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エリコ  作者: ムライリカ
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♠6月…その1

 雨が降り出しそうな天候の中、生徒達がグランドで球技大会の練習を行なっていた。2年生の種目はフットサルだ。服部は職員室から練習光景を眺めつつ、自分にもあんな時代があったなと思い出していた。球技大会は言わば男子の見せ所。張り切りたくなる気持ちも分からんではない。


「先生、日誌持ってきました」


 その声で思考が現実に戻される。振り返ると、例の山下が仏頂面で立っていた。今日は山下が日直だったのか。相変わらずだなと口元が緩む。


「ありがとう、後で見るから机に置いておいてくれ」

「……失礼しました」


 一礼して職員室を後にする。山下の家庭事情は未だによくわからなかった。あれから何度か自宅近辺を車で走ってみたが、彼女を見つける事は出来なかった。最近分かった事だが、どうやら母親があのショッピングセンターで働いているらしい。本当はあそこで母親を待っていただけかもしれない。


 だけど時折見せる彼女の物憂げな様子が、そうではないと周囲に訴えていた。日に日にやつれている気がする。強情な山下の事だ、未だに何処かで時間を潰しているのだろう。あれでは身体が持たないぞ。服部はイライラしながら煙草に火を点けた。少しは教師である自分を、友達を頼ってもいいのではないか。意気地になる理由が分からなかった。




 帰る頃には、すっかり雨が降りだしていた。深夜にかけて大荒れになりそうな天気だ。服部は生徒に早く帰るよう促しながらも、山下は帰宅しているだろうかと心配になった。流石にこうも天候が悪ければ、帰らざるを得ないだろう。しかし、素直に帰宅しているとは思えない。

 服部は余計な心配だと思いつつ、彼女の自宅に電話をかけてみた。数コールで留守番電話に切り替わる。もう一度かけ直してみたが、やはり誰も出ない。時刻は夜の6時を過ぎていた。


 寄り道さえしていなければ、とっくに帰宅している時間だ。無駄足かもしれないと思ったが、服部は事務処理を早々に切り上げると、山下の自宅へ向かった。明かりが一つも点いていない。もしかして今日も徘徊しているのか。山下の自宅近辺を車で徐行する。ショッピングセンターの裏にある公園も注意深く観察してみたが、こんな悪天候では人っ子一人見当たらなかった。風も強くなってきていて、道行く人は傘をさすのもやっとの状態だった。


「携帯番号くらい聞き出しておくべきだったな」


 車を路肩に停めて現在地を確認する。公園は西にもう一つあった。そこにも行ってみるか。服部は額の汗を拭いながら車を発進させた。時刻は夜の7時を過ぎている。




 山下にもしもの事があったら。不安と焦りで鼓動が早くなる。生徒とは言え女なのだ。変出者共の被害に合ってからでは遅い。

 公園が見える道に出た所で、服部は遂に山下を発見した。一人目立たぬ黒い傘をさして、ベンチに腰掛けている。あんな所で粘っていたのか。公園の入口に車を停めると、服部は傘をさして静かに近づいた。自分でも珍しいくらいに怒りがこみ上げていた。


「そこで何をしている」


 ベンチに座っていたのはやはり山下だった。虚ろな目をこちらに向けると、罰が悪そうに俯いた。傘で上半身を隠してしまう。


「何をしているかと聞いているんだ」


 山下は答えない。しかし身体は寒そうに震え上がっていた。


「いい加減にしろ!」


 濡れるのも構わず傘を取り上げると、山下の頭を叩いた。衝動的だった。手加減出来ているかわからない。女性を殴ったのはこれが初めてだった。


「痛い!」


 咄嗟に叩かれた頭を覆う。山下は何が起こったのかわからないといった様子で、服部を睨みつけた。涙を堪えようと唇を噛み締めている。


「もっと自分の身体を大切にしろ!お前は女なんだぞ、襲われてもいいのか!」


 微動だにしない彼女を立たせようと、思わず腕を引っ張る。


「痛いっ、待って先生!」


 山下が辛そうに足を閉じた。身体を冷やし過ぎて感覚が麻痺しているのだろう。服部は傘を手放すと、有無を言わさず彼女の身体を持ち上げた。山下は驚いて抵抗したが、やがて服部の表情におとなしく身を縮めた。重たいが抱えて歩けなくはない。


「しっかり捕まっていろ」


 なんて荷物だ。足場と視界の悪い中、服部は山下を抱えて何とか車まで辿り着く。上着を脱ぐと、乱暴に山下に渡した。


「身体を温めろ、いいな」


 一先山下を車内に残して傘を取りに戻る。車内に戻った頃には、お互い雨でびしょ濡れだった。


「とりあえず先生の家に行くぞ。それくらいの時間はあるか?」


 山下が静かに頷く。ここからなら、飛ばせば5分で着くだろう。濡れた手でハンドルを握りしめながら、遂に深入りする所まで来てしまったと思った。もはや自分の立場とか、教師だから中立とか、そんな事はどうでもよくなっていた。一人の人間として、彼女を見捨てる事が出来なかったのだ。


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