♠12月…その7
三橋のご両親との対面は滞りなく進んだ。事前に娘からの話で信用を得ており、更に叔父である上松の計らいもあったのだろう。初対面にもかかわらず、息子のように寛大に受け入れてくれた。三橋の両親なだけある。
服部はそれが嬉しくもあり、虚しくもあった。この場では学校で働く自分しか評価されていない。上辺だけの、教壇に立っている外面しか見られていない。中身は妹を愛してやまない狂人だと言うのに。無理矢理外堀を埋められている感覚に、服部は吐き気を覚えた。嫌悪感を抱いた。堪らず「英里子」と叫び出したかった。この定められた世界を脱出するにはそれしか考えられない。
「すみません、お手洗いを貸して頂けないでしょうか」
服部は挨拶も程々に立ち上がると、廊下へ出るなり携帯電話を開いた。英里子から連絡がきている。
『今すぐ会えませんか?』
服部は急いでトイレに駆け込むと、電話をかけた。直ぐに英里子と繋がる。
『久しぶりね、兄さん』
ああ、声を聞いたのはいつぶりだろう。服部は高鳴る鼓動を押さえて、努めて冷静さを装うとした。
「久しぶりだね、英里子」
英里子と連絡が取れたら、真っ先に怒鳴りつけてやろうと思っていたのに。声を聞いた瞬間どうでも良くなっていた。
『ごめんなさい、兄さんだって忙しいのに無理を言って……今はどこに?』
まさか婚約者の家へ挨拶に来ているとは言えず、服部は咄嗟に「学校」と口走った。受話器の向こうから微かに笑い声が上がった。
『休みの日までお仕事なのね、お疲れ様。今日兄さんは夕方の時間を指定したけど……居てもたってもいられなくて、実はもうマンションの前まで来ているの』
服部はマンションの前で佇む英里子を思い浮かべた。会いたい。早く帰りたい。今更何故英里子が来たのかなんて、直接本人から聞けばいい。
「すぐ帰るよう、手配するから待っていろ」
早口で通話を切ると、服部は血相を抱えてトイレから飛び出した。廊下に出た途端、様子を見に来た三橋と目が合った。
もしかしたら先程の会話を聞かれていたのかもしれない。服部は相手の出方を待ちながら呼吸を整える。最早英里子以外は皆障害物に他ならなかった。
「何かあったの?」
三橋が心配そうに服部の顔と、携帯電話を見比べている。
「妹が……妹が貧血を起こして、駅で倒れたと連絡が合った」
簡単に嘘が出た。あっさり信じた三橋が「大変!」と叫んで両親のいる部屋へ走り出した。服部も構わずそれに続く。部屋に戻るなり妹が駅でお世話になっていると告げると、両親も心配してくれて、早く迎えに行ってあげるよう催促された。
世間から見れば、まるで妹思いの良い兄貴だ。服部は何度も「申し訳ありません」と三人に頭を下げて家を後にした。三橋には本当に悪い事をしたと思ったが、何よりも英里子が最優先だった。服部は走りながら再び英里子に電話をかけ、30分以内には帰ると告げて電車に飛び乗った。
5分、10分と電車に揺られ、ドアが開くたびに服部は焦りを募らせていた。久し振りに、1年ぶりに会う英里子はどんな女になっているだろう。早く抱きしめてやりたい。英里子に対する想いがはち切れんばかりに溢れて止まらなかった。
改札を出て直ぐにタクシーを拾った。駅から自宅まで徒歩10分だが、その時間すら服部にはもったいない。釣りは要らないと1,000円札を渡してタクシーを追い返す。マンション下に英里子らしき女性の姿はなかった。とすれば部屋の前か。服部は3階までの道のりを一気に駆け上がった。
自分の部屋の前に、濃いブルーのワンピースを着た女性が立っていた。女性が服部の足音に気付いて振り向く。英里子だった。長かった髪は肩の辺りで揃えて切られており、前髪の分け目も変えたのか、前よりも大人っぽくなっていた。
2人は言葉を交わすより先に抱き合った。きつく、固く抱きしめてやる。この抱き心地、髪から漂うシャンプーの香り。何一つ1年前と変わらなかった。服部は懐かしさに堪らず涙が込み上げそうになる。
「ふふ、相変わらず煙草吸っているのね」
英里子がそっと服部の首に手を回す。躊躇いもなく2人は顔を近づけて、お互いの懐かしさを共有した。英里子が息苦しそうに離れる。
「部屋に上がっても大丈夫?」
服部は今更人目を気にしだして、慌てて英里子と鞄を部屋に招いた。
「いきなり英里子から連絡が来て驚いたよ。向こうで何かあったのか?」
2人は部屋に上がっても、中々離れようとはしなかった。靴すらも脱ごうとはしない。英里子はその問いに答えようとせずに、服部の口を再び塞いだ。堪らず服部も英里子の期待に応える。左手で力強く抱きしめながら、胸からお尻にかけて丹念に撫で回した。ワンピースの下は既に濡れている。
「終わってからじゃ……駄目?」
服部は囁くように「いいよ」と答えると、玄関の鍵をしめて英里子をベッドまで案内した。互いに柵を全部脱ぎ捨てて一つになる。久しぶりの身体に、服部の感度は最高潮に達していた。
英里子が何故自分に会いに来たのか。この淫らな表情を見れば一目瞭然だった。心の底から欲して来たのだ。自分からは決して折れなかった筈の英里子が。抱かれたくてどうしようもなかったのだ。
服部は英里子を深く突き上げながら、永遠にこうして交わっていたいと願った。誰にも邪魔させない。やはりこの声、この身体でなくては駄目だった。本当に愛しているのは英里子1人だけだった。
永遠に結ばれることのない2人は、何度も求め、求められて狂ったように愛し合った。その間、どこからかバイブの音が静かに鳴り響いていた。