あなたと共に
朝日が窓から差し込み、女性の顔を照らした。
女性はゆっくりを目を開いた。
意識がはっきりしてくると、ふわふわとした感覚と、何かを焼く音と臭いがして、周りを見回した。
見知らぬ部屋の使い古されたベットの上にいた。いつも固い床の上に雑魚寝していた女性は、いつもと違う感覚に少し戸惑った。部屋には無駄なものが無く、ただクローゼットやタンスが多い。
女性はベットから立ち上がり、音のする方へと歩く。
音は推測通り、キッチンからだった。一人の男性がフライパンで焼きながら、キャベツをちぎっていた。
男性は女性の存在に気付いて、振り返る。
「起きたか。今、朝食を作ってたんだ。もう少しかかるから、先に座ってろ」
女性は男性の視線の先を見たが、机に椅子は一つしかない。女性は椅子の横に膝を立てて座った。
「いや、椅子に座れよ」
男性の言葉に首を振る女性。男性は察する。
「椅子が一つしかないのは気にするな。もう一個持ってくるから」
男性の強い意見に、女性は恐る恐る椅子に座った。
男性は女性の前に料理を並べ、向かいに自分用の料理を並べた。そして寝室から椅子をを持ってきた。
「いただきます」
男性はそう言ってキャベツにフォークを刺した。
女性はそんな男性の姿を見てフォークを握り、同じように刺した。
「俺はカルト・サジャストン。お前は?」
女性はその質問に顔をわずかにしかめた。
「私は、名を捨てました」
「じゃあ、元の名前は?」
「言いません」
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
「好きに呼んでください」
カルトは少ししかめた。
「じゃあ、いいや」
カルトはそのまま食事を進めた。
女性はじっとカルトを見つめる。それをまたカルトは察した。
「言いたいことがあるなら言っていい。俺はお前を奴隷だとは思ってない」
女性は深呼吸して切り出した。
「あなたは何者ですか?」
「本職は建築家、副職は盗賊」
「なぜ、盗賊をしてるんです?」
「恩人に勧められた。てか恩人が盗賊だった。職業柄詳細は伏せる」
「恥ずかしくないんですか? 盗賊なんて」
「生きるために必要だった。恥ずかしいなんて思う前にそれが日常だった。折り返し聞くが、お前は奴隷で恥ずかしくなかったのか?」
女性は口をつぐんだ。
「悪い」
「いえ、確かに私の方が恥ずかしい立場です」
しばらく沈黙した。
「あの、なぜ奴隷の私を自由にしてくれるんですか」
「俺が奴隷が嫌いだから。それにお前が奴隷だと何故か腹が立つ」
女性はよくわからず、考え込んだ。
「別に深く考えなくていいんじゃないか? もともと奴隷じゃないだろう。もう自由にしていいんだよ。まあ、しばらく街には出ない方がいいだろうけど」
女性は小さくうなずいた。
「家は自由に見回っていい。やりたいことも好きなだけやっていい。風呂もあるし。とりあえず俺は職場に一度顔を出さないといけないから、夕方までは帰れないと思う。昼食は作って行くから、好きな時に食え」
カルトは食器を片付け始める。
女性はカルトに手を伸ばしかけやめた。
カルトの支度を見ながらただ、黙っていた。
カルトは手早く支度を終え、家を後にした。カルトのいない家はとても静かだった。さっきまで音を出していた家具たちは、主人の帰りを待つように静かにたたずんでいる。今は自分もそうだ。
女性は静かに立ち上がり、窓へと向かう。一歩一歩、歩くごとに床のきしむ音が響く。目の前には川。それを囲む木々たち。静かだったと思った空気に音が生まれる。いや、聞こえてきた。川のせせらぎ、木々のざわめき。音が次々に生まれる。生まれる音が聞こえる。女性は大きく深呼吸をした。
「今なら、逃げれる」
人質を取られるわけじゃない。今は己の身だけを案じていればいい。森の中だが下っていけば問題ない、いずれ街に下りれる。
静かにその場から離れて、玄関へと向かう。ドアノブへ手をかけて、回せなかった。
街に下りてどうする。誰かに助けを求めたところで、助けてくれるのだろうか。ここを出て街に出ずに隣国へ逃亡しようか。いや、衛兵に見つかれば一巻の終わりだ。また奴隷にされてしまう。
ドアノブから手を離してため息をついた。
「ある意味今はここが一番安全」
あの若者が信用できるわけではない。だが、一晩は安心できたことは間違いではない。何かの企みを腹の中に隠してないとは限らない。あとでとんでもない要求をされてもその時は逃げ出せばいい。
すっと短く息を吸って引き返した。
せめて何かあの人の弱みをつかめば。そう思って部屋を探索することにした。
改めて部屋を見回しても、何もないシックな部屋だ。タンスや棚があっても、花や置物は一切ない。本当に必要なものしか置いていなかった。
試しにタンスの一番目を開けてみる。中には数の少ない洋服が綺麗に畳んであった。続いて二番目。ここは武器や道具がしまってある。綺麗に並べてあるので相当大切にしているのであろう。あと主人の几帳面さを表しているようだ。続いて三番目。引き出そうとしたもののかなりの重さだった。少しずつ少しずつ引き出していく。動くたびに金属音がわずかに聞こえる。徐々にたくさんの小袋が見えてきた。中身が何なのか、こんなにたくさん何が入っているのか気になって一つだけ開けてみた。中には大量の金貨が入っていた。まさかと思い、女性は他の小袋も明けてみる。だが小袋すべてが金貨の山だった。
「貧しいわけではないのね」
お金があっても無駄遣いをしない。今までのお金持ちとは違う。
金貨を元の様に戻すと別の場所を探し始める。だが特に弱みになりそうなものは何もなかった。
一つ気にかかったのは台所に貼ってある一枚の写真。白髪交じりの夫婦が笑って肩を組んでいる。あの人が映っているわけではないが、あの人にとって大切な人たちなのかもしれない。
いつの間にやら昼を過ぎていた。昼食を作っていくとあの人は言っていたので、台所のテーブルに乗っているのがそうだろう。野菜、卵、肉のサンドイッチがさらに乗っていた。金持ちの商人の家でもこんなものを食べたことはない。出てくるのはパンと水ぐらいだった。
「これ、食べていいのかしら? こんな贅沢、許される?」
皿を持ち上げると紙切れが落ちた。『昼飯』とだけ書かれていた。
「た、食べていいみたいね」
テーブルまで運んで一口食べてみた。
「おいしい」
食べ終わった食器を洗って、しばらく外を見ていた。やることがなく、何をしたらいいかわからない。やりたいことといってもやりたいことは何だろう。今まで仕事を次々にやらされていたので、わからなかった。
少し歩き回ることにした。午前は家の中を回ったので、家の外を回ることにする。
外に出ても特に何もなかった。でも美しい自然に囲まれていて見飽きることはなかった。川の縁に腰を下ろし、流れをずっと見ている。木漏れ日が揺れる水面に映り、きらきらと反射する。
急に風が来て髪がなびいた。そのとき布のはためく音がした。慌てて家の方を振り向く。
人ではなかった。窓際に掛けられた上着がなびいたようだ。
そっと近寄ってそれに触れる。よく見ると一か所だけ破けている。確か棚の引き出しに裁縫箱があったはず。
服を取り上げて家の中へと持って行った。
時は少しさかのぼり、カルトは職場を訪ねた。本職の大工の方だ。
「おう、カルト!」
大工業のボスともいえる存在の男が声をかけてきた。
「お前の前の依頼主、闇商人だったんだって?」
「ええ、でも報酬をもらった後でしたし、その件については関係ないですよ。その商人が書類が盗み出されたと言ってましたが、俺らの無罪は証明してます」
「さすがだな! だから任せたんだ。お前ならリーダーにもなれるな」
カルトは依頼の貼られた掲示板を見る。
「カルト、今度奴隷を買おうと思うんだ。いろいろとさせるのはできんが、物資の搬入ぐらいはできるだろう」
ボスの言葉にカルトは驚いたように振り向いた。
「奴隷ですか……。俺はあんまり賛成しません。ひょろいですし、仕事場で倒れられても困りますよ」
反対の意見が出てボスは驚いたようだった。
「それもそうだな。カルトがそう言うなら考え直そう」
そういってボスは去っていった。厳つい顔で威厳はあるが、ああ見えて単純なのですぐに考えを改めるだろう。
カルトはある程度目途を付け、また帰る。レインが帰り際に声をかけてきたが、軽く返事してすぐに帰った。
早々事務所から出てきたのは盗賊のアジトへと向かうため。昼は見ている人も多いため、後をつけられやすい。故に自然にかつ人目のつかない道を大回りで行かねばならない。
人ごみを縫う様に足早に進み、建物のある一角を曲がる。あくまでも静かに歩き、森に入る。道はないが遠回りをしていく。
やっと着いたそこには見慣れた一軒家があった。
「カルト、てめえやりやがったな」
着くなりすぐに抑え込まれた。予想していない展開に少々驚きつつ、でも冷静にだいたいの予想を立てる。
「俺、何かしました?」
「ああ、とんでもないことだ」
ボスは煙草をふかしながら、珍しく立ち、腕を組んでいる。いつにも増して顔が険しい。検討はついているものの、そこまでのことかと不思議に思う。
「奴隷を連れ出したのがそんなにとんでもない事なんですか?」
「あいつはただの奴隷じゃない」
カルトが表情を変えたのをボスは見逃さなかった。
「なぜ、連れ出した」
カルトは少し考えて少し笑った。
「俺が泥棒だからですかね。欲しいものは手に入れたくなるんですよ」
ボスの目が厳しくなっていく。
「ボス、何をそんなに怒ってるんですか。ほかの皆も。奴隷が逃げるなんてざらにあることです。それに特に彼女を探しているというようなうわさは聞きません。なぜ彼女に対して厳しくなるんです? 彼女に何の秘密があるんです?」
ボスは煙草を吹き捨てると背を向けた。手を挙げると、カルトを抑え込んでいた男たちがゆっくりと放していく。
埃を払ってカルトはゆっくりと立ち上がった。
「お前も馬鹿じゃない。利にならない仕事はしない。それに俺らのファミリーの中でもお前は戦闘力が高い。お前の今回の罰はその女を守ることだ。必要なものがあれば手配する。もし、あいつを殺したりすれば――お前を殺す」
カルトは隠さずに驚く。
「あの女がどれだけ大事なんですか」
ボスは振り向くことなく吐き捨てた。
「いずれ」
そそくさと帰されて街へ降りた。まだ午後三時頃。必要なものを買いに市場を回る。食材、仕事道具。そして女性用の下着や小物、家にいる間は暇だろうから本や毛糸、縫物、タロットなど思いつくものを数種類買った。
家に帰ると女性は朝の位置で座っていた。まさか一切動いていないのかと思ったが、机の上に置いていなかった服が置いてあったので、少なくとも動いたことを察した。台所の机を見るとサンドイッチも食べているようだった。
「街に行っていろいろ探してきたんだ。何が好きかわからなかったから……」
買ってきたものを広げているうちに鼻にいい匂いがしてきた。台所からの様だ。
「あの、勝手に作ってしまいました。簡単なスープなんですけど。あ、温めますね」
女性が立ち上がると、カルトは服を差し出した。
「安物だが生地は良い。それにその服もボロボロだし。着替えて来い。スープは俺が温めとくから」
女性は何かを言おうとしたがすぐに口をつぐんだ。静かにその場を後にした。
女性が黒色の婦人服に着替えてくると、机の上には料理が並べてあった。スープにパンにバター、ミルク。カルトは席へ招く。
暗い森の小さな一軒家、優しい蝋燭の火の明かりの中、静かに二人は夜を迎えた。
翌朝。
女性は机に広げられた物を見て、困惑していた。
「そう。好きなものを知らないから、とりあえず女性がやりそうなものを買ってきたんだ。他にも必要なものがあったら買ってきてやる」
本や毛糸、縫物を一つ一つ触りながら、チラッとタンスの三番目を見た。
カルトはああ、と言いながらタンスの引き出しを開けた。
「ここ見たか? 今は金を入れてるんだが、必要だろうからとりあえずここに物は入れてくれ。あとでタンスやクローゼット、必要なものは作る。その前に部屋も作らねーとな」
冷汗を垂らしながら女性は恐る恐る口を開く。
「お金って、それ秘密なんじゃないんですか?」
女性の思いとは裏腹にカルトはキョトンとする。
驚く女性は声を荒げた。
「だっだって、そんな大金……」
カルトは部屋の中心へ行くと、床をコンコンっと打って、隙間に指を入れた。そして床がゆっくりと持ち上がる。女性は驚くしかない。床下には金の詰まった袋が敷き詰められていた。タンス何個分になるかわからない。もしかしたらこの家全体にあるのかもしれない。
「依頼や本職で稼いだ金さ。なんせ、今まで独り身だったからな。何も使わなかったから溜まってるんだ」
床板を閉じて、カルトは手をはたく。
「さて、しばらくは仕事を休むことにしたから、お前の部屋とタンスを作ってしまわないとな。イノミル、アルア、カリーノ、いろいろ素材はあるが何がいい?」
「へ、部屋って、そんな簡単に……」
女性は驚くことしかできない。
「これでも大工のはしくれなんでな。一部屋増築なんて簡単なものなら二日もあればできる。それまでは俺のベットで我慢してくれよ」
「我慢だなんて……」
そのとき風が窓から流れ込んだ。一枚の葉と共に風が女性の髪を揺らした。カルトは落ちた葉を拾い上げた。
「サラナか。これがいいな。水に強いし、芯もしっかりしてる。それに一番匂いが良い」
カルトの顔を見て女性は困惑する。
「どうして、そこまで……」
「俺が惚れたからって言っただろう。それにお前は奴隷じゃない。だから遠慮するな。あ、それとこの穴縫ってくれただろう。ありがとう」
ニッと笑った顔を見て女性はなぜか、安堵した。
「じゃあ、俺は仕入れて運んでくるから。よかったら買ったもの使ってくれ。もちろん無理強いはしないからな。すぐ帰る」
そういうとすぐに出かけて行った。
カルトの姿が見えなくなると女性は腰を抜かしてしまった。
「わからないわ」
女性はカルトが出ていった扉を気が抜けたように見ていた。
しばらくするとカルトが木材をいくつも抱えて帰ってきた。しかも何往復もして木材をすべて一人で担いできた。軽いわけではない。相当の重さのはずだ。
カルトには驚かされてばかりだ。体がしっかりしているのは見てわかるがまさかこれ程とは思わない。家事はと思いきや、一通りのことはできてしまう。
女性はきょろきょろと部屋を見回したものの、洗濯は終わっていた。ちゃっかりと二人分の洗濯物を干してある。
机の上には本や毛糸が広げられたままだった。女性は一冊の本を手に取った。タイトルは一輪の花というものだった。タイトルではどういうものか想像ができなかったが、女性は窓のそばの椅子に座り、本を広げた。
しばらく金槌やのこぎりの音を聞きながら本を読んでいたが、時計を見ると十一時三十分をさしている。まだカルトは作業を終えていないようだ。まだ金槌の音が聞こえている。
女性は本を窓際に広げたまま、立ち上がり、昼食を作ることにする。食材として何があるかはわからないが、とりあえず何か作って準備をしておきたい。
ざっと見たが結構な種類の野菜がある。簡単な野菜炒めとコーンのスープを作る。
正午の鐘が鳴るまであと数秒というときに、カルトが玄関のドアを開けた。
甘い匂いにカルトは速足で台所に行くと、女性が振り向いた。
「飯作ってくれたのか」
「簡単なものなんですけど」
「いや、助かるよ。運んでいいか?」
「の前に手を洗ってきてください」
女性の鋭い指摘にカルトは薄く笑った。
カルトが帰ってくるともう机に料理が並んでいた。おいしい匂いに気分が高まる。
「うまそう。いただきます」
カルトは机に座るとすぐに食べ始めた。おいしいかまずいかは言わなかったが、ただガツガツと口に運んでいた。女性も少し嬉しくなって、小さく口へと運んだ。
すっかり食べてしまうとカルトは作業へ、女性は片付け、掃除を行った。
二日目の昼には部屋ができ、夜にはベットまで完成していた。女性はエプロン、布団を縫っていた。この二日の間にカルトと女性は笑いあえるほど話せるようになっていた。
だがいまだに女性は名を語らなかった。自分のことを語ろうとはしない。本を読み、ときどき外をぼーっと眺めているのをカルトは知っていた。その時の顔が深く悲しげで、カルトは気になっていた。
*
三日目にはすでに家具もそろい、女性は快適な暮らしができるようになっていた。まだ木の匂いが漂う部屋で女性は深呼吸をした。
「だいぶ過ごしやすくなっただろう。まあ足りないものがあれば何でも言えよ」
カルトの言葉に女性はうなずく。そしてうつむいた。
「大丈夫か?」
女性はカルトの方を向いた。
「こんなによくして頂いて、感謝しています。それでも共に過ごした奴隷たちが気になるんです。皆どうしてるかなって」
カルトは話を聞こうと椅子に腰かけた。女性はベットに腰を下ろす。
「カルトさんはそういう人たちはいないんですか?」
少し考えたがカルトは首を振った。
「ご家族はいないんですか?」
再び首を振る。
「俺の産みの両親は知らない。ただ育ての親ならいた。その両親に聞いた話、俺は川から流れてきたらしい。小さなバスケットに入ってたって。それを拾って育ててくれたんだ。だけど――」
静かな森に響く馬の蹄の音。十歳のカルトは気になって外に出ようとしたが、両親に止められた。温和な両親がすごく険しい顔をしていた。
響いた怒声。その次には父が殺されていた。上から下へと剣を振られ血を吹いた。母に突き飛ばされると次の瞬間には母が死んでいた。
目の前の光景にカルトが困惑していると、父を斬った男が近づいてくる。カルトは乱れる息を短く吸い込むと、男の懐から外へと飛び出した。
しかし外にも複数の男がいた。剣を構えるのを見てどこにも味方がいないことを察する。すぐに周りを見回すと一番いけそうな男の懐を走り抜けた。男も並の男なわけではないが、カルトの動きに一瞬遅れをとり、カルトを捕まえれなかった。
カルトは振り向きもせず、森を真っ直ぐに走り抜ける。曲がることもしない、ただ真っ直ぐ敵から遠く遠く逃げる。
もう息ができなくなるとやっとカルトは足を止めた。大きく息を吸い、呼吸を整える。真昼間だったのに、あたりは暗く、雨も降ってきた。家に戻るべきではないのかもしれない。しかし行くところもない。カルトは来た道を引き返す。
真っ暗だった森なのに先には明かりが見えた。カルトは不審に思ったが、しばらく行くと明かりの正体が分かった。家が燃えている。カルトは目を見開いて、家の前に立ち尽くした。ゴオオオと轟音がなり、パチパチと燃えていく音が、今までの思い出を燃やし尽くしていくようだった。カルトは大声で泣き叫ぶと、膝をついた。
叫び疲れ、静かにカルトが泣いていると、一人の男が目の前に立っていた。敵かと思って身構えるも、男は何も言わずに立っていた。今の盗賊業のボスだ。
その男は両親が殺されたわけを話してくれた。両親は元王の従者で追われていたのだ。
森の中で静かに暮らしていたものの、足が付いたのが一日前。現王の軍人が殺すように命令されたらしい。
男はカルトに言った。
「奴隷になるか、俺たちのファミリーになるか、選べ」
選択肢はない。この日からカルトは盗賊業をし始めたのだ。
話し終えると女性はうつむいていた。
「そうだったんですね。ごめんなさい」
「いや、別に過去の話だしな。あれがなかったら今の俺はいねえしな」
女性はあの写真のことを思い出していた。あれに写っていたのはその育ての親だろう。
「お前は?」
カルトの言葉に女性は肩をはねた。カルトはそれを見逃さなかった。
「いや、言いたくなかったらいいんだ」
女性は口を開きかけてやはり閉じた。まだ心は開け無い様だ。
しばらく沈黙していると、カルトは立ち上がった。
「明日からまた仕事に戻る。家にいる時間は限りなく少なくなるから自由にしていていい。それに、ここは誰も来ないからな。安心しろ」
そういうとカルトは女性の部屋を出ていった。
翌日。朝からカルトはいなかった。仕事に行ったのだろう。女性はたった数日間一緒にいただけで、カルトがいないことをさみしく思った。
今まで聞こえていたトンカチの音が聞こえない。それだけで少し心細かった。
女性は柱に頭を預けた。
「駄目ね。私はやらなきゃならないことがあるのに」
視線を窓際の椅子の上に置かれた本へと向けた。一輪の花というタイトルの小説。
本を手に取ると椅子に腰かけて開いた。
ある国の女王がいた。その女王は良き女王であったが、王とではなく騎士と恋仲になってしまう。それを知った大臣の娘は妬み、そして企んだ。女王は娘の企みにはまり、国民が革命を起こす。女王は城の者たちの計らいで亡命する。その者たちの中に愛する騎士が。女王は亡命に成功するも、翌日亡命先で聞いた知らせで、騎士が死亡したことを知らされた。女王は怒り悲しみ悔い、一人生きてしまったことへの罪悪感で自害した。
簡単にはこういう話の内容だった。女性は深く息を吐いた。そして窓の外を眺める。
いつもと変わらぬ日常がいつ崩れるのかわからないと想いながら。
夜になるとカルトが帰ってきた。
でもそんなに時間が無いようですぐに支度をする。
「今夜もどこかに盗みに行くのですか?」
「まあな、あと、お前と一緒にいた奴らの様子も見てくるよ。場所は把握したからな」
カルトは服を羽織り、出ていった。
初めの仕事はルルから頼まれた宝石を盗む仕事だ。
ルルは宝石が好きだ。自分が王女だからか、身だしなみをよく気にしている。
「やっと来たのね。もう、全然会えなくって寂しかったのよ」
いつものように宝石を届けに行くと、ルルがすこし拗ねていた。
ルルの言葉に無言でいると、ルルはため息をついて、まあいいわと言った。
「ところで、あなたの名前を教えてほしいわ。もうただの仕事相手ってわけでもないんだから」
ルルが腕にすり寄ってきた。
「それは無理だ」
名前を名乗ることはできるわけがない。盗賊なのだ。
ルルは口をとがらせる。
「別に誰にも言わないわよ」
それでも黙っているとルルは目線を合わせてきた。カルトは少し目深にかぶりを被る。 カルトの瞳は綺麗なエメラルド色なのだ。たとえ、顔を見せていなくても感ずかれる可能性があるのであれば隠すべきだ。
「ねえ、好きな人とかいないの?」
カルトは一度ルルの顔を見たが、すぐにそらした。
「それも言う必要はないだろう」
ルルを優しく退けると、カルトは窓から飛び降りた。
いつものように帰っていくカルトをルルは見ながら、カルトの影にいる誰かに気付いていた。その表情は今まで見たことがないような、恐ろしい表情だった。
「あの人の匂いじゃないニオイがしたわ」
再びカルトが家に戻ると家の明かりは消えていた。さすがに寝ているのだろう。静かにドアを開ける。
カルトはベットに腰かけると、いつものようにコインを弾いた。
翌朝、カルトは仕事に行くために早起きし、すぐに出ていった。奴隷のことは書類に書き出したと机に置いていった。
女性はいそいそと出ていくカルトを見送った後、朝食を一人でとった。
食器を片付けていると、洗濯物の山が目に入る。急いでいて今日は洗わまなかったようだ。女性は洗濯物を抱えて川に向かった。
川で服を洗おうとカルトの盗賊用の服を広げると、右腕の部分に金色の長い髪の毛が一本ついていた。
女性は思わずつまみとると、じっと見つめる。心のどこかがチクリと痛んだ気がした。
洗濯物を終えると、女性は家に戻り、カルトが書き出した書類を呼んだ。
昔の名から、今の呼び名、特徴、今いる店の名から職種、どういった対応を受けているのか、細かく書いてあった。たった一晩で13人すべての奴隷の詳細を調べつくされていた。
女性は正直に驚きを隠せなかった。
そして思った。彼ならできるのかもしれないと。これだけの仕事ができ、かつ欲がなく、今、最も信頼できる人物。女性は覚悟を決めて書類を燃やした。
日が暮れて間もない頃、カルトは帰宅した。女性は洗濯物を取りこんでいた。
「あ、おかえりなさい。ご飯できてますよ」
女性は洗濯かごを隅に置いて、ご飯の支度を始める。カルトは礼を言いつつ、手を洗いに行った。
いつものように二人で机を囲んで食事をする。
「あの、書類ありがとうございました。状況を把握できてよかったです」
小声で話し始めるとカルトは食べながらうなずいた。
「まあ、所々で見たくないような内容もあったがな」
女性は視線を下にしたが、首を振った。
「これが現状だというのは知っていますから」
カルトは憂いの表情をする彼女を見つめる。すると突然女性が顔をあげた。
「あの、お仕事を依頼したいんです!」
初めての女性の積極性にカルトは驚いた。
「この国の裏を暴いてください」
女性の目にはわずかに涙が浮かんでいた。
「私の名前はジェノ・ライズベリーです――」
女性は自分の名を初めて話した。
アドル王国は昔はライズベリー国という国で、優しいロノ・ライズベリーという王が納めていた。王は民からよく愛され、貧しくも、国は賑やかであった。そのころは奴隷制度もなく、民は心優しかった。
そのころロノ王は貿易を開くか悩んでいた。国は賑やかだが、貧しいのは確かだ。実際、綿織物や絹織物はこの周辺ではかなり良いものなため、貿易をすることによって国が潤おう可能性がある。しかし、貿易で人の出入りが多くなることは国にとって危険が及ぶ可能性がある。
大臣であるソモン・アドルジャンは貿易を勧めていた。何より国が豊かになるのだ。あるかわからない危険性を考えるより、利益を求めるべきだと強く主張した。
そこでロノ王はソモンに頼んで隣国の王と話し合いの場を求めた。ソモンは良い顔で隣国の王と話し合いの場を設けたが、隣国の王は実に傲慢でかなり厳しい条件を求めてきた。それでもソモンはやるべきだと言ったが、かなりのリスクがかかることは確実。貿易で国を潰してしまう可能性もあるのだ。ロノ王はうなずけなかった。
しばらくして国にはうわさが広がっていく。ロノ王が自分の利欲で国を貧しくしているのだと。そして追い打ちをかけるように隣国から宣戦布告が出された。『王の発言は国を侮辱した。死をもって償うことを望む』と。
噂だけなら民は信じはしなかっただろう。しかし、隣国の王の言葉に民は混乱した。
そして革命が起こる。隣国に国を滅ぼされる前に、王を滅ぼすべきだ。王を隣国につき渡し、怒りを鎮めようと。
城は大きく燃えた。
指揮をとったのは大臣のソモン。君主に歯向かっても国を守りたいと名乗り出たのだ。 城は燃え、王と王妃そして、ジェノの妹である王女が捕まり、絞首刑になった。他の使用人たちは一時捉えられた。
争いが終わると、隣国は『死をもって償ったことを確認した。国を攻めることはない』と書状を出した。
時が経ち、国はライズベリー改め、アドル王国になった。王として鎮座するのはサモン・アドルジャン。
国は敵対した隣国とも和解し、貿易を始めた。国は豊かにそして賑やかになった。だがその裏で、奴隷というものが存在するようになった。
奴隷のほとんどは隣国のものだが、3割は自国のものだ。それは今でも割合を増やしている。過去の民は反対したのだろう。だがあの革命の後で人の心はすさんでしまったようだ。今ではそれが当たり前のようになっているのだから。
「父は、国を裏切るようなことはしません。まず、敵国にも敬意を払う人です。殺したいほどの言葉を贈るなどありえない。私はこの裏で何者かが動いたと思うんです。私は大臣が怪しいと思っています。でも私にはそれを証明するものをつかめない。だからあなたにつかんでほしい。お代はいつか必ず払います。お願いします。どうにか父の無念を晴らしてください」
ジェノは頭を深く下げた。
カルトはジェノの頭に手を置き、軽くたたいた。
「お代はいらねえ。俺はお前のためになるならそれでいい。だが、一つだけ言うぞ。無念を晴らすのは俺じゃない。お前だ」
ジェノは目を見開いた。そして静かにうなずく。
「じゃあ、お前のことも教えてくれ。何かヒントが得られるかもしれねえ」
ジェノは軽く手の甲で目を拭くと、静かに話し始めた。
「私は王家の生き残りです」
当時、8歳のジェノは突然の煙と炎に困惑した。そして部屋に突然兵士が入ってきた。
「ジェノ様。緊急事態です。我らとともに来てください」
兵士はジェノの腕を引き、部屋を飛び出した。廊下を走りながら、数人の兵士と合流する。兵士たちは言葉を絶やすことなくやり取りしていた。
裏口から飛び出すと、そのまま森へと駆けていく。すでに大きい城を走って息も絶え絶えだが、腕は放してもらえなかった。
暗い森を走って、兵士は急に止まった。ジェノは膝に手をついて大きく息をする。
「追手が来ます。その洞窟に隠れていてください。絶対に戻りますので、決して出ないで」
兵士はそういうと他の兵士もつれて走り去った。
どうしようもなく、言われたとおりに洞窟に入った。しかししばらくしても兵士たちは戻ってこなかった。
手足が冷たくなってきて、何時間たったのかわからなかったが、ジェノはしびれを切らして外へと出た。あたりはまだ暗い。森の静けさがジェノに恐怖心を与え、ジェノはとにかく歩き出した。下ればきっと街に出る。何が起きているのかわからないが、人に会えれば城に帰れると思った。
静かな森にバタバタと大勢の足音が聞こえ、ジェノはとっさに木の陰に隠れた。
「王女はどこだ?!」
兵士は皆必死の形相だった。幼いジェノには恐ろしく見える。ジェノは一気に走り出し、街へと向かった。
幸運にも、兵士たちには見つからず、やっと街が見えるところまでたどり着いた。ジェノの疲れた表情の中に安心が浮かぶ。ジェノは破れ泥にまみれたドレスを捨てると街へと足を進めた。
街へ降りたが、そこには誰もいなかった。ジェノはいくつかのドアを叩いてみたが、誰も出てこない。仕方なく、家と家の間に身を潜めて、眠りについた。
朝日が昇るとともに、ジェノは目覚めた。もう街は賑わい始めていて、ジェノはその場から立ち上がると、商人の場所へと足を運んだ。
「おや、君は……迷子かい? 大変な時に迷子になったねえ。今日は旧国王の処刑日さ。処刑の後は祭りがあるんだ。多くの人が賑わうよ。お母さんに会えるといいんだが」
商人は一つの棒菓子をジェノに与えた。ジェノは処刑のあるばじょを問うた。
「ああ、それなら向こうにまっすぐ歩いていきなさい。中央広場のを望む城の前で行われるよ。と言っても、もう城は燃えてなくなったんだがね」
ジェノはお礼を言って、言われた方へ歩いていく。不安感を抱きながら歩いていると、人々の口から次々に城が燃えたことが飛び交っている。嘘のようなことも含めて。
中央広場にたどり着くと、焼けた建物の前に人混みができていた。ジェノは唾を飲み込んで、一歩一歩踏み出していく。
人混みをかきわけ、一番前に行くと目の前に広がる光景に息をのんだ。いや、息ができなくなった。
「この者たちは、己の利益を尊重し、我々国民に飢えを与えた! 加えて隣国への暴言でこの国を危機にさらした! よってこの者達には、死をもって償ってもらう! 最後に言い残すことはないか?」
神父の言葉に王は悲しげに微笑みを浮かべたままだった。王妃と王女は涙を浮かべている。
そして、無情にもライズベリー王国の一家は絞首刑となった。
ジェノはそれを目の当たりにしていた。涙を流すこともなく、叫ぶこともなく、動かなくなった愛しい家族を茫然と、目を見開いて見つめていた。
そしてすぐにそれは片付けられてた。まるで物を片付けるかのように。
「我々は王に勝った。そして王のいなくなったこの国は新しく生まれ変わる。皆、私についてきてくれるか?」
さっき人が殺された広場で、大きく声が上がった。それは批判的声ではない。喜びの声だった。
「この国はアドル王国へと変わる。そして今日から隣国との貿易も進めていくつもりだ。もうこの国の民に貧しい思いはさせない。さらにかの王を慕う愚か者たちには、職を取り上げ、奴隷としての身分を与える」
すると続々と城に仕えていた者たちが鎖を繋がれ、引きずられて広場へと連れていかれる。
ジェノの瞳から大きな涙が静かに流れていく。まだしっかり理解しているわけではなかったが、理解より先に感情が溢れていく。
「さあ、奴隷は値段で競ることにした。今から奴隷の競りを行う」
サモンは台を降り、別の男が競りを仕切る。謳い文句を言いながら、奴隷の初回の値段を言った。当然、安い値段だ。一般市民でも手を伸ばせそうなほどの値段。
しかし、民は尻込みをした。いくら全王を憎んでいても、根はやさしい民なのだ。それでも、非情な者もいる。
一人が買い始めれば、徐々に民の声が大きくなっていく。
ジェノは居た堪れなくなって、その場から飛び出した。
昨日寝た、家の間に行くと抑えきれない悲しみが溢れてくる。声を抑えて涙を流し続けた。
泣きすぎて、涙が枯れるとふらふらと街を歩いた。
やるべきことがわからない。この現状が受け入れられない。魂の抜けたような表情で歩く少女に誰も声をかけなかった。
すると一人の男が声をかけてきた。
「嬢ちゃん、一人?」
洋装がどこか独特で、隣国の者だろう。
「ここさ、奴隷制度が始まったって聞いてきたんだよねー。奴隷売りに来たんだけどさ。いいもの見つけちゃったな」
男はそう笑うとジェノを殴った。
この日からジェノは奴隷として生きていくことになった。
ジェノの話を聞いてカルトは不思議に思った。
「なぜ王族だと気づかれなかった?」
「お父様の世代まで、代々子供の存在は二十歳になるまでは隠すことが習わしだったんです。もしものことが起きても子供だけは守れるように。子供がいればたとえ王が死んでも国を継げるからです」
ジェノの妹の存在も、処刑された当日に明らかになったのだ。もちろん、捕まらなかったジェノの存在は誰も知らない。
「私は王族に戻りたいわけではないんです。あのとき私は何もできなかった。今からでも無念を晴らしたいんです。暴きたいんです、この国の闇を」
ジェノは再び深く頭を下げた。
「お前の気持ちはわかった。俺のできることなら力を尽くそう」
カルトはジェノの頭を胸に抱いた。ジェノは泣いていた。小さく声を出しながら大粒の涙を流していた。
このぬくもりが欲しかったのだと、ジェノはカルトにしがみついてわかった。