運命と愛
人々はドリシアル王国へと移動を始めた。
その姿を眺めて、ジェノはとても悲しそうだった。
「ジェノ、俺たちも……」
カルトがそう言いジェノを促すと、ジェノは短く息を吸ってカルトを振り返る。
「カルト! 私、やっぱり……」
ばつが悪そうにうつむきがちに視線を泳がせるジェノ。カルトはジェノの言わんとすることを感じ取り、ジェノの髪を撫でた。
「私、この国に残るわ」
顔を上げたジェノの両眼にはうっすらと涙がたまっている。
「父が守ってきたこの国をたとえ民がいなくても守らなければいけないと、心のどこかに引っかかるんです」
ジェノは固く目を閉じていた。カルトはジェノの頬を撫でる。
「わかった」
カルトはジェノの頬から手を放し、振り返りその場を後にする。
てっきり一緒に残ると言ってくれるかと思っていたジェノは半分驚き、半分落胆した。そして浮かれていた自分に呆れた。ジェノはその場に崩れ落ちて右手で顔を覆った。
カルトが悪いんじゃない。浮かれていたのだ。どんなわがままも受け入れてくれたカルトに甘えてしまっていたのだ。カルトだって自分の故郷がある。私の選択に従うといったのも、私がきっとドリシアル王国に行くことを分かったうえで尋ねたのだ。私のわがままで振り回して、勝手に信頼して。でも私。
「一人じゃ、何にもできないのに」
「誰が一人なんだ?」
聞き覚えのある声にハッと振り返る。しかしそこにいたのは、
「キリアさん?」
顔はカルトと変わらないが、髪も目の色も違うからすぐにわかる。
ジェノの表情を見てキリアは迎えに来たことを伝えながら、カルトの居場所を問うた。ジェノは先ほどの会話を話した。
キリアは真剣に聞いていたものの、最後まで聞き終わると微笑んだ。
「それはないと思うぞ」
驚いたジェノはなぜと問うた。
「俺の息子だからな」
キリアは自信満々で腰に手を当て立ち上がる。きょとんとするジェノからキリアは視線をジェノの背後に移した。
「ジェノー!」
明るい声に呼ばれてジェノも振り返る。そこには二人の子供とカルトがいた。
呆けているジェノを見てカルトは眉間にしわを寄せた。
「何してんだ?」
イハンがジェノに抱き着く。ジェノは困惑した様子でイハンを撫でる。どうしてと零れた言葉にカルトは余計に眉を潜めた。
「何って、こいつらを迎えに行くからって待たせてたんだ。ここに残るならもう待たせる必要もないだろうと思って、迎えに行ったんだが」
ジェノは腰を抜かして尻を地に着いた。そして小さく何かをつぶやいた。カルトは聞き取れずに目の前にしゃがむ。
「捨てられたのかと」
カルトは目を丸くしてジェノの頭に手を置いた。
「なんでそうなるんだ。俺はお前と一緒にいるって言ったろう」
呆けたジェノの手を引いてカルトは立ちあがらせた。
「ということだから、すまないが、ドリシアル王国の方は断らせてもらう。勝手で申し訳ない」
カルトが頭を下げると、慌ててジェノも頭を下げる。
キリアはその様子を見て再び腰に手を当て、ため息をついた。しかしその顔はすごく晴れやかで笑顔だった。
「しょうがないなー。自分の国はどうにかするしかないな」
本当にすみませんと、ジェノは再び頭を下げる。
「それで? ここに残るのはいいが、国民はいないし、恐らく現王が王でなくなったとしたら、隣国との貿易もないだろうし、この国には何も残っていないぞ」
キリアがそういうとカルトはジェノを見た。しかしジェノは考え込むようにして俯いてしまった。
「それにしてもお前は本当に母さんに似ているなー。俺にもだろうが。恋した人に一直線というか、自分勝手というか」
キリアがそういって大きく笑った。カルトは自分の母親のことは全く覚えていないが、少し照れくさそうにそっぽを向いた。
「これは俺が見た夢の話だが」
唐突にカルトが話始め、キリアとジェノは驚いて見た。カルトは腕を組んで目を伏せた。
「母は言った。あなたは何をしたいのか、と」
目を開いてまっすぐにジェノを見た。
「何を、したいのか……」
ジェノは再び考え込むように俯く。すると遠くから名を呼ぶ声が聞こえ、皆が顔をそちらへ向ける。
「ジェノ様ー! いつ国へ行くの?」
それはジェノと奴隷として一緒に働いていた者たちだった。歳としてはジェノよりも少し幼いぐらいだった。
「あなたたち……」
彼らは駆け足で寄ってくる。彼らに事情を説明すると皆が悲観の声を上げた。
「えー、ジェノ様いかないの?」
「ねえ、それじゃあ俺らも行かないでいいよな」
「うん。別に行っても行かなくても僕らは特に困らないよね」
「王様も王様じゃなくなったし」
「ジェノ様が行くからと思って行こうとしてたんだもんな」
口々にそういうと皆笑ってこちらを見た。
「俺らも残るよ」
「だって向こうで王にならないってんならこっちでなるんだろ?」
「ちょっと、王様よ。口を慎みなさい」
ジェノはその者たちを見て、涙を流した。キリアはゆっくりと口角を上げる。
「運命とはこういうことだな」
ジェノは不思議そうにキリアを見る。その目を見てキリアは思いついたように声を上げた。
「君がこっちに来てくれないのなら、カルトも来ないだろう? するとこちらとしてはメリットが全くないわけで、こちらは君たちが誘導した国民を抱えるわけだ。そこで一つ提案がある」
*
国は見事に再生した。ドリシアル王国に流れた民たちは大半がアドル王国へ戻った。といってもすでに王は貿易をしていた隣国へと逃亡し、国名は元のライズベリー王国へと戻された。その後、サモンに諭された隣国が軍隊を連れて攻めてきたが、ドリシアル王国が壁として防護を宣言すると、瞬く間に退散した。
なぜ国がここまで再生したのか、それは大きくドリシアル王国に支えてもらったからだ。キリアが提案してきたこととは、
「貿易をしないか?」
ドリシアル王国は王権を捨て、共和国として生まれ変わる。寿命の短い党首たちは数年で政を引退する。その後、選挙で国主を決めるという。
「たとえそれで国主が決まっても、問題は解決しない。貿易をしなければ俺たちの国は滅んでしまう。しかし何知らぬ国と取引をすれば、この国のように荒れてしまうかもしれない。と考えれば、この国と貿易すれば安全だということだ。有能な商人たちも多いしな」
貿易をできると聞いて商人たちは大喜びした。さらに奴隷として扱われていた人たちは労働者としてきちんと給与をもらい、生活をしている。
国は確かに豊かではないが、人は多くを求めず、今の暮らしの中で笑顔を満面に浮かべていた。
「父が望んだものはきっとこういう国。だから多くの富が得られると言われたところでその話に乗らなかった。多くものを求めてはいけないのよ。私のやりたいことはこれだわ。この国を守ること」
それはきっと多くの苦しみを味わうだろう。人を守るのは自分を守るよりも苦しく辛いもの。人の罪を全て背負うようなもの。不安になったカルトがジェノを見るとその目は国民を見て輝いていた。カルトは目を見開き、そして笑った。
運命は変えられない。人にはそれぞれの性がある。彼女にはこれがそうなのだろう。では自分にとっては。
「あなたがしたいことは何?」
母の言葉を思い出す。
俺は彼女を守るだけだ。
END