表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

黒天狗の夜話

アリスは物語を始めない。

作者: 黒天狗

某時計ウサギを追いかけて不思議な世界に迷い混む少女のおとぎ話をもとにしました。

 


 ある陽射しの暖かな午後のことである。

 アリス=クラリスは晴天の下、木陰に座って本を読んでいた。



 快晴の空が落っこちてきたような真っ青な膝たけの半袖ワンピースに純白のエプロンを身に纏い、足元は同じく白のニーソックスとお気に入りの紺の靴。金色に輝く腰までの髪はカチューシャの代わりに空色のハンカチで緩く纏められ、細い肢体に整った顔立ちはまだ十歳だという彼女を魅力的に見せている。


 アリスはクラリス公爵家の三女なのだが、その美しい見た目から父親の公爵に溺愛されており、夫に目を向けられず嫉妬した母親、その娘の長女と次女に酷い扱いを受けてきた。


 この母親は公爵が周りの勧めを無下にできず無理矢理結婚させられた継母であり、アリスは公爵の最初の妻が産んだ少女だからと再婚当時から疎まれている。

 さらに彼女もまたバツイチと言われる女の一人で亡くなった元の夫との間の娘を際限なく甘やかしていた。


 自分の娘よりも明らかに見目麗しく美少女と称賛されるアリスを憎く思って、公爵の知らないところで辛く当たって誹謗中傷の数々を投げつけているのだ。




 ヒステリックな叫び声が屋敷の方から響いてきて、アリスは顔を上げて隠すことなく大きなため息をついた。


 大方、アリスの姿がないことに苛立った継母が家具の破壊をしつつ、使用人たちに八つ当たりしながらアリスを探し回っているのだろう。

 今出ていっても面倒事になる予感しかせず、知らぬとばかりに彼女は伸びをした。


「ふぁ~ぅ」


 謎の欠伸をして目元についた涙を無造作に拭うアリスは、屋敷に隣接する森の中から何かが走ってくる気配を感じて息を潜めた。


 まもなくして飛び出してきたのは、金縁の懐中時計を抱えたタキシード姿の二足歩行ウサギである。

 慌ただしくまさに『跳ぶように』走るウサギのネクタイはこれでもかと捻れており、小さな鼻に掛けた丸メガネもずり落ちかけている。


 アリスはそれを一瞥し、赤いタキシードを着るなんてセンスないと思い───そして読書に戻った。


「チョオ~っと待ったぁ~!!」


 ズサササと芝生が削られる音と共に走り去ったはずのウサギが大声を出した。

 アリスは心底めんどくさいと思っているのが分かる表情で騒ぐ侵入者を見た。

 予想と違う反応にウサギは固まるも一瞬のことで、彼はビシッとアリスを指差した。


「なんで追わないの!? 物語が始まる前に終わってんじゃん!! ふつう変なウサギが通りかかったら疑問の一つや二つ湧いて呼び止めるなり後を追うなりするよね!?」 


 おびただしく汗を流すウサギを憐れに感じて、アリスは取り敢えずポケットにいれていたテイッシュをウサギに渡した。

「あ、どうも」と受け取ったウサギが落ち着くまで待って、アリスは答えを返す。


「ウサギさん、世の中は物騒なのよ。知らない他人に着いていくなんて危険な真似するほどわたしは馬鹿じゃないわ」

「だからって無視はないでしょ!?」

「わたしの立場で考えてごらんなさい。優雅に午後のひとときを過ごしていたら、急に二足歩行のタキシードウサギが飛び出してくるのよ? 怪しさ満載すぎて幻覚でも見ているとしか思えないわ。あとその赤いタキシード、まったくセンスないわね」

「辛辣! で、でもほら、今話してるし夢ではないでしょ?」


 ウサギの言葉にアリスは肩を竦める。

 まるで幼いこどもに言い聞かせるかのように微笑を浮かべ、


「幻覚を見ている人は自分じゃそうだって気づかないものよ。他人に言われてやっと分かるの」

「正論だっ!!」

「それよりウサギさん、あなた急いでいるんじゃないのかしら?」

「え、あ、そうだった。時間は…ええっ! もう時間がない!! 女王様は怒りっぽいのに! 遅れたらただじゃすまないよ!!」


 アリスは仕方なくウサギのネクタイを直し、メガネを固定した。

 涙目でおろおろするウサギは可哀想だが自分にできることなどない。

 アリスは現実主義者なのだ。


「どうすれば…」

「そうね、その女王様の好きそうなお土産でも持っていったらどう? 少しは罰も軽くなるかもしれないわ」

「女王様の好きな…」

「何かないの?」

「ある、けど…」


 煮え切らない態度のウサギに先を促すと、ウサギは白いひげをピクピク動かして視線をさまよわせた。


「あの女王様は…可愛いものと綺麗なものを見るのが大好きなんだ。世界中のキラキラしたアクセサリーは持ってるし、人気のブランド商品だって女王の権限を使って集めてるから、たぶん足りないものなんてないんだ……」

「それって生き物もそうなの?」

「うん。毛並みのいい子猫とか声が素敵な小鳥とか、オッドアイの子犬も家臣に世話を言いつけて飼わせてる…」


 彼らからすれば突然飼い主から引き離されて乱暴な女王に好き勝手触られる訳で、ウサギは同情する。

 アリスはしばらくあごに手をやって考え込んでいたが、ウサギの容姿を確認するとポンッと手を打った。


「それなら簡単な話だわ。ウサギさん、あなたって意外と可愛らしい見た目をしてるもの」

「…意外とってなにさ、失礼な。ボクの見た目と何かあるの?」

「ええ、あるわ。女王様は可愛いものが好き、そしてあなたは可愛い。あなたが女王様のペット…こほん。女王様のお友達になってしまえばいいのだわ」


 さりげなくウサギをペット扱いして名案ねと笑うアリスにウサギは狼狽する。

 女王様のペットになった者はろくな目に合わないと有名で、自由もなく女王様に嫌われれば最後、売り飛ばされるか処刑が待っているのだから。


「イヤだよ! それに可愛いって言うならアリスだってそうじゃん!!」

「わたしは誰かのペットになるなんてお断り。さすがに人間をペット扱いするとは思えないけれどね」

「……」

「…してるの?」

「………うん」


 アリスは空を仰ぐ。

 やっぱり空には雲ひとつなく、爽やかな風が吹いている……本で心理を描写するために天気が利用されることはよくあるけど、まったくもってあてにならないわねと現実逃避している。

 ウサギは土下座する勢いだ。


「お願いアリス! 今回だけだから!」

「ちなみに行かないとどうなるのかしら?」

「ボクは処刑されるか奴隷にされるかして永遠に自由を失います」

「…あら遠くで継母が呼んでる声がする」

「誤魔化さないでよっ!!」


 アリスが呼ばれているのは事実だが、余裕のないウサギの忙しなく動く長い耳には届いていないようだ。

 アリスはシワがよった眉間を揉みほぐし、本に栞を挟むと立ち上がってワンピースの裾をはらった。


「本当に帰れるんでしょうね?」

「はい、たぶん」

「『たぶん』?」

「いえもちろん絶対に戻れますともっ! ボクも精一杯サポートさせていただきますよええ!」


 やけくそになって叫ぶウサギを見下ろしてアリスは高圧的な笑みを顔に乗せる。彼女の気持ちはこうである。



 ───上等ね。ペット扱いしようものなら返り討ちにしてやるわ。









 ウサギと一緒に大木の根元にある、辛うじてこどもが入れるかどうかの穴に体を滑り込ませたアリスは変な空間を落ちていく。

 巨大な図書館のような倉庫のような不思議な匂いのする空間に、側を飛んでいるティーカップや置き時計、分厚い辞典や日傘がますます違和感を出している。


 落下先にはまるまる太った双子が踊りながら待ち構えていたがスルーして進む。

 途中で紫とピンクの毒々しい色をした猫、喋りかけてくる草花と緑色の芋虫っぽい生き物、シルクハットを被った別のウサギとお茶会をしていたその仲間に話しかけられるもスルーだ。

 ウサギは申し訳なさそうに会釈している。


「女王様はどんな人?」


 絡んでくる相手が途切れた隙に尋ねるアリスは険しい表情をしていた。

 さっきからすれ違う者はみんな「女王様直々のお呼びだし? …生きて帰って来いよ」みたいなセリフを吐いて、ウサギとの最期の別れを惜しむかのように抱擁をするのだ。

 アリスの質問にウサギは苦々しく口を歪めた。ウサギなのに器用なものである。


「…一言で表すなら『暴君』かな。思い通りにならなきゃ気が済まなくて誰にも手綱が握れない女性だよ。実の両親さえおさめることができなくて困ってるんだ」

「なんでそんなのが女王なのよ。クーデターをしようと考えるような人はいないの?」

「いるよ。いや、正確には"いた"んだ。彼らが失敗してからはクーデターを起こそうと動く人はいなくなったけど」


 ウサギは近づいてくる警備員を見つけて声を潜める。スペードの1のトランプに手と足と頭が生えた警備員はウサギに会釈して、アリスには怪訝な顔をした。アリスは不自然にならないよう、彼に渋々頭を下げた。


「女王は何歳?」

「たしか十歳…」

「わたしと同じじゃない。よく大人もそんなクソガキに従うわね」

「口が過ぎるよ…女王の父親は彼女を甘やかしているんだ。刃向かった者は重い罰が用意されてる。権力者を敵に回したくない貴族たちは形だけでも彼女に従うしかないんだ」


 警備員がどこかへ去ったのを確認して質問を繰り出すアリスにウサギはビクビクしている。万が一にでも聞かれてしまえば打ち首になりそうなことを平気で言うアリスに冷や汗が止まらないウサギ。


「そう。地味にわたしと共通点多いわね」

「貴族も意気地無しダヨネェ。自分達も権力者で、協力すれば女王たちを追い出すくらい簡単にデキルはずなのにサァ」


 いつの間にか現れたネコはアリスにニヤニヤと笑いかけ、怯えるウサギを見てまたニヤニヤと笑った。

 ウサギの背中は二人のせいで治まることのない汗がべったりだ。


「ホラ、お城が見えてきたヨ。女王サマ、怒ってるネェ。門番が怯えて真っ青ダ」


 アリスの服よりもさらに青い門番に彼の半分ほどの背の高さの少女が何やら喚いている。

 彼女の着る悪趣味なフリルとリボンだらけのドレスは赤青黄色に緑が混ざっていて、なんとも言えぬ気持ちの悪い色づかいになっていた。

 トランプ兵のカラーを取り入れているつもりらしいが、そのトランプ兵ですら微妙にひきつった笑みを絶やさないように必死だ。

 門番はウサギに気づいてパアアアと嬉しそうな表情を浮かべ、女王に耳打ちした。クルリと女王は振り返るとウサギを睨み付けた。


「遅いッ!! このわたくしを待たせるとはいい度胸ね!!」

「あれが女王? 鬱陶しそうね」

「ホントだよネ。やかましくてイヤだナ」

「あんたたちきいてんの!! わたくしに逆らえば死刑なのよ!」 


 肩を怒らせて怒鳴る女王にアリスは冷やかな視線を浴びせる。ウサギはハンカチで滝のごとく流れる汗か涙か分からないものを拭い続けて、なんともカオスな空間に猫はニヤニヤと不気味にしっぽを揺らした。


「ねえってば!」

「五月蝿い」

「アリスちゃん!」

「たしかに五月蝿いネェ?」

「君もなに言ってるの! すみません女王様、その、本当にもう色々とありまして到着が遅れてしまいました……」


 女王は真っ赤に染まって憎々しげ。トランプ兵も困惑が隠せず上司の兵隊長に指示を仰いでいるが、その兵隊長自体、まったく対処方法が分からず女王に命令されるまで動かない姿勢をとった。


「キィーッ!! わたくしは女王様なのよ! こんな態度を取ったら不敬罪で地下の牢屋行きなんだから!!」

「敬う必要を感じないのだから仕方がないでしょ。第一、わたしはこの国の国民じゃないわ。女王に対する態度なんて知るわけない」

「あ、あんたの国にも女王はいるでしょっ!」


「わたしの国の女王陛下は優しいお方よ。いつも使用人たちを心から気遣ってくれるし、我が儘なんて言わないし、たかが平民のこどもだろうと礼儀を欠かないような素敵な方なの。

 だからあなたにどう接すればいいのか分からないわ。だってあなたとは、あまりにも違いすぎるもの」


 アリスの脳裏に浮かぶのは一度だけ目にした女王陛下の姿。何度見比べても同じところなんて見つからない。共通しているのは王族であることくらいだ。


「ふんっ、じゃあ教えてあげるわ! まず命令に逆らってはいけないの!」

「なぜ?」

「命令は命令でしょ! このわたくしがくれてやるんだからありがたく従えばいいのよ!」

「……ウザッ」

「聞こえてるわよっ!!」


 そのうち白いハンカチ取り出して噛み締めたりしそうだ。アリスはこの間読んでいた本を思い出す。悪役の女の子が幸せになったヒロインを見て『キィーッ!!』と唸るのだ。

 …そういえばもう言ってた気がする。


「次に、可愛いものと綺麗なものはわたくしに捧げるのよ! 隠していたら死刑よ!!」

「……めんどくさ」

「聞こえてるってば!!」

「聞こえるように言ってるもの」


 ギャアギャア騒ぐ女王とアリスの攻防(ほぼアリスが攻撃で女王にダメージが入る)は続き、ネコが暇になってトランプ兵にちょっかいを出し始め、ウサギは時計を見て情けない顔をしている。

 いつまでも終わらないのではと思われたこれは、アリスの一言が女王に強烈なアッパーをくらわせたことにより終結した。


「女王はボッチなのね。可哀想」 


 カチン。空気が凍った。


「わたくしが『可哀想』ですって…?」

「だって、そんなに我が儘でヒステリックで面倒な女の子と友達になりたいって変わり者はそうそういないでしょ。あなたは一人ぼっちで可哀想」

「…友達くらいいるわ」


「あなたに逆らえば死刑、なのに友達になろうって誘われて断れるわけないじゃない。本当の意味で仲良くしようだなんて子はいないでしょうね」


 ピキピキ。空気にヒビが入る。


 ウサギとトランプ兵たちは内心で『もう止めたげてぇぇ…』と悲鳴をあげていた。

 彼らも薄々思ってはいたが口に出さなかった禁句をアリスが堂々といい放つのだ。アリスは気づかないが女王は動揺して泣きそうな顔になっている。


「じゃあわたくし、は…」

「一人で威張り散らす傲慢な女王様って思われてるんじゃないかしら。どうせ人の話なんて聞かずに自分のことばっかり話してたんでしょ?」

「そうじゃないカナ? 今日会った人はミンナ、女王サマに呼ばれたウサギを可哀想って憐れんでたもんネェ」


 いきなり面白そうな話題を嗅ぎ付けてアリス側で参加したネコはニヤニヤ笑った。その言葉に女王はギギギッと視線をウサギやトランプ兵に向ける。

 彼らはさりげなく顔を背けた。


「ウサギ、本当、なのかしら」


 片言の女王様に答える声はない。

 重い沈黙が支配する。相変わらずネコはニヤニヤ笑いアリスはつまらなそうに女王を観察していて、この場を治める人はどこにもいなかった。


「女王様~、お友達が来られていま…」


 城から飛び出してきたハートのトランプメイドが女王の『お友達』の来訪を告げるも、異様な空間に最後まで言えずにおどおどと辺りを見回した。

 タイムリーな『お友達』にネコは大爆笑して不気味な笑い声を響かせる。


「お友達だってサ、行かなくていいノ?」

「……ぅ」

「「「「う?」」」」


「ぅ…うえええぇぇぇえええんッッ!!」


 大声で泣きながら走り去る女王をトランプメイドは必死に追っていった。呆気にとられたウサギは無表情のアリスと目が合う。

 アリスは無表情のままサムズアップした。


「一件落着?」

「んなわけあるかあぁぁぁああああ!」

























 ────そうしてアリスは無事公爵家に帰ることができ、継姉に勝手に屋敷を抜け出していたと濡れ衣を着せられて雑用を押しつけられましたとさ。


 …キレたアリスがウサギのもとへ殴り込みに行くのはまた別のお話。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ