「標準」の蔓延が生んだ課題
世界一高い自立式電波等である、東京スカイツリー。その高さ634メートルは、かつての旧国名「武蔵」の語呂合わせであることは、結構 有名である。
今回は、その武蔵国のお話である。
武蔵国は、7世紀頃に成立したとされる国(現在の都道府県に当たる)の一つで、主に 現在の埼玉県、東京都によって構成されている。この、埼玉と東京は元々1つの国であったことは、割りと有名ではある。
話は変わるが、埼玉には独自の文化が少ない。
方言が少ないことからも代表されるように、県民は標準語を使う。
実際のところ、埼玉には方言が存在するが、若者はあまりキツイ方言は使わないし、東京からの住民流入によって、ほとんど消滅してしまっている。
埼玉は東京のベットタウンであるし、他地方生まれ・埼玉在住の県民は結構多い。そんな中で方言を残そうとするのは無理な話であるし、実際 消えかかっている。
埼玉は その土地柄、他地方、主に東京の影響を大きく受けている。東京の言葉、文化を「標準」とするならば、埼玉に独自性が無いのは仕方あるまい。関西や東北の人が独特の喋りをするのとは、訳が違うのである。
では、なぜそうなったのか? ここで、話は武蔵国に戻る。
昔から1つの国として歴史を歩んできたのだから、文化が同じなのは当たり前である。いっそ、武蔵国が分断されることなく「武蔵県」として首都になれればよかった。
当然、言葉も食べ物も、ほとんど東京と同じである。昔から、住民は東京と同じ文化で生活していた。東京弁を標準語と呼ぶならば、埼玉県民も標準語を話すのは当然。
東京と埼玉はイコールで結ばなければいけないところを、無理やり比較しようとするものだから、埼玉に独自性は無いと言われるが、それに関しては仕方ない。
話はこれで終わらない。
関東大震災が発生したときには、被災した住民(つまり東京人)を多く受け入れた。高度経済成長期には、溢れた人々の受け皿となる。都心の地価高騰に伴い、県内にも大規模なベットタウンが造成される。埼玉に移り住む東京人は増え続けていった。いわば、入植とでも言えようか。
こうして、たびたび多くの東京人を受け入れてきた埼玉県。東京の文化、いわゆる「標準」は、県内に蔓延……いや、広がっていく。
次々と入ってくる東京の文化。埼玉の風土は薄れ、残ったのは標準のみ。
自分の住む地域との“違い”を“魅力”と感じるならば、埼玉=何も無い(魅力が無い)と言われてしまうのは、当然の流れである。だって、東京との文化的観点から見た“相違点”が、ほとんど 無いんだから!(震え声)
古くから同一の文化を継承してきた両者。埼玉が東京の影に隠れ、魅力が無いとまで言われてしまう所以は、ここにあると信じて疑わない。