容に関しては問題がない。だが、遊楽本人があまり人前で話すことが苦手である。コミュ障というわけではないが、注目されることに慣れていない。なので、内容が理解できていても、詰まることがないわけではない。そこが一番不安で仕方がない。
だが助け舟はすぐに駆けつけてくれた。遊楽が説明する前にアリエスが耳元で呟いてくれたのだ。
「落ち着いてね。間違っても焦らないこと。頑張って」
最後の「頑張って」でかなり元気が湧いたことだろう。男性だろうが男子だろうが、女性からこんな言葉を掛けられたら気持ちも上がるだろう。
遊楽は1つ深呼吸すると、説明を始めた。アリエスのおかげで、説明は順調に開始した。
「調査の方ですが、原因はやはり召喚によるものだったと考えられます。ですが、召喚していたのは人ではなく、悪魔です。」
この瞬間、冒険者側の方がざわつき始めた。すると、冒険者の一人が質問してきた。
「その悪魔はどうしたんだ?」
「それが申し訳ないことに、逃がしました。本当に申し訳ありません。この責任は全て私のものです。」
「私も同じチームメンバーとして責任があります。申し訳ありませんでした。」
この言葉を聞いた冒険者は、先ほどの倍程ざわめいた。いくらか責めるような声も聞こえた気がするが、遊楽には反論することは出来なかった。いや、しなかったというべきだろう。今回の件は間違えなく自分のせいなのだから。だが、後ろから思いもよらぬ声が掛かってきた。
「この件、私にも責任があります。たとえ初日から優秀な功績を立てていても、遊楽さん達はまだ冒険者になったばかり。それを副長として、そして先輩としてもサポートできなかった私にも責任があります。申し訳ありません。」
さすがに副長が頭を下げたので、冒険者は静まり返った。相変わらず後ろの浮き添い2人はあまり心から頭を下げている様には見えなかったが。
「頭を上げてくれ。」
唐突にそう告げたのは、先ほど質問した冒険者だ。
「俺たちは何もお前たちを責めたい訳じゃない。ただ報告を聞きたかっただけなんだ。謝られてもこっちが困っちまう。」
「いや、でも…」
「とにかく!頭を上げてくれ。誰も責めたりしない。それに良く言うじゃないか。重要なのは過去より未来だ。これからどうするかを考えようじゃないか。」
この言葉には、しばらくの間は空いたものの、全冒険者から歓声や拍手が巻き上がった。
遊楽たちをサポートしたのは、冒険者だったら誰でも知っているブリックスだ。きっとしばらくギルドの中では何処も彼処もブリックスの話だろう。彼の店も大繁盛間違いなし……かもしれない。
落ち着いたことを見計らったカシオは、最後の話を切り出した。
「それでは、最後に報酬についてです。支払いはギルドで行います。そして、指揮官を務めてもらったルーイ・メルンさんには、後程追加報酬をお渡しします。これにて、今回のクエストを終了します。様々な迷惑をかけてしまった私たちのクエストに、最後まで付き合ってもらい、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。」
これにて、今回のクエストは終了。それぞれが街に戻っていた。まぁ、一直線に家に帰るのではなく、ギルドに寄ってから帰るだろうが。
ルーイ・メルンだけは、追加報酬をもらうために少し残っている。そして、その場には遊楽たちも残っている。というのも、ルーイとカシオに、呼び止められているからだ。遊楽もアリエスも特にこの先に予定が控えているわけではない。多少の時間待つぐらいなら、容易い御用だ。
10分程時間がたった後、付き添いも含めて、計4人が遊楽の方に歩いてきた。報酬の受け渡しは終わったようだ。
「えーと、副長さん。お先にどうぞ。大した話ではないので…」
「そうですか?でしたらお言葉に甘えて。遊楽さん、アリエスさん。この先もあの悪魔達と戦うんですよね?」
「そうですけど?最前の注意は払うつもりですよ?」
「余計なお世話かもしれませんが、奴らの魔法には気を付けてください。」
当然のことなのだが、当たり前のことを言うだけではもちろん終わらなかった。
「今回の召喚魔法、腐族モンスターの召喚でしたよね?あの魔法は、無属性ではなく、闇属性によるものです。一般の召喚魔法は、無属性で、特に縛られるものはありません。ですけど、ゾンビのような腐族モンスターの召喚だけは闇属性の魔力を使用するんです。ということは、術者が闇属性の使い手で、洗脳される可能性も出てきます。」
腐族モンスターは決して肉体が腐っているから腐というわけではない。ルーン・ロス・ヴィクトリアスの弟である、モンスター研究員のヴァルイ・ロス・ヴィクトリアスによって定義づけされた。なぜ腐族という名前になったのかは、現在研究中だそうで、研究資料などを回収しているらしい。
「つまり、周りに目を配って、内側からの崩壊を防いでくださいってことでいいですか?」
「そういうことです。」
こういうところは、ゲームや漫画の知識が実に役に立つ。異世界というのは、検討違いな物があれば、検討通りの物も存在する。未だに見分けるコツは身に付きえていないが。
「ルーイさんは、何の御用ですか?」
「えーと、そのですね…」
「「?」」
今の彼女は、少し落ち着いた様子で、先ほどまでの元気はあまり感じられない。これぐらいが丁度いいとも思えなくはないが。
「その、ですね。あなた達2人の実力を見込んで頼みがあります。私の故郷に来てもらえませんか?」
「「???」」
2人は全く意味が理解できなかった。持っていないと言えば嘘になるが、別に故郷に行くということには特に疑問を持っていない。2人の実力を見込んでというところに疑問を抱いている。この場には、ギルド上流院の副長がいる。彼女の方が実力は確実に上だ。今の実力では、2人係でも倒せるかわからない。
「副長さんの方が実力的には上なのでは?」
「それもちゃんと説明します。来てもらえませんか…?」
今の彼女は、初日に宿で泣きそうになっていたアリエスにとてつもなく似ている。こんな表情をされて、断るわけにはいかない。というより、遊楽の心では断れない。
「分かりました。行きましょう。」
すると、ルーイの顔はみるみる明るくなった。
「ありがとうございます!それでは、明日の昼変わり丁度にギルドでお会いしましょう。」
「了解です。それでは、また明日。」
この声で、残っていた全員が2手に別れた。上流院の3人と、残りの3人だ。
ギルドでは、まだ多少の並びはあったが報酬を受け取るまでには特に何もなかった。そして肝心な今回の報酬は、50000カリン。冒険序盤ではかなり多めの報酬だ。中級者から見れば少しばかり物足りない可能性もあるが、今の2人には関係がない。
ギルドに向かい報酬をもらった後、遊楽達とルーイはお互い別の宿に戻った。時間的にはかなり遅く、あと少しもすれば日を跨ぎそうだ。宿に帰った後、風呂に入る以外には特に予定はなく、就寝までにあまり時間はかからなかった。
翌日。この日は、ルーイと昼にギルドで待ち合わせをしている。だが、遊楽が起きたのは地球の時間で約12時。そしてあと少しもすれば、13時に変わってしまう。就寝時間が遅かったという理由ももちろんある。だが、時間を過ぎて相手を不安な気持ちにさせるのも不本意だ。素早く制服に着替え、宿のロビーまで向かった。そこにはアリエスがいたが、彼女も遅れていたようで多少息切れしている。同じく遊楽も息切れしている。
「はぁ、はぁ。アリエスおはよう…」
「おはょう…。今日分の宿の料金は、はぁ、さっき払っといたよ…」
今の2人は周りから注目されそうだ。そんなことは気にもせず、走ってギルドに向かった。時間的には人込みが混雑する時間だ。ギルドまでは複雑な道があるわけではない。単なる一本道だ。だが今回だけはそれが厄介な障害となる。一本道ということは、そこでしか人が通らないのだから。とりあえずはギルドにつかなくてはならない。道中で周りに迷惑をかけない様に注意しつつも、逸早くギルドに着くために移動速度を上げた。
時間はかかってしまったものの、無事にギルドに着くことは出来た。だが、その時間は本来の待ち合わせから15分ほど遅れている。
「さすがに待たせすぎたな…。まだいるかな?」
「うーん?どうだろう?」
しばらく辺りを探していると、1人の人物、いや、地球で言うケモ耳少女がこちらに向かって手を振っている。何を隠そう、その手を振っているのが、ルーイだ。
「あっ。アリエス、いたよ。」
アリエスは、安心の溜め息こぼした。そのすぐ後に、席に向かって行った。ギルド内は、先ほどの道中ほど混んでいるわけではなかったので、少しなら走れる。2人は、急ぎ足で向かった。
「こんにちは。2人とも疲れているようですが、大丈夫ですか?」
「まぁ大丈夫と言えば嘘になりますかね…。いや、それよも、遅れてしまったことに関して怒ってないんですか?」
「まったく怒ってませんよ。実を言うと私もさっき来たばかりなんですよ。」
「その割には疲れてませんね?」
問いかけたのはアリエスだ。
ルーイは、特に息切れしている様子もなければ、人込みに揉まれて疲れている様子もない。2人から見れば、不思議でしょうがない。
「えっとですね…。まず座ってくださりませんか?あまり大きな声では言えないもので…」
「そうですね。それでは失礼します。」
テーブル自体は4人掛けで、1つの椅子が余ってしまう。だがその椅子には、使用禁止の札が貼られている。理由は、椅子の4本足のうち2本がついていないからである。残りの2本も今に折れてしまいそうだ。ここのギルドが儲かっていないというわけではないのだが、なぜか修理が先延ばしになっているそうだ。
「それでは、説明させて頂きますね。うちの家系ではですね先祖代々、古式魔術を受け継いでいるんです。その中で転移魔法があるんです。現代魔法でも転移は出来ますが、そのためには魔法石が必要です。ですが、古式魔法なら魔力だけで転移が出来る様になるんです。」
遊楽にとってはもちろんだが、このことはアリエスも初耳だったらしく、驚いたような顔をしている。
「その古式転移が公表されてないのには理由が?」
「はい。というのもですね、そもそも古式魔法は限られた血の者しか使えません。これが1つ目の理由です。」
「それでもう1つは?」
なぜかアリエスは興味津々になり、ルーイに顔を近ずけた。さすがに驚いていたので、遊楽はアリエスの襟元をつかんで、元の席に戻した。遊楽は最近は心なしかアリエスの扱いに慣れてきている気がする。
「すみませんね。それでもう1つの理由って言うのは?」
「もう1つの理由はですね、この魔法を悪用する族がいるからです。この古式魔法は、光と闇の魔力を伴います。怖がらないでくださいね。我が家は悪用なんかしませんから!」
「別に疑いませんし、怖がらないので安心してください。それで悪用というのは?」
「この古式魔法は、その名の通り昔の魔法を使います。その魔法が問題なのです。歴史書などに記されている魔法は平気なのですが、いくらか禁忌が混じっているんです。禁忌が大変厄介な物ばかりで、主に闇属性の物なのですがもはやこれは魔法のレベルじゃありません。呪術です。生物ならばなんであろうと操ることが出来る呪術、【操り人形】、対象の記憶を消し去ってしまう呪術、【記憶消去(イレイサ―)】。これ以外にも警戒すべき呪術はまだまだあります。」
サイトがしていた警告とはこの【操り人形】とのことだろうか。確かにこれは注意しないといけないものだ。厄介極まりないものだ。
だがここで思ったことは1つ。限られた血の者しか使用できないのなら、意味のないものなのでは。さらに、ここまで高度な魔法、いや呪術であれば、かなり多くの詠唱が必要だと推測できる。
そして、そのことについて質問したのは、なぜか先ほどから興奮しているアリエスだ。
「でもさ、でもさ、ある血筋の者しか使えないんなら、別に大丈夫なんじゃないんですか?」
興奮しているせいか、アリエスの文には私語と敬語が入り混じっている。
「そこで油断しちゃダメです。私たちのような血を奪い、点滴のようなものでその血を体内に取り込めば、使えるようになってしまうのです。そしてもう1個厄介なのが、この魔法は長い詠唱を必要としないことです。」
「そんなの反則技でしょ!」
声を荒げてるのもアリエスだ。
「お、落ち着いてください!対策できないわけじゃありません。長い詠唱は必要としませんが、術者は対象と接触中でなければ使用することはできないんです。それと、相手が眼鏡をかけている時なども無効です。視覚から神経に侵入して所有権を奪うので。でもあまりいないんですよね、眼鏡かけてる人…」
1回で決まればかなり厄介なものだが、その分の対価のような欠点は多々あるようだ。この欠点がなければ、正真正銘ただのチート能力だ。
「ここまで詳しく説明したのはですね、故郷に来てほしい理由に関係があるんですよ。」
「そうだ。その話をしに来たんですもんね。」
「先ほど血が奪われることがあると言いました。そして狙われているのが私の故郷なんです。故郷というか私の家です。我が家が一番古式魔法についての知識が深く、血も濃いんです。」
「「!」」
遊楽とアリエスは、この言葉に大きく反応した。ただでさえこの古式魔法を知ったばかりで、しかもその古式魔法のためにルーイ・メルンの家が狙われているのだ。
「今回は、救出の手伝いをするために行けばいいんですか?」
「そのとおりです。すこしではありますが報酬も出させていただきます。」
そうしてルーイは1枚の紙を差し出してきた。きっと金額や、その他の詳細が書かれている紙であろう。先に紙を取ったのはアリエスだ。アリエスは紙を凝視している。そしてこちらを驚きと同様の顔で見ている。
「ゆ、遊。この子は凄すぎるわ…」
「?」
遊は、アリエスから渡された紙に翻訳眼鏡をかけて目を通した。そこには普段では考えられないほどの金額が表示されていた。その額は何と50万カリン。あまりの驚きに遊楽の顔はフリーズした。この額を見れば誰でもこうなるだろう。アリエスの表情にも納得できる。
「どうしましたか?もしかして少ないですか?」
「いやいやいや!多すぎるぐらいです!大丈夫なんですか?」
「何がです?」
「こんな額の報酬で。いくらなんでも多すぎる気がするんですけど…」
するとルーイは胸を張ってこう答えた。
「これでも私はそこそこな実力を持ってるんですからね!それに、今回ここまで報酬が多いのは悪魔軍に関連しているかもしれないからなんです。それに、自分の家のことなんです。払える分は払わなくては。行ってくれますか?」
遊楽をアリエスは顔を見合った。だが質問の答えはお互い話すまででもなかった。
「もちろん行きますよ。わざわざ僕たちを頼ってくださったんですから。」
「ありがとうございます!今日からでも出発できますか?」
「今からでも行けますよ。とりあえず鞄には必要最低限のものは持ってきているので。」
「それじゃあ、街の門まで行きましょうか。馬車は用意してあります。」
仮に遊楽が今日ではなく、明日といったらこの馬車はどうするつもりだったのだろう。そんな疑問を抱いたような顔をアリエスもしていた。
リーンの街正面門にて、すでにそこにはアリエスがいた。人前では見せられないので、ギルドの屋上にこっそりと向い転移してきたようだ。
「それでは行きましょうか。予定では1度野宿をする予定です。それでは馬車に乗りましょうか。」
3人は早速馬車に乗り込んだ。遊楽にとっては初の体験だ。日本でも珍しいことではあるが人力車に乗ることもあるかもしれない。牧場などでは馬に乗ることもあるかもしれない。だが基本は車や電車。乗馬したことがある人でも、馬車に乗ったことがあるという人は、少なくとも遊楽の友人にはいない。
そしてもう1つ初体験のことがある。それは野宿だ。遊楽の生活は暇さえあればゲームというものだ。もちろん勉強だってするが、基本はゲームだ。そのため長期休暇のときでも引き籠っていることが多い。おかげでキャンプなどの野外宿泊とはあまり縁がない。
アリエスの様子を見ていると、アリエスも野宿は初体験だと考えられる。馬車が初めてだと考えなかったのは、馬車に乗る際何の躊躇もなく乗り込んだからだ。そのため、馬車は初体験でないと判断した。この世界の主な交通機関なのだから乗ったことがないほうが珍しいのかも知れない。
そして野宿が初体験と判断した理由は、野宿という言葉に一瞬ではあったが、少しばかり反応していたからだ。顔が緩んでいたわけではないが、これぐらいの判断なら遊楽でも簡単だ。
今回、ルーイが用意した馬車は、街にある物と変わらないが、ひとつだけ違いがある。それは御者がいないことだ。御者は車でいうところの運転手だ。御者がいないという事は、借りた側が運転するということだ。契約の時に一言申せば、特別な手続きはなくして御者なしで借りられる。と言っても遊楽はもちろん馬車の御者を経験したことなどないので、今回は女性2人に任せることになっている。
御者がいないのにもしっかりとした理由があるそうだ。というのも、ギルドでは話せない様な事がまだあるらく、それを移動中に話すため御者は断ったらしい。
3人の荷物は基本上に置いてある。小さな荷物や、遊楽が持っているような片手剣、短剣の類は自分で持っている。アリエスのような太刀はさすがに席には持ちいれられないので、上に置いてある。ルーイ・メルンの武器はというと、彼女の武器は弓であって、アリエスと同じく上に置いてある。
彼女が弓を扱えるのは、ビーストの力が大きく影響していると考えられる。彼女の身長は特別大きいというわけではない。一般女性と同じぐらいの身長だ。弓も一般のもので、身長とあまり合っているようには見えない。だがそれでも、ゾンビ討伐の際、上手く扱っている姿をこの目ではっきりと見た。驚きよりも称賛に値するテクニックだ。(上から目線というわけではない)
「それじゃあ出発するわよー」
最初に御者を行うのはアリエス。ルーイが話をするならばしっかりと座った方がいいだろうというアリエスの心遣いだ。
馬は軽快な足取りで行進を始めた。そのスピードはなかなかのもので、遊楽の想像を超えていた。町が小さくなっていく。遠出するのには慣れていない遊楽だが、今回は少しばかり興奮している。
しばらく走った後、馬車の中で話が始まった。
「それでは、ギルドでは話せなかったことを話しますね。ここからのことは他言無用ですよ。」
「「もちろん」」
遊楽とアリエスは息の合った返事をした。
すると、ルーイは全身の力を一瞬緩めた。すると、先程まで犬の形だった耳が、狐のような耳に変わっていた。もちろんしっかりと動いている。
「「!」」
このとき遊楽は確信した。悪魔と遭遇した時に救ってもらったあの狐は、彼女の召喚魔法によるものだと。
変化したのは耳だけではない。今まで短かった尻尾が多少長くなっている。アリエスはよそ見していると危険なので、あまり気を取られている暇はなかったが、遊楽はしばらく驚きの表情で固まっていた。
「驚きましたか?」
ルーイは少し笑った表情で訪ねてきた。
「もちろん驚きますよ。むしろ驚かない人なんているんですか?」
遊楽も同じく、少し笑った表情で答えた。
彼女の耳、尻尾は黄色。先ほどまで茶色に近い色をしていた髪も、いつの間にか耳と同じ黄色に変わっていた。
「これが、ギルドで話せなかったことです。」
「狐ということですか?」
「それもありますが、話したいこととはちょっと異なります。私が先程まで、どうやって耳と尻尾を隠していたか。そこが重要な点です。今は犬獣と猫獣の2種類の種族しか存在しません。ですがそれは表向きだけです。私の故郷の方たちは全員、世間でいうところの妖狐という存在になります。もちろんしっかりと存在はありますよ。だから私達は古式魔法が扱えるんです。そしてその1つ、狐が得意とする幻術が、今まで隠せていた理由です。」
日本でも、このような馴染みのある話が数多く存在している。狐はよく女性に化けて、男性を騙すと言われている。狸に関しては、人に見つかった際、死んだふりをするということから、化け狸と言われるという説もあるらしい。
このとき遊楽はふと思った。実はこのルーイは、まだ化けの皮があるのではないのかと。だがその考えは、すぐさま遊楽の頭から消えていった。仮にこの姿が偽の姿で、本来はただの狐というなら、ゾンビ戦の時のような戦闘はできないと判断したからだ。彼女の戦闘は凄まじいもので、人の持つ魔力では、到底まねできないものだった。考えが消えた理由にはもう1つ理由がある。それは、ある程度名が通り始めた自分たちを選んだことだ。騙すだけならば、一般の冒険者で十分だ。むしろそちらの方が、幻術に気づかれるリスクが少なく、好都合だ。その中、ギルドで少しは話題になった2人を選んだので、まだ騙しているという考えは消え去った。
「ギルドの副長さんに頼らなかったのはこれが理由です。あの副長さんは信用できる方です。ですけど、一応ギルドの上流院の方ですし、何を報告されるかわかりません。なので、ギルド上流に関わりがなく、最近有名なあなた方に頼んだというわけです。」
「そういうことでしたか。」
運転席にいるアリエスは、関心を示している。関心の反面、少し残念な顔をしている。きっと、そんな考えが自分では思いつかないと判断したのだろう。
「他には何かありますか?」
「あることはあるんですが、とりあえず最低限の話はしたと思うので、あとは着いてからにしましょう。アリエスさん、運転変わりますよ。」
「ありがとうございます。そろそろ休憩したいなと思ってたところなので。」
そういうと、1度馬車を道の端の方に止めて、運転を交代した。現在この道を通っている人は、辺り一帯を見通しても、遊楽たち以外には見当たらない。生息しているモンスターたちは、特に敵意があるようには見えない。ギルドの調査でも、この道周辺に、危険と認識されているモンスターはいない。夜だけは、攻撃性のモンスターが活動し始めるが、特に重装備で戦闘に出向く程ではない。そのため本来であれば、わざわざ端に馬車を止める必要はない。
だが、さすがにアリエスの考えが読めないような馬鹿ではない。万が一に備えて端に止めたのだろう。もしも本当に通行人が通るのであれば、限りなく邪魔になるだろう。それも、乗車している人物が、短気であれば即口論になりかねない。あまり時間を削りたくない。そうならないためにも、端に止めたという事は、口にしなくても手に取るようにわかる。
御者の交代が終わると、長居する理由はないので馬車はすぐに出発し始めた。ルーイも、馬車は経験積みのようで、手慣れているようだ。不快感は何もない。
しばらく走った後、馬車の中は静まり返っていた。話すべきことがなく全員が困惑の顔を浮かべていた。そこでアリエスがある言葉を発した。
「遊。このままじっとしているのももったいないし、言語の勉強でもしましょうか。」
「そうだね。時間は有意義に使わないとね。」
「事情はよくわかりませんが、頑張ってくださいね。」
アリエスの発言に、本人を含めこの場の全員が助かったという顔をしている。さすがに無言のまま、故郷まで移動するのは、いくらなんでもハードルが高い。ただでさえ、男1人、女2人の状況なのだ。落ち着けるはずがない。
アリエスは、移動している馬車の屋根上に登って、紙と、インク、羽ペンを引っ張り出してきた。この世界にはシャープペンシルのような便利なものはなく、鉛筆すら存在しない。随分とアナログ的だが、こんな生活は悪くないと遊楽も思っている。そもそも、鉛筆などの地球での知識を、この世界に伝えてもいいものかと悩んでいて、作っていないというのもある。異世界なので、何が起きてもおかしくない。遊楽が地球での技術を教えることで、この世界や地球に謎の事態が起こりうるかもしれない。生活や、作戦に地球の知識がなければ支障をきたす場合は仕方ない。だが、その場合以外は地球でのことをあまり引っ張らない方がいいと、少なくとも遊楽は思っている。
「これから、勉強を始めます。いきなり問題。この世界での言語は?」
準備が終わり、授業を始めたアリエスは、どこから出したのかわからないが、眼鏡をかけている。
「はーいせんせーい。キー語でーす。」
「正解。それでは、キー語の読み書きについて学んでいきましょう。」
「えっ?この茶番続けるの?」
「嘘よ嘘。ここからはまじめモード。」
こうして、なんやかんやあったが移動中の勉強が開始した。揺れによる酔いも気にしながら行っているが、思いのほか揺れが少なく酔うようなことはなかった。むしろ、涼やかな風にあたりながら行っているため、部屋で教えてもらうよりはかどっているようにも思える。
天候は晴れだが、今日の気温はなかなか低く涼しい。そして遊楽は、1つ疑問に思った。気づけば口に出ていた。
「ここの季節って、なんだろう?」
「今なら春ね。桜が見えなくて残念だけど。」
「もしかしてさ、春夏秋冬の順で季節って進んでる?」
「そのとおりよ。よくわかってるじゃない。」
「偶然、自分の故郷と同じだっただけだよ。」
四季が分かれば、その季節に合ったクエストを受注することができる。より効率よく所持金を稼ぐことができるだろう。
そしてもう1つ遊楽が思ったことは、この世界でも桜が見れる、ということだ。
「勉強再開するわよ。」
「お願いします!」
数時間後。
「アリエスって意外とスパルタ講師なんだな…。もう疲れた…。」
「お疲れ。私の授業に耐えるなんてすごいじゃない。」
「お2人共お疲れ様です。時間的にもちょうどいい時間帯です。この辺りで野宿にしましょう。」
外はかなり暗く、時間石を見ると、地球時間で言うと19時になりかけていた。準備も含めると、早めに野宿の場所を決めることが重要となる。馬車に関しては、最初に馬と客車の連結を外し、馬は近くの木に括り付けるか、少し高価な即席テントに入れておく。客席には、手動ブレーキがついている。そのため滑り落ちる心配はない。そして荷物に関しては、客車自体に特殊な防壁魔法が施されており、外部から盗まれることはない。だがこれには欠点があり、内部からの荷物流失は防げない事だ。理由は完成前にルーン・ロス・ヴィクトリアスが亡くなってしまったことにある。ルーン・ロス・ヴィクトリアスは基本、戦闘用の魔道具の作成を行っており、レジャー用品には手つかずだったらしい。ただ、偶然気まぐれで作ったものが、この防壁魔法だ。防壁と言っても戦闘用の攻撃から身を守る物は作れず、レジャー用の人物や動物の侵入を防ぐものしか作れなかったらしい。様々な説はあるが、ある歴史家は「戦闘用の試作品として作ったのではないか」という考えを提示している。真相は謎のまま、現在も研究中だ。
野宿と言っても、川辺が近くに有り、水浴び程度なら簡単に済ませることができる。
(水浴びと言ったら、偶然モンスターが出てきて、助けに行った主人公が女性の半裸を見てしまう、って言うのがアニメのお決まりだよな…)
少しではあるが、遊楽は期待を抱いている。アニメの展開的なことは、誰しも一度は憧れる。むしろ、こんなシュチュエーションで憧れない男性の方が珍しい。
女性陣が水辺に向かってから、約10分が経過した。その間、遊楽は何もしていないわけがなく水辺の近くまで寄って、岩陰でタイミングを窺っていた。
(そろそろお決まりの時間だと思うんだけどな…。というか、なんでこんな事してんだろう…。)
遊楽が自らの行動を問いかけていると、奥から悲鳴が聞こえた。実際には悲鳴ではなく、困っているようなセリフだった。
「何よあんた達!」
遊楽は、後で殴られる覚悟で岩陰から飛び出した。
「2人とも大丈夫?」
2人を確認した遊楽は、怪我が見当たらない喜びと、水着を着用していた悲しみに暮れていた。
「水着着用で残念だった?ねぇねぇ。」
ルーイはともかく、アリエスは遊楽を嘲笑っていた。遊楽は話題を逸らすため、モンスターの話を挙げた。
「そんなことよりモンスターは?」
勢いよく振り返った遊楽の目の前にいたのは、モンスターではなく、山賊だった。
「モンスターじゃないんかい!」
「俺たちをモンスター呼ばわりとは、いい度胸じゃねえか。」
山賊は、最初は3人だったが、話をしている内に10に増え、周りを囲まれている。
「実は危険な状態?」
「大丈夫だと思いますよ?本来この道は、冒険初心者の力をつけたい人が通るので山賊のいい標的になるんです。」
「そこの嬢ちゃんはよくわかってんじゃねぇか。傷付きたくなかったらさっさと出すもんだしな。」
「お断りします。」
「あぁん!」
遊楽の一言で、山賊全体の雰囲気が変わった。だが、負けるような不安要素は1つもない。
「生憎なことに、冒険初心者でも実力はあるんで。」
「知ったこっちゃねぇ!口答えする奴は皆殺しだ!やっちまえ!」
アリエスは溜め息をつき、ルーイは軽く戦闘態勢を取り、戦闘が開始した。
勝敗はもちろん遊楽たちの勝利だ。死に至るまで攻撃は続けていないが、現在山賊達は完全にのびている。
最初は、モンスターではなく山賊が出てきたことに驚いていたが、倒してしまえば同じもの。何かアイテムがドロップするわけではないが、物色すれば結局はアイテムをゲットすることは出来る。大差ない。だが、危険を冒してまで人を襲うような連中だ。よっぽど切羽が詰まっていたと考えて、今回は何も取らなかった。
それよりも問題なのは、今この場のこの状況だ。山賊はいいとして、水着の2人の前に立っている遊楽。アリエスは相変わらず遊楽を嘲笑っているが、ルーイ・メルンは、どこか恥ずかしげだ。どうも彼女は着やせするタイプで、普段見えないより体のラインがよく目立っている。そのことを本人も気にしているのだろう。
「さーてと、遊?どういう事か説明してくれるわよね。」
そういうアリエスは、口が笑っていても目が笑っていない。先ほどまでのからかいの笑顔は、虚偽の笑顔に変わっていた。
「えっとですね…」
「正直に言ったらどうかしら?楽になるわよ。」
今のアリエスは、楽になる、ではなく、楽にする、という言葉の方が適している。狂気が溢れ出ている彼女は、ある意味モンスターだ。この瞬間、遊楽は女性の怖さを改めて実感し、腹を括った。
「すいませんでした!自分の欲に負けましたー!」
「私じゃなくて、ルーイさんに謝りなさい。付き合いが長いわけでもないのに水着を観られたのよ。さっさと謝る!」
そういうと、アリエスは遊楽をルーイの前に突き出した。
「すいませんでした!」
遊楽が謝罪すると、あわてた様子で彼女は発言した。
「あ、頭を上げてください!そこまで気にしてませんから!…それでも少し恥ずかしかったな…。」
最後の一言は、アリエスには聞こえたが、遊楽はあまりに焦っていたので聞こえなかった。
数分後、多少の問題はあったものの、無事(?)にもとの場所に帰還した。山賊の残党がいないか心配であったが、荒らされた形跡はなく、物もなくなっていない。地面に足跡はなく、残党がいてもこの荷物には気づいていなかったようだ。
遊楽は、1日風呂に入らなくても特に気にすることはない。徹夜でゲームをするために風呂に入らないのは日常茶飯事だ。さすがに、二日連続で入らないことは今までに1度もないが。顔を流して、汗や油を落とせば遊楽は十分だ。わざわざ服を脱ぐまででもない。
遊楽の水浴びの時間を割く必要がないとあれば、次は食事だ。
(現実だと女性の方が料理上手なところはあるけど、アニメだと料理が出来ないって言う忌々(いまいま)しい呪いが…)
実際のところ、遊楽が今までプレイしてきたゲーム、見てきたアニメでは、女性キャラが料理をしているところを見たことがない。基本、男性キャラがなにか適当な理由を付けて、料理することから遠ざけている。
だが、さすがに初回で決めつけてしまうことは人として抵抗があるため、今回遊楽はおとなしく準備に回っている。
この世界にも、折り畳み式のテーブルなどのアウトドアグッズはあるようで、荷物の中から発見することができた。遊楽は、準備中ではあるが、料理側に耳を傾けながら準備を行っていた。
「何を作りますか?」
最初に料理に取り掛かろうとしたのは、ルーイだ。手ごろな大きさのまな板をすでに準備している。
「一応夜に何かあった時のことを考えると、軽めの方がいいと思いますけど。」
「それならサンドイッチで決まりですね。作り終えるまでにそこまで時間もかかりませんし、何より失敗しませんから。」
さすがに、最後の発言に対しては遊楽も心配になったが、サンドイッチで失敗するようなことは確かにない。失敗する方がむしろ難しいかもしれない。徹夜用の夜食を作ることがたまにあったので、いざという時は遊楽が作ろうと覚悟していたが、そんな事態には陥らなそうだ。
数分後、遊楽のセッティングしたテーブルにアリエスとルーイの2人がサンドイッチを運んできた。見た目は普通で、特に変わったところは見つからない。遊楽は警戒心を剥き出しにしていたが、2人は気づいていないようで、特に止まることはなかった。
「そんじゃ、食べますか。」
「どうぞ、召し上がれ。」
「「「いただきます。」」」
たとえ春であっても、夜になると冷え込む。そのため、用意したもののテーブルは片付け、中心に火を熾し地面に座る形で食事をとっている。不満がないというわけではないが、別に口に出してまでいう事ではないという判断で、遊楽は不満を漏らさなかった。
「今日は、ご飯を食べたら寝ます。ですが、3人という少ない人数でもありますし、見張りを交代でやりたいと思うんですけどいいですか?」
「僕は全然いいですよ。」
「私も賛成です。」
普段通りであれば、遊楽は見張り番の全てを引き受けようとしていた。だが、この世界に来てから徹夜が出来るほどまで起きていることができない。体力的な疲れだけでなく、精神的な疲れも重なっていて地球での生活リズムでは、今は体が耐え切れない。もう少しこの世界で体が慣れれば、徹夜を余裕で出来る様になるであろう。少なくとも遊楽はそう考えている。
「順番はどうしますか?私は何時でも大丈夫ですけど、お2人で決めていいですよ。今の時間から交代で見張りでしたら、1人当たり1つ刻を跨げば丁度いいと思います。」
現在の時刻は地球時間で約10時。予定では陽側の風の刻(地球時間の約9時)までに出発すれば、陰側の水の刻を過ぎる前に着くという。地球時間で言うと約18時だ。仮にモンスターと遭遇しても、ここらのモンスターはまだ序盤で弱く、3人でかかれば時間に差し支えないようだ。
今心配されることは、夜の見張りについてだ。夜は弱いモンスターだと言えど、攻撃性が高い。襲われても1人では対処できないことが多々あり、そのたびギルドには注意喚起の張り紙がクエストボードにある。また、夜は視界も暗く、相手を素早く認識することができない。だからと言って、焚火を明るくしたり、火属性魔法を続けて発動していると、自分から居場所を教えてるため、よりモンスターが寄りついてしまう。
最低限のことはレクチャーしてもらうつもりだが、本当に計画通りに行けるか、今の遊楽は気が気でない。
このような場所で、大災害や、悪魔軍の幹部に遭遇する危険性はゼロではないが、限りなく少ない。その分、モンスターの住処は十分にある。初野宿に加えて、初の見張り。心配になるのは当然である。
数分後、話し合いの末に見張りの順番は遊楽、ルーイ、アリエスの順番となった。彼女らの話によると、最初と最後が一番苦労がなく、中間が一番苦労するという。そんな中、ルーイは自ら中間に立候補した。今の遊楽には感謝の一言しかない。
「それでは遊楽さん、お願いします。何かありましたら、すぐ起こしてくださいね。」
「頑張ってね、遊。」
「あぁ、お休みアリエス。ルーイさんはまた後で。」
そうして2人は就寝し、1人は見張りを始めた。
見張りを始めたはいいが、特に今のところは何も起きていない。なにもせず時間を潰してしまうのは、遊楽が個人的に好まない。基本使える時間は使っていくタイプの人間だからである。そのため、少しの魔力ではあるが、魔法の練習をしている。寝ている2人に迷惑を掛けず、周りのモンスターに気づかれないように、細心の注意をしながら、風属性の魔法を練習している。火属性魔法の練習でもよかったのだが、今は焚火をしていて光源が1つある。そこにさらに遊楽の火属性魔法で光源を作ると、モンスターが寄ってきてしまう危険性を考えての行動だ。
風属性魔法の練習で安心かつ静かに行えるものと言ったら、そこらの木の棒を浮かせる練習や、剣や盾と言った造形魔法の練習だ。
今回、遊楽は造形魔法の練習を取った。造形自体は、オークとの戦闘でやり方は分かっている。問題なのは持続時間と耐久力だ。造形魔法は、魔力を放出するのではなく、一か所に固める物だ。魔法自体初心者の遊楽には、かなり難易度が高い。また、耐久力には魔力の密度が関わってくる。魔力の量が多ければ、密度は高くなり、より頑丈なものになる。(ただし、同じ魔力の量で、より大きくするともちろん密度は低くなり、脆く壊れやすくなる。)
注意事項を確認した遊楽は、風属性魔法で、そっと造形を開始した。今回遊楽が作ろうとしているのは、剣だ。盾とどちらにするか迷っていたが、遊楽のゲームでのプレイングスタイルは、【やられる前にやる】だ。そのため今回も、防御ではなく、攻撃を優先させた。
遊楽の手にできたものは、剣というには小さく、ナイフというには大きいサイズだった。魔力の密度自体も過疎化している。持つ分には申し分ない強度だが、実際に戦闘で使うとなると、簡単に壊れてしまいそうだ。
「そう簡単には上手くいかないよな…」
そういうと、遊楽は1つ溜め息をついた。だがそれと同時に、遊楽本人のやる気も湧き上がっていた。
遊楽の中には、皆の足手まといになりたくないという気持ちが強かったため、ここからの練習のスピードは尋常でなかった。造形魔法を教えてもらえる状況下ではない。そのため、ひたすらに練習をするしかないというのも無きにしも非ず。結果的にいい方向に向いているというのは、間違ってはいないが。
監視も怠らないようにしながら練習をして早1時間。遊楽の手からは魔法が放たれなくなった。
「これがオーバーヒートかな?魔力は残ってる感じするし。手の先もなんだか痺れるように動かないし。」
ここで遊楽の造形魔法の練習は1度お預けになった。成果としては、強度はまだまだだが、ナイフほどの大きさならすぐさま造形が出来る様になった。遊楽の頭の中では最初、「風なのに実体を持つものに触れられるのか?」という疑問があったが、もちろん触れることができる。造形魔法はあくまでも魔力の塊だ。属性ごとの効果はあるが、なにも空気が密集しているわけではないのでもちろん実態には触れることができる。他属性も同様だ。
「今日の練習はこれぐらいにするかな。あとはしっかり見張りをして、ルーイさんに交代するだけだな。残り2時間頑張るか!」
今の遊楽には魔法が使えない為、残り時間の潰し方に迷っていた。途中で睡魔に襲われたこともあったが、頬や耳を引っ張り痛みで誤魔化し、時間の潰し方を考えていた。
そのまま30分が過ぎたが、いまだに時間の潰し方は思いついていない。手は自由に動くようになったが、また魔法の練習をして、手や足が動かなくなったと同時にモンスターが出てくる危険性を考えて、魔法の練習は後日に回していた。このままではただ無意味な時間が過ぎてしまう。そう考えた遊楽は、魔法ではなく、片手剣を使った近接戦闘の練習に切り替えた。これならば体力は使うが、手足が急に動かなくなることはないと言える。時間も無駄にはならない。2人は寝ているため、大きな技の練習はできないが、素振りや、相手がいると仮定しての回避行動の練習ならできる。この世界のモンスターの動きは良く分かっていないので、遊楽の頭の中では、対人戦を想定しての行動をイメージして回避行動の練習を開始した。逆のパターンで、相手が回避行動をした際に、どう動くかのイメージトレーニングも行っていた。
遊楽は、まだゲームに没頭していなかった中学時代、部活は剣道部に所属していた。そのため、まったく運動ができないというわけではなく、むしろ今回の練習のようにスムーズに進めることができる。だが、階段から落ちた時の怪我によって、遊楽の手首には少し後遺症が残っており、長時間の運動には向いていなかった。そのため、ゲームに没頭し始めたのである。
格闘練習は、手首のこともあるので、しっかり合間に休憩をはさんで行っている。気付けばすでに時間は2時間たっていて、交代の時間にはちょうど良くなっていた。遊楽の見張り時間では特に問題は起きず、無事に終えることができた。
自分の番が終わったので、遊楽はルーイを起こしに向かった。
男と女でもちろんテントは分けているので、中の様子は分からないし、勝手に開けることもできない。
「ルーイさん。交代してもらっても構わないですか?」
そのため、外からしか声はかけられないが、それで十分だった。
「はい、もちろんです。お疲れ様でした。しっかり休憩してくださいね。」
「ありがとうございます。ルーイさんも頑張ってください。」
そう言葉を交わすと、遊楽は寝袋を広げ、眠りについた。寝袋自体は、見た目も素材も大差がないように思える。そのため、眠りにつくまでの時間は早くまた、眠りは深かった。
遊楽が眠りについてから数分、アリエスはじっとおとなしく見張りを続けている。決して暇をもてあそんでいるのではなく、彼女なりのイメージトレーニングを行いながらである。普通では片方に集中してしまうため、もう片方が疎かになってしまうが、ルーイのような手練れの冒険者となれば両立することができる。
だが所々でイメージトレーニングを中断することがあった。その理由は、焚火に小枝を追加しているからだ。ルーイは火属性の魔法が使えない。そのため、照明を消さない為にも所々で中断する必要があったのだ。と言っても、イメージトレーニングをしていたのは最初のほんの30分に過ぎない。そのあと、何をしていたかというと、まず初めに、遊楽を救った狐(正確には小狐)を召喚した。ただし、1匹ではない。計6匹の小狐が召喚された。ルーイは召喚魔法を一番得意としているため、1度に複数召喚が出来る。
「さあ狐さん達。今日は月が綺麗ですよ。しっかり魔力を貯めてくださいね。」
彼女はそう言うと優しく微笑んだ。
一般的に人や動物は、食事や睡眠などで魔力は回復するが、この小狐の魔力の補給源は、主であるルーイの内部の魔力ではなく、宙に漂っている外部の魔力である。特に月がはっきりと出ていれば出ているほど魔力の質は濃くなり、効率良く魔力を貯めることができる。昼間でも貯めることは出来るのだが、不効率な為、緊急時以外はあまり行わない。成体となれば、魔力が必要な時に、自ら外に出ることができる。だが、小狐に関しては、まだ外の世界に関しては未熟なため、術者を通して召喚される必要性がある。しかし、魔力を貯める時間に変わりはない。鍛錬次第で魔力の容量は変わるが、基本狐や召喚できる使い魔は魔力の容量は定まっている。個体差で、特別容量が大きい使い魔も存在する。成体前と成体後の違いは魔法の力の大きさや、発動までのスピードだけだ。
魔力の補給にかかった時間は約30分。その間ルーイは、すべての小狐にアンテナを張り、遠くまで離れないように注意している。術者から離れすぎると、召喚が溶けてしまう。最悪の場合は、存在が消えてしまう可能性もありうる。
「そろそろ時間もいいころよね…。狐さん達。そろそろ戻りましょう。」
彼女がそういうと、6匹の小狐が彼女の元に集合した。見た目は何も変わっていないが、かなり多くの魔力を感じとることができる。しっかりと魔力を貯めることができた証拠だ。
集まってきた狐たちは、座っている彼女の両肩に1匹ずつ、膝元に3匹、頭の上に1匹乗っかってきた。先ほどまで活発的だった狐たちは彼女のもとについた瞬間、おとなしくなり、眠りについた。眠りにつくと、体がだんだんと薄くなり始めた。こちら側の世界から、召喚前の世界に戻る前兆だ。召喚者になりたての頃は、この現象が限りなく不安に思えるが、今のルーイにはその気持ちがあまりない。次召喚したときに必ず出てくると信じているからである。
魔力の補給が終わって、残りの見張り時間は、1時間を切っていた。
小狐達が完全に元の世界へ戻る前に、ルーイは違和感を感じ、一匹だけこちら側の世界にとどめた。
ルーイの持った違和感の出場所は、少し離れた背丈の高い草からだ。自ら近ずく様な危険な真似は彼女はしない。まず初めにルーイは、草陰の魔力を調べた。種類としては、ただの動物の魔力だが、その魔力の量が彼女の違和感の原因だ。その動物の魔力は、ルーイの狐より少し弱い。だが、ただの動物では考えられない。
それに加えて、大変弱っているようで、魔力の濃さが薄い。
ルーイは、1人で解決せず、寝ている2人を起こす事を選らんだ。
「寝ているところすいません。少し起きてもらえますか?」
「…はい。何かありました?」
遊楽はあくびを1つして、スムーズに起きた。それに比べてアリエスは、
「あと5分だけ~」
などという発言をしていた。
「起きろー、待ってる時間ないぞー」
と、遊楽は言葉を掛けた。するとアリエスは渋々起きた。
「眠い中ありがとうございます。お二人に相談なのですが、あそこ草陰にいる動物と思わしき子は、どうしましょうか。」
この時、アリエスは魔力を感知していたが、遊楽は何の話か、まったく掴めていなかった。まだ、魔力の感知が完全なものではなく、今回は察知できなかったのである。
「それじゃあ、僕が様子を見てきますよ。一応2人は何時でも戦える用意をしといてください。」
「わかりました。くれぐれも油断しないように、ですよ。」
「深追いとかしちゃだめだからね。逃げたらそのままほっとくんだよ。」
その言葉を聞いたと同時に、遊楽は足を進め始めた。戦闘になる可能性を考えて、念のため片手剣を装備している。
慎重に足を進め、草陰に限りなく近づいた。そして遊楽は、静かに草陰の向こう側を覗いた。するとそこには、1匹怪我をして倒れている狼がいた。犬獣ではなく、正真正銘の狼だ。だが、怪我の様子は重傷で、大変酷い状況だ。
遊楽はかなり大きめの声で、2人に状況を伝えた。
「怪我した狼が倒れてる!2人は応急処置の用意をしといて!」
返事はすぐに帰ってきた。特別離れているわけではないので当然である。
「わかったわ!」
「わかりました!」
そういうとアリエスは回復魔法の用意、ルーイは救急セットや、包帯の準備を始めた。
遊楽の目では、骨折や臓器の損傷と言った内部の負傷は見ることができない。だが、そんな遊楽でもわかるほどの重い怪我だ。
遊楽は、優しく、そしてなるべく衝撃を与えないように狼を抱きかかえ、2人の元に急いだ。移動の際にも細心の注意を払った。
2人の元に着いた時、既に2人は治療の準備を終えていた。そのため、治療に入るまでのタイムラグは、さほどなかった。
「これは酷いわね…。一体何に襲われたらこんな酷い怪我の仕方をするのよ…。」
「正体も気になりますが、先に応急処置をしましょう!」
「そうですね。それでは。
大地の聖霊よ。自然の温もりよ。我が魔力を通じ、この者に祝福をもたらしたまえ。」
今回のこの魔法は、対象の全体に作用する魔法である。全体に作用する魔法には2つメリットがある。1つ目はもちろん、全体が一気に治療できるという点だ。もう1つは、全体の魔法をかけることで、回復と同時に、診察が出来る為、怪我の度合いを見ることができる。
しばらくすると、治療と診察を終えたアリエスがルーイに指示を出した。ただし、指示と言っても、キツイ口調ではなく、しっかりとした敬語だ。
「右前脚と左後ろ脚、後胴体にも包帯をお願いします。不幸中の幸いで、骨折や、臓器に損傷はありません。ただし、過度の疲労や、魔力の損傷がひどいので、ゆっくりと休ませてあげましょう。」
「わかりました。……とりあえず、包帯は巻き終わりました。どこで休ませてあげましょうか?」
包帯を巻き終えた、ルーイは2人に質問を投げかけた。解答は遊楽から帰ってきた。
「僕の寝巻を使います。」
「でもそれじゃあ、遊はどこで寝るの?」
「僕は、上着さえ着とけば多分大丈夫だから。まあ、そんなに気にしなくて大丈夫だよ。」
「遊楽さんがそう仰るのなら、口出しはしません。」
遊楽は素早く寝巻の用意をして、狼を包んだ。心なしか、応急処置を終えた狼の表情が和らいだように感じられる。
応急処置中に、狼は一度も目覚めていない。生きていると分かっていても、心配する気持ちは拭いきれなかった。だが、改めて狼を見ると正常に呼吸をしている。
これ以上悩んでいても仕方ない為、3人は様子を見ることにした。
「狼さんは寝たみたいですけど、これからどうします?」
「私が見張り役、交代しますよ。」
アリエスの見張り交代時間までは、30~40分程時間がある。だが、彼女がこのタイミングで交代を申し出たのにも、しっかりとした理由があった。
「今寝たら、起きられる自信なんてありませんし。」
「そういう事でしたら。残りの時間、頑張ってください。」
そうして、ルーイは荷物の中から自分の寝巻を出し、広げ始めた。遊楽は手ごろな大きさの葉を数枚集め、寝る場所に均等に引いた。服が汚れない為の処置だ。
準備が先に終わったルーイは、先に寝始めた。その数分後に遊楽は寝始めた。予想以上に葉の回収に手間がかかったからである。
アリエスは、2人が寝たことを確認すると、焚火の近くに足を進め、新しい枝を入れ燃やした。彼女が選んだ待ち時間の有効活用法は、1つは狼の看病。看病と言っても、具体的なことは特にせず、異常な反応を示した時にそれを収めることだ。もう1つは、遊楽と同じような実技による練習だ。しかし、太刀はリーチが長く、この場での練習には向いているとは言えない。そのため、今回は体術の練習にしている。攻撃だけではなく、受け身や、防御の練習を行っている。
全員に共通していることだが、焚火には十分気を付けなければいけない。少しでも油断して放っておくと、消えてしまうため、しっかりと小枝を追加していくことが重要だ。
練習をしていると、ようやくルーイ分の見張り時間が終わった。本来ならば、ここからアリエスの見張り番である。
アリエスは、休憩のついでに、狼の様子を見に行った。少し見たところ、確実に表情が緩まってきている。しっかりとリラックス出来ているようだ。そのため、アリエスは安堵の笑顔を浮かべた。
「この子の回復の調子にもよるけど、この様子なら全治2~3日ってとこかしら。」
もちろん、2人は寝ているので聞こえるはずもなく、ただの独り言だ。それでも、周りに誰かいるわけでもない上に、仮に聞かれたからと言って出る支障が思い当たらないため、口に出して確認したのである。
残り時間は約1時間45分程。アリエスは現在、残りの時間の過ごし方に悩んでいる。このまま練習を続けてもいいのだが、それではいざという時に対応できない。だからといい何もせず過ごすのはあまり好ましくないとアリエスは考えた。
結果、ルーイと同じくイメージトレーニングを行うことにした。実践とは異なり体を動かさないので、身体的な成長にはならないが、攻撃の対応はよりスムーズになり、戦闘の辛さが多少は軽減できるであろう。
彼女のイメージトレーニングの内容は、魔法を行使する場所の状況によって、次の行動をどうとるかというものだ。簡単に言えば、魔法を使った後どう動くかということだ。
思いの他、アリエスのイメージトレーニングは捗り1時間が過ぎた。残り時間は45分。アリエスは、焚火に木材を継ぎ足しつ、狼の様子を見ながら次にやることを考えていた。
既に少しずつ日は昇っているが、どうせならゆっくりと寝かせてあげたいというアリエスの優しさで、起こすことはしなかった。だが、アリエスの優しさとは関係なく、遊楽のルーイは自然に起きた。
だからと言って、あからさまに嫌そうな顔はしない。むしろ起こす手間が省けたので好都合である。
「アリエスさん、おはようございます。」
「おはようございます。」
「アリエス、おは~。」
「遊はもう少しシャキッとしたらどうなのかしら…」
「僕の寝起きは舐めたらあかんぜよ」
「ぜよ?」
そんな会話を交わしつつ、無事全員が起床した。予定より早い起床だが何の問題もないむしろ好都合だ。その理由というのは、
「みなさん早めに起きたことですし、早めに出ましょう。お馬さんには悪いですけど、少し飛ばしていけば、昼過ぎにはつくと思います。朝ごはんは馬車の中でどうでしょうか?」
ということだ。今のうちにでればある程度早めに着くそうだ。遊楽とアリエスの2人は特に反対しなかった。
「そういう事でしたら出ましょうか。どうやら、馬の方も準備万端らしいですよ。」
そういったのは遊楽だが、別に馬の言葉が理解できるわけではない。ただ単に、見た目でやる気が出てると分かるぐらいに馬が興奮していただけである。
「それじゃあ、私が運転しますよ。ルーイさんには、故郷の方で案内してもらいますからね。」
「今日も役に立てず面目ない…」
そうして本日の運転はアリエスに決まった。
数分後、寝袋などの出していた荷物を全員が馬車に積み終えて、アリエスは御者席へ、ルーイと遊楽の2人は客席へ乗り込んだ。狼ももちろん客席だ。持っているのは遊楽だ。ゆっくりと丁寧に、客席まで運んだ。
「準備はできたかしら?それじゃあ行くわよ。」
「よろしくお願いしますね、アリエスさん。」
「安全運転で行きますからご安心を。遊楽はしっかりその子を抱いとくんだよ。」
「もちろん。」
そうして遊楽一行を乗せた馬車は出発した。
出発時は多少揺れたが、しばらくすればその揺れも小さくなった。その理由はかなり平面な道で走っているからである。
しかし、最初の揺れでどうやら狼が目覚めてしまったようだ。
「遊楽さん、狼さんが…」
「ほんとだ!」
狼はゆっくりと目を開けた。そうして、しばらく辺りを見渡していた。現在の状況を確認した狼は遊楽の腕から勢いよく飛び出て、客席の唯一歩けるスペースに着地した。
狼はかなり警戒している反面、怯えている様子も見えた。
「とりあえず、おちつ―」
「ガウッ!」
遊楽が「落ち着いて」という前に狼は跳び遊楽に嚙み付こうとした。それに対して遊楽は防御するのでもなく、反撃するのでもなく、ただ静かに狼を再度抱きかかえた。
「ここに君の敵はいないよ。落ち着いて。みんな君の味方だから安心して。」
「クゥーン…」
その遊楽の言葉は狼に伝わったらしく、先ほどまでの威嚇を解いて、静かに遊楽に寄り添った。遊楽も同じように狼に寄り添った。
「よし、決めた。今から僕は、この子の飼い主になります。」
「それはいいと思いますけど、大丈夫ですか?身元も分からないような子を仲間にして。」
「私もルーイさんの意見に同感かな。全否定するわけじゃないけどね。」
「こんなにも愛らしくて傷ついてる子には、誰かが手を差し伸べないとね。そして今回は僕だったってことで。」
行き当ったりばったりな出来事ではあったが、無事に狼の居所が確定した。怪我の治療も申し分なく行えるであろう。(主にアリエスが)
落ち着いた狼は遊楽の膝元でまた眠りについた。先ほどの緊張でかなりの集中力を使い、脱力してしまったのであろう。
眠りについたことを再度確認したルーイが、遊楽に1つ尋ねた。
「遊楽さん、その子の名前はどうするんですか?」
「そうか、名前か。うーん…」
遊楽はネーミングセンスに欠けてるわけではない。その理由は、そもそもつける名前が思いつかないのである。そこに口を挟んだのはアリエスだ。
「毛並の色とか特徴で決めるのもいいかもね。」
「毛並…か。」
狼の毛並は白い。灰色などの濁りが一切なく、透き通るような美しい白色だ。
「白色…。雪?」
「いい線行ってるんじゃない?」
「良し決めた。名前は冷にしようと思う。やっぱ雪って言ったら冷たいじゃん?理由はもう1つありまして、すべての原点の数字の零を意味してて、これからのこの子の冒険の始まりを表してるんだ。どう?」
アリエスとルーイは、驚きの表情をしていた。アリエスは特に隠すことなく普通に驚いていたが、ルーイは口に手を当てて驚いていた。
「やっぱ変かな?」
「いや、いいと思うんだけど、予想以上にしっかりとした名前だったから、正直びっくりしてるわ。」
「私も失礼ながらアリエスさんと同意見です…」
「2人して、僕のイメージはどうなってるんだか…」
遊楽は1つ溜め息を吐いた。
「せっかくですから、私の故郷に着いたら首輪を作ってもらいましょう。」
「そうですね。そしたら案内お願いします。」
「よろこんで。」
ルーイはにこっと微笑んだ。
狼の名前付けは無事に終了した。この時点で出発から30分はたったが、まだまだ町や村と言ったものは見えてこない。しかし、馬の調子が良いようで、予想の斜め45度上を行っている。これならばルーイの見立てより早くつくそうだ。昼丁度に着くかもしれないということだ。
馬車が出発してから2時間。驚くほど本格的に何も起こらなかった。さまざまな話を3人は行っていたが、敵意を持ったモンスターに遭遇することがなければ、厄介な旅行者や山賊と言ったものにも出くわさなかった。
「アリエスさん、そこらで1度馬車を止めてもらえますか。」
「わかりました。」
アリエスは、ルーイの指がさした方向に馬車を止めた。
「それでは、遊楽さん、アリエスさん、ここからはこの腕輪を付けてもらいます。」
ルーイは、遊楽とアリエスに銀色の刻印が刻まれた腕輪を1つずつ渡した。
「私の村には他の種族が入ってこないように幻術と結界が張ってあるんです。ですがこれを付ければ、幻術も結界も無効化できますので、自由に出入りすることが出来る様になります。」
ルーイの説明を聞いた遊楽とアリエスは、腕輪をはめた。すると目の前にはかなり広大な村が現れた。もう少し進んでいたら通過していたほど近くに。
「ようこそ私の故郷、ビジョンに!」
今回も変換ミスはあったでしょうか?
おそらくあったと思いますが、許してください…
次回はもっと気を付けます。