第五話 店 長
「今日からお前はダークエルフだ。エルフのままだと不便が出る」
「マジかぁ。俺、働かされるの? ヤダなぁ、ああ、いや!」
どうも、雷男です。働き先が決まりました。
それも「(世界一でかい)ダンジョンの下町にある酒場」
魔族の中で生きていくにはまず外見から改める必要があるようです。
「これを塗れ。ちょっとした水なら剥がれないだろう」
そう大臣に言われて渡されたものはママンが使ってそうな丸い化粧品だった。
緑色の容器を開けると黒いクリームがたっぷりと入っている。
「一年分だ。重いが背負ってけ」
「荷物はこれだけ?」
「ああ。お前は店で寝泊まりするのだから資金もいらない。根性だけ持って飛ばされろ」
そう言うとダークエルフは俺から後退した。
俺を城からダンジョンの下町まで飛ばすために、魔法使いらが魔法陣を張っているんだ。
一緒にいると街まで飛ばされてしまう。
すると下の魔法陣が光りだした。
青い光に部屋全体が照らされている。
「準備完了です」
「うむ、ご苦労」
これで魔王城とはお別れか。
特別に何かを感じていたわけではないけれど、日本に戻る手立てを失ってしまったように思える。
「おい、エルフ」
大臣の声だ。でもあまり聞こえない。
きっとワープが始まっているんだ。
「何?」
「まず、……れ! はや……塗れ――」
「ええ?」
聞き取れないまま景色が歪む。
そして青い光に包まれたかと思うと辺りは白一色に染まっていた。
魔族たちの姿も見えない。
そう。山田 雷男はすでに城を去っていた。
ワープは発動すれば、それほど時間のかかる魔法ではないのだ。
エルフの去った地下室では、魔法使いらが溜息をつきながら各自の場所へ散っていた。
もはや用無しとなった部屋には黒づくめの男だけが残る。
「……クリームを塗れ、と言ったのだが。まぁ問題もないだろ」
ボソッと呟やかれた大臣の声は誰の耳に届くことなく消える。
しかしそれも過去の話であった。
――― ――― ―――
「おお」
赤土の荒野に思わず声が出る。
辺りはカラリとした空気になんともアメリカンな世界へと変わっていた。
黄色い土埃が複数渦巻いて移動をしている。目に砂が入った。
「さすが……ゴホッ……ダンジョン下だけあるわな。さて町はどこでしょ」
砂風に目を守りながら周囲を見渡す。
砂――埃――砂――サボテン――砂っと、ありゃ、なんだ。
黒い塔のようなものが砂漠の向こうに見えた。小さいけど、実物は大きそうだ。
「ダンジョンかな」
「……だねえ」
「えっ!」
人の声に驚いてのけ反る。生き物なんていただろうか。
「ここだよ、オイラはここ。君の荷物に乗っている」
子供のような小さい声だった。顔を背中の方へ向けて声の持ち主を探す。
するとクリームの包みの上に小さな水たまりができていることに気がついた。
おそるおそる荷物を地面に置いてみる。
すると驚くことに水が動いて、下から小さい顔をのぞかせてきた。
大きな黒目と赤いお口が液体の表面にくっついている。
液体はぶよぶよと集合したかと思うと、富士山の形に結合した。
青いそれが二ィと笑う。
「顔の付いた液体……。お前、スライムなのか?」
「名前はしらね。でも君がそう名付けたのならオイラはスライムだ。よろしく」
「よろしくって……」
扱いが分からずに戸惑う。食べ物に事欠いているのだろうか。
「俺、食い物なんて持ってねえよ」
「そんなの、君の角質で十分だよ。掃除屋なんだ」
そう言って手に飛びついてくる。液体のせいか冷たく、またすんごく気持ち悪かった。
指をしゃぶられているような気がする。
「え、遠慮する! 他を当たれよ」
「やだ。街まで遠いもん」
不貞腐れるように指から離れる姿が前の愛猫に似ている。
男といえ主人なんだ。可愛がった奴を忘れることなどできねぇ。
「そんな目で見ても、オイラからは何も出ないよ」
黒い目を細めてスライムが言ってくる。
いくらサイズが近いからといって、こいつと猫を重ねて見るのはやめよう。
俺は立ち上がった。
「街を知っているのか?」
「まあね。案内がほしいの? 連れていってくれるなら、協力も考えないかな。どう、オイラなんか?」
なるほど。利口な生き物だ。乗っからずにはいられないな。
俺は荷物を持ち上げた。
「よし。約束だ」
「ガッテン。街はここから六時方向。オイラを乗せるの忘れないでね」
城から出て半歩。初日にしてはできすぎるスタートをきった。
――三時間後。
「喉が渇いた。スライム、お前食ってもいい?」
時間はすでに夕時で、辺りも青く沈んでいる。
いくら涼しくなったといっても、ずっと飲まず食わずはきつい。
お腹がギュゥルルと鳴いては、乾いた口から唾を呑み込もうとする一連の流れを繰り返していた。
「食ったら腹壊すぜ。これでもいろんな細菌がついてるんだ」
「妙に詳しいな。博士か」
「ただの魔物だよ。変にフラついていると僕みたいな魔物に付き纏われるのさ」
スライムは魔界についての知識が豊富だった。
例えば魔族のこと。
魔族は魔王に領地を与えられた者のことを指し、人間でも鬼でもエルフでも王に認められれば魔族になれるようだ。ただ今の魔王は特定の種族の者だけを好んでいるために偏りがある。
そして魔王は長生きをするものだから、ここ一千年は他の国を見下す傾向が強いのだと言う。
国同士の貿易もされていないようだった。
「ダンジョンはもう見えないな。ダンジョン下町っと言ってもかなり遠いんじゃねえの」
「何言ってるの? 近かったらダンジョンの魔物が来ちゃうじゃない。遠くて当然だよ」
「……ふーん。じゃ、世界最大といっても高さがないんじゃない?」
「地下が広いんだよ。入り口は塔にあるんじゃないんだ。いろんなルートがあって、この地面の下でも今まさに戦っている冒険者たちがいる可能性だってあるんだよ」
呆れるようにしぼむところが可笑しい。口達者でなかなか頭の切れる魔物だ。
おかげで暇せずにここまで来れたんだけどね。
「あ、主人! 喜んでよ、町だ」
「だな。見えてる」
荒れ野の先に小さく見える白い都市。
そこはたいへん賑わいのありそうな雰囲気を醸し出していた。
まだ遠いところにいるというのに、大衆の声や笛の音楽が白い壁から漏れて聞こえてくる。
明かりもあるようで、壁に囲まれた都市は祭りのような賑やかさを持っていた。
ちらほらと出入りする人が目立つ。
「町じゃ他国の人が来て、珍しいもんを売ってくれるんだ。冒険者もダンジョン狙いでやってくるから商売繁盛!」
「なら、情報もたくさん入ってきそうだ。大臣が目を付けたわけが分かるぜ。……なぁスライム、お前は町に来たことがあるのか?」
「オイラはもともと商人に連れまわされていたペットだからね。前の主人とははぐれちゃったけど、今の主人よりはきっと物知りだと思うぜ」
「――今の主人って俺のことか?」
「もちろん、町では御馳走をくれるよね。たくさん働いたもんオイラ」
「生意気だから却下」
肩に乗ったスライムから非難の声が聞こえる。
でもま、許せ。俺だって、町の観察がしたいんよ。
「涼しいな」
日が落ちたせいか。荒野の暑さとはだいぶ違ってきた。
植物や木も増えてきたと思う。町は快適そうだ。
「……着いた」
アザレア町と書かれた門の前で立ち尽くす。
ここまで本当に長かった。
「酒場ってどこなんだろうな」
「待ち合わせをしているなら、人が来てるんじゃない?」
スライムの言うとおり、門の裏では誰かを待っているような人影が多数あった。
そして、その中から一人。
二メートルほどのガタイの良い男がムクっと立ち上がって、こちらに寄ってくる。
暗くて顔はあまり見えなかった。
「あ」
「エルフか。話は聞いている」
えらく野太い声だった。
髪はスキンヘッドで、白いタンクトップを着ている。
おかげで彼の青い皮膚が目立って見えた。
まさにブルーマンのようだ。
「店まで案内しよう」
「はい。お願いします。俺、山田 雷男というんですけど、あなたは?」
踵を返した背中が静かに答える。
「ドレファー」
これが店長との出会いだった。